越冬 ⅩⅩⅩ
既に雪冠を戴く険峻の合間。
キコナイン川流域に広がる森林地帯は、夜半より降りだした雨が、昨日より更に強くなった冷気により、霙となり、そして、重い雪となった。
城壁の緩んだ石垣では、忍び寄る寒さを止めることはできず、城壁の上に数人の見張りを立たせ、比較的石組みのしっかりとした本城の一階部分のホールに入ったグルビナの兵達。
彼らは、先程までは全員で北と街道を見張り、盾と斧を並べ陣取っていたが、魔道士トールギルの見立てでは二千はくだらないと云うエルダールの集団は一向に現れず、緊張も長くは続かなかった。
魔道王の庇護を求めるため、大部分のワラグリア敗残兵は灯台塔へ向かった。
今、廃城に立て籠るゴンドオルの兵。
新王の即位を不服としたゴンドオル北部『北領』の兵である。
北領は、ゴンドオル併合以前は『ワラグリア』と呼ばれていた。
その、ワラグリアの首府があったのがグルビナ。
代々ガルボ家の治める、蜂起の中心地、グルビナの重装歩兵が最後まで残ったのだ。
城壁に立つ見張りが、遠くに焔を認めた。
それは敵が来る方向。
廃城の北で何かが起こっている。
グルビナの兵達は、エルダールの村に焔を放ち、この地から排除されようとしている。
そして今、森の焔が自分達にどのような運命をもたらすのか量りかね、彼らは固唾をのんでその行方を見守っていた。
グルビナ兵の見詰める先、灯台ヶ森の北では、飛竜達と魔道王が対峙していた。
黒い風が小さな竜巻を作り、その渦の中に粒子が凝り固まり、人の姿を形作る。
竜巻が散ると、その中には魔道王が立っていた。
「陛下!」
「ヤシン!」
「魔道王!」
臣下が、海竜が、大蛸が、それぞれ彼の名を呼ぶ。
皆に語りかけようと魔道王がした時、彼の視線の先、遥かに離れた木々の隙間から自分を見詰める眼光を認めた。
エルダールの若い狩人だったが、その瞳には紫電の輝きと超常の意思が宿っていた。
「ああ、オルタナ・オルセン。次の依代を見付けたか……」
魔道王はその狩人目掛け電撃を放つために、帯電を始めた。
しかし彼は不意に目眩に襲われ、よろめくと地面に電撃を撃ち出してしまった。
「……もう、その時が来たというのか? ティータ……」
彼の顔には深い悲しみが宿り、それは次第に憤怒へと変化した。
「どないしたんや魔道王?」
25号の頭からダリオスが声をかける。
「魔道王。助けてくれてありがとう。でも、そろそろ帰って」
ククーシカは冷たく言い放つ。
しかし、それらの言葉への返事はなく、彼は頭を振りながら独白する。
「ああ、もう、うんざりだよティータ。争いは人の性なんだ。いや、人だけではない。森羅万象の摂理とも呼べる」
彼は空を仰ぎ見て語りかけていた魔道王は、視線を下げ辺りを見渡す。
「ならばティータ!! 私が全ての責めを負い、この世界を併呑するのは、何故いけない?」
ゾルティアは、思わず魔道王に歩み寄る。
「魔道卿! ふざけるな! 私にシル・パランを貸す時、なんと言った?! シル・パランにアルティン・ティータの意思が宿るなら、ヤシンの受け継いだそのアルティン・ティータの龍炉には何が宿る?!」
ゾルティアの言葉にも答えず、魔道王の視線は未だ宙をさ迷う。
「絶対的強者が永遠に統治をすれば、その庇護の元、臣下は平安を謳歌する! 何故いけない?! 素晴らしいではないか!! 人が増えすぎるのを厭うのであれば、そうだ! 適当に諍いを起こし、戦争させ、間引けば良い!」
魔道王の瞳には、尋常ならざる光が宿る。
「魔道王。あなたの考えはオルタナ・オルセンと変わりない」
疾風姫ストレイリアは、戦闘態勢を取る。
「道を踏み外したな魔道王。貴方は魔王だ!」
彼女が呪腕を振るうと、飛竜達を戒めていた縛鎖が弾け飛んだ。
「解呪使いか!」
魔王は嬉しそうな声をあげる。
「アカン! みんな離れい!」
ダリオスは再び大蜘蛛のような体に変化し、カラリオン、ドウラン、25号、モレヤを足で掴むと、一目散にその場から逃げ出した。
ゾファー、ゾルティア、カルンドゥーム、シンタがそれに続く。
「フフフ、アハハハハ!!」
体に魔力を纏い、そのまま飛竜に殴りかかる魔王。
秀麗な少年の顔は、狂気と憎悪で歪み、溢れ出た雷光が禍々しくそれを縁取っていた。
拳を振るい、飛竜を掴み、吹き飛ばし、投げ飛ばし、持ち上げ、叩き落とす。
笑い声を上げながら、無邪気な子供の空想のように野放図に、魔王は暴れまわる。
火を吹こうが、魔力を使おうが、相対する飛竜は翻弄されるばかりだった。
「道を外した魔道王で魔王か……。オルタナ・オルセン。面白いことを言う。気に入ったぞ! しかし我は太古の昔。既にその名で呼ばれていたぞ『アングマアルの魔王』と! 今再び襲名しよう! 我こそは魔王! この無限の魔力で世の全てを飲み込むまで、私は止まらないぞ! エルダールもエダインも海竜も飛竜も、すべて我が前に身も心も差し出すのだ!! 民の生殺与奪、我の意のままよ! あーっははははははははは!!!」
逃げ出したカルンドゥームは、背後から聞こえる彼の笑い声に立ち止った。
「かるんどぅーむ」
南から魔道兵が一体飛んでくる。
「ポーン!」
機械騎士カルンドゥームが答える。
「かるんどぅーむ。私ハ、聖上ニ承ッタおーだーヲ果タス」
北面するポーン。
「ポーン。私は……」
南面するカルンドゥーム。
「かるんどぅーむ。既ニ貴方ハ騎士ダ。騎士ニ任命サレル時、聖上ハ何ト申サレタ?」
ポーンの言葉に、カルンドゥームは姿勢を正し、大ハンマーを剣のように構える。
「護民を第一の旨とし、敵にをも慈悲の心を……」
「かるんどぅーむ。力無キ者ノ守護者ヨ。尽ク誓言ヲ果タセ!! 魔王ヲ討ツ時ガ来タノダ!!」
ポーンは魔王目掛けて砲撃を開始した。
「ソレガ……、討タナケレバナラヌノガ、おーだーヲ下サレタ聖上自身デアッテモ……。かるんどぅーむ!!」
「アルティン・ティータァァァァ!!」
カルンドゥームは、天龍の名を叫び魔王へ突進する。
「飛竜達よ! 魔王から離れろ!」
飛竜との間にカルンドゥームは割って入る。
「無理よ! 飛ぶことを禁じられているの!!」
飛竜の衛士達が這いずりながら必死に盾となり、ストレイリアを守っている。
「縛鎖は解呪出来たのであろう?」
魔王に大ハンマーを降り下ろすカルンドゥーム。
「クフフフ! その呪文は『禁呪』。精神に作用するのだ! 発動した後は自分で克服するまで解除できない!」
魔王は易々とそれを受け止め鉄槌を捻ると、ハンマーはカルンドゥームの手から離れ、簡単に取り上げられてしまった。
「あれ? カルンドゥーム。私の臣下は辞めるのかい? そっちにつくというなら、コレは返してもらうよ」
そう言うと、魔王はハンマーをフルスイングしてカルンドゥームに叩き付けた。
『ガキン!!』
カルンドゥームは吹き飛び、小高い丘の傾斜になっている地面にめり込んだ。
魔王は、戦いの間、ずっと援護射撃を行っていたポーンへ視線を移す。
「ポーン。君もか……。やれやれ悲しいねぇ」
さして悲しそうもなく魔王はそう言うと、手から火球を発射する。
「コレガ陛下カラノおーだーナレバ!!」
身を固め、火球を防御するポーン。
火球は腕の装甲で弾かれ、派手に爆裂し、森に火の粉を振り撒いた。
「あらら! ダメだなぁ! 受け止めないと森が焼けるよ!!」
一瞬で間合いを詰め、魔王はポーンに肉薄する。
彼の掌がポーンの胸部ハッチを容易く開け、魔道核が露になる。
「ポーン、君は遅すぎる。全然駄目だなぁ。カルンドゥームの方がもっと私を倒せる見込みがあったのに……」
ポーンの魔道核が白昼の陽光のごとく輝く。
「アアアアアああああああ!!!」
ポーンは痙攣する。
「これでは面白くない。君は低位起動のままだった。せめてもう少し歯応えがほしいな。……それ!」
ポーンの体は発火し、電光と炎に包まれる。
「さあ、かなりの魔力を注いだぞ!! 体は耐えられるかな?」
ポーンの形をした焔は、四つん這いになり、ノロノロと魔道王から離れていく。
『どくん、どくん、どくん』
「想像するんだ、魔王を倒す騎士の姿を!! 強い心を持ち、理不尽な暴威から民を守る鋼鉄の騎士を!!」
魔王の瞳に僅かに切実な願いを帯びた熱がこもるが、すぐにそれは憎悪と歪んだ嘲笑に取って代わられる。
『どくん、どくん、どくん』
有るはずのないポーンの心臓が脈打つ。
「カルディアシデロス……それが、私から与える名前だ」
魔王の目の前には、鋼鉄の肌と鋼鉄の心臓を持つ、鉄塊の戦士が立っていた。




