越冬 ⅩⅩⅥ
海から立ち上がる崖の上に森は拡がっている。
そしてその森から抜きん出て、黒く、継ぎ目も判らないくらい精密に組みあがっている石造りの巨大な建造物がそこにはあった。
北の灯台搭。
むかし、南にエダインの国が勃興する以前、魔道王ヤシン・アングバンドは、ここを拠点とし、魔道人形を研究していた。
ゾンダークの襲撃により、灯楼の部分は、海に崩れ落ちてしまったが、それでもなお、廃城のある小山を除いては、灯台搭の基部がこの森の一番高い場所だった。
既に日没から数刻が経っている。
時折りみぞれ混じりの雨を落とす厚い雲は星空を隠し、暗闇が辺りを包んでいる。
先程まで、木々の出す気配のようなもの以外、ここが森であることを知る術はなかった。
しかし今、赤い稲妻が、灯台から北の森に時折閃くのが見えたり、火球や雷球が飛び交う度に、木々のシルエットが色濃く際立ち、場合によっては灯台搭の基部まで影を伸ばすことがあった。
遠くで何かが起こっている。
遠雷とも似つかぬ、辺りを圧する炸裂音。
小枝を踏み割り、逃げ惑う沢山の人々の、微かに聴こえる悲鳴。
はじめに異変に気付いたのは灯台守達だった。
オーマの灯台搭から渡って来た南の灯台守の最後の生き残り、『カルンドゥーム』と『ルーク』と『ポーン』。
オーマには、ミールの体を受け継いだ『ビショップ』と数名の方舟の姉妹が残り、キコナインへ渡ることを拒否したワラグリア諸侯同盟の敗残兵達の世話をしている。
『カルンドゥーム』は、ワラグリア蜂起の動向を探るために、ゾファー王子、九頭竜ダリオス達と共にキコナインへ向かったので、灯台搭の基部の屋根に登り、森を眺めているのはポーンとルークだった。
彼らは灯台搭の警備をするために、建物の周りを哨戒していたが、この場で昨日の夜、ゾンダークが率いる多数の海竜と戦い、搭を護りきれず爆散したこの灯台の灯台守『北の鎮守』の、残骸を発見した。
ルークとポーンは、北の鎮守の魔法核を探した。
魔道王が帰還した今、魔法核が無事なら、ビショップのように別の体に移すことも可能かもしれない。
淡い期待を抱きつつしばらく捜索を続けたが、ひび割れ、光をすべて失った北の鎮守の魔法核が見つかり、期待は叶えられないことを二人は悟った。
彼らに指令を下す者は今誰もいない。
彼らは人間の葬儀の真似事のようなことを始めた。
ポーンが集められるだけの北の鎮守の部品を、彼が爆死したであろうこの場所に集めて、なるべく元の形に似せて並べ、ルークはそれを立てながら溶接した。
程なく南の海を向く北の鎮守の立像が出来上がった。
四本あった彼の腕の一本は、見付からなかった片足の替わりになり、もう一本は主体幹を支えるために使われた。
出来映えに満足すると、ルークは指先から放つ熱線で、灯台の崩れた石組みの一つに墓銘を刻み、立像の足元に置いた。
『灯台搭守護 北の鎮守 この場にて斗死する』
『衆寡敵せず搭は毀つが 魔道王の帰還には間に合った』
「ぽーん。えだいんは、シヌト タマシイがメイカイに オモムクソウダ。……ワレラがハカイサレタトキ、ワレラのタマシイはドウナルノダロウ?」
輝きの消えた北の鎮守の頭部魔力球を眺めながら、ルークは呟く。
「魔道王ガ、以前、コウ申サレテイタ。あんぐまあるノ機械兵ハ、魂トイウモノヲ持タズ、只、決メラレタ事ヲ、スル事シカ出来ナイト。ソコデ聖上ハ、『魔道核』ヲ産ミ、我ラニ下賜サレタノダ。我等ノ魂ハ魔道核ニ宿リ、核ガ失ワレレバ、魂ハ、えだいんトと同ジ場所ニ赴クト、私ハ信ジタイ……」
『キィィイイーーーーーー……』
白い光を放ち灯台搭から少し離れた森の中、この建物の建つ、崖を穿たれて造られた地下空間の出入り口の一つ、傾斜路口の大扉のある辺りから、ヤシンとククーシカを乗せたシンタが飛び立った。
『聖上ガ宝物殿ヲ開ケ、しんたヲ起コサレタヨウダ……』
程なく魔道王と飛竜の戦いが森の向こうで始まっても、ルークとポーンは、北の鎮守の傍らで、それを眺めるばかりだった。
「ミール、ミール!」
肩を揺すられてミールが目を覚ますと、ベットに腰掛けたグレタが、覆い被さるように覗き込んでいる姿が目に入ってきた。
「……ヤシン様?」
ミールは、焦点の合わない目で、ボンヤリとグレタを見上げていたが、意識の覚醒と共に目の焦点も合い、グレタの胸に飛び込むように跳ね起きた。
「お坊っちゃま!!」
「残念。グレタちゃんでした」
ミールを抱き締めてくが耳元で囁く。
「あ、ああ、グレタ様。すいません」
「いいよいいよ、何謝ってんの? 眠りたいなら寝ちゃいなー……。と言いたいところだけど、ちょーっと判じて欲しいことがあるのよね……」
グレタを抱え起こし、着替えさせてやりながら、グレタはミールに状況を説明する。
「……、すいません。ところでお坊っちゃまは?」
「んー、ここに来たら居ると思ったんだけどねえ」
ここで、ドアをノック者があった。
「ミール様!! しつ……! うわっ! しっ失礼!!」
間を空けずオーマの長老エルダランが入ってきた。
が、グレタに寝着を脱がされているミールを見て、彼は慌てて引っ込んでしまった。
「あ、ごめんなさい。少し待ってください。今着ますから」
「あらら、長老さん。貴方も夜這いですか?」
暫くしてエルダランが咳払いをしながら再び入室する。
「ミール様、お体の具合はどうですか? 出来れば見ていただきたいものが」
グレタとエルダラン二人に呼ばれたミールは、地下の屋敷を出て階段を上がり、灯台の基部へ向かった。
「お坊っちゃまを見ませんでしたか?」
道すがらミールは二人に聞いた。
「んー、見なかったけど、って言うか、私も二日酔いて寝てたのよね。さっき叩き起こされたのよ」
「すいません、私も封印の解かれた此処の書庫で調べものをしていたので」
「……」
不安げな表情でミールは灯台搭の基部まで登ってきた。
「まず私から。旧北領の兵達が、庇護を求めてここまで来ているの。でも、偵察に出ていった海竜の王子達はまだ帰ってきていないのよ。どうしたらいい?」
「どのくらいの人数ですか?」
「300人程度よ、怪我人も多いみたい。陽も落ちて雨が降ってきたから、この建物の入り口のホールに入ってもらい、今、方舟の姉妹達が世話をしているわ」
「そうですか、彼らはエルダールに戦いを仕掛けたようです。ルークとポーンを呼んで不穏な行動にでないか見張らせてください」
「ミール様。その、ルークとポーンから報告が、森の北の方で竜の火が見えたと、その火の見える少し前に、ヤシン様の『シンタ』が北へ向かって飛び行くのを見たと……」
エルダランの言葉にミールは青ざめた。