越冬 ⅩⅩ
「確かに我らシラトリ郷の者は、キコナイン衆と猟場の争いや、仕掛け矢の誤射などで、諍いを起こすことがある。しかし、その都度、弁の立つ者を会同させ、お互いの言葉を尽くして事を収めてきた。刀を同族に向けることは、我らにとって禁忌。理由は何であれ同族を殺す者は死しても死者の国に赴くのとはできず、正しく死ぬことができないからだ。正しく死ぬことのできなかった者は、正しく生まれ直すこともできないからだ」
武装した下エルダール戦士団二千。
キコナインを除くこの辺り一帯の、集められる限りの戦士達が、日時を決めてシラトリ郷に集結し、キコナインめがけて進軍している。
各々が短弓と山刀を携え、獣の毛皮を背負うように被り、踏み折る枯れ枝や枯れ葉の音も出さぬように気を配りながら街道を進む。
先頭では、黒衣の魔道士が、八人の戦士達が担ぐ御輿のようなものに乗ってふんぞり返り、その横にシラトリ村の長老が並び歩いている。
黒衣の魔道士が拠点シラトリ衆は、今回の連合の盟主として魔道士の近くに侍っている。
北の荒野から時折現れ、村を襲うアングマアルの機械兵や機械獣を討伐していた魔道士は、シラトリ郷以北では特に崇められ、カンナ・カミィの再来として祀り上げられていた。
「同族、同族。シラトリ衆にとり同族とはどこまでを指す? キコナイン村の下エルダールはそうなのだろう。キコナインの上エルダールは? あの廃城を占拠する南のエダインどもは?」
輿の上で黒衣の魔道士は指先を振るうと、そこから青白い稲妻の竜が迸り、それは手を離れ御輿の回りを旋回し始めた。
御輿を担ぐ戦士達は畏敬の眼差しで魔道士を見つめている。
「東にある、あの、古びた石棺のような建物に籠る者。南の悪しき帝国ゴンドオルは、この、お前達の住む大地を勝手に自分の土地と定め、事もあろうかお前達を支配し、供物をかき集めて南に送り出すための代官を差し向けてきたのだ! お前達の上に君臨し、お前達の獲物をかっ攫い、お前達の取り分は無し! そのような者をも同族と呼べるのか? そのような者に味方するキコナインのエルダールは同族と呼べるのか!?」
御輿の上で立ち上がり黒衣の魔道士は力説する。
それらの言葉を聞き、シラトリの長老は脂汗を流している。
彼の心の中には葛藤がある。
今まで目を背けていた疑問が、御輿の上の魔道士の言葉を聞くことによって、ある確信に変わったのだ。
「……カンナ・カミィ。いや、南の妖術使いよ。そなたとて南から来たのであろう?」
シラトリの長老の言葉に黒衣の魔道士は身を硬くし、御輿を担ぐ戦士達は長老の顔と魔道士の顔を見比べた。
「哎呀……。この私を『そなた』呼ばわりするとは、大きく出たなあ! シラトリ!」
怒りに震え輿の肘掛けを握りしめる魔道士。
輿を担ぐシラトリ郷以外の北の村々から選抜された戦士達は、殺意のこもった視線をシラトリの長老に送った。
「南からやって来てエルダールの上に胡座をかく。それは、今のそなたの姿そのものではないか?」
しかし、シラトリの長老は、魔道士の怒りも、戦士達の怒りもものともせず言葉を続ける。
魔道士は『ふは!』と言い、御輿の上で立ち上がり固まる。
「同族に武器を向けず話し合いで解決すること。この地で生きる、生きようとする者をすべて同族として受け入れること。これらはカンナ・カミィの教えだ。その昔、灯台塔を両岸に建て、海峡で海竜と和解し、オーマに龍神様をお迎えになられた偉大なるカンナ・カミィの言葉だ。お前が今言ったものとは真逆の言葉だ!」
「言わせておけばシラトリの! 今まで散々あの機械の化け物から村を守ってやった恩を忘れたか!! 今すぐ立ち返りシラトリを燃やしてもよいのだぞ!」
魔道士は脅かすように手をシラトリの長老の方へ向け、小さな声で呪言を唱え始めた。
「私が愚かだった。飢えの恐怖、北から来寄る悪神の恐怖から、南の悪神に仕える者に縋ってしまったのだから」
後方より現れたシラトリの戦士達が長老の周りを囲み、魔道士と長老との対峙を遮る。
事情の飲み込めぬ北の村々の戦士達は、魔道士に与し弓に矢を番えるが、その、引き絞られた狙いの先のシラトリ郷の下エルダールの戦士は、ただ手を拡げて立っていた。
「同族に弓引くな若衆よ。引かば野を這う獣と同じ。狩人に狩られるが定めとなろうぞ」
長老の言葉にシラトリ以北から集った戦士は当惑し、どこに矢を向ければ良いのか判らなくなり、つがえた矢を外し弓を下ろしてしまった。
「冬が来るぞ。冬が。今年の冬は厳しいもとのなろう。争いながら越せるものではない……」
魔道士は手のひらに紫電を集め雷球を作る。
シラトリの狩人達は覆い被さるようにして長老を守る。
弓を下ろした他郷の戦士達は魔道士の顔を見つめる。
言葉はないが、その目は語る。
『あれに、貴方は、その、雷球を撃ち込むつもりなのか?』
「……フンダン! ここまでか! 残念! あくまでも覇権の争いとしてエルダールを勝たせ、しかる後、我が祖国ウンバアルの傘下に収めようと思うたに。お前達も、魔道王も等しく刈り取られ、天龍の供物となるが良い!!」
魔道士は長老へ向けていた掌を逸らし、上空へ向かって雷球を発射する。
薄暗闇に糸を引き、高く上がった雷球は雲の上で炸裂し、小さな太陽のように短く輝いた。
『キィエェェェェェェーー!!!』
間を置かず空からまるで返事のように絶叫が聞こえる。
その声を聞いた全てのエルダールは、行軍を止め、茂みや灌木の影に一斉に隠れた。
「ペンダン共め! たしかに我はカンナ・カミィではない! 魔道王など知らん! 我はもっと高位の存在に仕える者だ!」
その時雲が割れ、その狭間から一頭の飛竜が下降してきた。
「ふはは! 早いなぁ!」
魔道士は重力軽減の魔法で浮かび上がる。
「契約だから仕方がないですわ。本当は……お前など、握り潰してしまいたいのに!」
上空から声が響く。
その声は、忌々しげであることを除けば、澄んだ女性の声で、神託のように神々しく綺麗な声だった。
「ヒッ飛竜だ!」
茂みに隠れたエルダールが、恐る恐る見上げると、薄桃色の滑らかな鱗を持つ、スラリとした飛竜が舞い降りてきた。
「小さき者たちよ、村に帰りなさい。長い冬が近づいています。冬に備え、冬を耐えるのです……! きゃあ!」
飛竜の顔の近くで雷球が弾ける。
「勝手なことを言わないでいただきたいですな疾風姫。飛竜王家は天龍オルタナ・オルセンの走狗として、世界運営に参加することにしたはずですよねえ!!」
魔道士が脅すような口調で言うと、疾風姫と呼ばれた飛竜は歯軋りをし、言葉を呑み込んで、魔道士を自分の肩に載せた。
「どうされたのです? 誇り高き飛竜一族の、貴方は姫君であらせられるのに。人間の命など塵芥でしょう? ……この足元の、こ奴らは死にます。死んでもらうためにここまで行進して来たのですから」
飛竜の耳に口を寄せ魔道士が馴れ馴れしげに囁く。
「忌々しい男! 貴方とて人でしょうに!」
苦々しげな表情で疾風姫は魔道士に小声で言う。
「エルダールと一緒にしないでいただきたい! オルタナ・オルセン様の配下としては、私達の方が先達なのですぞ!」
魔道士は自前の杖で疾風姫のV字の角をコンコンと叩いた。
「さて、そろそろ敵が参ります。天龍アルティン・ティータの忘れ形見。楽しい楽しい心踊る戦いに、水を差そうとしゃしゃり出てくる不心得者ですぞ」
「……その者を殺せば良いのね」
苦し気に疾風姫は言う。
「いいえ、それはわたくしが。彼の配下には海竜と数体の上級魔道機械兵がおりまして、わたくしが仕事を終えるまで、そちらの相手をしていただければと」
「それだけ? 陸に上がった海竜と、前世紀のガラクタの相手、それだけの為に必要だったの?」
魔道士に問い掛ける疾風姫の背後、上空の雲が再び割れ、その狭間から次々と飛竜が降りてくる。
「飛竜の戦士十八匹。エダインの国など、半刻で滅ぼすことが出来るのよ」
エルダール達は、悲鳴を上げながら、北に向かって散り散りに潰走を始めた。