越冬 ⅩⅨ
目のやり場に困りながらも自分の予備の服を着せ、その上から自前の巾着を再び被せたモコモコククーシカの手を引いて、ヤシンは灯台の下の大洞穴の緩やかな上り坂を上って行く。
──息子よ、出入口の大門の横に、私の工房の入口があるからそちらに向かってくれ。扉は封印してある。
ヤシンの頭の中に魔道王の声が響く。
『封印って、どうすればいいの?』
ヤシンは、口に出さず思考だけて自分の内面に問いかける。
ヤシンは既に、それらしき神聖文字が書かれた札がベタベタと貼ってある扉の前に立っていた。
──赤と黄色の札のうち、黄色い方を剥がしなさい。
『それだけ?』
──その札は『空間凍結』と『認識妨害』の札だ、並の知覚では、そこに扉があることすら認識できない。
「壁に向かってなにやっているの?」
ククーシカには目の前の扉が見えていないので、ヤシンが壁に張り付いた虫でも追っているように見えた。
ヤシンが何枚か黄色い札を引き剥がすと、扉の隙間から『プシュー』と音がして、空気が漏れ出してきた。
ヤシンが扉を押し開くと、その先は四角い部屋で、四方にそれぞれドアがあり、そのうち一方はヤシンが今、開け放ったドアである。
──ここから先が工房なのだが、今は右の倉庫のドアを開けてくれ。探検はまた後日にしなさい。
『う、うん』
ヤシンは部屋に入り、右のドアを開いた。
「か、壁に吸い込まれた? ん!」
出入り口の認識を阻害されているククーシカには、自分がヤシンに手を引かれ壁に激突したように思えた。
「大丈夫? ククーシカ」
扉を通る度に『ん! ん!』と言いながら仰け反るククーシカにヤシンが声をかける。
二人は更に何枚かのドアを開け、光源は判らないが、暗くはない長い廊下を通り抜け、ややしばらく歩き続けると、恐らくは倉庫であろう、大きな広間に所狭しと棚が並ぶ場所にたどり着いた。
「はあ……」
ククーシカには、建物や棚の構造も、その棚に納められている工具や機械等も理解できず、ただ呆然と見上げては、気の抜けたため息を漏らすばかりだった。
──あちらの壁際に棺のようなものがあるだろう? ミールタイプのクレイドルがある。中でこの工房の主が寝ているから起こしなさい。
『起こすって、どうするの?』
ヤシンは材質も判らない白い棺を見下ろしながら頭の中に問いかけた。
ククーシカは、ヤシンが何やらブツブツと小声の独り言を言いながら、棺のアチコチをまさぐっているのを眺めていた。
そのうち棺から『プシュー』と蒸気のようなものが噴き出し、上部の蓋がひとりでに開いた。
「ハイナー!」
中から、頭は少女タイプの魔道人形で、胴体は小柄であるが灯台守に近い案山子が甲冑を着ているような姿をした、チグハグな姿の少女が飛び出してきた。
「や、やあ。こんにちわ……」
面食らったヤシンはそれでも、愛想よく挨拶をした。
「おややー? アングバント生きてた? アルティン・ティータに丸飲みされたのに生きて……、違う人? あなたはどなた? でも、ここに来れるって事はアンちゃんだよねえ。……あれ? 縮んだ? 縮み志向? でも、それって意味無くね? もしかして前々から作っていた予備の体に入ったの? でも、縮める必要性あるの?」
ヤシンの周りをくるくる回り、腕をとったり、耳を引っ張ったり、お尻をツンツンしたりしながら、少女人形はヤシンに質問する。
「……こんにちは。アングバンドって人は、多分僕のお父さんらしくって、それで、お父さんはかなり昔に死んだらしくって、……」
「んー? 後でログを確認しようかね。 私は『817号』。此処の番をアンちゃんに任されたんだよね。……アンちゃんってのは世間一般の兄ちゃんじゃあなくて、アングバンドちゃんの略なのね」
『……随分砕けた物言いの娘だね』
面食らいながらも、ヤシンは気を取り直して頭の中に質問する。
──まあ、沢山いると、中には変わり種も何人かいてね……。
817号は辺りを見回しククーシカを見付けて、その着付けを嘲笑い、防寒具や女性用の衣服を何処からか引っ張り出しては着替えをさせている。
──彼女に『シンタ』を一台出すように言っておくれ。大急ぎで頼むって。
「817さん。えーっと『シンタ』って云うものを倉庫から出してほしいんだけど」
「シンタ? 良いけど運転できるの?」
ククーシカの着付けを瞬く間に終えた817号は、ヤシンに向き直る。
「大丈夫。お父さんに教えてもらうから」
そう答えたヤシンに、ククーシカが喰いついた。
「ヤシン、やっぱりまた、魔道王に取り憑かれていたのね」
ククーシカがヤシンを捕まえて、どう云うつもりか耳を引っ張る。
「どゆこと?」
817号は首をかしげる。
「いたたた、ククーシカ。僕は僕だよ。でも、なんか今、頭の中にお父さんが入っているみたいで、お話が出来るんだ」
「……」
ククーシカはヤシンをマジマジと見つめる。
「出てって」
怒っているのだろう。
ククーシカはジト目でそう言うと、ヤシンの頭を上から拳骨でコンコンと叩き始めた。
「ヤシンの頭から出てって!」
──あーあ、バレちゃたじゃないか。
「いたた、痛いよククーシカ」
「んんー? 私が寝ている間に、なんか色々あったんねぇ。ま、良いけど。シンタはこの先の格納庫に呼んどくよ。そこのドアから行けるからね。お出かけから帰ってきたら話を聞かせてねん。それまで私は過去ログを漁ってるから」
ヤシンとククーシカは817号の部屋を後にし、その先の格納庫に向かった。
ククーシカは警戒して、うなり声をあげる犬のように、ヤシンを睨み付けている。
──なんか、面倒なことになってきたね。
『お父さん。シンタって何?』
──ああ、一人乗りの飛行バイクだよ。『揺りかご』は、まあ、あだ名だね。
『バイク? 馬みたいなもの? 僕、飛影にしか乗れないよ。……飛ぶの?』
──ああ、まあ、跨がってりゃ勝手に飛ぶから、気にしなさんな。
格納庫の中央に、手足の無い灯台守のような、亀のような、ヤシンが今まで見たことの無い、奇妙な物体が置いてあった。
「どうする? ククーシカ? やっぱり残る?」
怖がっているように見えるククーシカにヤシンが問うが、ククーシカは首をフルフルと振った。
「ん!」
──さあさあ、初飛行だ! 跨がって真ん中の魔力球に、魔力を注ぎ込むんだ。方舟で、方舟の姉妹達にやったのと同じだよ。
「えーっと。ここに跨がって、ああ、ククーシカは後ろね。そして、ここの球に魔力を……魔力!」
ヤシンが『魔力!』と言ったのは、ククーシカがヤシンに後ろから抱き付いた時だった。
──息子よ、……そっちの魔力は仕舞っとけ。
『ルーーーーー……』
シンタが奇妙な音をたて始め、下部から空気か吹き出してきた。
『半重力魔力球四基同調完了。各ノズル動作確認完了。発進準備完了。行き先を指定しますか?』
「えーっと。先ずは上空を視察するので、上に上げてほしい……です」
『了解しました。発進します。ゲートオープン』
ヤシンの目の前の壁が開き、風が吹き込んできた。
壁の向こう側は、日が落ちて夕闇の迫る森だった。
『発進!』
ヤシンとククーシカの乗るシンタは、その森めがけて飛び出していった。




