越冬 ⅩⅧ
「魔道士様。今こそ貴殿の意見を聞きたい。指導者を失った我らは如何にすべきか?」
ワラグリアの敗残兵の中でただ一人、ゴンドオルの旧王都ローヴェにある北方魔道研究所、『白亜の塔』と呼ばれる魔道機関に属していた魔道士が従軍している。
『トールギル』と云う名であるが、皆からは『魔道士様』としか呼ばれない。
近年、王都では南方系魔道士が幅を利かせ、ウンバアルから招聘されたニコラウスの一派と、『黒曜殿』と称される、王都に新設された南方系魔道機関出身の魔道士が多数起用された。
代々王家の子弟の教育は、白亜の塔から派遣される導師と呼ばれる大学者が勤めていたが、それもシムイ王子の、『本人のたっての希望』により、黒曜殿のニコラウスが行い、益々北方系の魔道士は公職を失っていった。
先王の崩御を機会に、白亜の塔はとうとう解散の憂き目にあい、王都にいた北方系の宮廷魔道士達も、地方で貴族が抱えていた北方魔道士も、相次いで解雇となるばかりか、異端として迫害を受けるまでになった。
その後の南方系魔道士の元締めニコラウスの北方魔道士狩りは徹底しており、冷遇に堪りかねウィストリア公の蜂起に参じた北方魔道士も多かったが、そのほとんどは王都の決戦で命を落とした。
ワラグリア渡海組の団長クリム・ドウランと同郷の魔道士トールギルは、副官ガイウスと共に、王都の敗戦から絶望的な北への逃避行もドウランに従いここまで来た。
無口で、自分から話さない彼であるが、異邦の寒土で次々と指導者を失い、最早烏合の衆と化し、廃城を目前に進むか引くかも決めかねていたワラグリア敗残兵達に、とうとう重い口を開いた。
廃城へ至る九折の坂の下で、足を止めた敗残兵達を前にして、しわがれた声でトールギルは語った。
「ドウラン将軍は、この地を新たな故郷と定め、骨を埋める心積もりでいた。ゴンドオルの事も、ワラグリアの復古も、今は……、我らの世代では考えず、この地に根を下ろす決心をするべきと思う。エルダール達の語るところでは、ゴンドオルより王兄ヤシン様が、北方領主として間もなく渡海なさってくるはず。王兄の一行には、私の所属していた白亜の塔の導師、ヤシン王兄の家庭教師を務めておられたカロン様も同道なさっているはずだ。離宮のヤシン王兄とも、この地に来てからのエルダールとも、我らは諍いの火種を抱えているが、今は危急存亡の秋。不和の心を傍に置き、海を渡りこの地に足を置いた始まりの時にドウラン将軍が我らに示されたように、この地に根を下ろすため、エルダールに赦しを乞い、ヤシン王兄の傘下に入るべきかと……」
家族がいるような兵、帰るべき場所のある兵は、王都敗戦の時点で逃げ出している。
ここに残っているのは、元より故郷に家族もいないあぶれ者と、国の現状を憂い改革に人生を捧げた烈士達だった。
ほとんどのあぶれもの達は、トールギルの言葉に、地獄に下ろされた救いの糸のような一筋の光明を見出だした。
しかし、烈士達は、ここに至るまでに払った犠牲の数々故に、自分の振り上げた拳を下ろすことにためらいを覚えた。
蜂起軍の主力、グルビナの重装歩兵達は、舌打ちをした。
「…………」
トールギルはそれ以上言葉を続けずに、北の方に顔を向け、木々を透視でもしているかのように立ち尽くしていた。
「如何なされた魔道士様?」
「……北方より南下する二千人ほどの集団を感知しました。……選択は遅すぎたのかも知れませんな」
トールギルはそう言うと、道沿いの木々の間にある岩に腰かけて、瞑想でもしているのか押し黙ってしまった。
「エルダールが我らを滅ぼすために兵を差し向けたか! どうする? 彼奴らの矢は森でも自在に当ててくるぞ」
「廃城に籠ろう!」
「いや。重装歩兵を森に伏せ、残りを廃城に籠らせよう。城に寄せた敵を重装歩兵の突撃で撹乱し、然る後、廃城から挟撃するのだ! 所詮敵は狩人の寄せ集め、我らの意地を見せてやろう!」
「……戦うつもりですかな?」
石座に座り黙していたトールギルは、殺気立ち戦いの用意をする者と、怯え途方にくれる者とに二分された兵達に問う。
「なにを今更。それ以外ありますまい!」
グルビナの兵は吠えるように答えた。
しかし、魔道士トールギルは座ったまま、グルビナ兵を見上げて問う。
「……ここより東に、昨年我らをこの島に運んだオーマのエルダールが拠る灯台があります。急げば襲撃を受ける前にたどり着けるはず。庇護を求めてはどうでしようか?」
「魔道士様……。トールギル殿。オーマの住人だとしても、所詮彼奴らもエルダールであることには変わりはない。貴殿はこの一年の暮らしで、エルダールと我らは相容れぬ存在だとは思わなかったのか? 我らはここに、我らの王国を切り開くか、戦いの中に死すか、選択する瀬戸際なのではないのか?」
大盾と長斧をそれぞれの手に持つグルビナの重装歩兵が魔道士トールギルに問う。
「あなたの今の立ち姿。その、あなたが今、手に持っている『矛』と『盾』。片手には血路を切り開く『矛』。片手には命を守る『盾』。そのどちらか、或は両方を、我らは今、地に置かねばなりません。今まさにしなければならない選択とは、それではないのでしょうか? 我らは故地を逐われ、この地に逃げて来た者達なのだから。我らこそ、その現実を受け入れねばならないのだから。……今ここで戦い、これからも戦い、この地の者すべてを圧伏させるまで矛を振るい続けるのか。今は命を永らえ、次代に希望を託すのか。我らは今、ここで、それこそを選ばねばならないのかもしれません。戦いとは『矛盾』を振るうだけでは無いはずだと思います。剣を持たぬ私には良くは判りませんが……」
トールギルの言葉に、敗残兵達は押し黙ってしまった。
「いずれにせよ選択は急がねばなりません。私は師に会いに北の灯台に行こうと思いますが、今まで行を共にしたあなた方を、破滅に向かわせたまま見捨てるのは忍びなく、この地のエルダールの為にも、戦いは避けるべきと考えます。我らには冬越しの蓄えは無く、この地を征した所で春を待たず破滅するのですから」
トールギルの言葉を受け、敗残兵達は降伏を選択した。
しかし、グルビナの重装歩兵連隊150人は、トールギルの言を聞き入れず廃城に籠城することに決めた。
「事ここに至り、ワラグリア諸侯連合が瓦解し、袂を分かつことになるのは痛恨の極みであるが、我らは王国の復古を志し、この地まで来たのだ。今更矛を納め樵、百姓、狩人など出来るか! 貴様らは貴様らの思うようにするがいい。我らは廃城を背に盾を列とし、矛を突き立てん! 最後の戦いで、すべてを終わらせてやる! 疾く疾く去れ! 次に見える時は打ち掛かるぞ!」
トールギルは敗残兵を率い灯台を目指して東南東に進んだ。
「今までの同道、感謝する。壮健であれ!」
グルビナ兵は彼らを見送ると、城の廃材や、冬越しの暖を取るために集めた薪などを並べ、矢楯の陣を作り始めた。