越冬 ⅩⅦ
寝間着代わりに着ていた少々着古したシャツの上に、北行の道すがら馬車の中でミールが仕立てた、裏地が毛皮のチョッキを羽織り、ヤシン用にと丈を詰めたマントと、これまたミール手縫いのマフラーを巻き付け、背負袋に着替えと、夕食時にミールが残したパンと厚切りのベーコンをナプキンに包んで詰め込んで、ヤシンはそっと、ミールの眠る部屋を後にした。
──飲み物は道々見付けられるし、大気から水を出す魔術を教えてあげられる。
──後は杖がほしいな。魔法を使うとき格好がいい。それも森に行ったら樹を手折ろうか。
ヤシンの頭の中に声が響く。
『乱暴なことはしない? 僕はそういうの怖いんだ……』
ヤシンも声を出さず、頭の中で考える。
──荒事になるかどうかはお前さん次第だね。卵ちゃん。
『卵ちゃん?』
──ティータがお前さんの事をそう呼んでいたのでね。
『ティータって人、あの、オーマの館の白い人が僕のお母さん?』
──ああ、お前さんは龍だ。龍の子。そして魔道王アングバントの息子でもある。
『……』
ヤシンは、寄宿していた洞穴の岩盤をくり抜いて造られた建物から外に、外と云っても洞窟の中であるが、出た。
洞窟の大空間は、海から陸に向かって、緩い傾斜で上っている。
上の岩盤の覆いさえ無ければ、南の国々でも、半島の突端などに創建した岩がちの土地の城塞都市などに、似た形になっている。
しかし、これらの建物はほとんどが無人で、岩盤の内側に灯る魔法の明かりに照された街並みは、まるで墓石のように薄明かりに佇んでいた。
ふり返ると、海に面した港湾施設が、こちらは現在乗り入れた方舟の積み荷を下ろしたり、海竜が人化した姿で、あるいは海竜の姿のまま泊まっているので、賑わいがあった。
その、ささやかな喧騒を背後に、ヤシンは傾斜路を一人で上に向かって歩き出した。
「ヤシン。どこいくの?」
少しも進まないうちに、ヤシンはククーシカに声をかけられた。
『!! どうしようお父さん。見つかっちゃった』
──うぬぬ、私はあの娘が苦手なのだ。適当にあしらいなさい。
「……? どうしたの? ヤシン。目玉をクルクルさせて。それに、その格好。お外に行くの? ミールは? お兄様は帰ってきた?」
他の人の前ではほとんど話さないククーシカだが、竜達とは普通に話す。
そういう意味では、ククーシカにとってヤシンは竜の仲間なのだろうか、矢継ぎ早のククーシカの質問にヤシンは狼狽えた。
「あ、あの、ゾファー王子については、まだ、なにも聞いてないよ。ぼ、僕は、……チョット、森に行こうかと」
ヤシンはやっとのことでそれだけ言うと、恐る恐るククーシカの返事を待った。
「……こんな夜に一人で?」
「う、うん」
「…………」
ククーシカはジト目でヤシンを観察している。
『ど、どうしよう、お父さん。なんか、ククーシカ疑っているよ』
──馬鹿者、お前さんの狼狽ぶりでは隠し事かあると宣伝しているようなものだ。私の言うとおりにしなさい。
──『僕は、これから、外に立ち小便に行くんだよ! もしかして見たいのかな?』って。多分嫌がられるから。
「ぼ、ぼ、僕は、これから、お外に、その、お花、お花を摘みにいくの。一緒にいく?」
──馬鹿者! なんだそれは?! 何だかメルヘンチックなお誘いになってるだろうが!
──夜のお花摘み、夜にだけ咲き誇る花から花へ、蝶のごとくヒラヒラと……、って、イカン! 私までファンタジックになってきた。
『だっ、だって、お外でトイレに行きたい時はそう言いなさいって、グレタが……』
──時と場合と相手を選びなさい!!
ククーシカの目の前で、見えないなにかと言い合いをしてあるようなヤシンを、ククーシカは氷点下の視線で見詰めている。
「あなたは、魔道王のオバケ? また、ヤシンに取り憑いたの?」
「え? 『また』?」
──違うと言いなさい。
「ちっ、違うよククーシカ!」
ひきつった笑顔で訴えるヤシン。
「ふーん……。そうね。顔付きや……、」
言いながらヤシンのすぐ前までやって来たククーシカは、ヤシンの首筋や耳の辺りの匂いを鼻を付けて、しきりに嗅いだ。
「汗の臭い……あなた、とても慌てているわ。……昨日の夜、魔道王は全然慌てなかった。冷や汗をかいているあなたは、ヤシンね」
──そ、そんな判別方法があるのか……。
『僕、何だか魔力が……』
若干前屈みになるヤシン。
──ええい! 小娘にくっ付かれた位で思春期め! 後でミールに魔力でも何でも抜いてもらえ!! とにかくこの場を切り抜けて早く森に行かねば!
「ヤシン、私お兄様に会いたい。外に行くなら連れてって」
位置関係はそのままに、耳元でククーシカは囁いた。
「ごめんよククーシカ。僕は、急いでいるんだ。みんなにナイショで行かなきゃならないんだ」
──!! なに駄々漏らししてんの!
「……連れてって」
ジト目でヤシンを見上げながら、くっついたままでククーシカは言う。
「でも……(ま、魔力が暴走するよう!)」
「連れてって!」
一段階大きな声でククーシカは言った。
近くの建物の窓から、恐らく護衛兵の誰かが音を聞き付け顔を出した。
──!! イカン! 娘を黙らせろ! 気付かれたら外に出られなくなる。
ヤシンは慌ててククーシカの口を押さえ物陰に隠れた。
「しー! ククーシカ! 見つかっちゃうよ!」
ヤシンはククーシカの顔を覗き込んでそう言うと、そっと手をククーシカの口から離した。
「すうーーーっ」
ヤシンの手が離れた途端、ククーシカは更なる大声をあげるべく、大きく息を吸い込んだ。
「わー!」
慌ててヤシンは、またククーシカの口を手で押さえた。
──……仕方がない。娘の願いを叶えてやりなさい。
諦めたような口調で頭の声が言う。
「……わかったよ。連れてってあげる。でも寒いからその格好じゃ……」
──時間がないぞ!
ヤシンは、背負袋から自分の着替えを取り出し、それをククーシカに差し出した。
「貴方みたいにこれを被れば良いのね。どうやってやるの? 教えて」
暫しその服を見詰めてククーシカは言った。
今着ているククーシカの服は、巾着袋の底が抜けたような、上に絞り口がある筒のようなもので、その下には下着すら付けていなかった。
航海中に見かねた方舟の姉妹が、衣服を着させようとしたが、そもそも服を着る習慣が無い海竜と暮らしているククーシカには、服の着方や必要性が判らない。
ククーシカは、自分の巾着袋服の首元の紐を解き襟を広げた。
すると、筒のようになった服はストンとククーシカの足元に落ちた。
「教えて」
再びククーシカはそう言うと、両手を広げた。
彼女は全裸である。
「魔力がぁぁぁ、」
そんなククーシカを見て、内股で前のめりのヤシンが泣き言を言う。
──はあ、
頭の中でため息が漏れた。