越冬 ⅩⅤ
「お前は誰だ?」
声に驚き、一角竜女ゾルティア振り返ると、至近距離で弓を引き絞り、北の狩人ヤイチャロイキが立っていた。
──!! こんな至近で気づかなかったのか?!
ゾルティアは舌打ちした。
木々の合間をキコナイン村へと向かって歩いていたゾルティアは、木の陰に立っていたヤイチャロイキを見落として通り過ぎ、後ろから声をかけられたのだ。
「あたしゃ、ゾルティア。海竜さ。あんたはキコナインのエルダールかい?」
「……人化した海竜か」
更に弓を引き絞った。
「昨晩灯台に火球を撃ち込んだのはお前達か?」
「そうさ、……まあ、その後色々あって、今は心を入れ換えて、灯台塔におわす魔道王の使い走りをやっているけどねぇ」
自嘲気味にゾルティアは方頬をつり上げる。
「魔道王……」
その名を聞き、ヤイチャロイキの弓は弛む。
「お前、背中に背負ってるの、それ、『神弓』ってヤツだろ。つまりお前は『烈風公グフゥ』を殺ったエルダール。キコナインのヤイチャロイキだ。有名だよ海竜の間でも。グフゥは飛竜の中でも弱い方ではなかった。……いや、烈風公の名は伊達じゃあない。体は小さかったが、彼は一級の古戦士だったよ」
古い友人の話でもするように、飛竜の事を語るゾルティアに、ヤイチャロイキは警戒を解き、番えた矢を外した。
そして矢尻を見ながら告白をするように口を開いた。
「……私の実力で倒したのではない。私は彼、飛竜グフゥと凡そ一年もの間戦い続けた。彼は日の出とともに現れ、日の入りとともに帰っていった。彼は、私が本懐を遂げるまでの期間逃げもせず、私を何度も窮地に追い込んだが、とどめを刺さず私が立ち上がるのを待った。時には私に癒しの魔術を用いる事もあった。それは狩りでも決闘でもない。『神弓』の噂を聞き付け、若かった私が彼に挑戦を申し込んだ時、彼は心底嬉しそうに言った。『よくぞ参った! 我を倒し、この、我が角と角とを刺し貫く神弓を手にするのだ!』と……私は彼に教えを受けていたのだ。私は彼から超常の戦い方と竜の魂のようなものを受け継いだと思っている」
ヤイチャロイキは流れる動作で矢を靱に戻し弓を下ろし。
下エルダールが談判をする時にそうするように、足を揃えてその場にしゃがんだ。
「お前。聡いな。そして辨えている 」
ゾルティアも彼に習って同じ姿勢になった。
「お前が受け継いだのは神弓だけじゃあない。『竜心』。人の身で竜を倒す至難事をやり遂げるには、勇者の心が必要だ。グフゥは昔、魔道王から神弓を勇者に託すように言付かったのだ。だが、中々現れないので、自分で勇者を育ててしまったのだな」
「……」
「……どうした? 急に押し黙って」
「何とかならんか、その姿勢……」
「雌はこのポーズ駄目なのか? エルダールの礼儀なんぞ知らんぞ」
「色々見えているぞ」
寝具を巻き付けただけのゾルティアの下半身が丸出しになっている。
「おっと! 失礼! 貴人にまみえる時、体の凹凸よろしく隠すべし。だったか……」
開いていた膝と膝を合わせ、ゾルティアは笑った。
「……」
「さっきも言ったとおり、今のあたしゃ、魔道王の使い走り。魔道王の国ゴンドオルのお家騒動で、落ち延びた兵隊が居るだろう? 迷惑かけているようだから、始末しに来たのさ」
「始末?」
「ん? 始末じゃなかったか? えーっと、回収?」
ゾルティアは言葉を探し目を泳がせている。
「彼らなら、この先のキコナイン村を焼き払い占拠していたので、彼らの根城、廃城に戻るように促した」
「下エルダールは寛大だねぇ。焼討に遇ったんだろう? 復讐しないのかい? 見たところ、あんた一人で皆殺しにできると踏んだがねぇ」
「村民はあらかじめ森の奥の狩猟小屋に避難している。……家は再び建てればいい。村の蓄えを失ったのは痛いが、それも森の奥に何ヵ所かある隠し倉庫で、一冬ならば賄うことができる……」
「まあ、あんたがそれで良いってんなら、それで良いけどね」
ゾルティアはさして興味もなさそうにそう言うと、腰から下げていた酒壷を取りだし一口あおった。
「どうも、エルダールとエダインを争わせたい輩がいるようだ。シラトリ郷を根城に下エルダールの諸族を糾合している。素性を隠し魔道王の再来と称しているが、昨日まみえて判った。あれは紫電を用い、北から襲来する悪神を操る傀儡師だ……ブホ! まあ、それがなくてもエルダールも何人かエダインを殺している。痛み分けだ」
ゾルティアの差し出した酒壷を受け取り、礼儀で一口啜ったが、余りの火力に噎せながらヤイチャロイキは答えた。
「ああ! そいつとは昨日やりあった。ウンバアルの電撃使い。名は『トルバヌス』だったかね。チョロチョロとすぐ逃げて行くヤツだったよ」
酒壷を取り戻し、再び火酒を煽ってゾルティアはそう言うと、訝しげな顔付きで東の方を眺めた。
「……しかし、おかしいねえ。あたいら東にある北の灯台塔から来たんだよ。途中立ち寄った廃城は、蛻の殻だった。エダインは本当に帰ったのかい?」
ゾルティアの言葉に、ヤイチャロイキの表情も険しくなる。
「……キコナイン村で、ワラグリア兵に帰陣を促し、私は村民の安否を確かめるため森奥の隠れ場所を回っていた」
東を眺めながらゾルティアは兵馬の気配を探るように見渡した。
彼女の額の中折れした一本角が輝き出す。
「森の中は生き物の気配が多くてねぇ……あたいも『輝見石』の鍛練が必要か」
彼女は自分の一本角の中折れした部分に、瘤のように膨らんだ部分に埋め込まれている、『シル・パラン』を用い、遠視を試みた。
「かの兵団には騎馬武者が数騎いた。海峡の海竜を恐れ、北側の街道を使っているはずだ」
「……確かに、灯台塔とここの間にある森の北側の縁を通る道がある。更に北の高い壁のような山地から沢伝いに延びる街道と、南に湾曲しながら東に延びて灯台塔まで続く街道との、ちょうど追分の辺りに、集団がいる。あたいは海岸の崖近くの森を突っ切って、ここに来たからすれ違ったのか」
目を閉じ、シル・パランの光線を北東に発射しながら、ゾルティアは呟いた。
ゾルティアの報告にヤイチャロイキは首をかしげる。
「追分? 廃城へ行くのであれば、もっと手前、森の中程にある古道に入り南東に進むはずだが……」
「あっ、ちょっと待った! 居た居た。別の集団がその古道を東に進んでるよ」
「……では、追分にいる集団とは?」
「……えーっと、十の十倍の十倍が二つ……位? どうも、沢伝いに南下してきた風情だね。これは、こっちに向かってきている集団だね。エルダールの男達が大人数。弓と山刀で武装している」
「……!」
遠視を続けるゾルティアとヤイチャロイキの元に、村の方から機械騎士カルンドゥームが、南の石階段の方から竜王子ゾファーがやって来た。
「村は無人でした。……この御仁は?」
カルンドゥームがゾルティアに問う。
「竜討伐のヤイチャロイキさ」
「キコナインのヤイチャロイキと申す」
「ああ。西の竜宮でも、噂に上ったことがある。神弓を受け継いだ狩人か。私は西海を治める西王母が子ゾファーである。故あって今は魔道王ヤシン殿に厄介になっている。……ところで、こちらの状況はどうなっている? 下は、変事など無いかのように静かだった。エダインの兵は何処か?」
ゾファー王子はヤイチャロイキに問うた。
「ただいま彼らの拠る廃城に引き返しているところです。しかし……」
「しかし?」
「北から武装した一団が。恐らくエダイン排斥を求めるエルダールの村々が連合し、軍団を組織したのでしょう。……シラトリ郷を中心とした北の諸族とは日頃から、狩り場の争いや上エルダールの扱いなどで、軋轢を抱えておりました。これを機会にキコナイン族を滅ぼすか隷属させる腹でしょう。この森は戦場となります。私はその軍に真意を正すため談判に行きます」
ヤイチャロイキは礼をすると北に向かって木々の中に分け入った。




