越冬 ⅩⅡ
石階段を駆け降りるダリオスと25号とゾファー王子。
プラプラとダリオスの口からぶら下がっていた25号の視界に、階段を登ろうとしている人影が一瞬入った。
しかし、人影はすぐに脇に飛び退き、崖下の茂みに入ってしまった。
「ダリちゃん。今の見た?」
「今のて?」
「誰かが階段を登ろうとして止めたの」
「うんにゃ見とらん。ゾファー王子。見えたん?」
「人影が見えたな。まあ、引き返されても無理はない。階段を大蛸が降りてくるのを目の当たりにしたのであれば」
「んー。せやな。ここ数百年、キコナインの町には顔を出してないさかい、ワイの存在、忘れられとるんちゃうかのう」
「それじゃあダリちゃん、いつもみたいに小さくなって」
「ニコちゃん、ちゃんと歩けるか? 脚を交互に、こう、ぱたぱたと……」
「いやね、ダリちゃん。私もちょっとは体動かないと、また古くなって関節とか曲りづらくなったりしちゃうから、運動させてよ」
「そか、そら、あかんな!」
ダリオスが八本の脚のうち一本で中空に魔方陣を描くと、彼の体は発光を始め、メイド人形を咥えていた家よりも大きい巨体はみるみる縮み、25号の頭に載るカツラのような小さな蛸の姿になった。
「ほな、今度はニコちゃん、ワイを運んでや」
「いいよ、ダリちゃん」
三人は階段を降り、旧市街へと入っていった。
自然豊かな高地を離れ、陰鬱な影を石畳に落とす家の連なりに分け入り、海竜と蛸と人形は旧市街の中央へと向かった。
「うーん。……ワイはてっきりキコナイン村の下エルダールが避難していると思ったんやけど、見当たらんな」
「うむ。だが、奥の港の方から何やら声がする。人集りがあるようだ」
「ダリちゃん。港行ってみる?」
「まずは、手前にある町長のリングロスヒアんとこ寄っとこ」
広場を横切り、中央の空の台座を訝しみ、ダリオスはその先にある町長の家を目指した。
「待て」
「なんや? 王子?」
「血の臭い、そして何かが焼け焦げた臭い。……ここで凶事が行われたようだな」
そこは昨晩、キコナイン町長リングロスヒアの娘イトゥラリエンとワラグリア敗残兵副官ガイウスが、下エルダールの若き狩人アムルイの放った矢によって殺害された場所だった。
「ワイ鼻無いんで、臭い、ようわからんわ。……、? どないした、ニコちゃん?」
「…………」
25号は、広場の片隅に積まれていた、燃え殻か灰屑のような黒い塊を注視している。
「あれは……人形か?」
「魔道人形が死んどる……。あぁ、たしか、町長の家にはニコの姉が一人奉公に来とったはず。名は、『14号』……」
「石の町の『イシ』お姉さま……」
「何故家人は、このような場所に打ち捨てるように置き去りにしている? あまりにも不憫ではないか!」
ゾファー王子は険悪な表情でそう言うと、自分の羽織っていたマントを脱ぎ地面に敷く。
彼の背中に瘤のように折り畳まれている『呪腕』が伸び、魔方陣を描き始める。
重力操作の魔法が発動し、14号の焦げた残骸はゾファーのマントに移動した。
移動の最中、14号の胸の辺りにあった『魔法核』、擬似魔法炉を備えた拳大の魔法宝珠が転がり落ちた。
「ああ! 魔法核が焼け残っていた!」
涙を流しながら、残骸の移動を見ていた25号は、14号の魔法核を拾い上げ、自分の胸に押し当てる。
煤け、黒ずんだ宝珠を25号が抱いているうちに、宝珠の芯が淡く発光を始める。
「ニコちゃん。それ貸してえな。ワイが預かっとく。魔道王に見せてみよ」
「……うん」
25号の頭の上に載るダリオスの脚が伸び、25号が手に持っていた宝珠を受けとる。
ダリオスが宝珠を自分の頭の上に載せると、宝珠は頭に吸い込まれていった。
14号の灰を引き取った後、一行は町長リングロスヒアの屋敷のドアを叩いたが、屋敷は不在だった。
「みんな港に集まっとるんかの?」
「ワラグリアの蜂起を聞き知らぬわけでもあるまいに……。ダリオス。計画を変更しよう。私は上へ戻る。上ではまだワラグリアと下エルダールが戦っているかもしれない。私はワラグリア軍がこちらに侵入しないように、石階段の上で警戒しよう」
「判ーった。ではニコちゃん。港に行こう」
「はい」
ここでゾファー王子は引き換えし、再び石階段に向かった。
25号とダリオスがキコナインの港を訪れる。
海から立ち昇るのか、辺りは一面霧に覆われていた。
その、霧の中にぼんやりと人影が蠢いている。
そこでは上エルダール達が葬儀を行っていた。
きれいな装飾の施された小舟が一艘。
その舟に遺体が安置されているらしい。
「カラリオン! オーマのカラリオンやないけ! どないしたん?」
ダリオスは港の葬儀に参列する上エルダールの中に、顔見知りを見つけて声をかける。
カラリオンと呼ばれたエルダールは、キセルをくわえて呆けたように葬儀を見ていたが、声をかけられ驚いて咳き込むと、我に帰ったようにダリオスに向き直り話始めた。
「おお、これは、海底公! 貴方が御出座しということは、あの焔の戦いをくぐり抜け、魔道王がこの地にご帰還されたのですね! 重畳重畳!」
葬儀の場にタコを頭に載せたメイドが闖入すると云う非常識にすら、たいした反応を示さない無気力な上エルダールの葬列の中で、カラリオンと呼ばれた彼だけが、まるで他の上エルダールを代表するように挨拶を交わす。
「我ら元オーマの住人は、ワラグリア軍蜂起の報を受け、北の灯台塔から船を出し、昨晩払暁前にキコナインに入港しました。……そうだ! 北の灯台が攻撃を受け、塔が崩れ落ちたのを遠望したのですが、灯台に残った者は無事でしたでしょうか?」
「エルダールは無事や。灯台守の『北の鎮守』が、灯台を守って破壊されてしもうた……。塔は崩れ落ち、海竜衛士ゾンダークにシル・パランは奪われてしもうたが、しかし、それは魔道王が取り返された。……ところでカラリオン。ワイ、さっき来たんや。失礼やけど、これ、誰の葬式なのか教えてもられるか?」
ダリオスの言にカラリオンは驚きの表情を見せ、そのあと声を潜ませてそっとダリオスに耳打ちをした。
「誰もなにも、この町の町長と、その一人娘です」
ダリオスは目を丸くした。
「リングロスヒアが死んだんか?!」
「そうなんです海底公! そして、こちらの町長と町長の娘さんを殺害したのは、なんと下エルダールの狩人らしいのです。昨晩町長の娘さんを殺害し、一旦捕縛されたのですが、何者かの手引きで脱走し、町長の家に侵入して町長を殺したそうです。そんな殺人鬼がまだ捕まらずに、この辺りをうろついていると思うと恐ろしくて! しかし、キコナインの住人は、警戒もせずにここに集まり、葬儀をしているのです。まるで殺人鬼が自分の目の前に現れて、己の人生を終わらせてくれるのを待ち焦がれているように……」
カラリオンの言葉を聞き、ダリオスは脚の一本を伸ばして、辺りの霧を掴もうとするような仕種をした。
「……なにか、よからぬ手管が使われとるの。霧の中に、人を惑わす何かが混じっとるかもしれん。」
25号とカラリオンは慌てて鼻と口を塞ぐ。
「ワイやニコちゃんには効かんやろ。息してないからの」
「じゃあ私は?!」
「カラリオンは……、多分それやな」
ダリオスの脚はカラリオンが持つ煙管を指す。
「上エルダールの中で、下エルダールの悪癖であるそれをやってんのはおまいだけやで」
「おお! 皆から疎まれるこれが役に立つとは!」
カラリオンはキセルを天に掲げた後、口許に寄せると、深く吸い込んだ。
三人が話す間も葬儀は進み、遺体を載せた船は船泊の傾斜を滑り降り海に出た。
すると、沖の岩礁の先から、角笛の微かな響きがあり、恐ろしく巨大で大きな三角帆をいく枚も備えた船の影が現れ、遺体を載せた小舟は、その影に吸い込まれていった。
「『クリンゴン』!! アルノオル艦隊の旗艦!! 本国滅亡の際に脱出し、東海を彷徨っているという伝説は本当だったのか!」
カラリオンの言葉に、周りにいた上エルダールが色めきだった。
「クリンゴン!」
「クリンゴン!」
「つ、連れていってくれ!! アルノオルへ! フェアノオル! フェアノオル!」
「フェアノオル!」
「アルノオル!!」
「フェアノオル!」
「フェアノオル……」
今まで夢遊病者のように呆然と葬儀に参列していた上エルダール達は、突然発狂したように、太古に既に失われた故国と、その指導者の名を絶叫し始めた。
「オーマは燃え、灯台は毀たれた! シル・パランの光も途絶えた! もはやこの世に留まる望みもない。エダインや下エルダールと覇権を争う気概も等の昔に消え失せた! どうか、ここから連れ出してくれ! アルノオルへ連れていってくれ!」
船を送り出した船泊の先に、霧に包まれた人影が立つ。
「……上エルダールよ、船を出せ。今ならまだ間に合う。クリンゴンに船を寄せるのだ。フェアノオルはそなた達を受け入れ、いにしえの王土アルノオルへ導くだろう。上エルダールよ、どの様な船でも良い、今すぐ船出するのだ、この穢土を離れ、浄福の国へと至るのだ!!」
キコナインのエルダールも、オーマのエルダールも、皆雪崩をうって船に殺到する。そして、先を争うように船を出そうとする。
「厭離穢土欣求浄土」
「厭離穢土欣求浄土」
「厭離穢土欣求浄土」
「ちょっと待ちなさい!」
25号が声を張り上げる。
「そんな船に乗って岩礁の外に出たら、すぐに沈んじゃうよー!」
「せや! 騙されんな! ちょっとくらい嫌なことあったからかて、すぐに投げ出すなや! 踏ん張らんかい!」
ダリオスも呆れながら叫ぶが、上エルダール達は聞く耳を持たず、それぞれ自分の船の船出の準備を始める。
「くくく、騙すとは心外。私は彼らの心の中の望みを形にしたまで」
霧に包まれた人影が忍び笑いと共に近付いてくる。
それは、大梟を肩に乗せた機械魔道兵だった。