越冬 Ⅸ
北之島最南端の町『キコナイン』の東、古木大木の立ち並ぶ森が唐突に終わり、遥か下方の海を見下ろす大地の末端まで、なだらかな凹凸の草原が広がる場所。
今は闇に閉ざされて、良くは見えないが、立ち枯れした薄や隈笹の黄色い波間から、黒い卵のような結界石が地面に突き立つその先に、灯台塔は建っている。
灯台基部はさながら城塞のようで、継ぎ目の判らないほど滑らかな、『冥府の黒曜石』で覆われている。
この黒の基部から現れ、黒衣の魔道士を追い払った北の灯台の灯台守、『北の鎮守』は、以後も灯台周囲の警戒を続けていた。
廃城周辺の騒ぎを聞き付け、確認のための使者が灯台から出て、その使者が追い返されたように戻ってきた時も、北の鎮守はこの草原でそれを見守っていた。
結局彼は灯台塔に帰還することなく、この後に起こるゾンダークと黒衣の魔道士の襲撃をこの場で迎え撃ち、ゾンダーク率いる海竜達の集中砲火を受け、後数時間に爆死することになる。
現在灯台塔には、オーマから移った上エルダールが100名ばかり住んでいる。
オーマの長老『エルダラン』の弟、『エルロヒア』がその指導者である。
彼は、ドウランの死と敗残兵蜂起の報を受け救援隊を送り出した。
灯台塔の建つ崖の下にある洞穴は、巨大な船泊になっている。
その規模はオーマのそれを遥かに上回り、大型船の整備や造船もできる港湾施設がある。
救援隊はそこから数隻の早舟に分乗して出発し、敗残兵を避け海岸と岩礁の間の通路のような海路を西に進み、キコナインの旧市街に入り、リングロスヒアと合流する。
その後、キコナインの港は、海から北の灯台塔を急襲した海竜に封鎖され、彼らは新生魔道王の帰還に立ち会うことができなかった。
ペレグレン率いるワラグリア残党兵団は、森を西に進み、直進すればキコナインの村、左に折れ階段を下ればキコナイン旧市街、右に折れ北へ向かえば、森を南に見ながら迂回し、シラトリの集落まで伸びる、道の分岐、『十字路』に差し掛かった。
ペレグレンは十字路に立つ。
左手に僅か進んだ先、旧市街へ通じる石階段の降り口の左右に騎士鎧を着た魔道人形が立っていた。
長い年月で風化し、乱暴者の下エルダールの剣の稽古にでも使われたのか、片腕を失いカタカタと震える一体と、両腕とも失ったもう一体は、階段の通路を塞ぐように並んで立っていた。
「〃ゝゝ`ゞ〆ゞヽ〃仝々ゞ!!」
「℃¥℃*♂£♀&¢&★※!!」
なにか、警告のめいた事を言っているようだが、意味のある言葉として聞き取ることは出来ない、金属の軋みのような音がする。
ペレグレンが近くのグルビナ兵に向かって、顎をしゃくる仕草をすると、兵は手斧を騎士人形に向かって投げつけた。
『ガウン!!』
両腕のない騎士人形は、胴に一撃を受け仰向けに倒れた。
他の兵も次々に手斧を投げつけるが、残り一体は、片腕に持つ小さな丸盾
で器用に飛来する武器を弾いた。
「なんだこいつ! 壊れかけの癖に!」
攻めあぐねたクルビナ兵は寄ってたかって石つぶてを投げ付け始め、騎士人形が動かなくなる頃には、砂利の小山ができていた。
砂利の小山の中に、ひしゃげた鋼鉄の騎士が、立ったまま破壊されて、それはまるで『戦士』と云う職能そのものの墓石のように、不吉に立ち尽くしていた。
「……」
ワラグリアの残党達は、なんとも言えぬ後味の悪さを感じながら、そのオブジェを眺めつつ、キコナイン村に侵入した。
たどり着いたキコナイン村は無人だった。
下エルダール達は、モレヤの警告を守り、全員が森の奥に避難したようだ。
武装をして行軍するうちに酔いが醒め、この一年間散々世話になった、素朴で親切な下エルダール達を襲撃するという罪悪感を感じ始めたワラグリア兵達は、蛻の殻だった村を巡り各々が密かに安堵した。
「……ふん!」
瞳に怪しい紫の光を宿すペレグレンだけが、不機嫌に舌打ちをした。
「……で、どうしやす?」
先程、手斧の一撃で灯台守を破壊したグルビナ兵が、ペレグレンに問う。
「使えそうなものは奪い、家は焼け。石階段を封鎖して上エルダールを上げるな! その後森に逃げ込んだ夷子どもを狩る。シラトリの下エルダールに使いを出せ! 奴等は喜んで手を貸すはずだ。しかしてその後シラトリに兵を進めこれを占拠する! 男はこれを殺し、女はこれを犯す」
「……」
この地に新たなワラグリアを作る。
先程の演説で、この男は確かにそう言ったはずだ。
しかし、どうだ。
この地の全エルダールを敵に回し、破滅戦を挑むつもりなのか?
ペレグレンの口から出たのは、日頃エルダールを見下しているグルビナの正規兵すら鼻白む、まるで呪詛のような言葉だった。
そして、
キコナインの村に火が放たれた。
燃え落ちる家々を見詰めるワラグリアの兵達は、自分達が北の最果の、後戻りできない所まで堕ちてしまった事を思い知った。
正統の大義も、結束の旗頭も、故郷の家族も、人としての心すら、この炎は焼き尽くし、そこには焔を見詰める獣の群れがいるばかりである。
言葉を忘れ、這いつくばり、森の中に散り散りになっていったとしても、何ら不思議ではなかった。
「ここまでして……、我らはここで、何をするのか?」
トゥガル領の兵達は、いつのまにか消えていた。
ワラグリア敗残兵残450名。
彼らはここで冬を越そうとしていた。