越冬 Ⅷ
モレヤは森の奥へ走り去ろうとした。
振り向けば矢を受けたドウランが膝をつき、未だ斉射の続く矢の群れが彼の近くの地面に次々と突き立った。
ドウランの近くにいた二、三人の兵士は、次々と矢を受け倒れていった。
他の兵達は、矢の放たれた方角である、道を挟んだ対面の茂みに殺到し、ドウランは道の真ん中に残されたままになっていた。
「ちいぃ!!」
モレヤはうめくような声をあげ、踵を返すと、ドウランの元へ駆けつけた。
「うっ、カハッ!」
膝立ちだったドウランは、モレヤの目の前で嘔吐する。
「これも毒矢か……」
モレヤはドウランの肩と腿に突き立った矢を引き抜き、それを一舐めすると表情を険しくし、彼を再び担いだ。
「命の焔のあるうちに医魔術を施さねば……。キコナインの町のリングロスヒアか、灯台塔のエルロヒアか……」
距離としては灯台塔の方が近い。しかし、ここから東の灯台塔に向かうには、敗残兵の本拠、廃城の前を通る必要がある。
「リングロスヒア……」
モレヤは西、キコナインの村を目指し、ドウランを担いだまま走り出した。
統率のとれた行動など、はじめから望べくもなかった。
九十九折の坂道の脇の森から矢の斉射を受け、ドウランとドウランに駆け寄っていった兵とが倒れ伏すのを呆然と眺め、疎らながら矢の雨が自分達が立つ処に落ち始めた時、敗残兵達は相手勢力の規模も判らぬまま、遮二無二発射元目掛けて突撃を開始した。
弓勢は置き、剣や斧を手にする者の中には、先程のペレグレンの演説を真に受け、絆された者もいる。
敗戦、敗走、逃避行。
負け続きの毎日に嫌気が差し、未開人の弱者を甚振りたい、などと考える悪者もいる。
しかし、圧倒的多数は、エルダールに弓で狙われる恐怖が、木々の合間に入ることにより軽減されることを期待して、逃げ込んだだけだった。
ほとんどがトゥガル領の弓勢は矢盾を矢の方向に並べ、陣地を構築し立て籠った。
弓兵達は知っていた。
森の中での、エルダール狩人の矢の恐ろしさを。
知った上で、敗残兵の仲間に警告する事をしなかった。
「追え追え! 探し出せ!! 十人もいないはずだ!」
ペレグレンは叫び、抜刀して木々の間を駆けた。
「ぐえ!」
「ぎゃ!」
木を避けて弓形の曲線を描き矢が飛来する。
一緒に駆けていたグルビナの正規兵達は次々に矢を受けて倒れる。
「ワラグリアのアホ共よ! 走れ走れ! ほれ! あそこだ! 今度はこっちだ!」
森の奥、黒衣の魔道士が、シラトリ村の狩人、十人ばかりと共に弓陣を作っている。
幻術による結界が張られ、目の前にいる彼らを見付けることが出来ずに右往左往しているワラグリア兵を、的当てでも楽しむかのように、ゲラゲラと笑いながら標的を指図している。
「毒矢は使うな。急所には当てるなよ。こやつらはこの後キコナインの村を襲ってもらうのだから」
鋼鉄製のワラジムシの上に立つ魔道士は、フードを目深にかぶり、その顔を覗うことはできない。
『ずどっ!』
「ヒッ!!」
不意に彼の元に、何処からか矢が撃ち込まれる。
念の為に発動していた物理防壁に突き刺さり宙で止まりはしたが、矢は魔道士の喉元を正確に狙っていた。
「な、な、な、なんだ?! どこからだ? 我が探知網には何も……」
辺りをキョロキョロ見回す魔道士。
「!!」
間を置かず、二の矢、三の矢が飛来し、魔道士の周りにいるエルダール達を掠める。
『ビィィン!』
『ビィィン!』
その度に、奇妙な音がする。
弓手に衝撃が走り、シラトリのエルダール達は、手にした弓を取り落としてしまった。
「え? ……弦が、……切られている?」
慌てて拾い直した弓は弦が切れていた。
呆然と弓を眺めるエルダールの背後で、全員の弓の弦が使い物にならなくなるまで、矢は打ち込まれつづけた。
「どどど、どうした?! 何処から射られている?!」
「カンナ・カミイ! ヤイチャロイキだ! カンナ・カミイから『神弓」を賜った『弓聖』ヤイチャロイキだ! 我ら狩人ではいくら集まっても敵わない!! 取りなしてくれ! 詫びなければ!」
シラトリの狩人達はうろたえ、その場で平伏し、頭を両手で覆って震えるばかりで、それ以上動こうとはしなかった。
「ヤイチャ……? あの、村長の娘の隣にいた狩人か……。ふん! 能無し共が……」
『ずどっ!』
狩人全員がひれ伏した後、矢は再び魔道士の喉元の位置に撃ち込まれた。
「ヒッ! ふふふふ! ふはははは! フンダン! ペンダン! 物理防壁は常時展開ね。こんな矢いくら撃ち込まれても……」
『ずどっ!』
『ずどっ!』
「……いくら撃ち込んでも……」
『ずどっ!』
『ずどっ!』
『ずどっ!』
『ずどっ!』
いくら体を傾けても、回っても、魔道士の目の前、喉元の位置に正確に矢が命中する。
「ちょっ、コレナニ? 何処から撃ってンの?」
『ずどっ!』
『ずどっ!』
『ずどっ!』
『ずどっ!』
『ずどっ!』
『ずどっ!』
矢が刺さる。
その矢を矢筈から撃ち壊す様に、刺さった矢を目掛けて次の矢が撃ち込まれる。
矢尻を残し箆は爆散する。
そこにまた矢が突き刺さる。
見えない壁に、釘が撃ち込まれるように、矢尻に矢尻が重なり、その度に先頭の矢尻は魔法の防壁に深くもぐって行く。
「ちっ、ちょっと! やめてよ! 段々めり込んできたよ!!」
撃ち込まれた矢が、魔道士のフードを潜り喉元に触れそうになった時、魔道士はとうとう悲鳴をあげて海へと逃走を始めた。
「アッ、アッ、アィヤアアアーァァァァー!!!」
伏したシラトリ狩人達を残し、遁走した魔道士は、この後海竜と合流することになる。
「……弓撃が止んだ……」
ペレグレンは兵を森から出し、隊列を整えた。
彼らは坂道まで戻り、ドウランが倒れた場所に戻ったが、そこには矢傷に呻く兵達、最初にドウランに駆け寄った数人がいるばかりで、ドウランの姿はなかった。
「…………将軍はエルダールの矢を受けて死に、死体は奪われた!!」
しばらく無言で、坂道の地面を眺めていたペレグレンはそう言うと、廃城の兵全員に進軍を命じた。
シラトリ村の下エルダールは、いつの間にか森から逃げ出していた。
「ドウラン! ドウラン将軍は何処?!」
元々はオーマに住み、今は灯台下の洞穴にある港で暮らしている上エルダールの使者が、敗残兵の隊列の殿に追い付き、ドウランを訪ねながら先頭のペレグレンの元までやって来た。
「ちっ、またエルダールか……」
ペレグレンは舌打ちしながらも、彼らを招き入れた。
「この隊列はどちらに赴かれる? ドウラン将軍はいずこでしょうか?」
殺気立った兵達の面持ちに鼻白みつつも、灯台の上エルダールは笑顔でドウランを探した。
────目の前の私など眼中にない……か。
ペレグレンの顔が怒りで赤変する。
「ドウラン将軍は、副官と共に、下エルダールの羽羽矢を受けて死んだ! 我らは今その、復讐に赴くところである! 薄汚い石の都の亡霊共よ、去れ! 我らは復讐を遂げ、この地に王土を打立てる! この地に渡してくれた恩に報い、今、殺しはしない。我らが森の未開人を圧服するのを灯台から眺めていろ! その後、この地を去り、オーマに戻るなり、我らが打ち建てた勢力の傘下に加わるなり自由にするが良い」
吐き捨てるようにペレグレンはそう言うと、上エルダールが本当に幽霊であったかのように、以後見向きもせず、兵馬をキコナイン村に進めた。
上エルダール達はペレグレンの呪いを受け、本当に幽霊になってしまったかのような青ざめた顔で転進し、急報を灯台塔に届けることになった。