越冬 Ⅶ
木々が唐突に途切れると、石組の隙間が一体どこにあるのか、遠望した限りでは判別できないほど黒く滑らかな壁面を持つ、巨大な墳墓のような建物が、荒れた夜の海を背景に建っているのが確認できた。
建物の上には白い塔が屹立し、塔の上部からは微かな光が海に向かって放たれている。
「ぐぬうう! フンダン! フンダン! なんだこの結界は!」
途切れた森から、この巨大な施設までの間には、黄色くすすけて立ち枯れた草原があるばかりだったが、所々に黒い卵のような形をして、人の背丈ほどもある大岩が草原に突き立っていてた。
鋼鉄で出来た、巨大なワラジムシのようなモノに乗った黒衣の魔道士は、巨大な施設、北の灯台塔に接近しようとして、この黒い卵の間を通過したが、途端に自分の乗る鋼鉄虫を制御するためにかけていた魔法が解除されてしまった。
ガサガサと勝手に動きだし、海に向かおうとした鋼鉄虫が、結界の外に出た隙をついて、魔道士は指先から細い赤と青の稲妻を出し、鋼鉄虫に浴びせかけた。
「再起動、行動指示書書き換え、行動優先順序変更! 我に従へ! 我に従へ!
稲妻を放ちながら、魔道士が呪文を唱えると、鋼鉄虫はおとなしくなり、まるで馬か犬のように、魔道士に寄って身を伏せて、彼が乗るのを待っていた。
「ふ、ふん! アングマアルの機械仕掛けは、解読済みよ! 紫電を操る我には、操作は容易きものよ!」
強がっては見たが、鋼鉄虫を降りて建物に近づく勇気は出ないらしく、黒衣の魔道士はジリジリと後ずさった。
「何者か? 魔道王の結界を犯せし者は?」
窓ひとつ入り口ひとつ無いように見えた黒い壁の一部が音もなく開き、暗い穴から、4つの光点が揺らめきながら現れた。
「アングマアルの上位機械兵か……」
黒衣の魔道士は身構え、防護の印を組み、音声による精神操作を警戒して聴覚を閉ざした。
光点が輪郭で縁取られ、次第に姿形が露になる。
そこに歩み出でたのは、一本の手で剣を握り、一本の手で盾を構え、残り二本の指先が全て魔道砲の発射口になっている、四本腕の魔道兵だった。
4つの光点は、彼の頭の代わりに首の上に鎮座する、特大の宝玉の中から発せられる光だった。
「我は、『北の鎮守』そなたは……。誰何するまでも無い。近頃シラトリの村で人心を惑わせる、ウンバアルの呪術師か……!」
魔道兵の言葉をかき消すように、帯電した魔道士の両腕から、稲妻が迸る。
その雷撃は魔道兵に直撃したが、魔道兵は意に介せず、黒衣の魔道士との距離を詰めようとした。
魔道兵『北の鎮守』が、結界石を越えた。
「ペンダン!! 結界を越したな! 所詮は機械! 喰らうが良い!」
黒衣の魔道士は、先程、鋼鉄虫に見舞った雷撃を今度は北の鎮守に向けて発射した。
「我に従へ! 我に従へ! ……うへ!」
呪文を唱える魔道士に、魔道砲の連射が叩き込まれる。
魔道士は咄嗟に弾除けの魔方陣でそれらを弾いた。
「フンダン! なぜ制御できない?」
魔道士は茂みのなかに分け入って北の灯台から逃走した。
「アングマアルの機械兵などと一緒にしないでいただこう。我は魔道王陛下より『魔法核』を賜っている。我は魂魄を有する魔法種族である!」
高らかに宣言をした北の鎮守であるが、森の中までは、魔道士を追跡しなかった。
「おのれ!おのれぇぇぃ!」
魔道士は悪態をつきなから森の中を走る。
「あんなのが相手では北の灯台は手出しが出来ぬ! 仕方なし! 狂った海竜に大宝玉は呉れてやるしかないか……ん?」
独り言をいいながら森を走る魔道士が森に張り巡らせた探知網に、数人の人影の反応があった。
それらは、シラトリ村方面から主道を避け、慎重にゆっくりとキコナインの森に侵入し、廃城と灯台塔の中間あたりをさ迷っていた。
「シラトリの越境密猟集団か……。好都合!!」
魔道士は人影の位置を割り出すと、そちらに向かって進路を変えた。
雪の降りしきる廃城の前庭に、武装兵が集まっている。
彼らの武装はまちまちだった。
帷子鎧の上に厚地の上着を着た、ワラグリア諸侯同盟の盟主グルビナ領の正規兵。
騎兵崩れなのか騎士鎧の胴丸と手甲を着け、戦場で拾ったような丸盾と兜を着けた者。
革のチョッキを着ただけの猟師と変わらない姿の者もいる。
騎兵は数える程しかいない。
方舟で海を渡した馬達は、一度目の冬を越せずに殆どが死んでしまったのだ。
飼い葉は豊富だったが、馬の世話が出来る馬丁が足りず、ひどい寒さで病気になっても、ろくに治療ができない上、馬肉食いたさに看病を放棄する崩れ騎兵まで出る始末だった。
はじめの一年、彼ら敗残兵はキコナインを拠点として、逆撃の為の兵を募ろうとした。
ゴンドオル王都とまではいかなくても、旧ワラグリアの首府グルビナ以北を奪還し、ゴンドオルからワラグリアを独立させる計画だった。
海竜のはびこる海峡に隔てられた北之島の住人に、訪れたことのない国の、会ったことのない人々の窮状を訴えたところで、所詮通じるわけはなく、敗残兵が提供できる恩賞の数々も、大地とともに生きる北のエルダール達の興味を引かなかった。
そこで、武力による北之島南西部の制圧が可能か検討するように、オーマにとどまった将軍らから指示された。
敗残兵に救いの手を差し伸べてくれた異郷の人々は、仮想敵となった。
クリム・ドウランの尽力で、それまでは友好的だった敗残兵とエルダールの関係が、急速に悪化し始めたのもその頃からだった。
「傾聴せよ!!」
城壁の上から駆け下り、非常召集をかけた騎士。
オーマに留まった隻腕の老将軍より、キコナインの町の占領計画を策定するように指示を受けていた騎士は、現在廃城に駐屯する敗残兵の中では一番位が高い。
「先程、凶報が入った。エルダールとの交渉のためキコナインへ向かわれたドウラン将軍が、殺害された!」
騎士の言葉に前庭の一同はどよめいた。
「海を見よ! エルダールと結託した海竜が、海から火球をここへ撃ち込むために迫ってくるぞ! オーマは既に火の海だ!!」
騎士の指し伸ばした手の先、海峡の対岸側では火の玉が乱れ飛んでいた。
「ドウラン将軍の交わした盟約は既に破られた! 所詮は交渉の出来ぬ未開人の集落! 事ここに至っては是非もなし! 不義の未開人を教化し、我らワラグリア諸侯同盟軍に編入させ、文明社会の恩恵を浴す機会を与えるのだ! 邪悪なる南の帝国ウンバアルと雌雄を決するため、まずは帝国の傀儡と成り下がったゴンドオルを、その軛より開放せん! この地を第二のワラグリアと定め、初代ゴンドオルの王の如く、南伐の軍を起こすのだ!」
若き騎士の熱狂に感化され、集まった兵達の視線も熱を帯びはじめる。
「初代王の如く!!」
騎士は高々と拳を振り上げる。
「初代王の如く!!」
戦士達は唱和する。
「まずは急ぎキコナイン村を傘下に納め、海竜の攻撃を止めねばならない。たかが100人程度の女子供ばかりの村だ。今夜のうちに占領するぞ!!」
「応!!」
「いや! 皆待て! 冷静になれ! キコナイン村を容易く落としたとて、この大陸全土のエルダールを全て敵に回せば、我らなどひとたまりも無いぞ!」
一部の兵から声が挙がる。
「そもそも、今まで親身に世話をしてもらった恩を忘れたのか?」
兵も様々だ。
一年も過ごせば、打ち解けてエルダールと仲良くなっている兵もいる。
特に弓兵は、下エルダールの狩人の弓の腕前に感服し、師事を受け、共に狩りに出かける者や、弓矢やきれい刺繍の入った胡服を譲り受け、毛皮を着た、下エルダールと変わらない格好をした弓兵までいる。
「トゥガル領の弓兵か!! 山出しの田舎武者め! どうせ貴様らにはエルダールの白い血が半分以上混じっているのだろう!! 先に村へ行け! エルダールと一緒に狩ってやるとも!!」
戦斧を肩に担いだグルビナの正規兵が、北領の中でも北端の、古代には、エルダールが住んでいたと伝えられるトゥガル領の弓兵を威嚇する。
正規兵の恫喝を契機に兵達は二分し、好戦派と融和派は言い争いを始めた。
「皆静まれ!! 兎に角、ドウラン将軍は殺されたのだ!! 死体を奪還し報復せねば!!」
混乱する兵達の様子に焦りを感じた騎士は叫ぶ。
「『ペレグレン卿』。そもそも卿は、南の城壁の上で酒盛りをしていたはず。どうして、どうやって将軍の動向をお知りになられたのです?」
「…………え?」
一人の兵士の言葉に、ペレグレン卿と呼ばれた若い騎士は言葉を詰まらせる。
彼自身、確固たる確信のあるドウランの死を、どのように知り得たのか順序立てて考えることができないのだ。
ペレグレンは青ざめた顔で視線を泳がせて、次に云うべき言葉を探した。
「……なんだ、酔っぱらいの狂言か……」
落胆のため息が周囲に広がる。
中にはいそいそと鎧を脱ぎ出す者までいた。
「ま、待て! 待ってくれ! 私の話を聞くのだ!!」
ペレグレンは皆を引き留め注目を浴びるために、今一度声を張り上げる。
その時である。
キコナイン村の村長の娘、モレヤが、クリム・ドウランを軽々と肩に担いで、森の中の古道を抜けて、小山の麓から蛇行する九十九折の道を駆け登ってくるのが、破壊された大手門からから続く兵達の集まる前庭から見えたのだ。
「あれは、ドウラン将軍ではないか?!」
「……死んでいるのか?!」
ペレグレンは、ここを先途と声を張り上げた。
「見よや見よ! ドウラン将軍は殺害された!! あの下エルダールを殺し、将軍の亡骸を取り返すのだ!! 弓兵! 射掛けよ!!」
半信半疑だった弓兵達も、ペレグレンの言葉で思い直し、モレヤに向けて弓を構え、疎らながら矢を放った。
「なんだ! エダインのやつら仲間が見えないのか?!」
腿当てや、肩当てなど騎乗戦闘用の防具を外しているとはいえ、少女のような華奢な体で、武装した男のエダインを担いだまま、モレヤは機敏な体捌きで、矢を回避した。
しかしさすがに、それ以上近づく事は難しいと判断し、道を逸れて、木々の繁る斜面に入っていった。
「モ、モレヤ殿……」
担がれたままのドウランがモレヤに話し掛ける。
「気付いたのか? お前の部下達が射掛けてきたぞ! どう云うことだ?!」
「運んでくれた事、感謝する。ここからは私一人で行くのでモレヤ殿はまずは村へお戻りください」
「大丈夫なのか?! 話を聞いてくれるような雰囲気ではなかったぞ!」
「……」
ドウランはモレヤに対し、騎士の礼をすると、ヨロヨロと千鳥足で森の外の坂道に戻っていった。
「見ろ! 将軍は歩いているぞ! やはり誤報ではないか!!」
融和派の兵たちが声をあげ、つい先程まで攻撃を主張していた兵までもが、ペレグレンへ冷酷な視線を送った。
「兎に角射掛けるのを止めよ!!」
立ち尽くすペレグレンを尻目に、兵達はドウランを迎え入れる為に駆け寄ろうとした。
ドウランは、廃城の、今にもエルダールとの戦争に出撃しようとしている敗残兵達を制止しようと、手を振って立ちはだかった。
胸に矢傷を受け、治療もそこそこ階段を駆け登ったドウランの呼吸は切れ切れで、なかなか言葉が口から出てこなかった。
「ドウラン将軍! ご無事でしたか?! ガイウス殿は一緒では?」
兵の問いに、ドウランが答えようとしたその時。
『バスッ!』
鈍い音がしてドウランの肩と太ももに、下エルダールの羽羽矢が突き刺さった。




