越冬 Ⅴ
「どうらん!」
胸に矢を受け、膝をついたドウランに、首の曲がった町長家のメイド、魔道人形が駆け付ける。
イトゥラリエンに一度当たり、勢いが殺されていたとはいえ、華奢な体に似合わぬ剛力の持ち主の、下エルダールが強弓から放つ矢は、岩に突き立つ程の威力があり、ドウランの合板の胴丸を貫通していた。
魔道人形はドウランの胴丸を紙のように手で引きちぎり、胸から矢を引き抜いた。
「イケナイ。ヤニ、ドク、ヌッテアル」
矢の先を確認した魔道人形は、リングロスヒアの方を見た。
彼は自分の娘の首を必死に押さえているが、押さえられている娘がすでに絶命しているのは、一目見ただけで判った。
「ゴシュジンサマ……オジョウサマ……」
リングロスヒアの屋敷で長い間、屋敷の主とその娘に仕えていた魔道人形は、悲しげで寂しげな表情で二人を見ると、ドウランに向き直り、魔法を発動する。
「どうらん、シヌナ。どうらんガ、シンダラ、コノチデ、アラソイガ、オコル」
壊れかけの魔道人形は、両手をドウランの胸に添え、自身の残り少ない魔法核の最後の魔力を振り絞った。
「医療魔術式発動! 毒素浄化、破れた肺腑の再生、止血……ああアアアアアア!! マリョク枯渇! マリョクコカツ!……!」
少女人形は痙攣を始め、体の関節のあちこちから煙を吹き始めた。
墓穴から暴かれ、空気に触れた途端風化を始めたミイラのように、両膝をついたまま、魔道人形の体が崩れ始める。
「非常用外燃魔力転換炉発動! アルティン・ティータァァァ!!」
魔道人形の胸の辺りが発光し、体を透かして魔法核が輝く。
そのうち彼女の体は発火し、燃え上がった。
「シヌナ、どうらん。ア、ラソイヲ、……トメテ……」
しかし、それでも彼女はドウランの胸に手を添えて、術式を維持し続けた。
「ガハッ!!」
ワラグリアの騎士クリム・ドウランは目を見開き呼吸を再開する。
「ど、どうなった? 私は、矢を受けたはず……。ガイウス? ガイウス!」
彼は起き上がり辺りを見回す。
傍らには消し炭のようになった少女人形がくすぶり、膝をついたまま動かなくなっていた。
「すまぬ。ガイウス殿は闇討ちにあい落命した。我が娘も……」
動かなくなったイトゥラリエンを抱き抱え、リングロスヒアがドウランの元へやって来た。
「……私は、一旦廃城に戻ります。ガイウスの遺体は、預かっていてください。下手人については……」
ガイウスの死体を確認し、いまだに呪いの言葉を吐き続けているアムルイを一目見て、ドウランは言い淀んだ。
「モレヤに引き渡し、下エルダールの掟で裁かれることとなろう……。すまぬ。私が注意しておればこの様なことにはならなかったはず」
悲嘆にくれるリングロスヒアを見て、ドウランはやるせない気持ちでため息をつく。
────上エルダールと云う種族は皆こうだ。
────自ら事を起こす気概をすでに失っている。
────彼らのする事といえば、昔話と後悔だけだ。
ドウランは、些か失望したような目でリングロスヒアを眺め、未だ火球の舞う海峡を遠望し、燻る少女人形を見た。
「私を救ってくれたのか……。短い縁であったが、望外の慈しみを受けた。そしてそなたの願いも伝わった。この地に戦を呼び込む訳にはいかない」
ドウランは、混乱するキコナイン旧市街の広場を後にしようとした。
「ドウラン! 今、廃城へ向かうのは危険だ! 下エルダールのすべてとは言わないが、私の言葉を書き入れない者が、まだいるかもしれない! 石階段で射掛けられたら、逃れる術はない!」
「それでも行きます。廃城の兵とて、不穏な分子が多い。海の異変の混乱に乗じ、暴発する兵が出るかもしれない。争いを止めねば!」
リングロスヒアの制止を聞かずドウランは石階段へむかった。
廃城の、崩れずに残っている城壁の上に張ったテントの中で、上等の騎士甲冑を着た若武者が、木箱を積んで作った椅子に座っている。
旧北領でもかなり南の方の出自の彼は今夜の寒さに辟易していたが、下で一般兵の下卑た山男共に混じる気にもなれず、マントを着込んで高みから海を眺めていた。
「クソ、寒い、寒いぞ! 今年もこんなところで年を越すと思うと泣けて来る」
ブツブツと小言を独りごちて、葡萄酒をすすった。
寒さを紛らわすためとはいえ、彼は深酒が過ぎた。
下まで降りるのも億劫になり、立ち上がりフラフラとテントを出ると、石組の隅で、彼は用を足し始めた。
「雨雪も、俺の蒸留水も、混じれば同じよ……。下々の、山出しの田舎者共に下賜して進ぜよう!」
そんなことを言いながら、若武者は廃液を垂れ流していた。
雨漏りのひどい下の食堂辺りで、天井から滲み出す事になるのも構わずに。
海峡に炎が走り、南方を赤く染め上げたのはその頃である。
「なんだあ? どこぞの魔道士が花火でも上げているのかぁ?」
よく見ようと若武者が城壁の矢狭間から身を乗り出したときである。
若武者の顎から天に向かって細い稲妻が走った。
「ヘギョ!」
奇妙な声をあげて若武者は白目を剥いた。
「ソンダーク、上首尾。上々。……おい。北の阿呆。聞こえるか?」
城壁の壁の中ほどに何か大きな虫のようなものが張り付いている。
その虫の辺りから甲高く細い声がする。
「はい。聞こえます……」
若武者は呆けた人のうわ言のように呟く。
「上々。お前良い鎧着ているな。地位は?」
「正騎士……」
「上々。下に行って兵に伝えろ。あの海の火は、海竜がこの城を襲う合図だ。エルダールと海竜が結託して、ここの兵達を皆殺しにするための合図だ。既にお前達の指揮官と副官は殺された。亡骸が辱しめられる前に、奪い返し、ひ弱なエルダール共など根絶やしにして、この地に新しいワラグリアを作れ。そうしたら、……」
カサカサと城壁を大きな甲虫が這い上ってくる。
その甲虫の背中に、壁と垂直に、ローブ姿の怪人が立っていた。
怪人の指の先からは細い稲光が発せられ、若武者の頭と電光で繋がれていた。
「お前、この地の王になるぞ!」
「……!!」
城壁から落ちかかった若武者は、慌てて体勢を立て直す。
「……??」
辺りをキョロキョロ見回すが、彼の周りには誰もいない。
「……?! なんだ? 花火か?」
初めて見付けたような驚き声を上げて、若武者が海の火焔を眺める。
「……」
海の焔を眺めるうちに、若武者の酒で濁った瞳にも、怪しい炎と稲光が宿り、彼は突然階段を駆け降りると、食堂で食事をしていた兵達に向かって大声で何事かを捲し立て始めた。
「ククククク、阿呆が踊る。まずは、狩人、今は砦の阿呆。次は灯台のエルダールか……」
兵達が若い正騎士の指揮で慌ただしく兵装を整え始めるのを、怪人が暗い木陰から満足げに眺めている。
怪人は滲むように暗闇に溶けてゆき、辺りは廃城の兵達の喧騒のみが残された。