越冬 Ⅳ
長命種は老いることがない。
しかし、老いることがない故なのか、子供もいない。
キコナインの町長リングロスヒアの娘イトゥラリエンは、長身銀髪の上エルダールが住むキコナインの旧市街に於いて唯一人の若い娘に見えた。
いや、
彼女は、上エルダールの若い娘ではない。
彼女の髪は蜂蜜色で、それは、上エルダールでは見られないものである。
身なりこそ上エルダールの物であるが、その髪も幼い容姿も、下エルダールそのものだった。
「いや、お嬢さん……、一体何処へ連れて行けって言うんですかい?」
ガイウスの腕にすがり、イトゥラリエンは訴える。
「何処でも……。此処でなければ何処でも良いんです!」
イトゥラリエンは尚も食い下がり、ガイウスはじりじりと後ずさる。
「お嬢ちゃん。俺ぁ、見ての通り若くもないオッサンだぜ。多分お嬢ちゃんは、誰でも良いんだろう? ここの暮らしの何が気に入らないのか知らないが、お父さん悲しませるようなことはしなさんな」
壮年のガイウスとイトゥラリエンは、父娘ほども年が離れて見える。
「……父と不和があるわけではありません。でも、でも私は、この土地を離れたいのです!」
キコナインの北、シラトリの西、アウスシーリ山が火を吹き、灰煙が 空を覆った年の事。
厚い雲が空を覆い尽くし、草も木々も灰をかぶり、実りの兆しすらないまま秋を迎えた年の事。
まず、森や山に棲む獣達が飢え、次々と死んでいった。
その獣を狩る下エルダール達も、過酷な冬越しをしなければならない年だった。
不可侵の聖域として下エルダールの立ち入りを拒む灯台塔周辺の森は、魔術の加護なのか、火山灰の被害を逃れ、例年と同じく豊かな実りをもたらした。
荒廃した森から逃げ出した獣達が集まり、いつもより獲物が多いくらいだった。
それが、いさかいの種となった。
シラトリ村の狩人が、長老達の取り決めで古来から定められていた境界を越え、キコナイン村周辺に多数侵入したのだ。
シラトリの狩人の荷運びとして少女が同行した。
少女の名は『イトゥラ』
シラトリの狩人が、キコナインの森で狩りをしている所を、キコナイン村の下エルダールに発見され、戦闘の後、狩人達は捕縛され、キコナインへ連行された。
事件の後、人質に関して、キコナインとシラトリの長老達は長い時間をかけて談判をした。
キコナイン村は人質を返還し、森の北部の狩り場を提供する事。
戦闘の際キコナイン村に一人死人が出たので、シラトリ村は奴隷を一人差し出すこと。
その取り決めでキコナイン村に引き渡された奴隷がイトゥラだった。
事件はキコナインの町の上エルダールも知るところとなり、リングロスヒアの薦めで人質は返還することになったが、シラトリ村衆は引き取りを拒否した。
シラトリ村でも、イトゥラは奴隷と変わらぬ境遇だった。
下エルダールの言葉でイトゥラなどと名付けられているのだから、どこか別の村から誘拐された子供だったのだろう。
火山の近く、甚大な被害があったシラトリ村では、もはや、食いぶちを稼ぐことのできない子供を養えるような状況ではなかった。
元の村に拒絶され、遺恨の残るよそ者を、古来の仕来たりを曲げてまで、村民として受け入れることを、キコナイン村からも拒絶され、居場所を失ったイトゥラは、結局リングロスヒアの養女としてキコナインの町に住むこととなった。
下エルダールの名前『イトゥラ』に、上エルダールの言葉で『姫』を現す『リエン』が付いて、『イトゥラリエン』と名前を変えて、彼女は石の町に住まっている。
彼女はもう若くはない。
肉体が老いたわけではない。
エダインであるガイウスから見れば、外見は少女だが、彼女はガイウスの母親より年上だった。
森や山との繋がりを断たれ、時の流れの止まった石の町で、彼女は少女のまま老い、死期を迎えようとしているのだ。
「と、とにかくお嬢ちゃん落ち着いて。まずは屋敷に帰りやしょう。町を出るっつうたって、そんななりじゃあどこにも行けませんぜ」
ガイウスはその場しのぎの言葉で、なんとかリングロスヒアの屋敷にイトゥラリエンを戻そうとした。
「で、では、連れていってくださるのですか?!」
イトゥラリエンの瞳が輝く。
「……、」
疑うことを知らぬ汚れなきイトゥラリエンの視線を直視できず、ガイウスは思わず、顔を背けた。
「と、とにかく屋敷にお送りしやす!」
寝巻き姿でずぶ濡れのイトゥラリエンを人目から遠避けるため、ガイウスはイトゥラリエンの手を引いて、路地の奥へ回り、崖が迫る北側の家の裏側を歩いた。
「ガイウス様……。私は平気です。引き留められないようこのまま海岸を歩いて西に向かいましょう」
「…………」
「……?」
「ガイウス様?」
『ドサッ』
イトゥラリエンの手を引き先を歩いていたガイウスが転倒した。
受け身もとらないで前方に倒れ込み、石畳に鎧や兜がぶつかる大きな音がした。
「ひっ!!」
暗闇を見通すエルダールの視線の先、イトゥラリエンの足元に倒れているガイウスの周りに血溜りが拡がる。
イトゥラは暗闇の先を見る。
はるか闇の深淵に光る相貌。
狩人は、靫に手を伸ばし、矢筈に指をかける。
「イトゥラ……。此処ではない何処かに行きたいのだろう。逝かせてやるとも」
深淵から呼び声がする。
「ひ……、ア、アムルイ」
イトゥラリエンの悲鳴が彼女の喉元まで登ってくる。
「ガイウス!! どうした?!」
鎧の崩れ落ちる音がして、それに気づいた広場のドウランが駆けつけてくる。
アムルイは、裂帛の気合とともに、次につがえた矢を限界まで引き絞った。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁーー……あ!!」
イトゥラリエンは広場の方、ドウランの方にきびすを返し逃げ出した。
アムルイは矢を放つ。
唸りをあげて疾る矢は、後ろからイトゥラリエンの首に突き刺さるが、狙いが僅かに振れたのか、首肉をえぐって貫通し、さらに飛び続け、駆け寄ってきたドウランの胸に突き立って止まった。
「ガフッ!」
ドウランは胸をおさえ膝をついた。
「クハッ! 一石二鳥とは! ハハハハハハハ!」
ドウランの後ろに続いていたリングロスヒアは、一本指を掲げ、魔方陣を宙空に描きそれを狩人に投げつけた。
光の輪が高笑いする若き狩人に命中すると、それは縛鎖のように、アムルイを拘束した。
「アムルイ!! 血迷うたか?!」
「ぐぐぐっ、本懐! 死から見放された石のエルダール! 感謝しろ! 俺は、お前の娘に、その者が一番望んでいるものを与えたのだ!!」
弓矢を取り落とし、その場で崩れ落ちたアムルイは、なおも笑っていた。