越冬 Ⅲ
「イクルイの娘モレヤよ。よくぞ参った。どのような時であれ、そなたの来訪は歓迎しよう。父の容態は如何? して、今宵はどのような報せをもたらしに参った?」
慇懃なキコナイン町長の言葉にもモレヤは怯むことはなかった。
町長の話し方は古くから伝わる儀礼のようなもので、挨拶の一部なのだ。
「父、床から出れない日多い。朝と夜、寒くなったから。今日来たのは聞きたい事あったから」
ここで、町長は相好を崩し、孫を迎えた祖父のような表情になる。
「そうか。イクルイには自愛するように、伝えておくれ。薬と湿布を用意するので、帰りに持って行くと良い。近いうちに見舞いに参ろう」
モレヤは顔を一瞬ほころばせるが、すぐに表情を引き締めて言葉を続ける。
「灯台森に行った狩人、灯台のエルダールから話聞いた。近々オーマの方舟キコナインに来るという……。本当か?」
その言を聞き町長は表情を曇らせる。
「灯台森の方、キコナインの東にはエダインの砦がある。余りあちらには行かないようにと以前申したであろう」
モレヤの左右に控え、平伏していた二人の狩人の肩がピクリと動く。
モレヤは伏せている二人の顔をチラリと見る。
二人は歯軋りをしていた。
「エダインの食べもの集めろと言ったのは『リングロスヒア』。貴方だ。
我ら雪解けから這いずり回った。辺りの目ぼしい狩り場、捕り尽くした。あとは、灯台森へ行くか、北のシラトリ村の狩場を荒らすしかない……。
海は海竜だらけだ。西から乱暴な海竜沢山来た。エルダールとの取り決めを守らない海竜に襲われた村もあるらしい」
モレヤは吐き出すようにそう言うと、町長リングロスヒアを睨み付けた。
リングロスヒアは、自分を見上げるモレヤを暫く無言で見下ろした。
「……方舟は来る。海竜が集まっているのもそのためだ。ヤシン様と会談を行うため、海竜ゾファー王子もオーマに来ているらしい」
「ヤシン?」
「そなた達が雷・神と呼ぶ初代魔道王と、オーマに住まう天龍アルティン・ティータ様のご子息だ。まだ少年の身ながら、『龍炉』をその身に宿し、初代魔道王が創建されたエダインの国から、この北之島にご帰還されるのだ。お前達、下エルダールの伝承では、『ポイヤウンペ』と云うのだそうだな」
「ポイアウンペ……」
儀礼として口を閉ざしていた若い狩人は、堪えきれず声をあげる。
「そのポイヤウンペは偽物だ。カンナ・カミィ、シラトリ村に現れた。カンナ・カミィ、北の悪・神狩っているという」
若き狩人の言葉にリングロスヒアは無言で答えた。
「…………」
モレヤは目を細めリングロスヒアを見る。
その時である。
突然まばゆい光が、南面した窓から射し込んできた。
光は部屋の中のあらゆる物に影を落とし、影は光の移動と共に素早く動いて、光が去ると同時に消え失せた。
「……?!」
リングロスヒアはなにか思い付いたのか、モレヤ達を押し退けるように慌てて南に面した窓辺に行き、窓の外に暗く広がる海峡を見渡した。
「シル・パラン!!」
リングロスヒアは感嘆の声をあげる。
リングロスヒアに続いて窓辺に来たモレヤも窓の外を見る。
海峡の対岸。いつもの夜ならば、薄ぼんやりと光が見えるだけの南の灯台から、光の剣のような烈光が一直線に延び、まるで視線のようにキョロキョロと忙しなく辺りを照らしていた。
「あれはなんだ?!」
「カンナ・カミィのしわざか?!」
狩人達も口々に驚愕の声をあげる。
「あれこそはシル・パラン! 天龍アルティン・ティータ様の瞳! 魔力を蓄え遠方を見通す聖遺物! 龍炉を失い死の床にあるアルティン・ティータ様から受け継いだのはヤシン様! やはりヤシン様は……」
リングロスヒアは興奮気味に叫ぶ。
『ドォォォオオオン!』
彼の言葉は遥か南方で煌めいた閃光とかなり遅れて起こった腹に響くような爆音に遮られた。
「竜砲……」
「竜達が一斉に熱核ブラストを撃っている!」
「……綺麗」
対岸では、火焔の花が咲き乱れ、遅れて爆音がキコナインまで届いた。
「何が起こった?!」
リングロスヒアの屋敷一室で、葡萄酒を飲みながら寛いでいたクリム・ドウランは、突然の閃光と爆音に思わず部屋を出て外へ向かった。
ガイウスが慌ててそれを追う。
「ドシタ? オベンジョカ?」
二人に酒を注いでいたメイドの魔道人形が、グラスやピッチャーを持ったまま部屋に取り残された。首は傾げたままだ。
ドウランとガイウスが海に向かって駆けて行くと、先程モレヤ達が通ってきた広場に行き着いた。
リングロスヒア、モレヤ、二人の狩人は先に屋敷を飛び出して、この広場にたどり着いていた。
彼らは後から来たドウラン達に気付かず、呆然と広場の中央を眺めていた。
広場の中央、そこに立っていたはずの鎧武者の像が、大きなふくろうを曲げた肘の先に留まらせたままゆっくり歩きだし、辺りを見渡すと、吟うように音声を発した。
「王は帰還せり! 魔道人形の世、竜の世、エルダールの世は終わりを告げん。心置き無く戦い心置き無くこの世を去るべし! 人の世を言祝げ! 人の世を言祝げ!」
武装した魔道人形は、そのような事を言いながらゆっくりと港に向かって歩いている。
「……なんだ? あの人形何を言っている?」
ガイウスが呟き、その声にモレヤ達は驚き思わす振り返った。
「なんで、砦のエダインがここにいる? シトリリ達は未だエダインを匿っているのか?!」
若いエルダールの狩人は思わず弓を構えた。
モレヤは手で制し、リングロスヒアを見た。
「待ちなさい。彼らは今宵客として……」
リングロスヒアが間に入って言葉を続けようとしたが、キコナインの岩礁近くに、海竜の放った火球が着弾し、海一面が紅蓮に染まったかと思うと、蹌踉めくくらいの衝撃を伴った大爆音が響いた。
普段は泰然としている上エルダール達が、石の家から飛び出し、悲鳴を上げたり呆然と海を眺めている。
「シル・パランの力が復活したのだ! 灯台からの魔力の照射で、魔道人形が再起動した!」
「海竜の火球だ! 彼らは盟を違い、キコナインを襲う気だ!」
南の灯台の光、海竜の火球や火焔、広場の魔道人形を認め、大声で口々に叫び、取る物も取り敢えず逃げ出そうとする者や、小躍りを始めるエルダールもいた。
「モレヤ。村へ帰ろう。村が心配だ」
年嵩の狩人がモレヤの袖を引く。
モレヤは頷き、リングロスヒアに駆け寄ると耳打ちした。
「リングロスヒア。明日話を。今は帰る。行くぞ! アムルイ! 弓を仕舞え! 同胞に矢を向ける者は、死んでも死の国に行けなくなるぞ!」
若き狩人アムルイの手を引いてモレヤは広場を抜け出、長く続く石階段へ向かった。
「……アムルイは?」
騒然とするキコナインの町を後に、石階段の中程まで登って登ってきたモレヤは、先程まで憮然とした表情でモレヤの後ろを歩いていた、若い狩人『アムルイ』の姿が無いことに気付いた。
「……イトゥラに会いに戻ったのか……。モレヤ。先に村へ帰れ。俺はアムルイを連れてくる」
「『ヤイチャロイキ』、気をつけて。魔術を見た年を経た上エルダールが子供のように騒ぎ回っている。浮わついた心持ちの人々の隙間に、町辻の隙間に、悪・神が入り込んでいるかもしれない」
「うむ、」
ヤイチャロイキと呼ばれた年嵩の下エルダールは、頷くと踵を返し、再び階段を下り始めた。
「これだけ海竜が暴れていると、キコナインから船を出すことはできない。明日、北の灯台塔に使いを出そう。そして貴殿達の処遇についてどのようにお考えか問うとしよう」
リングロスヒアとドウランは依然海峡の火焔舞を見ながら、今後の方策について話し合っている。
ドウランの護衛として来ているガイウスは、エルダールの目につかないように、物陰に佇みながら、海を眺めるドウランの背中を見ていた。
「ガイウスさま、」
「……!」
ガイウスの立つ暗がりの奥の更に暗い闇の中、霙の積もる垣根の茂みの中から、そっと白い手が伸びて、ガイウスの手をつかんだ。
「町長ん所のお嬢さん! こんな雪の夜に何て格好で……」
茂みから這い出てきたイトゥラリエンをガイウスは慌てて立たせ、自分のマントを被せた。
彼女は薄物の夜着のまま、まるで逃げ出してきた奴隷のように泥雪に汚れ震えていた。
イトゥラリエンは、他の上のエルダールに比べて小さく、髪も上エルダールの常である銀髪ではなく、金色をしていた。
身なりこそ、質素で高貴な上エルダールの物を身に付けてはいるが、彼女はどちらかと言うと下エルダールに見えるのだ。
「大丈夫ですかい? お嬢さん」
他の上エルダールから隠すようにして、ガイウスは彼女に顔を寄せ囁く。
「ガイウスさま。私を、私をここから連れて逃げてください!」
「……」
ガイウスは、今、この場で、イトゥラリエンの口から、このような言葉が出ることを、短い彼女とのやり取りの記憶から、半ば予測していた。




