海峡 ⅩⅩⅩ
「ニコ! ニコも治してもろうたのか!? よかったのう!」
「わっ!」
操舵室に、足の一本一本の長さが人の背丈ほどもある大蛸が入っていたので、ヤシンは思わず声をあげた。
「おお! 可愛なっとるヤンケ! ヤシン坊っちゃん! おおきに! ニコ! 良かったなぁ! ああああー! よかった、よかったなあ!」
操舵室に乱入したダリオスは、ニコちゃんを見るなり、喜びのあまり号泣した。
「わーん、ダリちゃん! ありがとう。これで一緒にお出かけできるね」
ニコちゃんは跪いてダリオスに抱き付いた。
「何言うとんねん! 今の姿はそれは可愛いなっとるけど、今までの姿かて、ワテ全然気にならへんかったで!」
「……そうね、ダリちゃん、わざと私とおんなじ姿になってくれてたもんね。ダリちゃん優しいから私、ダリちゃん好きよ。ちゅー」
そう言うとニコちゃんは、ダリオスの口、は、頭の下の足の付根に隠れているので、鼻、……も、見当たらないので、目と目の間の鼻がありそうな所にキスをした。
「むは!」
ダリオスはニコちゃんの手をよじ登り、頭の上まで行くと、ニコちゃんの頭にへばり付き、体の色を変え、まるで赤い髪の毛のように擬態した。
豪奢な赤髪を靡かせる姫君のようにニコちゃんは笑顔でクルクルと舞う。
「……あのー、こんにちは。貴方はだあれ?」
二人の世界に入ってしまったダリオスとニコちゃん。その二人を見て感激のあまり涙ぐみ、一人目頭を押さえる5号。
蚊帳の外のヤシンは、暫く愛想笑いで突っ立っていたが、埒が明かないので、意を決しダリオスに話しかけた。
「ああ! 失礼しました! ヤシンの坊っちゃん! ワテは南の灯台塔の洞穴に住んどる大蛸ダリオスいいますぅ。あんじょよろしゅうに」
ニコちゃんの頭の上で、足の一本をヒョイと上げて挨拶をするダリオス。
「はじめまして。僕は……」
「ああ! ワテは魔道王はんともミールはんとも顔馴染みですさかい、坊っちゃん事も聞いとります。まあ、海に住んどる叔父はん位に思うとってください」
上げていた一本の足をヤシンの方に伸ばすダリオス。
ヤシンは笑顔でその足を手に取り、握手するように上下に振った。
「ほんと?! 家族が増えて嬉しいよ!」
「ヤシン様、方舟は北の灯台塔に到着しました。ここには、あなた様の本当の父上であらせられます魔道王陛下が、魔法や我らのような魔道人形の研究をされていた工房がございます。昨日の襲撃で灯台塔は破壊されましたが、基部は無傷なはず。さあ、参りましょう」
5号はそう言うと、ヤシンを船腹の出入り口の方に案内した。
北の灯台は、南の灯台塔ほど突出した岬の突端にあるわけではなく、切り立つ崖の膨らんだ部分に建てられている。
北の灯台の下の崖にも、洞穴があり、南灯台の洞穴より大きく、内部はまるで都市の港が洞穴の中にすっぽりと収まってしまったかのように造船施設やドック、大型の倉庫や荷物の揚げ降ろしを行うクレーンなどが建ち並んでいる。
海竜に押されて、方舟はゆっくりと魔法の明かりの灯る港湾施設に入っていった。
海へと開く洞穴の入り口近くの桟橋に横付けされた方舟の、船腹の大きな扉が開き、そこから灯台守のルークとポーンが桟橋に跳び移ると、太い縄で方舟を係留し、備え付けの移動式舷門を渡した。
グレタを先頭にした若い護衛兵達がヨタヨタと降りてくると、桟橋に行儀よくならんで、水面に向かって船内の宴会で供された酒や酒肴の数々を戻し始めた。
古参兵や豪の者はナバロンとゴーギャンの指揮の元、馬や馬車を渡したり、怪我人や病人を運ぶ作業にあたっている。
「地表は遥か上って感じだったけど、ここからどうやって上に荷物をあげるんだろう?」
ミールの手を引いて桟橋に降り立ったヤシンは、南の灯台を遥かに越える巨大な洞穴の内部を見回しながら呟いた。
「奥に搬送用の傾斜路があります。馬車などはそちらを通す事になるでしょう」
船に酔ったのか、顔色の悪いミールが答える。
「方舟と云い、この港のカラクリの数々と云い、ゴンドオルや南方の諸国とは異質の、まるで別の世界、別の時代から渡来した文明のようじゃ。これらはここより北にある、初代魔道王の故地と伝えられる、アングマアルという国からもたらされた物なのかのう」
ヤシンとミールに続いてキョロキョロと辺りを見回しながらゴンドオルの魔導師カロンが方舟から降りてきた。
「アングマアル由来の機械文明。アルノオル由来の刻印魔法文明。さらに海竜、地竜、飛竜、天龍がそれぞれ秘している竜炉魔法の秘技。魔道王ヤシン様は全てに精通しておいででした。陛下は、まさに魔術の王であらせられます。南北の灯台塔、特に、ここ北の灯台は陛下の工房があった場所。北方世界の魔術の、謂わば最高府だったのです」
カロンに続いてオーマの長老、エルダランが下船した。
彼らは荷降ろしの邪魔にならないように桟橋の隅を歩き、岸壁を離れ洞穴の奥へと進んでいった。
「ああ、よくぞご無事で兄上!」
エルダランと似た銀髪の、エルダランとよく似た年齢の判らないエルダールが、ヤシン一行を迎えた。
彼はひどく憔悴し、迎えると云うよりも、助けを待っていたような面持ちだった。
彼をみとめるとエルダランは表情を険しくした。
「『エルロヒア』……。むざむざ灯台塔を落とされ、シル・パランを奪われるとは……、ゾファー王子と魔道王陛下がいらしたから良かったものを……。オーマから渡った他の者はどうした?」
「申し訳ございませぬ兄上。昨晩、キコナインのエルダールが襲撃を受けまして、そちらの対応に出払っております」
「襲撃?! して、何者に襲撃を受けたのだ?!」
弟のエルロヒアの言葉に、エルダランは驚きの声をあげる。
エルロヒアは苦渋の表情を浮かべ言葉を絞り出す。
「近くの廃城に宿営していたワラグリアの兵です……」
「…………」
その答えにエルダランは声を失った。
「……だから私は反対したのです兄上! ワラグリアの兵を招いたことで、このままでは同じエルダール同士が争うことになるやも知れません。きっとそうなります」
エルダランは辺りを見渡し、必死に答えを探した。
「こちらへ渡った敗残兵はおよそ500人。キコナインのエルダールであれば討滅は容易いでしょう。しかし、我ら一行にはワラグリアの姫君グレタ様がおわしますし、グレタ様は現在ヤシン様の臣下でございます。我らオーマのエルダールはどちらに味方すれば……」
エルダランとエルロヒア。
二人の話を聞いていたミールが口を挟む。
「襲撃の理由は? 何故ワラグリア兵は自分達を匿っているキコナインのエルダール達を襲ったのです? 彼らはエルダールの助けがなければワラグリアへの帰還もままならないというのに……」
「……彼らの指揮官が何者かに射殺されたのです。矢は、下エルダールが使う羽羽矢でした」
ミールの問いにエルロヒアが答える。
「それ以前にも何名かワラグリアの兵が射殺されていましたが、その指揮官が兵の暴発を押し止めていたのです……」
エルロヒアの言葉に一同は押し黙ってしまった。
ゴンドオル王兄ヤシンは王都から旅を続け、ゴンドオル王シムイにより自領として定められた地、北之島まで辿り着いた。
しかし、自国の領土であると主張するゴンドオルが建国する遥か以前から、この地はエルダールの土地であった。
それらの矛盾が北の地に悲劇を産もうとしている。
ヤシンはこの困難を切り抜けることが出来るのだろうか?
北の大地にはこれから冬が訪れようとしている。
開拓騎士団 第一話 『海峡』 完




