海峡 ⅩⅩⅧ
死したる暗黒竜、竜衞士ゾンダークは胸に馬上槍の直撃を受け、仰向けに海に倒れ込んだ。
『ギャリャリャリャリャーーーー』
突き刺さった槍はそのまま回転を続け、竜の体にめり込んでいく。
暗黒竜の胸と背中から焔が吹き出して、宙や海の中を所構わず暴れまわる。
そのうち首を覆っていた鉄球虫が粉々に吹き飛ぶと、短い首からも焔が吹き出し、グニャリグニャリとのたうちながら火焔を放ち続ける。
偶然再び海面に仰向けになった時、槍が胸を貫通し、柄を残し背中から飛び出した。
『ピィィィーーーーーー!!』
笛のような音を出しながら胸から特大の爆炎が吹き出し、その勢いに押され暗黒竜は海に没し、海底へと恐ろしい早さで沈降した。胸から吹き出す焔の赤を、ゾルティアはかなり小さくなるまで確認できた。
「おのれ!おのれ!おのれー!!」
ウンバアルの魔道士トルバヌスは、空中で歯噛みをしながら暗黒竜の爆沈を見届け、呼び寄せた黒雲に吸い込まれて消えてしまった。
『グオン!!』
海底の何処かで暗黒竜が爆発したのか圧壊したのか、くぐもった音がして、海の一部が盛り上がった。
「オオーイ! ゾルティアァ!」
方舟から頭を取り戻したダリオスが、ゾルティアを大声で呼ぶ。
「なんだい? ダリオス」
辺りの警戒を他の海竜にまかせ、ゾルティアは方舟に戻った。
「カルやん見んかったか?」
「カルやん?」
「ゾンダークに槍を刺したやろう! 灯台守や! 見とっただろう?」
ゾルティアは呪腕でポリポリと頭を掻き、「んー。槍だけ飛んできたように見えたんだけどねえ」と言い、南を振り返った。
「結果的にあんさん助けたことになるんや、槍を刺したあと、飛び石みたいにテンテンテーンって、転がりながらあっちに行ったさかい、きっとそこ辺りの海底に沈んどるから、助けてやり!」
「んー、解ったわよ。灯台守ね」
などとダリオスとゾルティアが話しているうちに、海面からカルンドゥームが顔を出し、水と空気を背嚢と足元から吹き出しながら浮かび上がり、甲板に降り立った。
「なあんだ。自力で帰ってきたじゃん」
ゾルティアはそう言うと人化して甲板に上がってきた。
「不覚にも槍を壊してしまった……」
カルンドゥームは項垂れながら天窓から船内に入ろうとして、ダリオスに振り返った。
「あの口上は良かったです。忝ない」
そう言うとカルンドゥームは引っ込んでいった。
「この梁に施された彫り物は、アルノオル様式の刻印。王兄の馬車にも有りました。どのような効果が有るのですかのう?」
方舟の狭い廊下でゴンドオルの魔道士カロンが、這いつくばったり延び上がったりしながら、辺りを調べて回っている。
「これは雑菌の繁殖を抑え腐敗を防止する刻印。ここは硬度を高め、折れ曲がりを抑える刻印、逆にここは柔軟に柱や床板を繋ぐ軟骨の刻印……」
カロンに捕まり質問攻めにあっている『方舟の姉妹』8号は、ややウンザリしながらも答えている。
「ほぉぉ、ほぉぉ」
カロンは大きめの手帳に図案を描き写そうとペンを走らせる。
「あのー、詳しいことは船頭のダリオスのおじさまに聞いて頂けますか?」
水差しを何処かに運ぶ途中の8号は、メモに夢中のカロンから抜き足差し足で逃げ出した。
小走りで逃げ出す8号は、角を曲がってきた5号とぶつかりそうになる。
「わっ、危ないじゃない!」
5号は驚いて飛び退いた。
「ご、ごめんなさいお姉さま」
「あら、8号? 似合っているわよ、その髪型」
5号は8号のポニーテールの後ろ髪をポフポフしながら言った。
「えへへーお客様にも誉められたの」
8号はテレテレしながら答える。
「……今度のお客様はよいお客様ね」
「そうね、お姉さま。ゴンドオルのお客様は気味悪がったり乱暴したりしない。みんな「ありがとう」って言ってくださるわ。わたし嬉しくって」
「きっと、大御姉様がいたからよ。ゴンドオルの方は、みんな大御姉様を尊敬しているみたいだわ」
「そうね、お姉さま。きっとそうよ」
二人はここで言葉を切り、それぞれの仕事に戻った。
グレタは、大部屋の上座に設えた長椅子にクッションの山に埋もれるように体を横たえ、その左右には老戦士ナバロンとゴーギャンが胡座をかいて座っている。
グレタは、まるで女牢名主のようだ。
大部屋には多数のテーブルが出され、北へ向かう護衛兵達は、思い思いにくつろいだり、出された食事や酒を食べ飲みしている。
家臣団はそれぞれの仲間単位、家族単位で個室があてがわれ、護衛兵団は大部屋を使っている。
「……みなさんに報告します!!」
物思いに耽りながら酒を煽っていたグレタが長椅子の上に立ち、突然大声をあげた。
あまりに突然なのでナバロンとゴーギャンはビクッと体を震わせた。
「……」
護衛兵達は食事の手をとめて、隅で寝ていたものは頭をあげて、皆グレタの方を見た。
「なんですかい?」
一同を代表して『ルーキー』ディロンが声をかえる。
「……えーっ。わたくし、このたび……」
何だかわざとらしい、もったいつけたしゃべり方でグレタはここで言葉を切り、一同を見渡す。
「だから、なんですかい?」
「妊娠しました!!」
両手と片足をあげた奇妙な姿勢でグレタは元気よく宣言した。
「「ブッ!」」
ナバロンとゴーギャンは同時に飲んでいた葡萄酒を吹き出した。
「…………」
全員が静まり返りグレタから目を離すことが出来なくなった。
「……して、姫さん。……父親は誰なんですかい?」
護衛兵の一人が恐る恐る声をかける。
護衛兵達はお互いに目を見合わせ、相手を牽制している。
ナバロンとゴーギャンは腕捲りをして、側に立て掛けていた手斧に手をかける。
グレタは大部屋の一同、荒くれ男達の顔を一人一人見渡していく。
ある者は目をそらし、ある者は熱い視線をグレタに返す。
身をのりだし思わずジョッキの酒をこぼす者もいた。
「…………」
極度の緊張が護衛兵達を支配し、彼等は皆凍りついた。
「……わっかんなーい♥」
プリっと尻を突き出して、片手を頭に片手を腹に添えたグレタは、可愛らしくそう言った。
「………………」
静寂が続く。
「…………グエッ」
ゴーギャンのゲップの音が大きく響いた。
「プッ」
「ウハハハ!」
「ぎゃはははははははは!!」
「あーはっはっはっはっはっーー!!!」
全員が大爆笑し、一斉に其処此処で乾杯を始めた。
「俺の娘だ!!」
「いや! 俺の息子だ!!」
「俺の子に決まっておるだろう!!」
「バカもん! ワシの孫だ!!」
皆は揃って口々に、自分は親だと名乗り出た。
「あー! もういいよ! みんな親ってことで!」
グレタが元気にそう言うと、一同の爆笑は最高潮になる。
「大事な体なんだ! 酒はやめだ!」
ナバロンはグレタからジョッキを取り上げた。
「フフフフ、こんなワシにも孫が出来るとは……。ろくでもない人生かと思ったが、解らんもんだな……」
ナバロンはしみじみそう言うとグレタから奪った杯を空けた。
「盗み、殺し、戦場荒らし……。糞みたいな人生だった……。そんなワシらに孫だとよ!!」
ゴーギャンも続けて杯を空ける。
「見ろよ、ジジイ達泣いてるぜ!!」
ディロンが笑いながらそう言うと、たちまち脇腹にゴーギャンの拳がめり込み、彼は悶絶した。
爆笑していた護衛兵の面々はいつの間にか皆、笑いながら泣いていた。
「悪くない人生だった」
「ああ、悪くない」
「悪くない」
「悪くない」
「なんだいあんた達! もうくたばったみたいなこと言って!! わたしの子が苦労しないようにキリキリ働くんだよ!!」
そんなことを言いながら、彼等は飽くこと無く杯を空け続け、北の灯台塔の船泊に着いたとたん、桟橋に整列して揃って魚達に撒き餌をすることになる。




