海峡 ⅩⅩⅥ
「一度見ただけで、『物質再生』の術式を理解したというのですか……」
エルダランの目の前で、次々と方舟の姉妹を癒していくヤシン。
そのうち呪文の詠唱さえ省略し、手をかざすだけで、壊れかけていた魔道人形達は人と見分けがつかぬほど美しい姿を取り戻した。
「嬉しいです。これでヤシン様にお仕えしたり、エダインのお客様の前に出ることが出来ます」
方舟の姉妹は口々にヤシンに礼を言った。
ヤシンの傍らにはメイド服ではなく、エルダールの古風な服を着たミールが立っていたが、僅かな船の揺れでふらついているのを見かねて、ヤシンは長椅子に座らせた。
「ミールって、オーマに姉妹がいるって聞いていたけど、その、こんなにいるなんて、すごいねぇ」
ヤシンは最後の姉妹への施術を終えると、ミールの隣に座った。
「アルティン・ティータ様の写身として大御姉様は作られ、大御姉様の写身として私達『方舟の姉妹』は作られました」
いつの間にやらミールの立ち位置であるヤシンの傍らに立っている5号が答える。
ヤシンによって修復された方舟の姉妹達は、髪のまとめ方、ボタンの留め方、アクセサリーの有無などをそれぞれ変え始めた。
5号や他の方舟の姉妹は、ミール、離宮の惨劇以前の、ヤシンが物心ついた頃からよく知るミールと良く似ていた。
ミールは、ゴンドオル王宮のメイド服、黒のブラウスと長めのスカートに白いエプロンをしていたが、方舟の姉妹は白ブラウスと短めのスカートの、あまり実用的ではないメイド服を着ている。
制服の違いでヤシンには元のミールと方舟の姉妹の区別はつくが、まったく同じ顔なので、どこかで差をつけておかないと、姉妹の誰であるかは区別が難しい。
前髪を全部下ろしてみたり、後ろで束ねたり、横分けにしてピンで止めてみたりと、被らないように相談しながらお互いの身なりを整えている。
「ミール。大丈夫? なんだか顔色が悪いよ」
長椅子のクッションにもたれ掛かるミールにヤシンは気遣わしげに声をかける。
「どうしたのでしょう、なんだか……」
ミールは気怠げに頭を振る。
「……ミール様。この体は今までの機械仕掛けの体ではありません。生身の生きているエルダールの体です。水や食べ物をとる必要があります。それに睡眠も」
エルダランが長椅子に座るミールの脈を計ったり、手を取ってアチコチの関節を曲げたり伸ばしたりしながら言った。
「魔法核は何処なのでしょう?」
自分の胸の辺りに手を置き、ミールはエルダランに尋ねる。
「機関としての魔法核はこの体の魄に取り込まれました。貴女は生物としての命を得る代わりに、魄を通して、この世に生きるものの業を負うことになったのです。貴女は貴女の人生を生きねばなりません」
「人生を……生きる……?」
ミールはすこし不思議そうな顔をした。
出航した時から、方舟は追跡を受けていた。
北之島に漂っていた黒雲の一部が夜陰に紛れ南下し、方舟を下方に通り越した後、不自然に反転して方舟を追い始めたのだ。
海峡を北に渡る方舟の後方で、黒雲は海面すれすれまで降下し、雲の下面に黒く浮き上がった魔方陣から、海底を蠢く、魚の死骸を貪る生き物によく似た形をした鉄塊が吐き出された。
その鉄の虫は、海底まで沈み、海底を彷徨い、程無くゾンダークの死骸を見つけそれに取り付いた。
黒雲の魔方陣は次に魔道衣姿の道士を吐き出した。
その後黒雲は上昇し、他の雲に紛れてしまった。
黒雲から吐き出された道士が海面に足をつけようとした丁度その時、海中から海竜の呪腕が伸び、その掌に道士は降り立った。
「雷!来来!」
呪腕の掌に立つ魔道士が杖を掲げてそう叫ぶと、上空の黒雲から雷が落ち、暗黒竜の頭のあった場所に鉄の虫が取り付き、そこで丸まり固まって形作られた、刃と突起が無数に付いた鉄球に当たった。
途端に肉の焼けるような臭いがし、暗黒竜の胸の辺りにある竜の炉が、不気味な軋み音をたてながら、焔を廻らせ始める。
突然の落雷と、警戒する海域に現れた暗黒竜を訝しみ、方舟後方の二頭の海竜が誰何するために近づいていった。
「その黒鱗。お手前は竜衞士ゾンダークか?! ゾファー王子の御手討ちにあい、首を焼かれたと……。その頭はどうしたというのだ?」
海竜が声をかける。
しかし返事はなく、その代わりに、頭のあった位置に据え付けられている鉄球の突起の一つから、引き絞られた熱線が放たれた。
「ギュオ!」
熱線は海竜の一頭に命中し、竜は血飛沫をあげながら海中に没した。
「ゾンダーク!!」
もう一頭の海竜が火球を放つが、首なし暗黒竜の呪腕に乗る魔道士が弾除けの魔方陣を展開し、それを弾いた。
「ああ! 殿の竜が、なんやケッタイなもんと撃ち合いしとるでぇ!」
方舟の甲板上で、船頭を勤める怪人ダリオスが突き立てた逆矛によじ登り、後方を見ている。
その視線の先には、時々雷の落ちる海域があり、火球が乱れ飛んでいる。
「まさか、ゾンダークが生きてきたなんて……」
ゾルティアは一角の中程に収まるシル・パランを輝かせながら、遠視を行っている。
「あれがほんまに竜衞士ゾンダークやったら、ゾファー王子でも呼んで来な、止められんで!」
「王子は痛み止の薬を飲んでお休みになったわ。だから私がやる」
「せやかて!あのゾンダークの竜鱗を……」
ダリオスが言葉を待たずにゾルティアは海に飛び込んだ。
「し、知らんでえ! 返り討ちにおうてシル・パラン盗られんようになあ!」
海中でゾルティアは瞬く間に巨大化し竜の姿に戻った。
呪腕を足元に向け、水流の魔法を放つと、その水流に押され、矢のように彼女は南へ向かった。
「王子のドラゴンブロアで、ゾンダークの首から上は焼け落ちたはず……。あれはなんだ? 何が載っている?」
竜になっても、ゾルティアの一角の中折れした部分の膨らみの中からは、シル・パランの輝きが透かして見える。
「誘導魔方陣!」
シル・パランの光は増し、海面に向けて照射され、赤い魔方陣を描き出す。魔方陣は誕生した途端海面を走り、首無しのゾンダークを照らす。
方舟の周囲を並航し、護衛していた海竜のうち、船の後方を守っていた竜達が一斉に火球を魔方陣めがけて発射する。
火球の群は過たず魔方陣を捉え、的は大爆発を起こす。
至近の竜二頭は火焔を吹きかける。
海に火柱が立ち昇り、煮えたぎった海水が白煙を巻き上げ朱色の入道雲を作り上げた。
『ギュオオオオオオオオーーーーー』
上半身を海から全て持ち上げ、前鰭を千歳鳥の舞のごとく広げたゾルティアは、逆鱗を開き、胸の『炉』に火焔を渦巻かせた。
彼女の一角は中程から輝き、先駆けの光線は南方の首無し暗黒竜を照らす。
「王子の船には近付けさせない! シル・パランよ! 海を渡し火焔を送れ!」
『ブロアァァァァァァアーーーーー!!!』
ゾルティアの口から、白光する熱線が発射された。
光跡を追うように、ゾルティアの放った高熱線がシル・パランの指し示す首無し暗黒竜に突き刺さる。
『!!』
しかし、命中の直前、熱線はねじ曲げられ、上空の雲を切り裂いた。