海峡 ⅩⅩ
「お兄様は洞穴に入ろうとするはず」
ククーシカはヤシンにそう告げた。
「そう。では、我らも洞穴に入ろうか」
ヤシンはククーシカの手を引こうとしたが、ククーシカは手を払い除けた。
「あらら、つれないね……」
「あなたはお化け。死んだ人。話しかけないで」
ククーシカはヤシンに冷たい視線を送る。
「滅多にないよ。死んだ人と言葉を交わすなんて。ためになるかもしれないよ?」
「死んでから聞く。今はいい」
「取りつく因も無しか……。いいよ! それじゃお化けらしく、寝ている時に夢枕に立ってあげよう。怖くてオネショしても知らないよ~」
両手をプラプラさせてククーシカを怖がらせようとするヤシン。
「…………」
しかし、ククーシカは氷点下の視線を返すだけだった。
「ふぐっ! ……。おかしいなぁ、ティータだったら、ドッカンドッカン来るのに……」
魔道王はダメージを受けたかのようによろめく。
そのようなやり取りをしているうちに、西の崖の大扉の前まで戻ってきた。
門前には灯台守ポーンが立ち、ヤシンとククーシカを出迎えた。
「マドウオウヘイカ、オハイリクダサイ。ナカでは、ショウショウモンダイが……」
ヤシンとククーシカは大扉から洞穴に入った。
「くくーしかサマ、ゴブジデナニヨリ」
門番として外に残るポーンは、すれ違いざまにククーシカに声をかける。
ククーシカは、「ん。」と短い返事をした。
通路を抜け、明るい『聖堂』と呼ばれている、天然の岩石を掘り抜いた巨大なホール状の空間へ辿り着いた。
聖堂のおよそ半分は、海まで続く水路と底深く掘られた船泊となっている。
その、船泊には、オールもマストも無い、目映い宮殿のような方舟が一艘停泊していた。
船腹から、城に架ける跳ね橋のように上げ下ろしできる渡し板が、桟橋に下ろされていた。
その渡し板を使って、聖堂に避難していたオーマの住人や、王兄の旅の一行と馬や馬車は、既に方舟に乗り込んだようで、聖堂にはいなかったが、桟橋にはまだ、オーマに残留していた敗残兵達の一団が残っていた。
護衛兵達と、敗残兵、そして灯台守ルークが揉めているようだ。
「どうしてヤシン様を探しに行っちゃいけないのさ!」
元北領姫グレタが灯台守ルークに詰め寄っている最中だった。
「マドウオウヘイカは、タダイマ、カイリュウを、オイハラッテ、オイデデス」
「オイハラッテ、オイデデスって! あんなちっちゃい子に何が出来るっての!?」
背後から、そんな言い合いをしているグレタ達に歩み寄りながら、ヤシンはククーシカにウインクをして、急にグレタの方に駆け出した。
「うわーん! グレター!」
「あ! ヤシン様!! よくぞご無事で」
「怖かったよー」
振り返ったグレタの胸に飛び込み、顔をグリングリン胸に擦り付けるヤシン。
ヤシンは満面の笑顔だ。
「下衆……」
ククーシカは汚いものを見るような視線をヤシンに送った。
「嫌ですわ、ヤシン様。ここ数日水浴び、湯浴みをしていませんから汗臭いですよ」
積極的なヤシンに面食らいながらも、笑顔で答えるグレタ。
「『スー、スー』そんなこと無いよ。『スー、スー』グレタ、良い香りがするよ」
胸の谷間に収まって、ヤシンはグレタを見上げて言った。
「あら、珍しい! ヤシン様がそんなこと言うなんて!」
グレタは大喜びでヤシンを抱き締める。
「あ、あ、あの、」
ククーシカは片手をあげて止めようとする。
「あのあの。中身は、変態のお化けなの……」
「……?」
「王兄ヤシン様!!」
オーマに残っていた、旧北領の家臣団は、ヤシンを見て色めき立つ。
「我ら北領諸侯は、ゴンドオル正統王であらせられるヤシン様と共に……、」
敗残兵達を指揮していた片腕の将軍が、演説を始めようと拳を振り上げたが、ヤシンは全く無視してグレタにグリングリンを続ける。
「でもねー『スー、スー』そんなに気になるなら、『スー、スー』北之島に渡ったら、一緒に湯浴みしようよ。私が手づから洗って進ぜよう!」
「ホント? 約束よ! ヤシン様ってば、いっつも誘っても恥ずかしがって逃げるんだから!!」
「ウソ?! 逃げるの?! 逃げない逃げない! それに、僕が勢い余って間違いを犯して、お手付きしちゃっても。后に迎えるから安心して!」
「…………え?」
一同は絶句し、ヤシンを見る。
「……あれ?」
ヤシンは首をかしげる。
「ヤシン様、どうかしちゃったの?」
グレタは、ヤシンの顔をよく見ようとして、ヤシンの頭に手を添える。
「角?」
ヤシンの耳の後ろ辺りに、突き出た固い突起があるのが、グレタが添えた手の感触で判った。
「そう。角だよ。私は『龍の落とし子』だから」
ヤシンはそう言うと、一心に見つめる一同を見渡して話始めた。
「私はヤシン! ゴンドオル国初代王にして魔道を極めし者、ヤシン・アングバンドと天龍アルティン・ティータの子である。私は亡き父母の遺言に従い、これから北之島に渡り、そこに新たな国を建国する。その国の名は『アヴアロン』。北之島に渡らず、南に下る者は、その名を心に留め置き、ゴンドオルの諸侯に伝えよ。そして選ぶのだ。王権の庇護を何者から受けるのか。シムイか? ヤシンか? ……今から然程時を経ず、ウンバアルの権勢が大きく削がれる事が起こる。シムイと共にゴンドオルの復権を担うも善し。新たに私が打ち建てる、アヴアロンの事業に参画するも善し。『ワルラ・グリュネア』エダインの言葉ではワラグリア、古の諸侯連合を復活させるも善し。お前達が決めよ!」
ヤシンの堂々たる宣言に気圧され、敗残の諸侯は顔を見合わせた。
「既に北之島に渡っているワラグリアの諸将にも、同様の呼び掛けをしよう。しかし、……もしも私と共に、北に渡るつもりであるならば心せよ! 北之島の風土は過酷であり、シムイや、宰相ニコラウスが吹聴するように、無人の地ばかりではない。フェアノオルの呼び出しに応じなかったエルダールの諸族、アングマアルの先兵達が領土を争っている。辺境にて捲土重来を志し、北之島に渡った諸将も如何程生き残っていようか……」
ヤシンは方舟へ近付くと、渡し板を背に腕を組んで、護衛兵、敗残兵達の前に立ちはだかる。
「進む意思の有るものは乗船せよ! 残る者を引き留めはしない。しかし、この先、海竜の助けを失えば、北之島との往来は長い年月不可能となろう! 今船に乗っている者も聴こえたか? 降りるなら今のうちだ」
ヤシンの声は、何らかの方法で大きな方舟の中にも届いたらしく、窓から顔を覗かせている、たくさんの驚きの顔がヤシンを見つめている。
「半刻待とう」
言い終わると、ヤシンは再びグレタに抱きつき直し、グリングリンを再開した。
「ん! ん!」
ククーシカは、ヤシンの寝間着代わりのよれよれシャツを引っ張り、グレタから引き剥がした。
「どうしたのかね? ……! 判った! んー、」
振り返ったヤシンは、今度はククーシカに抱き付こうと、両手を広げて歩み寄っていった。
心底嫌そうな顔で、ククーシカはヤシンを睨み付けるが、接吻前の乙女のように眼を閉じているヤシンには、見てえいないようだった。
「王兄って、あんなんでしたっけ?」
隣にいたディロンが、ククーシカと戯れているヤシンを見ながら、グレタに話しかける。
「うーん。あたしも、旅の間のヤシン様しか知らないけど、何だか人が変わったみたいだわ……」
「!!」
肘を使ってヤシンの顔を押し退けていたククーシカは、急に海側の洞穴の方を見た。
「何だ? 海の方から、氷を割るバリンバリンという音が近付いてくるぞ」
護衛兵団の若頭ディロンの言葉に、桟橋の一同も海へと続く大扉の反対側、北の方を見る。
『ゴバアァァァァー!!』
ドラゴンブレスを吐き、氷を半ば溶かしながら、一頭の海竜が洞穴に侵入した。
洞穴の入り口を守っている竜達は迎撃をしない。
「ぎゃぁぁぁぁあああーーー!!!」
挙って礼咆で、白い海竜を出迎える。
「お兄様!!」
ククーシカはヤシンを足蹴にして、桟橋を疾走し、聖堂の床を海水が洗う、階段状の水辺に向かった。
ゾファー王子が帰還したのだ。
「お兄様ぁ!!」
大きな白い海竜が勢いよく横切ったので、船泊の浮き桟橋は大きく揺れた。
両手を広げて立つククーシカ目掛けて、突き刺さるように巨大な竜の頭が飛び込む。
以前そこで死んでいた海竜と同じように、海竜ゾファーは、そのまま体を海に残し、首と頭を聖堂の床にのせて横たわった。
「うぐぐ、ククーシカ……無事か……」
彼の前鰭は根元近くから失われ、泳ぎ来るうちに焼け付いていた傷口から大量の血が流れ出していた。
「……来たか。では皆さん。半刻後に。私はゾファー王子の治療を行う。エルダラン」
ヤシンは、抱き合うククーシカとゾファーの頭を見ながら、涼やかな声でそう言った。
「こちらに」
一同の後ろに控えていたエルダランが進み出て、恭しく礼をする。
二人は連れだってゾファーの元に歩き出した。




