海峡 ⅩⅨ
気を失ったままのミールを抱えたポーンと、ククーシカの手を引いた長老エルダランが、石階段を降りきった時には、火の海の家屋の合間から進み出でた深淵人が数人、既に西の崖の大扉まで到達していた。
「ああ! 既にこんなところにまで深淵人が!」
エルダランは驚きの声を上げる。
「ハヤク、トビラノ、ナカヘ! みいるサマヲ、オネガイシマス」
ポーンはエルダランにミールを託すと、深淵人の迎撃のため、大扉を背に両腕を深淵人に向けた。
「ウミニカエレ! フカキモノドモヨ!!」
ポーンの両手の指から指弾が発射される。
深淵人は、ポーンの指弾が着弾した地面から、悲鳴を上げて飛び退いたが、砲火が途切れると、ジリジリと前進を再開した。
深淵人の中には、水を操る魔術を使う者もいて、水弾や氷をポーンめがけて撃ち出し始めた。
鋼仕立ての大扉に、水塊氷塊があたり『ガツンガツン』と大きな音をたてる。
「さあオーマの長老! 早くお入りくだせい」
扉を少し開けて、中から護衛兵がエルダランを呼ぶ。
「まっ、待ってください! ククーシカ? ククーシカは中に入りましたか?!」
ミールを引き摺るようにして、必死に扉までやって来たエルダランが、護衛兵に尋ねる。
「小さい竜のお嬢ちゃん? こっちには来ていないし、この近くにもいなそうですぜ。この有り様じゃ、今、外を探し回ることは出来やせんぜ」
「し、しかし……」
エルダランと北行の一団の護衛兵が、押し問答を始めると、洞穴の奥から灯台守ルークが大扉までやって来た。
「ルーク! 竜の眷属、深淵人が扉のすぐ外まで来ています! ですが、一緒に避難していた竜王子の妹君とはぐれていまい……」
エルダランは言葉を続けようとしたが、扉のすぐ近くで炸裂した氷塊が、扉にあたり大きな音を立てた。
「ワタシが、サガシテ、マイリマス。チョウロウは、ハヤク、ナカへ」
エルダランとミールは洞穴に入り、入れ替わりにルークが外に出た。
「ポーン! マドウオウヘイカは、イズコ?」
援護射撃をしながら、ルークはポーンの背中に声をかけた。
「ヘイカは、ワレラに、ハコブネへのヒナンをメイジラレ、ないとト、リュウのモトへ、ユカレタ」
「リュウオウジの、イモウトギミは?」
「ミテイナイ」
「テキタイセイリョクを、ハイジョし、シカルノチ、タイショウの、ソウサクを、カイシスル」
「リョウカイ」
竜達がそうであったように、まるで死に急ぐかのように、先を争って射線に入ってくる深淵人と対峙し、ルークとポーンは、防衛戦を再開する。
「ゾルティア、何をしてるの?」
辺りには焔が迫っている。
十字路の中央で一人泣いていたゾルティアに、声をかける者があった。
「……?」
ゾルティアは顔を上げる。
目の前にはククーシカが立っていた。
紅の世界にあってもなお、ゾルティアの目に写るククーシカは、海の青、深海の蒼だった。
表情から、その心の中を読み取るのは難しい。
あえて言い当てようとするならば、『不思議がっている』といったところであろう。
「ククー……シカ……」
ゾルティアは自分が殺そうとしていた対象が、急に目の前に現れたことに戸惑いを覚え、涙の跡もそのままに呆けた顔でククーシカを見上げる。
「ゾルティア……泣いてるの?」
「あ、う……、」
ククーシカの問いかけに、ゾルティアは言葉が継げず、救いを求めるような視線を返すのがやっとだった。
「町を燃やしたのはゾルティア? オーマの人はもう、ここには居ないけど、こんなことをしてはダメ。ゾルティア、深淵人を海に戻して。そして、お兄様に謝りに行こ?」
「ア、アア、ア」
ゾルティアの両手が竜のそれのように変化を始める。
鱗が生え、人の姿には不釣り合いなほど大きく膨らむ。
しかし、ククーシカは驚きもせず、無表情でゾルティアの竜化を見つめる。
「……ゾルティア。私を殺したいの?」
「……ああ、……殺したいねぇ」
やっとのことでそれだけ言うと、ゾルティアはククーシカから顔をそらし腕で涙をぬぐった。
「それは嘘。ゾルティアは私のことをいつも心配してくれていたもの」
そんなククーシカの言葉に呼応するように、ゾルティアの背中から生えている二本の呪腕が胸の前で交差し、それぞれが自分の腕をそっと掴むと、膨らんだ竜腕はみるみる萎み、人の大きさに戻った。
「今のゾルティアは、アルティン・ティータと同じ匂いがする。アルティン・ティータは龍の神様。……アルティン・ティータがまだ、お話しできた頃に言ってた。海竜もいつの日か慈愛の心を学び、海を守る小さな神様になるって……。だからダメ。見境をなくして小さいもの、弱いもの、短命のものを虐げてはダメ。だってゾルティアが呑み込んだのは、アルティン・ティータの一部だもの。小さいもの、弱いもの、短命のものを一生懸命に守ろうとした神様の一部だもの!」
ククーシカは膝立ちのゾルティアの頭を抱き締める。
「う、うううう……」
暫し、内部で葛藤があった。然し、すぐにひとつの感情が心を支配し、一角の竜女ゾルティアは貪るようにククーシカにしがみつき、声を上げて泣き出した。
「いやはや……。魔力や武威をもって事を納めようとする私を、嘲笑うかのような結末だ。賢しき者、長生の者、強健の者だけが、正しい答えを導き出すとは限らないものだね」
魔道卿ヤシンと機械騎士カルンドゥームが、十字路にやって来たとき、ククーシカとゾルティアは、まるで親子のように抱き合っていた。
「魔道王……」
幼子にするように、ゾルティアの頭を撫でていたククーシカは、ヤシンの到来に態度を硬化し、ゾルティアを庇うように、自分の胸と腕でヤシンから隠すような仕草をした。
「いやいや、竜の姫君。そう身構えないでいただきたい」
魔道王ヤシンはニコニコしながら両の手のひらを振った。
「ただね。彼女に、ゾルティアに聞きたいんだ。……ねえ、ゾルティア。君はティータの目、『輝見石』を、奇妙な成り行きで手に入れるに至った」
怯える子供をなだめるような優しい声で、ヤシンはゾルティアに尋ねる。
「その石は、言ってみればティータの願いの結晶なんだ。彼女の願い、遠い昔、私が彼女と共に長い間世界を巡り至った願い。……その石を体内に宿すと云うことは、つまりはティータの衣鉢を継ぐ、遺志を継ぐと云うことになる。石とは遺志なんだ。その石は君に魔力を与える。しかし、石に宿るティータの遺志に沿わないならば、君を破滅に導くかもしれない。あるいは、遺志に沿うように君を変質させるかもしれない。……どうする? その石を私に返すか、所有を続けるか? 君の意思に答えを委ねよう。……つまり、遺志の石を継ぐ意思が有るかどうか……、プー! くすくす」
自分の言葉で吹き出す魔道王。
「あ、……あたしゃ、」
ヤシンの早口を聴き逃したのか、ゾルティアは目を白黒させている。
要領を得ないゾルティアの返事を、ヤシンは暫し待っていたが、やがてなにかを思い付いたのか、パチンと手を合わせてこう言った。
「あ、ひとつ言い忘れた。沖合いでの戦い。ゾンダークが竜衞士の意地を見せ善戦し、ゾファー王子は片腕を失った」
「「!!!」」
ククーシカとゾルティアは揃って驚愕の表情を浮かべる。
「ゾファー王子は今、片腕でこちらに向かっている。悲壮な姿でね。……私ならば繋ぎ直す事が出来るよ。海で失われた彼の腕を見付ける事が出来るのならば。ゾルティア、探してきてくれないか? 早くしないと鮫に食べられてしまうよ」
「いやあ!!」
ゾルティアは叫び声を上げると海に向かって駆け出した。
「ゾルティア!!」
ヤシンは大声でゾルティアを呼び止める。
「……海での探し物が得意なお仲間がいるでしょ?」
「ああ、あああ……。ギャァァァーーーー!!」
ゾルティアはヤシンの言葉で深淵人の存在を思い出し、彼らを呼び出すために大きな竜の咆哮を放った。
声を聞き付け、小道の辻々からヨタヨタと深淵人が現れた。
「門番、手強い、我ら、近付けない」
ゾルティアの元に、最初に到達した深淵人が報告する。
「それはもういい。海峡に沈んだゾファー王子の前鰭を探して!!」
「へ? 襲撃は?」
「もういいの!!」
ゾルティアの剣幕に気圧され、深淵人は慌てて海に向かって走り出した。
「もうひとつ。ゾルティア。輝見石は『見る石』だよ。心を込めてゾファー王子を想ってごらん。きっと望むものを見せてくれるよ」
ヤシンの言葉にゾルティアは素直に頷き海に向かった。
「ククーシカ。あんたは王子が来たら、魔道卿と手当てをして! 私は王子の前鰭を探してくる!」
「急ぐんだよ~」
ヤシンは手を振ってゾルティアを見送る。
「カルンドゥーム。町に残っている深淵人がいないか探し、見つけたら顛末を説明して海へ帰るように伝えて」
「ははっ。……して、この火はどうします?」
カルンドゥームの問いにヤシンは町を見渡し、「燃えるがまま、崩れるがままに」と言った。
「やれやれ、ティータの瞳の一つは海竜の物となるか……」
走り去るゾルティアの、背中と云うか、その少し下の臀部を眺めながらヤシンは呟いた。
「魔道王……。ヤシンを返して。ヤシンを操らないで。貴方は大昔に死んだ人。貴方の望みは貴方では叶えられないから、大昔に貴方は自分の持つ物を譲り、次に生まれる無垢な者に、託したんでしょう?」
ククーシカはそう告げると、後を追って海に歩き出したヤシンの前に立ちはだかり、両手を広げた。
「……、痛いところを突いてくる。……ティータめ、意外な娘を弟子に持ったな。……良いのかい? ククーシカさん。……私でなければ、君のお兄さんの腕を繋ぐことは出来ないのだよ?」
意地悪そうな笑顔で、ヤシンはククーシカを見詰めた。
「ふ、ぐううう、」
ククーシカは苦虫を噛み潰したような顔をして、ヤシンを睨み付けた。
「あははは! 安心しなさい。君のお兄さんを治療したら引っ込むよ。約束しよう。……ついてはククーシカ、私の息子、『ヤシン』に、一つ言伝てを頼まれてくれないか?」
魔道王ヤシンはそう言うと、ククーシカにそっと耳打ちをした。




