海峡 ⅩⅧ
「ナイトよ。魔力の補充が十分ではないようだな」
オーマの町を東西にはしる石畳の道を、西の端から東に向かって王兄ヤシンと灯台守ナイトは歩いている。
「ハイ。ジュウテンノ、トチュウデ、シュウゲキヲウケ、テイイキドウシテオリマス……」
ヤシンはナイトの前に回り込み、胸部のカバーを開き、そこに埋め込まれた、特大の宝珠を剥き出しにする。
「先ずは魔力の充填をしよう。私が覚醒していられる時間はそう長くはない。ティータより受け継いだ私の『炉』も、まだ不完全だ。高位の魔術で監視者に目をつけられるのも避けたい。いざという時はお前が町の住人を守るのだ……。フン!!」
ヤシンがナイトの宝珠に手を添えると、宝珠は、落陽のように赤々と輝きだした。
「ふぅぅぅーー……」
ヤシンは大きく息を吸う。
大気を口から胸の炉に送り、炉で錬成された魔力は、腕を通り掌からナイトの宝珠へ注がれる。
ヤシンの耳の後ろ。塞がっていた傷口は開き、血が吹き出す。
ナイトの宝珠に刻まれた紋様が、目まぐるしく動きだし、宝珠は夕焼け色から、昼天の容赦ない陽の輝きにまで白熱した。
「ググググググぐぐぐぐっ」
灯台守ナイトの体が小刻みに痙攣する。
「……よし、こんなものか。魔力の充填と魔術式。陽光の輝きと外気の寒暖差を魔力に変換できる機構を組み込んだ。これでお前は、破壊されるか、蒸気の元となる水が枯渇するか、暗闇で凍り漬けにでもならない限り、動き続ける事が出来るだろう。……そうだ。型式名ではなくて、新に名を与えよう。……『カルンドゥーム』。『ナイトⅡ式南方征略機械魔道兵』改め、アヴアロンの機械騎士カルンドゥームと名乗るがよい」
「はっ!」
カルンドゥームと名付けられた灯台守は、燦然と輝く胸の宝玉をハッチで格納し、片膝をつき臣下の礼をとった。
「灯台の創建から、私はこの町を600年守ってまいりました。此度、魔力の枯渇で、無法者の侵入を阻止できなかったのは痛恨の極み。オーマを焼く者共悉くを海へ追い返しましょう」
片言で話していたカルンドゥームは急にはっきりとした口調で話し始め、背から伸び立つ、二本の煙突状の突起から、蒸気のような白煙を上げた。
ヤシンは、為政者の表情で、跪くカルンドゥームを見下ろす。
「既にそなたは騎士である。護民を第一の旨とし、敵にをも慈悲の心を。海竜達とて、大いなる棋戦の因果に縛られているのだから」
「ははっ!!」
ナイト改めカルンドゥームは平伏した。
「……さて」
ヤシンは、視線を上げ、燃える海側の町に背を向け、南の方を見た。
ワラグリアまで伸びる街道沿いの、木々の合間から、二匹の狼を従えた巨大な馬が現れた。
王兄ヤシンの愛馬『飛影』である。
飛影は、ヤシンの目の前までやって来て彼に頬を擦り寄せる。
「飛影……。ティータが死んだよ」
ヤシンも飛影に顔を寄せ囁くようにそう言った。
「バルルル!」
飛影が嘶く。
それを合図に、飛影の体が膨らみ始める。
鬣の後ろ辺りが盛り上り、背肉を割るようにして、二本の細長い腕が生えてくる。
首や四肢は太くなり、まるで巨大な獅子のそれのようになる。
蹄が割れ、鋭い爪を持つ指となる。
耳の後から角が伸び、尾は縒った荒縄のように太くなった。
それは、野獣の体を持つ陸の竜だった。
「とうとう死んだか……。それも、人の姿のままで。お主を食い殺し、死を願い、600年かかって望みを叶えたのだ。甦ったお主を目にし、全ての憂いをこの世に置いて、棋神の間の柱に戻るか……」
陸竜飛影は、呆れたようでいて少し悲しげな声でそう言うと、天龍アルティン・ティータが終の棲家とし身罷った、西の崖にある館の方を見た。
「……北之島に渡ったら弔う。私が彼女に喰われた時、私の魂魄はティータの中にある、箱庭のような世界に匿われたんだ。私はその中で600年、ティータと共に過ごした。もう別れは済んだ。暫しの間この世に留まった後、私もティータの安らう場所へ赴く事となるだろう。歓迎されるかは判らないが……」
ヤシンがそう言うと、飛影は頷いた。
「しかし、その前にお互い片付けねばならない仕事があるな。南に放っていた狼達から報せが入った。ウンバアルの大規模な騎兵旅団が、ゴンドオル王シムイの旗と共に、公然と王都とローヴェを通過し、ワラグリアの諸領を鎮撫しながら、お主ら一行を追うように北上している。数日後には自由開拓民の集落を抜け、森林地帯に入るだろう。ワシは一旦南下し、それを討つ。今後100年はウンバアルが北に手出しをしないように、徹底的に恐怖を与えるつもりだ」
「……飛影。先程このカルンドゥームにも言ったけど……」
「『敵にも慈悲を』か、姿は変わってもお主は昔と変わらんのう。脅かしで退けば追わぬ。だが、それでも駆り立てられて来る者は仕方がなかろう。エダインはワシの言を聞き入れないだろう。お主の傍系の子孫が、出陣しているとは思えんしな」
「君があんまり暴れると、天山脈の龍達に目を付けられるかもしれない。あまり目立った事はしないでほしいんだ」
「ハッ! お主はこの数百年、死んでおったから知らぬと思うが、ティータ以外の『龍』などに、この間一度とて見えたことはない。天に帰ったか、死に絶えたか。少なくともエダインの領地には現れてはいないぞ」
「ヤシン様。飛影様。私は灯台から、飛竜を大勢従えた龍が北之島の海岸線を巡っているのを何度か見たことがございます。北之島の何処かに龍の宿営地が残っているのかもしれません」
ヤシンと飛影の会話にカルンドゥームが言葉を挟む。
「……北之島では飛影は馬の姿でいた方が良さそうだ」
「お主の家臣達の前では、今後も馬の姿のままでいよう。では、ワシは行くぞ」
「飛影。次に会う時には、私は眠っているかもしれない。次に話しができるのは、しばらく後になるかもしれないな」
「フン、面倒なことだ。しかし、ワシはお主が死んでいる間も、ティータが産んだ卵を、ミールがおのれの腹を割り入れ暖めていた時も、馬の姿に身を窶し、ゴンドオル王家と共にあった。心得ておる。お主が幼子に戻っている間も、変化して脅さないようにするさ。では、フォルケウ! ウォーセ! 行くとしようか。ウンバアルを追い払ったら、我らも後を追って北に渡る。暫しさらば」
地竜飛影は、巨大な北方狼を二頭従え、踵を返し南を向いた。
その行く先、ワラグリアの北に広がる森林地帯の始まりには、先程、遥か北の海峡から竜王子ゾファーが放った、ドラゴンブロアーの一撃が突き刺さり、海岸側から火の手が盛大に上がっていた。
「……」
飛影が背中の呪腕を片方上げて一睨みすると、あれほど猛威を振るい放置すれば、森林のほとんどを焼き尽くしてしまいかねない程の火焔は、瞬く間に消えてしまった。
火が収まると、どこで待機していたのか、おびただしい数の北方狼が街道に姿を表し、飛影と二体の脇侍の狼、『フォルケウ』、『ウォーセ』を出迎えた。
合流した獣達はワラグリアを目指して南下を開始した。
オーマの町を四分する十字路にゾルティアは未だ留まっていた。
ゾンダークに秘めていた妄執を暴かれ、北の灯台から奪ったシル・パランを呑み込んだゾルティアは、まるで夢遊病者のように此処までやって来たのだ。
しかし、洞穴で呷った没薬と火酒の酔いもとうに醒め、シル・パランより、己が炉に魔力が供給され始めると、高揚したゾルティアの精神も冷静さを取り戻し、愁いと後悔が彼女の足を押し止め、どうにも先に進めなくなってしまったのだ。
────私は何故十字路に立っている?
先に進ませた深淵人に取り残され、どんどん距離は離れていく。
ゾルティアは一人だけ、まるで崖の縁にでも立っているかのように、次の一歩を選べずに、その場で足をパタパタとするばかりであった。
そのうち歩くことも諦めて、立ち尽くしたゾルティアは、心細くなった幼子のような表情を浮かべ海を見る。
────私は力を手に入れた。
ゾルティアは瞑目し、焔の巷を視界から遮断した。
とたんに目に浮かぶのは、洞穴の奥、聖堂の床に投げ出された、ククーシカの足元に広がる血の滲んだ水の赤だった。
────私はアレになりたかったのだ! 弱く愚かで、すぐに死んでしまう大海の飛沫のようなアレに!
────あの方もそうなのだろう。一時でも目を離せば、もう見えることの無いようなアレが、どうしようもなく私の心を占めるのだ!
────私は力を手にいれて、あの方からも、アレからも遠ざかってしまったのだ!
────ああ、ゾンダーク! 今こそ私はお前を恨む!! お前こそ私の心の奥底の秘めた望みをすべてを知りつつ、破滅の方向へ私の背中を押したのだから!
────そして愚かなのは私だ、地を這う虫けらよりも愚かなのは私だったのだ!!
────あの方、ゾファー様の寵愛を得たいのだと思っていた、今でもその気持ちはある。しかし本当の私の望みは違った!
────今更気付いたところでどうしようもない! 私は既に十字路に立ってしまったのだから……。
とうとうゾルティアは両手で顔を覆い膝をついて嗚咽を上げ始めた。