海峡 ⅩⅥ
海峡に巣食うすべての竜が、今夜、南の灯台塔に殺到している。
口々に火球を吐きながら、ひたすらに灯台を目掛けて南下を続ける竜の群れ。
しかし、二匹の竜だけは沖に残って、戦っていた。
一匹は暗黒の海竜。
もう一匹は人の姿の竜。
「ゾンダーク! ゾンダーク! ゾンダークゥゥ!!」
人の姿をとったまま海上を飛ぶゾファー王子の呪腕より、火球、氷球、雷球が立て続けに放たれる。
火球、氷球は囮で、最後の雷球にこそ必殺の呪力が込められている。
直接に触れば無論、落下した水面の近く居ただけで被雷し、雷の通り道となった肉体は、ズタズタに引き裂かれるはずだった。
暗黒竜ゾンダークは、呪腕で重量軽減の魔法を使い、飛び上がって、難なく回避する。
「王子、王子、ああ、王子よ! 人の姿のまま戦うとは嘆かわし……、おお!」
海上を隼のように飛びながら、何やら楽しげに言葉を続けようとしていたゾンダーク。
しかし、ゾファーはゾンダークの話を聞かず、海中に潜り、竜の姿で再浮上すると、二本の呪腕で攻撃を仕掛ける。
「ゾンダーク!! オガァ、ゴロズゥ!!」
刃の印を組み、呪腕の先から魔力の剣を現出させて、ゾファーはそれを振るった。
「カハハハ! そうそう! 竜の戦いはこうでなくては」
『ゴキン! ガキン!』
ゾンダークの強固な竜鱗は、ゾファーの魔力刀を易々と跳ね返す。
「太古の竜は我等に、知恵をお示しになられた……。陸にしがみつく惨めな生き物など、陸毎覆して、海に叩き落としてしまえばいいと……。貴方の母君は陸の者共に利用され、港を守る用心棒に成り下がった! 私は……」
話の最中に魔法と焔で攻撃を仕掛けるゾファー。
「だから、話を最後まで聞かないのかね? 王子よ!」
「シルかぁ! シねぇ!」
ゾンダークは飛び上がり、ゾファーの真上で静止した。
「しかし、まったく……、若い竜というものは、魔力に振り回されて、嘆かわしい。……竜の戦いは、『器』の強度と『炉』の火力で争うものだ……」
ゾンダークの胸元から『バキン!』と音がする。
『キュゥゥゥゥウーーーー……』
ゾンダークは『逆鱗』を逆立て、その下に隠された風穴から胸の『炉』目掛けて直接空気を送り込む。
『ブロアァァァァァァァァアアアアーーーー!!!』
暗黒竜ゾンダークは、『火球』、『竜之息』を越える、必殺の『竜之火焔颶』を放つ。
胸部にある『炉』で極限まで加熱した空気を超高圧で吹き付けるために、竜の最大の弱点、逆鱗の下の通風口を開く、危険な技である。
『ズドォォォンン!!!』
細く絞られた高圧の熱線は、ゾファーの目の前の海に突き刺さり、海底から一気に海がめくれ上がるように、白煙を撒き散らしながら爆発し、それでも火焔はおさまらず、口から伸びる灼熱の剣は、ゾンダークが首を振るう度に右に左にと躍る。
近海がすべて煮えたぎる熱水となり、もうもうと蒸気を吹き上げ、辺りは水煙で何も見えなくなった。
「どこだア! ゾンダーク!!」
ゾファーはブロアーの直撃を回避したが、視界を奪われ、声をあげる。
『ブロアァァア!!』
ゾンダークの放つ焔は未だ止まず、その声を目掛けて向きを変えた。
『ブシュ!!』
「ギャッ!!」
熱線が肉に当り爆ぜる音がして、ゾファーは悲鳴をあげた。
喉と口が焼き切れるまで放ち続けることができるゾンダークの火焔光線は、しかし、突然火勢を弱め、ただの吐息のようになって、ついには止んでしまった。
「ククク、カカカ……。我輩の炉の焔も尽きたか……、ここまで来て、つまらん、下らん。クカカカカカ……」
辺りに肉の焦げた臭いが漂う。
口から煙と涎を吐きながら、ゾンダークはフラフラと水面まで、降りて行き、ついには水に浸かった。
霧が晴れてきて、水面に浮かぶゾファーの前鰭を確認したゾンダークは、ニンマリと笑う。
「ククッ? クカカカカカ!」
それを拾おうと近くまで泳ぎ寄った時、不意に二本の呪腕が伸び、ゾンダークを掴む。
「グゲ?」
前鰭の片方を失っているゾファーが水面から顔を出した。
『ギュオオオオオオオオーーーーー』
ゾファーの逆鱗は既に全開で、水を吸い込むのもお構いなしで、炉に空気を送っている。
「火力の勝負、望むところだ!!」
ゾファーはゾンダークの顔目掛け、ゼロ距離でドラゴンブロアを発射する体勢に入る。
「フギッ! 身動きできん。拘束呪か! クカカカカカ!! 王子よ見事!! しかし、残念残念。我輩は囮よ! ゾルティアは北のシル・パランを呑み、南の灯台に向かったぞ。……南のシル・パラン。貴方の妹君。あやつはどちらを狙いますかな? まあ、どちらにせよ…」
『ブロアア¨ア¨ア¨ア¨ア¨ア¨ァァァーーーー!!!』
「……ギャアアアアアアア!!! 話を最後まで聞く習慣が無いのか!」
ゾファーの口から放たれる超高圧火焔は、ゾンダーク顔に直撃し、そこで割れて二本の焔の線となり、扇のように拡がった。
その扇はどんどん窄まり、ゾンダークの絶叫が途切れる頃には、火焔は一本にまとまり、海峡を横断してオーマの町の背後にある針葉樹林に突き刺さった。
『フューーー、フーーーー……』
ゾンダークの頭と首を消炭にして、ゾファーが火焔をやっと止めた時には、南の灯台とオーマの町は、焔に取り囲まれていた。
「ウグググ……、迂闊! 怒りに我を忘れてしまうとは! ククーシカ!!」
前鰭を失ったゾファーは、それでもフラフラと南へと向かった。
「はっはっはっ!!! 燃えなオーマ! エルダールもエダインも、魔道王も!」
竜と灯台守との戦いの余波で、もはや火の海となったオーマの町を、先が二股の槍を手によたよた歩く半魚人を十人ばかり引き連れて、全裸の女が歩く。
海峡を泳ぎきって上陸した東の崖から、灯台の建つ西の崖へ、時々気紛れに火焔を放ち、火勢を増しながら悠々とゾルティアはゆく。
彼女の目は赤く妖しく光り、肩から天に伸びている二本の呪腕は、各々鬼火をまとわり付かせている。
「リッ陸人の、巣には、タれも、居ない……」
ら
上陸時、百人ばかりいた深淵人の殆どは、オーマの町衆を襲うために散っていった。
しかし、町中をうろついてきた深淵人の一人が、たいして間を置かずゾルティアの元に帰り、報告をした。
「へっ、逃げ足の早い奴等だね。どこに隠れてんだい?!」
火と共に、言葉を吐き出すゾルティア。
しかし、返事はなく、オーマの町からは炎の爆ぜる音がするばかりだった。
「……ちっ、時間がない。最後の楽しみに取っときたかったが、仕方ないねぇ」
ゾルティアは発火する瞳を灯台の基部の下、崖の中程に向ける。
「あの娘を殺したら、あの方は殺した私の事だけを考えてくださる。私であの方の心が満たされる……。ソシテ、ワタシハ……あの方に引き裂かれる!! くふ、くふふふふふふ。いやいや、今、魔石持ちの私に、これだけの力があったら、あの方を引き裂いて差し上げて一緒に死ねる!! ククク、フフフフ」
ゾルティアは酩酊した者のように千鳥足で西の崖を目指す。
そして、彼女は十字路に至る。
左手は人間世界。ゾルティアは知る由もないが、その道は森林地帯を抜け、旧ワラグリアの馬産地や穀倉地帯を進み、王都の大門へと通じている北街道。
右手は燃える町を抜け船泊へと続く残り短い道。
そして目の前の道は、西の灯台塔へ登るための階段まで伸びている。
「いいわねぇ、炎の巷……。嫌いじゃないわ。でも、肌が乾くのは嫌ね。……ホント神様もバカねぇ。こんなに火が好きなのに、海でしか生きることが出来ない出来損ないを造り給うて……」
ゾルティアが十字路で視線を巡らせ、最後に海の方を見ながらそう言った時、海から急に冷気が吹き込んできた。
崖の上の灯台基部から、白煙の尾を引き冷凍弾が次々と発射され、忽ちに海が凍りついた。
その奥、海峡の中程では、竜と竜が戦う場合の最終局面、ドラゴンブロアーの撃ち合いの験、熱線の乱舞が闇の海を彩っている。
「……ゾンダークの奴。灯台守は全然元気じゃないのさ!! ……ま、いいか。どいつもこいつも、先を争うように死のうとしている。もう、海竜はダメだよ……あたしも死のう。王子を殺して」
ゾルティアは再び西の崖に向かって、進軍を開始した。




