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開拓騎士団  作者: 山内海
第一話
16/92

海峡 ⅩⅤ


「……外から雷のような音がする。また、竜が火の玉を吐いているんだ。町を燃やしているのも竜なのかな?」


 遠雷のような、くぐもった響きを聞きながら、ヤシンはククーシカに手を引かれ暗い廊下を歩く。


 やがて二人は、廊下の幅が太くなりホールのようになった場所の、両開きの大きな扉の前で立ち止まる。


「ここ。アルティン・ティータの部屋」


「え? そうなの?」


 ヤシンは思わず聞き返す。 


「起きているといい。……お話が聞ける」


 ククーシカはそっとドアを開ようとする。


「ダメだよククーシカ! ノックをしなきゃ」


 ヤシンは肩に手をかけて止めようとするが、ククーシカは意に介せずドアを開けてしまった。


「そんなことしたって、もうアルティン・ティータには、何も出来ないわ」


 屋敷の他の部屋より大きく、上の階まで吹き抜けの室内には、町とその向こうの海を見渡せる窓があった。

 上の階の部分には奇妙な丸扉があり、屋敷の外に通じる筒状の、まるで大蛇の通り道のような、通路に続いている。


 天蓋の付いた大きなベッドが、窓に寄せて据えてあり、清浄な白い掛け布と、羽毛が詰められたクッションに半ば埋もれるように、真っ白い麗人が横たわっていた。


 ククーシカに手を引かれ、ヤシンは恐る恐るベッドに近づく。


「白いミール……?」 


 大人びて、真っ白い事を除けば、その女性は驚くほどミールに似ていた。 

 彼女は恐らく初めから白かったのではないだろう。

 長い歳月か、体を蝕む何らかの病苦か、悲しみや苦しみか、或いはその全てによって彼女は少しずつ漂白され、今に至り、純白になってしまったのだ。

 そうであろうと、ヤシンは考えた。


 アルティン・ティータは年老いてはいない。

 ただ、幾世代も前の少女の石像のように、若い面影のまま、風化してしまったようだった。

 

「アルティン・ティータ……、まだ生きている?」


 ククーシカが呼び掛けると、ベッドのアルティン・ティータは口を少し動かした。

 ククーシカはベッドに乗り、アルティン・ティータの口許に耳を寄せる。


「…………だめ、もう聞こえない」


 アルティン・ティータの目は開かない。

 ククーシカはしばらく彼女の言葉を待ったが、そのうち諦めたように首を振ると、ヤシンの顔を見た。


「お話、してあげて。アルティン・ティータはもう死んでしまうから」


 ククーシカはヤシンに手を伸ばすと、寝間着の裾を引いた。


「お、お話って言われても……何を話したら、」


 ヤシンは困惑する。


「話す事がないのなら、傍にいてあげて……。寂しくないように。だけどもう、触れてはいけない。崩れてしまうから……」


 ククーシカは悲しげな表情をしながらそう言うと、ヤシンに場所を譲った。

 窓の外では、オーマの町が赤く燃え上がり、火球の炸裂するズズンという震動と、魔弾が射出される閃光が走る。 

 しかし、この部屋は、外界と切り離されたように不思議と静穏としていた。


「この人は、龍で、初代の魔道王のお妃だった。つまり僕の遠い先祖なのだろうか……?」


 そのようなことを考えながら、町を襲う災禍も忘れて、ヤシンはアルティン・ティータにそっと顔を近付けた。


『!!』


 突然、ヤシンは頭を何かで殴られたような衝撃が走り、何も見えなくなった。

 

「魔道王、どうしたの?」


 ククーシカの呼び声が遠く響くが、ヤシンの意識はオーマの屋敷の一室から離れ、小さな光に先導されながらどこかに飛んでいった。




 


 大きな大きな、気の遠くなるような大きな盤面には、原初に海があり、見る間に大陸が浮き上がり、山が隆起し、雲が湧き上がり、雨は大陸を削り、雨は集まり川となり、その流れは石土を海まで押し流した。

 その盤面は、まるで世界の縮図の様だった。


 中央は角の緩やかな四角で、四つの辺には一回り小さな四角が突出し、盤の全体は丸みを帯びた十字の形をしている。 


 十字の各々の突端には巨大な四人の異形の神が座し、腕とも触手ともつかないものを、時折盤上に伸ばし、駒を動かしている。


 神々が集い、遊戯盤を囲むその場所で、ヤシンは、果てのわからぬ天へ向かって伸びる、幾本かの柱を飾る浮き彫りのように纏わり付いている龍となり、永劫ともとれる時間、四神の棋戦の行方見守り続けた。

 

挿絵(By みてみん)


 龍は遊戯の観戦者であり、裁定者であった。


 神々のゲームは複雑で、その一手一手が熟考と慎重な審議を伴い、ともするとその解釈に、人の感覚で一生を費やすほどの時を要した。


 西と東の神が、激しく応酬をする中央の盤面に、南方の神がじわじわ駒を押し上げてくる。

 北方神は固く自陣を守っている。


 石柱の彫刻のようになって戦いの行方を見守るうち、ヤシンの意識までまるで石のように硬直し、ただ視線だけがキョロキョロと盤上をさ迷いつづけていた。


 そして、どの位時が経ったであろう。


 ある時、自陣の固めをひたすら続ける北神が、自らの駒を取り落とし、駒は北方より中央へとコロコロと転がり出でた。


 北神は駒を取り戻そうと手を延ばしたが、柱の龍の一柱が細く火焔を吐き、北神の手を押しとどめた。


 北神は苛立たしげに盤を手で叩くが、過ちで置かれたとしても、神聖な棋戦に於て、それを訂正する事は許されなかった。


 ヤシンが憑依した龍は、柱からほどけ、中央の盤へと転げ落ちた北神の駒の行方を追うために、盤の中へと入ってゆく。

 盤に近付けば近付くほど龍の体は縮み、盤の世界は拡がっていった。




 ここでヤシンの意識は途切た。




 再びヤシンが目を覚ましたとき、彼の視界には黄金の麦の実る広大な畑が拡がっていた。

 彼の意識は麦と同じ色をした、ククーシカが身に付けていたものと良く似た、ゆったりとした服を着た女性に憑依していた。

 視覚と聴覚を共有しているが、ヤシンは体を自分で動かすことは出来ない。

 

 既に過去の、誰かの体験を追体験しているようだった。

 ヤシンはこの記憶の持ち主が、アルティン・ティータであろうと考えた。


 ヤシンの、アルティン・ティータの傍らで、背の高い偉丈夫が立ち上がった。

 聖堂僧の法衣をまとい、片手には作物の束を一房持っている。

 彼の耳の後ろからは、竜と同じ角が生え、竜と同じ縦長の瞳孔の瞳を持っていた。

 

 はじめ、彼はアルティン・ティータの視界に入っていなかった。

 彼は屈んで、作物の出来栄えを確かめていたのだ。


 偉丈夫とアルティン・ティータから大分離れた所に、数人の人影がある。

 見知らぬ人達の中には、ミールの姿もあった。

 誰かに取りすがり、彼女は泣いていた。


「ああ、満足だ。……では、いいよ」


 澄んだ偉丈夫の声がアルティン・ティータの耳朶を打つ。


 彼はアルティン・ティータの方に向き直り、優しげな笑顔を浮かべ瞑目した。

 アルティン・ティータの体がみるみる膨れ上がり、彼女は天を覆うような龍となり、空に一旦飛び上がると、うねうねと畑の広がる平野を一巡し、彼の元に戻ると急降下し、彼を一呑みにした。


『この世界は、何者かによって、争い合うように作られ、憎しみ合うように仕向けられている。不寛容の理、相剋の理の世界だ。あなたが教えてくれた棋戦の因果が、そうさせているのならば、もありなん。……私は抗い、相生の世界を作りたかった。しかし、それが、神々の意に反するならば、是非もなし。……しかし、私は種を蒔いた。豊穣を観ることは叶わなかったが、私はこれで満足しよう』


 彼女の感情なのか。

 呑み込まれた偉丈夫の感情なのか。

 ヤシンに流れ込んでくるそれは、深い愛情と、深い悲しみだった。




「ヤシン様! ヤシン様!」




 ヤシンが元の少年の姿に戻り、オーマの長老に肩を揺すられて目を覚ました時、アルティン・ティータは既に息絶え、彼女の横たわっていた場所には、塩の塊があるばかりだった。




※※※※※※※※



「ワンノナカハ、カイリュウデ、アフレカエッテイマス!!」


 両腕から猛烈な砲火を放ちながら、灯台守ポーンは叫ぶ。

 火球も火焔も吐けなくなった竜まで、先を争って死に逝こうとしているかのように、灯台守達の射程圏内に入り込んでくる。

 

挿絵(By みてみん)


 灯台守ルークは崖を飛び降り、洞穴の入り口に仁王立ちをして、竜を迎え撃っている。


「……まるで、今夜、この場所で、種族が死に絶えようとしているかのよう……」


 ミールはそう呟くと視線を遥か沖に移した。

 

 其所では強大な二匹の竜が戦っているはずだった。


「広域魔法を使い、湾内の海を凍らせます!! 少しの間持ち堪えて!」


「「ハッ!!」」」


 彼女の銀の右手の指先から膨大な熱気が噴き出され、逆に掌にある射出口には冷気が集められていく。

 耳障りな金属の擦れる音と共に、冷気は辺りを凍てつかせるまで強まり、ミールの足元の水飛沫を凍り付かせた。


「圧縮冷凍砲!!」


『ドドドドドド!!』


 ミールの掌から白煙をまとった魔球が次々と放たれ、それらは海に没すると近くの竜も巻き込んで、たちまちそこを凍りつかせていった。


 多数の魔弾を発射し、あっという間に湾内を凍らせたミールは、最後に大気から奪った熱を、上空へ纏めて打ち上げた。


 オーマの泊は完全に凍り付き、その結晶の中で竜達は体内の炉の最後の灯火を消した。



挿絵(By みてみん)




「この海域の竜は全滅ですか。……まあ、私がやったのですが……」


 ミールは哀しげに、崖の突端から氷の世界を見下ろした。

 その背後の灯台で、シル・パランは輝きをつかの間取り戻したが、光線はすぐに、東の崖下を指し示した。



 悪意あるものが、町に侵入したのだ。




 そして、その悪意は熱烈なものであった。


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