海峡 ⅩⅢ
ランプの灯りは絶えていた。
天候が幾分回復したのか、館の一室、ククーシカの部屋には、窓から月明かりが射している。
竜王子ゾファーは、傍らで眠りについたククーシカをベッドの上に乗せ、布団をかけてやった。
「長居をした。肌が乾くな……」
ゾファーが部屋を出ようとした時、窓の外で閃光が閃いた。
「?!」
窓に駆け寄ると、ガラスに顔を張り付けて(開け方を知らなかった) 外をうかがう。
「……!! ゾンダーク!!」
ゾファーは慌てて窓を開けようと試みるが叶わず、諦めて部屋を飛び出していった。
「長老! 勘弁!」
廊下を走り、中程で見つけた窓を蹴破り、建物の三階、崖の中程なので地面までは目も眩むような高さだが、ゾファーは外をめがけて窓から飛び降りた。
「ああ! 長老! 見てください、北の灯台が!!」
オーマの長老に抱かれ、会堂へと向かうミールが、驚きの声をあげ海の向こうを指差す。
「なんと!」
坂道を下る二人の視線の先、対岸の北之島。
本来は暗闇にぼんやりと灯りの点る、北の灯台塔のある辺りで、次々と爆煙と火柱か立ち上がるのが遠望できた。
「北之島の灯台が襲われています!!」
ミールの声に暫し遅れて、遠く、くぐもった爆発音が響いた。
「ああ! なんと云うこと! ヤシン様より託された社稷の礎が!」
長老は立ち尽くし呆然と遠い炎を眺める。
「竜達の仕業でしょう。北のシル・パランを奪う気です」
ミールは片目なので距離が把握しにくいらしい。
身を乗り出して海へ目を凝らす。
その時背後の館でガラスが割れる音がする。
二人が振り向くと、高窓より飛び降りたゾファーが見える。
落下するゾファーの背中、マントの下から、三本目と四本目の細く長い腕が延びる。
海竜が呪いをする時に使う『呪腕』と呼ばれるもので、人化しても背負うような形で、背中に収められている。
ゾファーは呪腕で印を組む。
重力を操る魔法が発動し、ゾファーは北に向かって、ミールと長老の頭上を飛び越して行ってしまった。
「北の灯台の灯りが消えています!」
「シル・パランが奪われました!! 竜は宝玉を己の炉に焚べて焔を永らえます。恐らく竜衛士ゾンダークが盟約を破り、喰らうために奪ったのでしょう。……力を失いつつあるとは云え、シル・パランは魔力の髄。それを呑めば、竜の炉は燃え盛ります! まだ若いゾファー王子では太刀打ちできなくなります」
暫しミールは考えを巡らせる。
「長老。道を戻り、南の灯台塔に向かいましょう。恐らく本当の目的は、魔力が満ちたこちら側のシル・パランです。一度道を外れた竜ならば、とことん魔道を突き進み、究極の魔力を求めるはず」
「……そんな事になったら、魔神が誕生してしまう!!」
北の灯台の辺りから火球の遠撃ちが始まる。
高い角度で打ち上げられた火球は、放物線を描きこちら目掛けて打ち込まれるが、飛距離が足りず、風にも煽られて、岬の沖合いにポトポトと落ち、小さな水柱を作った。
「あんな遠くから撃ってくるとは……」
二人が来た道を戻ろうとした時、赤く光る輪が、北からこちらに海面を素早く走って来るのが見えた。
赤い陽炎を立ち昇らせながら、海面を渡りきった赤い円形は、灯台塔のある西の崖を光りながら駆け上り、冥府の黒曜石で組まれた灯台の強大な基礎部分も越えて、灯台の中程で止まった。
闇夜に浮かぶ白い灯台は、赤い光の輪で飾りが施され、その輪は輪郭をはっきりさせると細かい図案や文字を浮き上がり、禍々しい花にも似た魔方陣が出来上がる。
「誘導魔方陣!! いけない! この次の火球は的を外しません! 塔に当たります!」
間を空けず遥か北で光が閃き、塔に向かって一直線に火球が飛んで来るのが見えた。
「ああっ!!」
長老が絶望の声をあげる。
為す術なく二人が見守るうちに、火球は魔方陣が予告した場所に、過たず命中した。
『ガキィィン!』
しかし火球は、金属がぶつかり合うような奇妙な音とともに弾かれ、大きく軌道の変わった火球は、港の船泊の近くの、木で作られた船を引き上げる斜面に落ちて爆発し、燃えた木の破片と、分裂した拳大の火球を撒き散らした。
「弾除けの呪が発動した!」
黒曜石の箱のような灯台の基部辺りから、海に向かって、オレンジ色の光弾が次々と放たれる。
はるか遠くの対岸に届くと、花のように赤い火焔がポツポツと咲き、遅れて『ドォォォン』と爆裂音が響く。
「『灯台守』が起動したようです。ああっ、でも、あの様に無闇矢鱈に撃ったところで……」
海峡を挟み北の灯台と南の灯台の、砲撃戦が始まった。
竜達は海峡を渡り、南下しながら火球を発射しているらしく、段々灯台の岬の近くに火球が落ちるようになったが、魔方陣を使っての強撃は、先程の一発だけだった。
海に向かって撃ち返す南の灯台の光弾は、果たして効果があるのか判らない。
今のところ塔に被害はないが、先程弾かれ、逸れた火球のせいで船泊の近くに火の手の上がった家がある。
「ミール様! 御無事ですか!?」
町からディロンと数人の護衛兵が走って来る。
「ディロン様! 良いところに。私を昼間に行った上の灯台に運んでください! 長老は館のお坊っちゃまの避難を」
長老は抱き抱えたミールをディロンに手渡しする。
「しかしミール様! 一体何処へ?」
長老は狼狽えている。
「もし、ゾンダークが裏切ったのであれば、ゾファー王子以外の海竜はすべて敵となりましょう。だとしたら彼らが使役する眷属が上陸するやも知れません。町衆は灯台下の竜の宿り場に集めましょう。剣を取れるものを先行させ、既に入り込んだ眷属がいないか確かめてください。竜の眷属『深淵人』は、海中では素早いですが、陸では動きが鈍く、大きい呼吸音で容易に見付ける事が出来ます。そして、知恵が乏しく飛び道具を知りません。射手を揃え、水に近付かないようにすれば、容易く倒すことができるはず」
ミールが話し終えると、ディロンは他の護衛兵に怒鳴る。
「聞いたかお前ら? 弓勢ここに集めろ! 他の奴らは触れて回れ。年寄り足弱見捨てんな、早速おっ始めようぜ!」
「「応!!」」
護衛兵達は町に戻っていった。
「長老様。お坊っちゃまとククーシカ様をお願いします」
「は、はい!」
「では、ディロン様、お選びください。火球飛び交う外階段、敵がいるやも知れぬ内階段」
「外! 滅多にお目にかかれない魔法の砲撃戦。派手な花火を眺めながら、逢い引きと行きましょうか!!」
ディロンが即答すると、ミールは少女の笑みを浮かべる。
「うふふ、勇敢な子。勇敢で豪胆。でも良いのかしら? グレタ様に丸見えかも、ですわよ?」
ミールがそう言うと、ディロンは「うへえ!!」と一言漏らした。
ヤシンはガラスの割れる音で目を覚ました。
灯りの消えた部屋だが、月明かりが射し、真の闇ではない。
長い馬車暮らしで、広い部屋が怖くなったヤシンは、ミールに懇願し部屋の隅で二人寝ていたはずが、ミールはいなくなっている。
「ここ……、どこ……だっけ……?」
ヤシンは目をキョロキョロさせて天井を見回す。
そのうち遠くから『ドーン、ドーン』と、くぐもった爆発音が響いてくると起き上がった。
「わっ!!!」
窓の反対側だったので気付かなかったが、ベッドのかなり近くに、灯りもともさずククーシカが立っていた。
「ビックリした! 君はゾファー王子の妹のククーシカさんだね」
思わず布団を手繰り寄せながらヤシンがそう言うと、ククーシカは部屋の中を見て言った。
「おにいさま、ゾファー……」
「王子? 知らないよ。ククーシカ。お部屋にはいるときはノックしてね」
「うん。……お兄様、何処? 海帰った?」
ククーシカは窓を見る。
「……町、燃えてる、」
「ええ?!」
ククーシカの呟きを聞き、驚いたヤシンはベッドから転がり落ちるように出て、ククーシカの隣で窓を覗く。
「ああ! みんな、たいへんだ! どうしよう、ミールを探さなきゃ」
ヤシンはククーシカの手を引いて部屋を飛び出してた。
「みんな死ぬ?」
「解らないよ! 走って!」
「私、病。お兄様、言ってた。私、もうすぐ、死ぬ」
「解らないよ! でも、そうだとしたって、ここで死んだら、淋しいでしょ!」
「……淋しい」
二人は廊下を走り階段を下ったが、ククーシカは一階分降りたところで足を止めた。
「どうしたの?! 早く行こう!」
ヤシンはククーシカの手を引く。
「……アルティン・ティータ」
「???」
「天の龍。魔道王のお妃様……。私と同じ。もうすぐ死ぬ。淋しい」
「……??」
ククーシカは出口に続く階段を降りず、唐突にヤシンの手を引いて廊下を駆け出した。
「ぶっはあー!!」
崖の外階段を、ミールを抱えたまま一気に駆け上がったディロンは、上りきった先、崖の上で大きく息を吐いた。
黒曜石の基部の入口辺りで、無数の光弾が発射されている。
ディロンが恐る恐る近づくと、そこでは数人の、案山子が鎧を着たような奇妙な姿をした、人形が海に向かって砲撃をしていた。
両腕を海に向け翳すと、掌から光の玉が飛び出す。
太い指の先からは光の線が迸り、飛び寄る火球に光が当たると、火球は空中で爆発した。
中には下半身を失い地面に転がっている人形もあるが、地面に転がったまま海に手を向けている。
「あれは灯台守です。まともに動けるのは五体ですか……」
ミールが呟く。
「みいるサマ!」
灯台守の一体が近付いてくる。
丸い玉を棒で繋ぎ、人の形にして、それに騎馬武者の鎧を着せたような姿をしている。
「『ルーク』!! よくぞ起動してくれました!」
「『くれいどる』ニ、マリョクノハイキュウガアリ、サイキドウデキマシタ。デスガミナ、イタルトコロ、フグアイガ……」
「よくぞ、よくぞ……」
『ドォォォン!!』
その時、基部の入口、ミール達の至近距離で、火球が炸裂した。




