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 深い深い森の奥、淡い色合いに咲き乱れる花畑。

 その中央にある小さな丘の上で、ドロテアは涙に暮れていた。暖かな風が森を抜け、日差しが逆に傾きだしても、その華奢で小さな体躯を目の前の硝子にすがりつけ泣いた。それしかできない自分が情けなくて、悲しい。

 目の前の硝子は、棺の形をしていた。

 内に横たわるのは可憐な少女。白い肌に赤い唇、艶やかな黒檀の髪。子供のように小さなドロテアと違い手足もすらりと長くって、女性らしい丸みも見て取れる。


 自分とは大違いの、誰より綺麗で優しく、麗しい、ドロテアの女神。


 しらゆき姫とも呼ばれた彼女は、今や薔薇色の頬をすっかり青ざめさせ、長い睫毛を静かに伏せるまま。

 まるで童話の如く、悪い魔女と化した彼女の母が寄越した毒りんごを口にして、ほとんど永劫の眠りを与えられてしまったのだ。


「わ、わたし、わたしが、もっと……。もっと、すごかったら、」


 涙で顔をぐしょぐしょに濡らし、藁色の髪を地に付ける。陽光がきらりと硝子を越えて、こんなときでもしらゆきを綺麗に見せていた。





 ドロテアは、長いことしらゆきを見つめていた。

 それは眠ってしまってからもそうだし、しらゆきが彼女を知らないときからでもあった。簡単に言ってしまえば、しらゆきのストーカーじみたファンだった。

 初めて会ったのは──ドロテアが一方的に見かけただけだが──魔法使いになる夢を諦めてすぐの頃。憧れはあったけれど、才能も、努力し続けられるほどの目標も熱もなく、厳しい修行に耐えられなくなって逃げ出した。

 自分にはなにもできないと、遠い町に越して鬱々過ごしていた日々。なんの価値もなく、なにをしてもどうせ空回りして無駄になるのだと決めつけて、小さな女の子がいじめられていても助けず、横目に過ぎるだけ。意気地なしで、無気力で、そんな自分に情けなさすら湧かなくなっていたドロテアの横を、しらゆきは駆け抜けて女の子を庇った。

 仕立てのいい、上品な服の布地と、それから流れる黒髪が視界を通る。意志の強い瞳は宝石よりきらめき、髪の一筋さえ神懸かって、太陽の如く鮮烈に映った。

 こんなの、魅入られないわけがない。

 ドロテアがストーキング紛いのことを始めたのはそれからだった。

 少ない魔力を全部使って、遠見の術でしらゆきを見つめた。魔法使いに教わった数少ない魔法のうち、さらに少ないドロテアにも使える魔法のひとつ。落ちこぼれの全力はまったく大したことがなくて、低い精度では声もなければ映像もかすれていた。

 それでもドロテアは満足だった。


 ある日のこと。

 いつものように遠見の術を展開すると、しらゆきが男に連れられて、ドロテアの住む魔の森に置き去りにされるのが見えた。魔の森に生息するものは、動物も植物も変わったものばかり。植物の扱いだけは褒められたドロテアには過ごしやすくても、慣れていないしらゆきには危険が多い。

 ちんちくりんでみすぼらしい自分なんかが彼女の御前に出ることははばかられたけれど、助けに向かったドロテアに優しいしらゆきは「ありがとう、小人さん」と感謝までしてくれた。自分の体躯の小ささをずっと嫌っていたけれど、しらゆきが「小人さん」と呼ぶのはむしろうれしいことだった。

 しらゆきは家を追い出されたらしい。当然の如く、家に招いた。

 街には綺麗な彼女を助けたがる人間がたくさん居るだろう。わかっていたが、彼女を追い出した母親に気付かれてはいけないし、人買いなんてのも居るそうだと言い訳。

 粗末な小屋としらゆきは不釣り合いだったが、ドロテアは幸せだった。ひとつしかない寝台はもちろん譲り渡し、昔に兄弟子がくれたまま新品のワンピースは少しずつ仕立て直してしらゆきの着替えにした。それら衣服は明るく華やかで、黒ばかり着るドロテアにはもったいなかったが、しらゆきを引き立てるには充分すぎた。質の良い服に慣れたしらゆきに、ドロテアの着るほつれてシミが抜けきらない固い服を着せるわけにもいかなかったし、しまわれっぱなしのそれらはへたな服より高価なものだったのだ。

 献身的すぎるほど、ドロテアはしらゆきをもてなした。

 受け取るばかりのしらゆきは、どこか居心地悪そうだったけれど、お嬢様育ちの彼女にできることはなんにもない。

 すばらしい日々だった。



 だが、突然やってきた幸福は、崩れるのも突然だった。



 魔法使いになれなかったドロテアは、薬の調合も苦手で、採集したそのままの薬草や木の実を買い取ってもらっている。見つけるものも育てたものも珍しいものばかりなので、それなりの金額になるのだ。それと貯金をあわせて、しらゆきのためのものを買おうと決めていた。

 その日はいつも街に行く日で、しらゆき一人を置いていくのは不安だったけれど、本人が平気だと言うので家を出た。


 失敗だった。


 家に戻ったドロテアが、はじめに見たのは脚。

 カモシカのように引き締まって長い、見間違うはずもないしらゆきの。

 それが板間に倒れ、ぴくりともしなかった。意識を失っていた。

 短い期間でも、ドロテアは魔法使いの勉強をした。その原因が呪いだとはすぐに気付いた。けれど救う力はない。呪いというのは高度な技術で、見習いさえも落ちこぼれた人間にはどうしようもないのだ。

 ドロテアは、無力感にうちひしがれる。

 せめて出来たことが、硝子の棺を作ること。森の力を借りて、眠るしらゆきの時間を止める結界でもある。呪いが解けるまで、しらゆきが衰弱してしまわないように。

 そんなことしかできない悔しさ、無念、そして悲しみと絶望。

 しらゆきのために買って帰った鮮やかな紅色のワンピースを着せて、花に囲まれたしらゆきは、近寄りがたいほどに綺麗だった。

 悲しいのに、死ぬほど哀しくてつらいのに、やはりしらゆきの美貌にはうっとりさせられた。やわらかく暖かな雰囲気と強い瞳は太陽の女神にふさわしいし、黒々した髪と凛とした立ち姿は月の女神にも見える。

 なんてひどい人間だろうか。ドロテアは自分に向けて思う。呪われて苦しんだはずの彼女の苦痛を思いやることができない、あさましい人間。もしもここで心を痛め、なんとしてでも呪いを解こうと努力を始められる積極性があれば、はじめから見つめるだけの日々など送らなかったし、追い出された彼女を自分のもとに留めようともしなかった。

 いつだってドロテアは立ったまま、流れに逆らうどころか立ち止まる強さもない。

 ゆっくりと棺の横に倒れ込むと、しらゆきのかんばせに落ちる繊細な影までよく見えた。花も恥じらう、という言葉があるが、彼女の前では恥じらう暇もなく、花も見惚れて息を忘れるに違いない。

 彼女のいない世界に光などない、と心から思う。この枯れ草も花の一つに入れるならば、太陽を失った花が枯れるのは道理に叶う、

 このままずっと、ここに居よう。

 ドロテアに彼女を救う力はないし、弱くて守ることもできなかった。だから、今度は離れない。贖罪なんて名前で、実際は喜ばしい名誉だった。

 こういうときは目を瞑るべきなのかもしれないが、さいごまでその輝かしさを目に焼き付けたくて瞬きすら惜しい。自分の存在は咲き乱れる花々にかき消され、世界には美しいしらゆきだけが存在している。土と葉の青さ、花の芳しさの合間にしらゆきの香りが紛れているように思える。ドロテアは嘆息し、うっとりと目を細めた。

──まるで、この至高の瞬間を作り上げた満足感に浸るように。




 さあ、と一迅、風が吹き抜けた。





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