魔眼と魔鍵:8話
バッドエンドの手によって最期を迎えたギルバルドの死体が転がる中、バッドエンドの身体が光に包まれながら、徐々にその姿を消していく。
魔鍵の契約の証の刻印を失い、その契約者の命も断たれた。
契約者が存在しない魔鍵は次の契約者が現れるまでその姿を鍵へと変え、ずっと次の主を待ち続ける。
だが今のバッドエンドには以前のような不安や寂しさはもうなかった。
「あはは……ありがとう」
「いえいえお気になさらず」
ファウストは新たな契約者となる事を誓っていた。
それは偽善とも言える些細な事だった。
しかし、それでも魔鍵の少女は受け入れ、感謝する。
淡白い光と共に本来の姿、魔鍵へと姿へと変わっていったバッドエンド。
鍵の、本来の姿となった少女は宙に浮いている。
そしてそれを優しく手の平へと乗せるファウスト。
リング状の持ち手の真ん中に、大きな閉じた瞳のある漆黒の鍵をその手の中に収めた。
「さて……ここまではジルの情報通り。しかし、どうすれば」
ファウストは困っていた。
肝心の契約とやらの術を知らないのだ。
このままではバッドエンドに自由を与えてやる事ができない。
困り果てたファウストに手の平にある魔鍵の、バッドエンドの声がどこからともなく聞こえてくる。
《はぁ~、君は何も知らないでワタシと契約を結ぼうとしてたのかい? バッドエンドちゃん呆れちゃったぜ……》
「ん?」
まるでその声は脳に直接流れてくるように、姿の見えない少女の声が聞こえる。
それに動揺するファウストに、再びどこからともなくバッドエンドの声が響き渡る。
《ワタシはこの鍵の状態だと、近くの人間にこうして直接話しかけられるのさ。こうして次の依頼者を探すんだ》
「なるほど、では早速ですが契約の――――ンフフ、ナイスタイミングですねぇ」
ファウストはすぐさま背後から近づく微かな気配を察知し、その存在へと振り返る。
《ん? どうしたんだい?》
そこには黒いコートを身に纏う人物の姿があった。
「ったく、人気者は辛いですねぇ。お迎えのようですよ。……さて、先日はどうも挨拶ができなくて申し訳なかったですねぇ」
ヘラヘラと笑いながら腰に手を当て困った様子でコートの人物を見つめる。
先日、ジルに案内された廃墟の小屋で気配を殺し続けていた人物。
その人物が今、ファウストの前に立ちはだかる。
恐らくジルが雇った刺客といった所だ。
《……へぇ、コイツ中々やるみたいだね》
バッドエンドはこの人物が背後かた近づく事に気づかなかった。
それは鍵の状態だからではない。
この人物が異様なまでに気配を断つ事に長けているからだ。
それでもまだ本気を出していないのか、ファウストにはこの人物の気配を察知できた。
「ンフフ」
この人物から、相当の実力者である事が見て伺える。
「ふむ……本当に俺の存在に気づいていたとは。流石は泥棒王という事かね。いははや、かねてよりお噂は嫌という程聞き及んでおります。再びこうしてお会いできるとは誠に喜ばしい限りでございます泥棒王」
わざとらしく手を後ろに回し深くおじぎをする事物。
そんな人物にファウストもわざとらしいトーンで言う。
「ンフフ、こちらこそお会い出来て光栄ですよ、無音のエルドさん」
「ほう! 俺を知っているのかね!」
裏の世界で伝説となっているファウストが、自分の存在を知っている事を知るや、喜びが隠せないでいる。
コートのフードを脱ぎ、金髪の短髪、年季の入ったシワが特徴的な屈強な身体を持つその男が姿を見せる。
無音のエルド。
裏の世界で殺し屋として有名な男だ。
「……ンフフ。敵に一切の気配を感じさせず、背後から一方的に嬲り殺す事が趣味のチキン野郎さんですよね。お噂はかねてから聞いてますよ」
ニッコリとそう相手を挑発するが、エルドはその挑発に乗る気配がない。
転がるギルバルドの右手、そしてその本体に目をやる。
そして重い口を開けた。
「……率直に言おう、魔鍵をこちらに渡して欲しい」
《君、大丈夫なのかい? あの瞬間移動みたいなのでとりあえず逃げてから急いでワタシと契約した方がワタシも一緒に戦えるんだけど》
バッドエンドは危惧していた。
確かにファウストは強い。
だがバッドエンドとの戦いで体力を大幅に消耗している事がわかる。
今のこの状態で無音のエルドと呼ばれる男を倒せるのか疑問だった。
しかし、ファウストはだからといって安全な場所まで逃げる選択もない、なかったのだ。
支配眼の使用制限がもう底を尽きかけている。
ここから無事に脱出する事を考えると、今ここで支配眼の使用は控えなければいけなかった。
「ンフフ、何も心配はいりません。貴女はここで大人しくしていてください」
心配する少女を優しく胸ポケットに仕舞う。
そして刃こぼれのした剣二本を、再び力強く握り締め、気合を入れ直す。
「フ、フ、フハハハッ!! そう来なくてはね、せいぜい伝説相手に楽しませてもらおうッ」
その言葉を最後に、エルドの屈強な身体がその場から消える。
正しくは認識できなくなった。
まるで支配眼を発動させたかのような現象。
これこそが無音のエルドと呼ばれる男の所以。
自身の気配の強弱を自在に操る事ができる。
その餌食となった者はまさに無音で現れたエルドに、気づいた時には殺害されている。
「ふむ……」
今回は前回以上に気配を殺している、完全に姿を見失った。
ここまで気配を消し去る事ができる者など殆どいないだろう。
まさに無音の名にふさわしい。
静寂が訪れる。
そして、無音が破られる。
背後から突如現れたエルドの屈強な身体から放たれる強烈な一撃。
それがファウストを的確に襲う。
エルドは勝利を確信した。
全力で気配を消した自分の会心の一撃。
これ程までに気配を消していれば泥棒王だろうと反応しきれない、そう思われた。
だがその一撃は虚しく空振りに終わった。
「なッ!?」
エルドは驚愕する。
何故この一撃を避けられた。
ファウストは完全に気配を遮断し現れたエルドのその一撃を、支配眼を発動させずに避けてみせた。
そしてすぐさま片方の剣で相手の胴めがけて反撃をするが、切れ味が落ちたその刃は少し浅かった。
エルドはその場を飛び跳ね、距離を取り、後ずさりする。
斬られた胴部分を手で庇うようにして、膝をつく。
「ぐっ、おのれぇ……」
零れ落ちる自身の血を目にするなり汗が溢れてくる。
これが泥棒王ファウストの実力だと言うのか。
「な、何故だねッ!! 俺の存在、気配は完全に消え去っていたはずだッ!!! 何故そんな俺の一撃を避け、反撃する事ができたッ!!!」
《へぇ……》
バッドエンドはすぐに理解した。
ファウストには、戦闘本能、野生の勘というものはない。
純粋な実力、身体能力、数多の死線をくぐり抜けてきた経験。
それらが単純にエルドより全て勝っているだけ、簡単な話だった。
だがこのエルドも殺し屋の中では指折りの実力者。
しかし、それも伝説の泥棒王と比べてしまうと霞んでしまう。
「ンフフ、支配眼を使うまでもない。格ってのが違うんですよ。さぁ……噛ませらしく散ってもらいましょうか」
不気味に笑うピエロの仮面がエルドを冷たく見下ろす。
しかし、真に恐るべきは、まだこれだけの動きが出来るファウストの体力。
バッドエンドはこの男の底知れぬ実力の深さに驚きを隠せないでいる。
《君、何者なんだよ……》
「ぐぎぎ……っ」
激怒するエルドが再び己の気配を完全に遮断し、その姿を消す。
ここまでの芸当が出来る者は中々いない。
完全に姿が認識できなくなる程に、気配を自由に操れるこの力を改めて眼の当たりにしたファウストもそれは認める。
だがその力には弱点がある。
ファウストのような実力者とは相性がとても悪い。
今度は真横から、ファウストの身体を粉砕せんとばかり、エルドが手の平を大きく開き、掴みかかろうと現れるが、
「ぐふぁッ、げほッ、が、あ、あ」
ファウストは反対の手で握られた剣に、全力で力を込め、刃こぼれの酷いその剣先を、無理やり押し込める形でエルドの心臓を突き刺した。
まだ辛うじて息のある、エルドにその弱点を伝える。
「……殺意でバレバレなんですよ貴方。どれ程、気配を殺す事に長けて認識ができなくなったとしても必ず攻撃する瞬間に殺意が生じる。その一瞬があれば、私達みたいな奴には十分なんです」
冷たく言い放たれた言葉。
ファウストは力任せに、心臓を貫いたその剣を引く抜く。
「あ、ッはッは、ぐ、ハァ、恐れ、いった、よ、泥棒王……」
伝説の泥棒王の前に成す術なく、殺し屋界の実力者はその命を盗られる。
そしてゆっくりと膝から崩れ去っていく。
圧倒的な実力差。
それを見せつけられ、エルドはこの世を去って行った。
あまりに早い決着。
いかに泥棒王ファウストの実力が凄まじいものか、バッドエンドンは改めてこの男に感心した。
「クッ、はぁ、はぁ」
しかし、ボロボロの剣と同時に、ファウストも同じくして膝から崩れ去り地面に突っ伏してしまう。
やはり身体への負担が相当なようだ。
その反動で胸の内ポケットから魔鍵が落ちる。
《どうやらワタシは君の評価を改めないといけないみたいだ、君なら本当に――》
バッドエンドの言葉に間髪入れずファウストが告げる。
「ぜぇ、はぇ、魔鍵バッドエンド、私と早く契約してください……」
また先程のエルドの様に新たな刺客が現れないとは言えない。
流石に今のように何度も戦い続けるのは限界だった。
《……わかった、君と契約しよう》
地面に落ちた魔鍵は、淡白い光を放ち、その場から宙に浮く。
それはとても幻想的な光景。
改めてファウストも息を呑み込む。
そして、リングの持ち手の真ん中にある大きな瞳が開き、魔鍵問う。
――――我が名は魔鍵バッドエンド――――
――――楽園の扉開けし鍵である――――
――――我、汝と契約を結びしその時から、汝の鍵となる――――
――――汝、我に何を求む、問いに答えよ――――
「私は、……私のこの命尽きるまで魔鍵に自由になって欲しい。自分の意思で……思うがままに生きて欲しい……」
――――……ありが、とう――――
――――……我、その求め、き、っ、聞きいれ、ひぐっ、た……――――
淡白い光は魔鍵を中心に大きさを拡大させ、そして飛び散るように消えていった。
魔鍵は、一つの少女へとその姿を変え、片足の膝をつき、忠誠を誓うように跪く姿で現れた。
すると、倒れ込むファウストの右手の甲に契約の証である刻印が神秘的な光によって確かに刻まれる。
これで契約が結ばれた、ファウストは魔鍵の契約者となった。
「我が名はバッドエンド。ファウスト、貴方を主として認め、貴方の求めに従いましょう」
跪いたまま、顔を俯けそう誓うバッドエンド。
ファウストはその場からゆっくり立ち上がり、跪く少女の元に手を差し伸べた。
「……自由までもう少しです、行きますよ」
少女は差し出された手に、生きる希望をくれたその手に、ゆっくり手を添え、夢見た景色へと引き上げられる。
自由を与えられた。
ファウストの、優しく、暖かいその、契約の刻印の刻まれた右手に救い上げられる。
「ありがとう、ありがとう、ファウスト」
それから暫しの間、少女はファウストの胸の中で、本物の涙を流し続けた。