魔眼と魔鍵:7話
魔眼、支配眼を発動させたファウストは、僅かに残る赤黒い火花のような光の残像を残し、二本の剣を魔鍵の少女、バッドエンドに放つ。
その間、1秒にも満たない。
時空の歪みの中、ファウストは驚愕する。
二本の剣で胴を斬りつけようとしたが。
しかし、既にバッドエンドは刃へと変化させた自身の両腕で斬撃を受ける体勢に移っていた。
それを確認したファウストはすかさず斬りつける方向を軌道修正する。
だが、そこにも既にバッドエンドの刃と化した片腕があった。
常人では認識不可能なスピードにこの少女は反応し、対応しているのだ。
驚異的だ。
同じ支配眼を所有する者なら納得がいくが。
しかし、この少女は魔鍵。
魔眼を所有などしていない。
野生の勘なのか、それともバッドエンドの純粋な実力なのかは定かではない。
その常識を逸脱した脅威の身体能力に、ファウストは仮面越しに歪んだ笑みを零しながら惚れ惚れとした。
それでも、先日のお返しとばかりに、バッドエンドのその驚異的な反応スピードを嘲笑うように再び剣先の軌道修正を行い、首を狙い、渾身の力で剣を叩きつけた。
「はぁ、はぁ、ンフフ」
流石に三度目の攻撃、首に達する剣には反応ができても腕で追いつかなかった。
地下牢の壁にバッドエンドがまるで大砲から放たれた砲丸の如く衝突し、辺りに埃が舞い、壁の一部が崩落した。
この間、僅か1秒あるかないかの出来事。
「なるほどね……」
ファウストを見つめるバッドエンド。
まったく何が起きたのか理解できていないギルバルドはただ呆然と立ち尽くし、バッドエンドを叱咤する。
「ば、バッドエンドッ!? 何をしとるッ! 早く立てッ!!! こいつを殺せッ!!」
瓦礫を払いのけ、バッドエンドは何事もなかったかのように立ち上がる。
その姿を眼にし、ファウストは呆れ返りながらも賞賛を送る。
「いやはや魔鍵とは相当頑丈なようですねぇ。まぁ、私としては貴女のように美しいお魔鍵ちゃんを傷つけずに済むなら戦いやすいですがね」
首元に一切の傷を負うことなく無傷のままの少女。
歪む時空の中、ファウストは確かに眼にしていた。
バッドエンドの首元に剣先が近づいた時、刃となった腕で防ぎきれないスピードに達していると判断するや、バッドエンドの首元の肌は、刃となりファウストの剣撃をそれで受け止めていた。
この少女は身体の全ての箇所を刃へ変える事ができる。
ファウストは余裕ぶっているが、内心それを厄介に思っている。
「あはは……前回のお返しって所かな? でも悪いけどこの程度じゃワタシは盗めないぜ~」
おどけたような態度で。この少女は凄まじい殺気を平気で放ってくる。
それと同時に持ち前の身体能力、脚力を使い、一気に飛び出し、ファウストとの距離を縮めてきた。
「いただきッ!!」
すかさずファウストの背後をとり、刃と変化した片腕で背中を貫くこうとする。
「おっ」
だがそれをファウストは見事避けた、いや避けさせられた。
バッドエンドはあえて攻撃範囲の狭い貫くという手段に出て、ファウストが次の攻撃を避ける動作までの間にワンクッション入れさせて対応を遅らせたのだ。
そのせいでファウストの身体は片腕の刃を避ける為に片足で傾いたまま。
この状態では体勢を立て直し追撃を避ける事は不可能。
もう一方の片腕の刃と、少女の笑顔が容赦なくファウストを襲う。
「チッ!」
赤黒い火花のような光が散る。
支配眼によって時空を歪め、体勢を急いで戻す。
「あ~らら、……何だよその変な能力みたいなの」
今回も何とかバッドエンドの攻撃を避ける事ができた。
しかし避ける事しかできない。
バッドエンドに対し、こちらは有効打が無いうえに少女の実力も申し分ない。
かくいうファウストは既に支配眼の残り使用制限があと8秒程。
更に思いのほか支配眼を連続で何度も使いすぎたせいで身体がそろそろ悲鳴をあげる。
何度もこの繰り返しではいつか本当に殺されてしまう。
この魔鍵を盗むには、やはり契約者であるギルバルドの刻印を消すか、殺すしかない。
だが、それをこのバッドエンドがそう簡単に許すわけがない。
息を荒げ困った表情を見せるファウスト。
やはり、少しでもバッドエンドをギルバルドから離す必要がある。
その隙さえ作れれば何とかバッドエンドの目を盗み、支配眼を発動させてギルバルドの刻印が刻まれた右手を狙える。
「ハ、はっ、ハァッ!!」
バッドエンドに先程と同じように全力で二本の剣を叩きつける、が。
今回は見事に両腕で受け止められてしまう。
やはり支配眼の連続使用が身体に負担をかけている。
もうファウストの表情から余裕は消えていた。
「……っ、どうしたんだい? さっきより力が弱いじゃないかッ」
「……ッ!!」
ギリギリと金属のぶつかり合う音が部屋に響く。
泥棒王ファウストが劣勢であると判断するや、ギルバルドからようやく安堵の笑いが出てくる。
「く、クク、そうだ……いくら魔眼を持ったバケモノだろうがわしのバッドエンドに勝てるもんかッ、ックックック」
そんな常軌を逸脱した者同士の戦いを、ギルバルドはただバッドエンドがファウストを殺す、れだけを願い傍観し続ける。
ここに辿りつく前に支配眼を使いすぎ、全力を出せないファウスト。
だが、そんな弱音は決して吐かない。
だから、その代わりに虚勢を張る。
「……ッ! ……ンフフ、なぁに、あまり、女性をポンポン壁に叩きつけるのは、どうかと、ゼェ、思いましてね」
そんな虚勢を張るファウストに思わずバッドエンドは、剣を、刃を交えた戦闘中にも関わらず笑ってしまう。
「なるほどねぇ~、なら今度は君がまた吹っ飛んじゃないな、よッ!!!」
バッドエンドの刃に力がこもる。
ファウストの剣がその力に耐えられなくなり、身体が地下牢を勢いよく飛び出し、地面に投げ出されてしまう。
「ッ!?」
それに間髪入れず、バッドエンドも飛び追い、投げ出されたファウストのマウントポジションをとった。
刃を戻した片手で、思い切りその首を掴み捕獲する。
これ程しっかりと捕まっていては、今のファウストが支配眼を発動させようが脱出は不可能。
「ぐっ、……くっ」
バッドエンドの片手がファウストの首を絞めてくる。
薄れゆく意識の中、両手でその片手を離そうと必死にもがき続けるファウスト。
「さぁ~、このまま窒息させられるか、この手を刃に変えて楽に殺されるかぐらい選ばせてやるぜ」
逃げ惑うネズミをようやく捕まえた猫のように、満面の笑みで死に方を選択させてくる死神のような少女。
ギルバルドも急いで牢の中からそこに駆け寄ってきた。
「な、何をしとるッ! 早く留めをさせッ!! この刻印の契約通りわしの邪魔をする者は殺せッ!!」
右手の甲に刻まれた刻印。
それは魔鍵との契約の際に発生する主である証。
バッドエンドは表情を曇らせ、主であるギルバルドに視線を少し送ると、再び自分の下にいる存在に視線を戻した。
「あっはっはー、ごめんよ~……もうお終いだね」
またあの儚げな表情を見せるバッドエンド。
ファウストの中で何かを決意する。
それは自分の命が惜しいからではない。
自分の首を強く掴むバッドエンドの腕をファウストが強く握り返す。
「……ぐッ、貴女は何が、欲しい、んです…ッ」
どうしても少女の口から聞きたい言葉があった。
バッドエンドの腕を掴む力が強まる。
「……」
まだこれだけの力が残っていたのかと驚くバッドエンド、しかしファウストの問いの意味がわからない。
「……痛いなぁ。質問の意味がわからないよ。それに君はワタシに勝てない。そんな事聞いてどうすんのさ」
「そんなコソ泥の戯言に耳を貸すなッ!! さぁ、早くそいつを殺せッ!! さぁッ!!!」
だが、バッドエンドの腕を握る力がどんどん強まっていく。
そしてピエロの仮面越しに、魔眼で少女の瞳を強く見つめる。
やはりこの少女は昔の自分に似ている。
理不尽に自由を奪われ、尊厳を奪われ、道具として扱われてきた過去の自分に。
だからだろうか、これ程までに救ってやりたくなるのは。
「い、い……いいか、バッドエンド、わた……ゼェ、俺は、絶対にお前には負けない……ッ!!」
私、ではなく、俺、と言うファウスト。
両腕に、力の全てを集中させ、バッドエンドの片腕を首元から必死に離そうとする。
「な…!?」
あまりの力に驚くが。それに負けじとバッドエンドも両腕で押し返そうとする。
だが、何故か――――徐々に自分の力が弱まっていくのに気づく。
ファウストの言ったあの言葉がバッドエンドの頭と身体を動揺させ、力が上手く使えなくなってしまっている。
「俺、は、ハァッ、泥棒王ファウスト、……クッ! 俺に盗めないモノは無いッ!!!!!」
「くッ」
その言葉と力に、ついにバッドエンドが一瞬のスキが生じさせてしまう。
体力がもう底を尽きたかと思われたが、バッドエンドの手がファウストの首から少し離れた。
その瞬間を逃すまいと、ファウストは身体全体を使い、勢いよく飛び跳ね、その反動の力を用いてバッドエンドを引き剥がす。
「うわっ!?」
バッドエンドは思わずファウストの上から転げ落とされてしまう。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」
激しく息を荒げながら何とか体勢を立て直したファウスト。
地面に落ちている剣を二本拾う。
バッドエンドも急いで立ち上がった。
それを見かねたギルバルドの罵倒が鳴り響く。
「何をしとんじゃッ!!! 貴様、道具の分際でわしの命令が聞けんのかッ!!! 動揺なぞして一丁前に人間様の真似なんぞしおってッ!!! ふざけるなッ!!! 貴様はわしの所有物でありただの魔鍵じゃッ!!! 心もなけりゃ意思すらありゃせんッ!!!」
「……」
そう。
バッドエンドは楽園へと辿りつく為だけに存在する魔鍵。
人間ではない。
今抱く感情も、意思も、全ては創造主に創られたモノ。
ギルバルドはバッドエンドのこの体たらくに怒りが発狂し、その辺に落ちていた瓦礫をバッドエンドの頭部に投げつけようとするが、
「な、なんじゃッ!?」
「!?」
ギルバルドとバッドエンドの両者は目を見開く。
支配眼を発動させたファウストが、ギルバルドの手を強く握り締めていた。
その表情は珍しく怒り顕となっている。
伝説の泥棒王、魔眼を持つ者、バケモノがギルバルドを殺意に満ちた瞳で睨んでいる。
バッドエンドもそのあまりに禍々しい殺気に一瞬怯え、ファウストをギルバルドに近づけてしまった。
急いで主を助ける為、バッドエンドがファウストに刃を向ける。
「は、離せッ!!! ば、バッドエ――――」
ギルバルドの声より先に、ファウストの声がバッドエンドに届く。
「バッドエンドッ!! ……私、今は依頼されたモノを盗む仕事をしてるんですよ。何でも盗める泥棒王として有名でしてね。……そんな私がもう一度貴女に聞きます。貴女が本当に望むモノはなんですか」
ファウストを斬り裂こうとするバッドエンドの刃が、身体が硬直する。
魔鍵、バッドエンド。
今でこそ人間の形をしているが本来は鍵の姿。
主となる人間と契約を結ぶ事で現在の人間の姿で行動する事ができる。
契約が行われるまではずっと鍵の姿で人から人へと渡ってきた。
鍵として身動きのとれない状態で何十、何百年と過ごす事も珍しくはない。
そしてようやく契約が結べたとしても、今回のように自分は道具としか扱われない日々。
「ワタシ……」
「おいバッドエンド何をぶぐふぁ」
もう願う事すら諦めていた。
いや、そもそも魔鍵である自分が何かを望む事すら間違いだと思ってきた。
こうして今まで誰かに望みを聞かれる事もなかった。
「ワタシ……」
「ふぐぁqがうじゃお」
もしも願いが叶うなら。
ずっと求めていたモノが手に入るなら。
そんなにも喜ばしい事はない。
あるはずのない心が痛む事もないのだろうか。
ワタシが望むモノ。
ワタシが欲しいモノ。
それは。
「ワタシが欲しいモノは……――――自由」
別に痛くない。
別に寂しくない。
なのに。
どうしてだろう、それを告げると、涙が止まらない。
「ンフフ、その望み……私が依頼として引き受けましょう!! 今この場で華麗に貴女の自由を奪う枷を盗んでみせましょう!!」
バッドエンドが見つめる中。
満面の笑みで、瓦礫を掴むギルバルドの右手をファウストは意図も容易く剣で切断してしまう。
それは見事な、爽快なものだった。
「うぎゃああああああああああああああああッッッ!!!!!」
右手と同時にギルバルドから、魔鍵との契約の証である刻印が切り離された。
ギルバルドはその身から刻印を失ったのだ。
それが意味するもの、それは契約の終了。
バッドエンドは間もなくただの鍵へとなってしまう。
「ンフフ、最期は貴女にお譲りしますよバッドエンド」
「ああぁあああああああ、あ、あ、…あっ…………」
右手を失った事で言葉にならない悲鳴をあげるギルバルド。
そんな元主の前に、バッドエンドが、不幸な結末をその名にする魔鍵が立つ。
そしてギルバルドの最期はバッドエンドの刃と変化した手によって終わらされた。