魔眼と魔鍵:6話
ギルバルドの邸内。
前日の騒動で荒らされた書斎は、あの後すぐ使用人達の手によって急ピッチで片付けられ綺麗に修復されている。
そしてそこには優雅にワインを啜る相変わらず宝石などを身に付け、ワインレッド色のガウンを纏うギルバルドの姿と、取り巻きのスーツを着た男が一人いた。
「クックック、先生はまだか。待ち遠しいのう」
自身の願望が目前と控える、その興奮のあまり無意識に身体が震える。
楽園の考古学者に明確な魔鍵の使用方法さえ聞き出せれば後は全て望むがまま。
神と等しきその力で世界の支配者へとなれる。
今のギルバルドには世界の王の地位ですら霞んで見える。
「わざわざこの日の為にこれから売る予定だった奴隷共にも急遽、警備を任せた。これだけ警備の数を増やせば大丈夫じゃろ。わしの野望はもう止まらんぞクックッ! さぁ、お前も飲め!」
気分を良くするギルバルドは自らグラスを用意し、取り巻きの男にとびきりの最高級ワインを飲むように進める。
「大変光栄でございます」
「なぁに、遠慮する事はない。これからこんなワイン、捨てるほど手に入るクックック」
取り巻きの男が主からワイングラスを受け取る。
そのグラスに鼻歌交じりでワインが注がれていく。
しかし、なにやら取り巻き男の様子がおかしい。
窓の向こうをジッと見つめている。
「んん? どうしたんじゃ?」
外の異変に気づき、慌てて無言のまま急いで書斎の窓へと駆け寄る取り巻きの男。
すると取り巻きの男の目と口が大きく開く。
外は騒々しく、警備兵達のわめき声がこの書斎にまで響き渡る程の大きさになっていく。
「い、一体どうした……」
妙な胸騒ぎがする。
口を大きく開け微動だにしない取り巻きの男の様子と外の騒動が気になりギルバルドもグラスをテーブルに置き、窓の方へと身を乗り出す。
するとそこには、燃え上がる中庭。
何とか消火活動に勤しむ警備兵達の姿がそこにあった。
まるで地獄絵図、そんな光景がギルバルドの目に入ってくる。
「な、何をじゃこりゃッ!!」
「……っ!、このタイミング的に……前回の侵入者では?」
ようやく取り巻きの男は正気に戻り、そう告げる。
昨日の騒動の後、魔鍵の少女にいくつか拷問をしていた。
だが結局何者が侵入してきたのか、どのような人間だったのか口を割らずわからず終いだった。
「ま、まさか……ッ、バッドエンドを狙っておるのかッ!?」
ギルバルドは窓から離れ急いで書斎から地下に向かおうとする。
だがそれを制止するように取り巻きの男がギルバルドに向かって走り、肩を掴んで警告する。
「い、いけませんギルバルド様! 賊はもうこの邸に侵入しているはずです! 不用意に出歩かれては危険です!」
そんな必死の制止をギルバルドは力任せに振り払い、取り巻きの男の襟を強引に掴み引き寄せる。
「こんな状況でここに引き込もってられるかッ!! 何者か知らんが賊の狙いはバッドエンド以外考えられんッ!! すぐに地下に行くッ!! お前も来いッ!!! 何の為に金をくれてやってると思うッ!!」
怒りで気が狂ってしまいそうになる。
取り巻きの男を力一杯に突き放す。
「渡さん……絶対に渡さんぞ……ッ!!!」
書斎の扉を開け地下へと走る。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「んー、ちとやりすぎましたかねぇ」
燃え上がる炎を見つめる犯人、ファウスト。
邸の外を警備していた兵も一気に中庭に集まってきては消火活動を行っている。
邸内からも続々と警備兵、使用人が飛び出してきて消火活動を行うがそれを炎は嘲笑うかの如し拡大していく。
「さて、パパッと終わらせて私もとんずらしますか。彼も動いている事でしょうしねぇ」
混乱に乗じて警備兵から奪った装備を身に纏ったファウストが堂々と玄関から邸の中へと走り抜けていく。
これ程の騒ぎを起こせばギルバルドも異変に気づき魔鍵の存在が心配となりその元に行くはず。
ファウストはギルバルドに自分を魔鍵の元へ案内させようとしていた。
支配眼の力を持ってすればこの程度の邸ならば10秒もあればギルバルドを発見できる。
使用制限の三分の一を一気に使ってしまうのは痛いが、まずは急いで魔鍵に辿り着かなくてはいけない。
今、支配眼の出し惜しみはできない。
しかし、既に使用している時間と合わせるとこれからの事を考えるとギリギリな状態だ。
更に約10秒という間、支配眼を発動する事は長時間息をせず激しく動き回るのと同じように多大なる体力が消耗される。
「あー……女の子の居る店に早く行きたい……」
支配眼が赤黒い火花のような光をあげる。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「クッ、まったくふざけおって……何故、邸の主であるこのわしが自分の邸で怯えながら動かねばならんッ!」
「侵入者の明確な数、一体何者なのか情報の無いまま無謀に動くのは危険ですから……」
外の騒動が起きる中、慎重に地下へと向かうギルバルドと取り巻きの男。
既に一階の地下に通ずる入口付近にまで辿り着いた。
魔鍵は(まけん)は現在、地下の拷問部屋として使用している地下牢に幽閉されている。
その地下にさえ降りれば一本道をただ突き進むのみ。
魔鍵の安否が気になり、気が気でないギルバルド。
「さぁ、急ぎましょう。魔鍵も気がかりではありますが、まだ地上より地下の方が安ぜ――」
その時だった。
取り巻きの男の声を遮るように大声が響く。
「ぜぇ、ハァ、だ、駄目ですッ!!」
それは一人の警備兵のもの。
ギルバルドと取り巻きの男が突如現れた警備兵の男の警告の叫びに振り返る――――しかしそれは既に遅かった。
「ぐ、ぎ、がはッ」
取り巻きの男の背中には剣で斬りつけられた跡と、血飛沫が舞っている。
命に別状は無い。
だが、意識を失い倒れる取り巻きの男を前に、ギルバルドの顔は真っ青な顔となる。
賊がもうここまで来ている。
どこからともなく現れ、取り巻きの男を気配を感じさせずに斬りつけ再びその姿を消しす賊。
見えぬ恐怖、次は間違いなく自分がやられてしまう。
腰が抜け、足がすくみその場から動けなくなる。
そんなギルバルドを何とか逃がす為にすぐさま警備兵が走り出す。
「ハァハァ…ぎ、ギルバルド様早くお逃げくださいッ!! ここは危険ですッ!!」
腰に手をやり急いでギルバルドを引きずりその場から離れようとする一人の警備兵。
そんな警備兵に声をあらげる。
地下に、魔鍵を幽閉している地下に行かねばならない。
「ま、待てッ!! クッ、き、貴様わしと一緒に来いッ! こ、この先に用があるッ!」
何とか主を逃そうとする警備兵は、ギルバルドの命に従う。
「ハァ、ハァ、わかり、ました、ハァ」
ギルバルドの護衛を任され、命令されるがまま地下へと繋がる階段をギルバルドの指示のまま、担いだままできる限り走り続けて向かっていく。
邸のエントランスにある地下に繋がる隠し階段。
床に敷き詰められる大理石の一部、それが入り口となっている。
その隠し階段をギルバルドの指示で警備兵が大理石の床をどけ、開く。
そしてギルバルドを担ぎ、急いで階段を降りていく。
そこを無事に降りるとギルバルドも落ち着きを取り戻し、己の足で地下牢へと全力で駈け抜ける。
野望を目前に控え、魔鍵を奪われそうなこの事態。
必死だ。
地下から伸びる一本の道、数メートル先に取り巻きの男一人が見張る鉄格子の扉があった。
「ぎ、ギルバルド様!? 一体上で何が!?」
地上の異変に気づいていた取り巻きの男は、警備兵の男を引き連れ現れた汗まみれの主に説明を求めたがウルサイ! と一掃されてしまう。
「貴様らは外で見張りをしていろッ! 何人たりともこの中に入れるな良いなッ!!!」
慌てて鍵を取り出し、重苦しい鉄格子の扉を開けた。
その中には必要以上に何重にも鎖で拘束されたズタボロな少女の姿。
まず魔鍵の無事を確認すると、足早にギルバルドはその少女の鎖を次々と解放していく。
その様子に、妙に納得したかのように、静かにそんな主の姿を黙って見つめる少女。
「……この邸にまた賊が現れた。お前を狙っている。契約通り賊を見つけだしすぐに始末し――――」
その瞬間、外から取り巻きの男の悲鳴が聞こえる。
「ぎゃああああああああああああああああああああ」
人が倒れる音、鎧を脱ぎ捨てた金属音が鳴り響く。
ギルバルドは取り巻きの男の叫びに驚き、物凄い勢いで入り口に振り返る。
「やれやれ、これで二本目か。なるべく人を斬らずにここまで来たつもりだったんですがねぇ。人間ってのは本当に斬りにくいですねぇ」
何者かの声。
牢の中に一人の男がゆっくりと入ってくる。
漆黒のスーツ、古びたピエロの仮面、腰に携えた二本の剣。
目を見開き、口を間抜けな顔で何度も開けるが声が出ないギルバルド。
「ンフフ、お約束通り貴女を盗みに参上しました」
そんなギルバルドを気にかける事もなく。
バッドエンドに手を差し伸べるこの男。
ついに。
ついに魔鍵に辿りつき、そこに姿を現した泥棒王。
その姿にギルバルドは絶句する。
まさか、何故、どうして、コイツが。
その言葉がひたすら脳裏にこだまする。
自分の邸に侵入し魔鍵を狙う賊がまさか最凶最悪の大泥棒とは予想だにしていなかった。
警備兵に変装したファウストをここまで、まんまと魔鍵の元へと連れてきてしまった事実に言葉を失うギルバルド。
しかしもう遅い。
これは現実。
生きる伝説、泥棒王が今自分の目の前にいる。
言葉を失い、愕然とし、その場に座り込んだままのギルバルドを尻目に少女がファウストの前に立ちはだかる。
「あっはっは、何だよその仮面。良いね、君、最ッ高に面白いよ」
腹を抱えて、ファウストのピエロの仮面に爆笑する少女。
しかし、そんな少女にファウストは冷静に言う。
「以前よりも、……せっかくの美貌が台無しですねぇ」
すっかり傷だらけになった少女の姿に、居た堪れない気持ちになる。
16歳程の少女がここまで非道に扱われている、ファウストは怒りを抱かざるを得なかった。
そんなファウストを他所に笑いの余韻を残しながら、涙を人差し指で拭う少女が言う。
「ふぅー……君、確かこのワタシを盗むとか言ってたよね? そいつは無理な相談ってもんだぜ? 君はワタシに勝てない……それに――――ご主人もそれを望まない」
暗い表情になる少女。
その発言に、ようやくギルバルドが正気を取り戻し、力強く立ち上がりバッドエンドに命じる。
「そ、そうじゃ……いくら貴様があの泥棒王とてバッドエンドには敵うまい。バッドエンドッ!!! こいつを殺せッ!!!」
舌を巻き上げ叫ぶギルバルドが、右手の甲に刻まれる刻印を掲げ力強く命じる。
その命令に魔鍵はただ応じる。
魔鍵は契約者と契約を結ぶ時、その主の望みを可能な限り叶える。
ギルバルドが望んだ事、それは魔鍵を狙う、ギルバルドの野望を邪魔する者を排除する事だった。
「主の仰せのままに……」
バッドエンドはその望みを叶え、従うしかない。
儚げにそう答える少女、その両腕が瞬く間に刃へと姿を変える。
このバッドエンドと呼ばれる魔鍵の実力は相当なもの。
昨日のアクシデントで一戦を交えたファウストはその身体をもって理解している。
だからこそもう油断しない。
力で捻じ伏せ、見事盗みとってみせる。
ファウストは二本の剣を抜き取り、しっかりと握りしめる。
そしてこの魔鍵の少女を哀れに想う。
契約者の刻印に縛られ、道具としか扱われない少女。
虫唾が走る。
「……ンフフ、お生憎様。私に大人しく盗まれてもらいますよ」
支配眼が赤黒い火花を散らつかせた。