世界と断片:魔鍵と日常Ⅲ
記憶の殆どを失っている魔鍵の少女バッドエンド。
かつての泥棒王ファウストと、その相棒のジャズはそんなバッドエンドを憂いていた。
そして、バッドエンドの記憶を取り戻す旅へと赴いたのだった。
だが、その記憶ですら今のバッドエンドは失っている。
「さっきのピエロ凄かったね~」
「フン、あれぐらい私にだってできますよ……。むしろ私ともなればあれ以上の手品だって余裕ですけどねぇ」
先程、手品を披露していたピエロを褒めるバッドエンドに負けじと自分の方が凄いと言うファウスト。
確かに支配眼を秘めるファウストと比べてしまうと、どんなに凄い手品師でも霞んで見えてしまう。
「おぉ!! じゃあ今度はファウストの手品を見せてよ~」
「ンフフ、驚きのあまり腰を抜かさないでくださいよ?」
ファウストとバッドエンドの二人はピエロの手品を鑑賞した後、再び適当にこのティアラを歩いていた。
何度か楽園や魔鍵に関係ありそうな場所にも行ってみたが、バッドエンドの記憶を蘇らせる手がかりや、きっかけは一向に見つかっていない。
しかし、バッドエンドはそれでも良かった。
こうして大好きなファウストと自由に世界を見て歩き、自分に素敵な服まで買ってもらって満足だった。
ここに訪れれば何か思い出すかもしれない、そう思っていた。
だが何も思い出せない。
「せっかくワガママ言って連れてきてもらったのに……ごめんね」
「なぁに、こうして私と貴女が出会ったのも何かの縁です。もう少しお付き合いしますよ」
ファウストは歩きながら、両ポケットに入れていた片方の右手をバッドエンドにそっと見せる。
魔鍵との契約の証である刻印が刻まれている。
二人の繋がりの証でもある。
それを見てバッドエンドは嬉しい反面、心配もしていた。
「……後悔してないかい?」
バッドエンドの今更な反応にファウストは溜息を吐く。
「はぁ、後悔するぐらいなら最初からこんな馬鹿な真似してませんよ」
ファウストがバッドエンドを救った理由。
それは、かつての自分と似たような境遇のバッドエンドを哀れに思ったから。
しかし、ただそれだけの理由で魔鍵の契約者となる行為は相当のリスクを背負う。
前契約者のギルバルドと同じように、いつ世界中からその命を狙われるかわからない。
だが、ファウストは後悔などしていないし、そんな事どうでも良かった。
剣と刃を合わせた、あの時から覚悟していた。
この可愛らしい、哀れな魔鍵に自由になって欲しい、そう願った。
上から目線と言われようと、偽善と言われようとファウストにとって関係ない。
かつて自分が救われたように、この少女を救いたくなった、ただそれだけ。
「あはは……ファウストと一緒に居ると何か落ち着くよ」
かつての泥棒王ファウストの面影が重なっているだけなのか、このファウストに対する気持ちなのか、今はわからない。
しかし、ファウストはそんなバッドエンドの言葉がとても気恥ずかしかった。
「ンフフ、いやぁ~、よく言われますよ」
照れ隠しで平気で嘘を吐くファウストにバッドエンドは短く頷き、悲しそうな表情を浮かべてしまう。
「……だろうね。だって、ファウストって優しいし、頼りになるし……皆にそうなんだろうね」
照れ隠しのつもりの言葉に、思わぬ反応を示してしまうバッドエンドに困るファウスト。
優しい。
ファウストをその様に言う者等、今となっては居ない。
だが、バッドエンドはそう思っている。
まったく自覚の無いファウストは困った表情を浮かべる。
そして、素直に思った事を口にする。
「貴女って変わってますねぇ……」
魔鍵、だからなのか。。
バッドエンドという、一つの少女にファウストはそう思った。
世界から生きた災いと揶揄さられ、忌み嫌われる魔眼を持つ存在である自分を平然と受け入れるこの少女。
今までに偽りの親友ジルを除けば、そんな事はなかった。
いつだってそうだ。
ファウストは魔眼を持たない者達の輪には決して受け入れてもらえなかった。
例え仕事上で付き合いのある者達と関わりを持とうが、それはシルビアを介しての、あくまで仕事上の関係だ。
しかし、バッドエンドは違った。
魔鍵という異質な存在であっても、魔眼という存在を理解していなくても、今はそんなファウストに好意を寄せている。
今もあどけない笑顔でファウストに微笑むバッドエンド。
「えへへ、ファウストだって十分変わってるじゃないか。ワタシ達、似た者同士だね~」
「似た者、同士……ですか。……ンフフ、確かにそうかもしれませんねぇ」
だが、ファウストは心の中でそれを否定する。
魔鍵と魔眼の世界の考えはまったく違う。
世界に求められる魔鍵と、一部を除き世界から排除されるべき存在の魔眼はまったく異なる。
ファウストは理解している、わかっている。
だからなのか。
こうしてバッドエンドに好意を寄せられ、求められる事が、少し嬉しかった。
ファウストの中で何かが変わろうとしていた。
「ま、似た者同士仲良くしようぜ!」
ファウストの右腕に嬉しそうに抱きつき、強引に歩み続けるバッドエンド。
しかし、とても心地よい。
「うおッ!! わ、わかりましたから、ちょっと、そ、そんなに引っ張らないでくださいよ」
そんな二人が次に向かっていたのはティアラ付近にある花畑だった。
ノイタール聖国の中では隠れた観光スポットと言われている。
だが、道中が険しい山道となっているのであまり観光客は訪れない。
よく落石などの報告もある場所を通らねばならない。
しかし、バッドエンドはその花畑に行ってみたいとファウストに言ってきたのだ。
「ホント、気をつけてくださいよ。確かこの辺からですよ、落石の報告があるの……」
「大丈夫だって、何かあってもワタシが守ってあげるぜ! お、っと」
「ちょッ」
安定しない足場、その障害のせいでバッドエンドが転倒しそうになる。
しかし、ファウストがそんなバッドエンドの身体をすかさず掴んで無事に済んだ。
「た、頼りにしてますよ、まったく……」
「ご、ごめん、テンション上げすぎちゃった……」
そう言ってバッドエンドは再びファウストの腕にしっかりと抱きつく。
バッドエンドを腕に纏わせたファウストが、鼻の下を伸ばしながら、辺りを見渡し、警戒しながら足を先へと進ていく。
ここに来るまでの間に、村人から聞いていた通りだった。
あまりに人が訪れない事から、荒れ放題となっている。
かろうじて人が踏み入れる余地は残されているが、まるで獣道だ。
剥き出しの岩盤、生い茂る植物達。
そして極めつけに、その先には深く大きな谷に挟まれた、とても渡る気になれない古い吊り橋が一本があった。
今も風に揺られる一本橋に二人は唖然となった。
「こ、これ……本当に大丈夫なの?」
「……と、登山家がよくこの先にある花畑に訪れているという話もありますし……多分、大丈夫なんじゃないですかね」
「……うッ、本当に大丈夫なのかな」
明らかに人が渡った形跡が無い。
ファウストはその場から程よく大きな石を持ち上げ、そっと橋に投げてみた。
すると木造で作られた橋の一部が大きく穴を開けた。
二人は一旦顔を見つめ合い、谷の底に顔を向けてみる。
すると暫くしてから小さな音が聞こえてきた。
「よし、渡ろうか」
「ほ、本気ですか!?」
バッドエンドが谷の底を眺めたままのファウストより先に立ち上がり、吊り橋を渡ろうとする。
それをファウストがバッドエンドの腕を掴み全力で制止する。
「ま、待ってくださいッ! 今の私の実験した結果を見て、まだ本当に花畑に行きたいですかッ!?」
顔を青ざめるファウストに、バッドエンドは理解できないといった様な顔で人差し指を口元に当てて首を捻っている。
「ん~……行きたいんだけど、駄目?」
魔鍵には恐怖という感情がないのだろうか。
ファウストは困り果てる。
こんな危険な橋をバッドエンドを渡らせる訳にはいかなかった。
しかし、もしかするとこの先にある花畑に行けばバッドエンドの記憶の一部でも蘇るかもしれないと考えてしまう。
それと同時に潤んだ瞳で少し寂しげにするバッドエンドの姿にファウストは拒否権を奪われてしまう。
下手をするとあのシルビアよりも厄介かもしれない。
「わ、わかりました……貴女がそこまで言うのなら……まず私が安全を確認してからです」
とても嫌だった。
しかし、ファウストは覚悟を決めた。
泥棒王ファウストである自分の命がこんな吊り橋如きに討ち取れる訳がない、そう必死に言い聞かせた。
「ほ、本当? 無理しなくて良いんだよ?」
ファウストの言葉に、バッドエンドの寂しそうだった表情が眼に見てわかる程に明るくなっていく。
その顔でそう言われてしまうとファウストも引き下がる訳にいかない、いや、引き下がれない。
「ん、ンフフ……私を誰だと思ってるんですか、余裕ですね……」
バッドエンドの目を盗み、少しだけ谷の方に視線を向けると、真っ暗な底が眼に映り顔が青くなる。
血の気が一瞬、引いた。
しかし、バッドエンドの手前、何とか平静を装う。
「足……震えてるよ?」
「バッドエンド、これは花畑が楽しみすぎて疼いてるだけです」
違う花畑も見えそうではあった。
「おぉ、ワタシも楽しみで仕方ないよ~、じゃあ、早速行こ!!」
ファウストの強がりに満面の笑みで急かすバッドエンドがこの時ばかりは悪魔のように見えた。
しかし、確かにバッドエンドが過去にティアラ付近の花畑を訪れていたかもしれないと考えると行ってみるべきだった。
「で、では、行きますか……」
「何かあってもワタシがファウストを守るから安心して!」
バッドエンドのとても頼もしいその言葉。
しかし、今のファウストにはその言葉は届かなかった。
ただ無事に、この吊り橋を渡る事で精一杯だった。




