魔眼と魔鍵:3話
ノイタールには富裕層のうち貴族と呼ばれる人種が存在する。
同じ国民であるにも関わらずダンプラーの住民とは天と地の差がある存在。
この国の構図を現す隠蔽された両極端の存在。
今でこそ伯爵の地位につくギルバルド。
だがそんな彼も元々はダンプラーの出身だった。
彼はその自分の故郷、生い立ち、両親を、全てを憎んでいた。
まだ幼い子供ながら彼は自身の人生に嫌気が差していたのだ。
そして最底辺に位置するダンプラーから抜け出し、それからというもの、がむしゃらにただひたすら上を目指して生きてきた。
彼は欲望を叶える為にひたすら頑張った。
最初の頃は中心街で物乞いをする日々。
小汚い子供と罵られ、人気の無い場所で見知らぬ者からいきなり暴力を振るわれる事も多々あった。
そんな日々の中、真面目に靴磨きの仕事を始めた。
しかし彼は靴磨きをするよりも、盗みを働いた方が稼げる事を知ってしまう。
そして実行した。
だがそれも、一度に子供一人で盗める量等たかが知れていた。
彼はどんどん知恵を絞り、考えた。
どうすればもっと、もっと金を、食料を手にする事ができるのか。
そして、成人へと成長を遂げたギルバルドは、気がつくと裏の世界に頻繁に出入りする様になっていた。
いつかし裏の世界で知り合いが何人もできていった。
この頃からだ。
今の様に、立派な奴隷商人として活躍するまでに至るようになったのは。
表向きは他国への労働派遣会社を装いつつ、裏で奴隷を売買する事で多額の利益を得るようになった。
そしてその汚れた金で、現在は憧れだった貴族にまで登り詰めていた。
次第にそんな彼の欲望は収まる事を知らなくなっていた。
貴族という立場を手に入れておきながら、欲望に取り憑かれ、それ以上を求めるようになってしまっていた。
そんな時だった。
彼が魔鍵をある者から手に入れたのは。
「クック、早く先生は来ないもんか。待ち遠しいのう」
中庭のある大きく立派な邸。
いくつもある部屋、その内の一つである書斎。
動物の剥製や貴金属、壁画がいくつも飾られている。
そこで過去の苦労した記憶に浸りながら、優雅にワインを啜る年配の男。
指にはいくつもの宝石の指輪がハメられており、首元には金のネックレスを光らせている。
ワインレッド色のガウンを纏い、野望に満ちた目をギラギラさせながら、シワだらけの頬を緩めている。
白髪の、髪の薄い男。
彼こそが魔鍵の現在の契約者、ギルバルド伯爵。
ワイングラスを持つその右手の甲には神秘的な刻印がしっかり刻まれている。
それは魔鍵の契約者である者に刻まれる刻印。
魔鍵は楽園の扉を開く鍵。
しかし、それは契約者と契約を結ばねばただの鍵。
楽園に辿りつく者は、魔鍵と契約した者でなければいならない。
ギルバルドは魔鍵と契約していた。
つまり、楽園に辿りつく資格を既に手にしているのだ。
後は、楽園の扉の前に立てれば世界を改変をする力を得る。
しかし、肝心の楽園の扉は未だ発見されていない。
だがそれも明日、このギルバルドの邸に訪れる予定の有名な楽園の考古学者が現れれば扉の発見も時間の問題かもしれなかった。
「……」
ギルバルドのすぐ横にはボロ布を着せられた奴隷らしき少女が暗い表情で立ち尽くしている。
その姿はとても芸術品のようだ。
気品溢れる黒い長髪、白く美しい肌、大きくパッチリとした瞳は儚げに、しかしどことなく妖艶さを醸しだす美貌。
「クック、あぁ、明日が待ち遠しいのう。なぁ、バッドエンド」
その少女はバッドエンドと呼ばれている。
ギルバルドは自分の横で、儚げな表情を浮かべたまま、ただじっと立ち尽くすバッドエンドに声をかけ、呼びかけた。
「……」
だが、バッドエンドはギルバルドの呼びかけを完全に無視した。
その態度に腹を立てたギルバルドは、あろう事か高価なワインボトルを掴むとそれを16歳程の見た目の少女の頭上に平気で叩きつけた。
ガラスの割れる音が書斎から盛大に響き渡り、破片の残骸らがその場に無残にばら蒔かれる。
しかし、一切動じず無表情のままその場に立ち尽くしたままのバッドエンド。
こんな事は日常茶飯事なのだ。
「掃除しろ」
ギルバルドは当然のような態度で冷酷に命令を下す。
その命令を聞き入れるように、バッドエンドも無言のままそれに従いワインまみれの身体で黙々と掃除を始める。
「チッ」
文句一つ言わずその場にしゃがみ、床に落ちている破片を丁寧に一つ一つ素手で拾い上げていくバッドエンド。
その低くなった頭上を、追い討ちをかけるようにギルバルドが力強く踏みつけた。
平然な態度をとるバッドエンドが気に入らないのだ。
ガラスの破片が散乱する地べたに、直接バッドエンドの顔をまるで虫けらのような扱いで必要以上に踏みなじっていく。
「バケモノが……ッ! ちっとは可愛げってもんを学習しやがれッ! ほら赦しを乞えッ!! 泣けッ!! 叫べッッ!!!」
ギルバルドの怒号は邸中に響き渡る。
使用人達はそれにただ怯え、聞かぬフリに徹している。
バッドエンドがこの邸に来てまだ日は浅いが、毎日このような事が繰り返されている。
見た目以上に頑丈なこの少女を、ストレスを発散させる道具のように扱い、気まぐれに自身の優越感を満たす為だけに暴行に及ぶ。
息を荒げるギルバルド。
すると、そんなギルバルドの耳に微かに小さな声が聞こえてくる。
その声に、ギルバルドは嬉々と表情を変えていく。
それは地べたに這いつくばるバッドエンドの声だった。
「……し、さ……い」
「あぁッ!!? 聞こえんぞッ!!!」
「ひっく、ゆ、……ゆる、し、で、く、ぐだ、さ、い……っ」
先程まで何をされても気丈に振る舞い、顔色一つ変えなかった少女の瞳から涙が零れ、何度もえづきながら、顔を歪ませ必死に赦しを乞いていた。
「……クック、ようやく素直になったか、ペッ」
バッドエンドのそんな姿に満足したのか、唾を頭に吐き捨て、それを足で擦り付け満足そうに部屋を出て行くギルバルド。
一人取り残されたバッドエンドの泣き声がしばらく書斎に響く。
「ひっぐ、ぐすっ、ぐすんっ……――――ふぅ、やれやれ。趣味が悪いよまったく」
ギルバルドが書斎から消えるなり、コロッとその態度が変わった。
そして、バッドエンドは立ち上がると首をポキポキと鳴らし、書斎の窓のすぐ向こうにある大きな木に向って言う。
「そこでコソコソ隠れてか弱い少女の暴行現場を盗み見してる君の事だよ。隠れてないで出てきなよ、今ならあの糞ジジイも居ないし近くに見張りもいないよ?」
すると、窓からすぐの場所に生えた大きな木からバッドエンドの呼びかけに反応が返ってくる。
「ンフフ、これは驚きました……。えぇ。色々と驚きが隠せないんですが……」
木の茂みからひょいと姿を現したのは、いつもと変わらぬ姿のファウストだった。
ジルから魔鍵に関する情報を手に入れたファウストは、明日決行する今回の仕事に向けて、予めこうして現場を下見しに来ていたのだ。
こうしてバッドエンドに気配を察知され、発見されたのは誤算だったが。
しかし、それを特に気にする様子を見せず、軽快な動きで大きな木の枝から書斎の中へと窓をくぐり堂々と侵入してみせた。
「こんな夜中に堂々と糞ジジイの邸に侵入してくるなんて君、面白いね」
歳相応の背丈、そして程よく出た胸とヒップをボロ布で覆われた美少女が明るい笑顔で出迎えてくれる。
その恐るべき美貌にも驚かされたが、改めて見るこの少女の不可解な点にファウストはすぐ気づいた。
あれ程の暴力を振るわれていたにも関わらず、この少女には傷ひとつ無くその美しさが保たれたままだった。
しかし、これも予めジルから伝えられていた情報通り。
「……あららぁ。せっかくの綺麗な黒髪が唾やらワインで台無しですねぇ」
ファウストの言葉に少女は儚げな表情を浮かべてその場で俯く。
「……いやぁ。これからシャワーでも浴びたいんだけどさ、まずは用事を先に済ませないと駄目なんだよねぇ~……」
この邸で、道具としてしか扱われない少女はシャワーなど浴びた事もない。
ギルバルドの横に立つに際して、不愉快な匂いを発生させない程度にバケツに入った水を毎回かけられているだけだった。
少女は面倒くさそうに頭をかきながら、
左腕を刃へとその形を変化させていった。
「なるほど。情報通りこれが魔け――――うおッ!?」
突如、刃と化した少女の左腕が凄まじいスピードで、容赦なく丸腰のファウストを斬り裂こうとした。
だが、その刃を紙一重でファウストは避ける。
「……まだデートのお誘いもしていないというのに、いきなりご挨拶ですねぇ。こんなに誘う前にこっ酷く振られたのは私も始めてですよンフフ」
手加減したつもりはなかった。
それでも自分の一撃を紙一重で避けてみせたファウストに、バッドエンドは少しだけ驚いた素振りを見せた。
「……はぁ? 意味わけわかんないけど、今の避けちゃうんだ。やるねぇ~」
ジルの情報を思い出す。
「……ふむ」
あれだけ酷い仕打ちをされながらも無傷である事、左腕を刃に変化させた事からファウストは理解した。
どうやらこの魔鍵と呼ばれる少女は本当に身体全体を刃に変化できるらしい。
だからあれだけの暴行をされながらも無傷でいれたのだ。
恐らく、ワインボトル等が触れる部分を一瞬のうちに刃に変えていたのだろう。
となると、非常に厄介な依頼品だ。
あまり物理的な攻撃での決定打は望めそうにない。
「ずっと魔鍵ってのは鍵かと思ってたんですがまさか美少女、しかも意志が有り、相当の実力者ときたものだ……盗みにくいですねぇ」
困り果てるファウスト。
しかし、バッドエンドが今度は右腕も刃へと変化させてきた。
「ん? ワタシを、盗む……? ……そんなの無理に決まってるじゃないか、君はワタシより弱い……何より……」
何かを言いかけて途中で止める。
思わず続きの言葉が気になるファウスト。
だが、すぐに次の攻撃がやってくる。
両腕を、両刀を交えながら前方へと勢いよく飛び出すバッドエンド。
「さ~て、さっきより頑張らないと死んじゃうぜッ!」
「ッ!?」
とてつもない速さだ。
先程と比べて段違いの速さで鋭い刃が、魔鍵がファウストを襲う。
突きつけられている剣先が。距離的に間もなく両ポケットに手を突っ込み余裕の態度のファウストの心臓を捕らえようとする。
この速さは避けられない。
普通なら。
流石に油断しすぎた、少し反省するファウスト。
そして魔眼が、支配眼がその時、赤黒い光が火花のようにチリチリッと光った。
そして時空が歪む。
バッドエンドはすぐ直前まで確実に心臓を貫いた、と思った。
だが、その瞬間、おかしな違和感があった。
「ぐ、はッ!!! ……ッつ!!」
ファウストが、少女の一撃によって壁へと吹き飛ばされた。
書斎が激しく散乱している。
降り注ぐ埃。
だが、バッドエンドは驚きを隠せなかった。
おかしい。
何故、心臓を貫かれず吹き飛んだ。
自分の腕、刃を防ぐような武器は持っていなかったはず。
それを取り出した様子など無かった。
「おいおい……いつそんなナイフ出したのさ」
「ハァ、ハァ……ンフフ、惚れましたか?」
とっさに腰部分に装備していたナイフを取り出し、少女の斬撃を受け止めたのだ。
しかしそれでも力負けし、壁へと叩きつけられた。
だが、それでも心臓を一刺しされるよりかはマシだった。
あの一瞬で、そのような芸当を行うのは常識的に考えれば不可能。
だが。支配眼はその不可能を可能にしてしまう。
「何者だよ、君……」
すると邸内がようやくこの騒ぎに気づき、慌ただしくなっていくのが互いにわかった。
徐々に足音がいくつも聞こえ、この部屋に向かってくる。
「はぁ、はぁ、何故……最初から人を呼ばなかったんですか?」
痛みを難なく堪えながら、息を荒げるファウストが壁にもたれたまま、バッドエンドに問いかける。
初めから邸の人間をこの書斎に呼んでいれば、いくらファウストでも早々に逃げる必要があった。
しかし、バッドエンドはそれをしなかった。
単身でファウストに向かってきたのだ。
少女は両腕の刃を元に戻し、その質問にどことなく寂しそうな笑顔と共に答える。
「……さぁ? 何でだろうね」
何故だか、とても懐かしい、疎ましい記憶がファウストを襲う。
「……」
そして、ファウストは少女のそんな言葉にすかさず切り返した。
「今日は下見だけのつもりで来てたんですが、まさかこのようなアクシデントに見舞われてしまうとは……。しかし、明日こそ貴女を必ず盗んでみせます。せいぜい身体中洗って楽しみにしていてください、ンフフ」
「だからそんなの無理だっ――――」
書斎部の扉が勢いよく開けられた。
バッドエンドが入り口に振り向くと、そこにギルバルドと完全武装した警備が数人現れていた。
そして慌ててファウストの方をバッドエンドが振り向くと、既にそこにあの姿はなかった。
「おいバッドエンドッ!! こ、これは一体どういう事だッ!!?」
荒れ果てた書斎、そこにはバッドエンドがただ一人いるだけ。
部屋の惨状を見たギルバルドはすぐさま少女に駆け寄る。
説明を要求するギルバルドに対して無表情のまま窓の方向を見つめながら淡々と答えるバッドエンド。
「……少し、転びました」
その適当な言葉は、ギルバルドの逆鱗に触れた。
ギルバルドは近くにあった金製の鈍器を掴んで少女の頭上に力強く叩きつけた。
鈍い金属音が書斎に響く。
周囲の警備兵達もそのギルバルドとバッドエンドの光景を目の辺りにし、血の気が引いてしまう。
その場に倒れこみ、意識を失うバッドエンド。
「フー……フー……地下に連れていけ。先生が来るまで頑丈に閉じ込めておけ」
「……」
流石に少し堪えたバッドエンドと呼ばれる魔鍵が、ギルバルドの取り巻き達によって地下へ粗っぽく引きずられていく。