世界と断片:親友と日常
今から始まる世界の断片の物語は、ファウストが一度目のシアラ神国の金庫を破り終えた頃の数年前の世界の記憶。
ノイタール聖国。
その辺境の地に、酷く荒んだ小さな酒場に三人の男女の姿があった。
「ここに宣言します!! もう絶対に三度として私はシアラに行きませんから!!」
「は? 言ってる意味がわからん。お前に決定権は無い、以上だ」
「はは……今回もご苦労様だったね」
伝説の泥棒王ファウスト、闇の仲介屋シルビア、世界一の情報屋ジル。
現在、裏の世界でトップクラスに入る錚々たる面子がこの酒場に集結していた。
これ程の面子が集結しているにも関わらず。ただの談話を繰り広げている、ただそれだけだった。
カウンターの奥に座るシルビア、そのカウンターテーブルにファウストとジルが隣同士で座っている状態。
懐かしの光景。
「で、ファウストは久しぶりのシアラだったんだろ? あのイカレタ考古学者に連れられた頃と比べてどうだった?」
イカレタ考古学者とはファウストの育ての親の一人。
ジャズ・モートンの事。
ファウストは幼い頃、ジャズによってシアラ神国に一度だけ連れられていた。
闇の仲介屋に依頼された品を盗む為、シアラ神国の金庫破りを終えてきたばかりのファウストがジルの言葉に表情を強張らせる。
「どうだったも何も……最悪でしたよ。船の上では精神と体力を奪われ……あの金庫にも苦労させられて大変だったんですから!! ……ンフフ、まぁ、静寂王は可愛らしかったですけどねぇ」
「はは、君らしい感想だね」
ファウストは安いブラックコーヒー、ジルはシアラ産の最高級豆で淹れられた珈琲を同時に飲む。
ブラックコーヒーを飲みながら、ファウストはシアラ神国の静寂王、フィアナ・シフォンの顔を思い出していた。
金庫からファウストが依頼品を盗み出した瞬間の、フィアナが見せたあの表情が思わず癖になってしまいそうだった。
それを思い出しつつ、不気味に笑うファウストにシルビアが冷酷な言葉を容赦なく放ってくる。
「ほう、なるほど。そこまで静寂王を気に入ったならシアラ付近の依頼はこれから積極的にお前に任せる事にしようか」
新聞に眼を通したまま、シルビアからとんでもない発言が飛び出してきた。
「ハァッ!? 貴女、私を殺す気ですか……ッ!!」
ノイタール聖国から離れ、東に位置するシアラ神国は船で海を渡るしか移動手段がない。
しかし、極度に乗り物酔いが激しいファウストにとってそれは計り知れない苦痛でしかなかった。
平然とシルビアの口から放たれたその発言に、ファウストは安っぽいマグカップを持つ手が思わず激しく震える。
本気で、ありとあらゆる乗り物が苦手なのだ。
「フン……」
「まぁまぁ。とにかく無事にこうして依頼も終えたんだ。それにこうして久しぶりに三人揃ったんだ、もっと仲良くしなよ二人共」
優雅に珈琲を飲みながら、ただ一人心落ち着かせているジルが、優しい笑みを浮かべながらファウストとシルビアをなだめる。
だがファウストがそれに対して反発してきた。
「こんな悪意の塊みたいな人と……仲良く? ンフフ、冗談でしょう」
「ほう、言ってくれるじゃないかこの死にぞこない」
「なッ!?」
死にぞこない。
ファウストは過去に魔眼を、支配眼を暴走させてしまったのだ。
そして世界の時空を破壊しかけ、その命を落としかけていた所をシルビアによって結果的に救われていた。
その日からファウストはシルビアに頭が上がらないでいる。
しかし、だ。
ファウストにも我慢の限界というものがある。
マグカップを持った手とは逆の手、それをシルビアから見えない位置で拳を強く握りしめ怒りを抑えている。
こうして怒りの拳を隠しているのは、やはりシルビアが恐いからだ。
「はぁ、どうして君達はいつもそうなんだ……」
ジルが二人の親友の言い争いに溜息をつく。
すると、シルビアがそんなジルにまで噛みついてきた。
「……お前。さっきからあたかも自然に傍観者を気取ってるが、何故ここにいる。特に用も無くここに来るなと毎回言ってるだろうが、こいつと一緒で馬鹿なのか?」
親友の冷たい態度に特に怒る様子もなく肩をすくめるだけのジル。
だがファウストもそれには同意権だった。
普段、滅多にこの酒場に現れないジルが何故ここに居るのか疑問だった。
すると、ジルが思い出したかのように話しを始める。
「あぁ、そういえば……気になる情報を手に入れてね。それを君達に伝えに来たんだ」
「気になる情報だと?」
「……貴方が自らここに来る時はいつもそうだ。嫌な予感しかしない」
シルビアとファウストは息を呑む。
ジルがこの酒場に直接訪れる時は決まって面倒な事が起こる前触れなのだ。
しかし、当のジルはそんな二人を気にする様子を見せず穏やかな声で告げた。
「はは、僕みたいな一般人を嵐の予兆みたいに言わないでくれよ。……さて、と。実は君達が持つ魔眼に関する情報なんだ」
魔眼、世界に災いを運ぶ悪魔の眼。
ファウストとシルビアの二人はその瞳を秘めている。
その魔眼に関する情報ともなれば否が応でも真面目に聞かざるを得ない。
「魔眼、ですか。……ンフフ」
ブラックコーヒーを一口飲み、マグカップをゆっくり置く。
「……もったいぶらず早く言え」
読みかけの新聞を荒々しく畳む。
「……」
ファウストとシルビアの両者の反応にジルも真剣な表情になっていく。
その情報の重大さ、ジルの反応で二人は察する。
「君達はあのアラトが極秘裏に人工生物兵器の研究に力を注いでいるのを知ってるかい?」
創生王、ゼロ・マキュラによって創設された製造国家アラト新設立国。
アラト新設立国は四大国家の中で最も歴史が浅い国。
しかし、ゼロと呼ばれる謎に包まれる創生王を筆頭に、新たな技術を世に送り出してきた。
いつかし世界一、技術が進歩した国と称される程にまで急成長し続けている。
最近、そんなアラト新設立国が極秘裏に力を注いで研究し続けているのが人工生物兵器だとジルは言う。
「ん? 私は初耳ですねぇ」
「……あたしの元にアラトが隠れて何かの研究をしているという情報は入ってきていたが。……何だその人工生物兵器って」
ジルは最初に魔眼に関する情報と言った。
その次に。人工生物兵器という聞きなれない不穏な単語が出てきた。
二人は嫌な予感がした。
特にファウストは、魔眼を持つ子供達を対象とした実験施設で過ごしてきた忌まわしい記憶が蘇ってしまう。
「人工生物兵器……正式名称は魔獣と呼ばれている。……それは神殺眼が埋め込まれた対魔眼兵器だそうだ」
その言葉に真っ先に声をあげたのはシルビア。
「ま、待てッ!! ……神殺眼を”埋め込んだ”、だと? ……つまり、そんな、……あり得ないッ!!」
「……どういう事ですか」
シルビアが動揺するのは無理も無かった。
ファウストも同じだ。
「アラトは未だかつて誰一人として発見できなかった魔眼の摘出する技術を発見し、更にそれを応用して魔獣という名の人工生物兵器を創り出そうとしている……。僕にはアラトがその技術で魔眼を持つ者達を救うつもりだとは到底思えないね……。何よりも、アラト自体が色々と怪しすぎる」
魔眼は、天性的なものでこの世に生を受けた時点でその両眼に宿る。
そして不幸にも魔眼を持って生まれた者はその瞬間から過酷な運命を強いられる。
この呪縛から解かれる事は絶対に無い。
何故なら、魔眼は傷つける事も、抉り取る事も不可能なのだ。
未だ魔眼を摘出する手段は解明されていない。
そもそも魔眼は世界の常識を逸脱している。
人間にどうこうできるモノではないのだ。
本当にアラト新設立国が魔眼の摘出まで成功させたとすれば世紀の大発見である。
魔眼をこの世界から消す事ができれば多くの者が救われる。
「にわかには信じがたいがな……」
「……こうしてジルの元にその情報が入ってきたという事はアラトが本当に魔眼を摘出する技術を何らかの方法で見つけたという事で間違いないですね。目的は……魔眼狩りか……世界征服、その両方か、そんな所ですかねぇ。実につまらない」
魔眼狩り、その言葉にシルビアの身体が勝手に反応してしまう。
歴史の浅いアラト新設立国の異常な進歩。
何か裏があると世界も思っている。
だが、アラト新設立国の深い内部事情は他国に決して流出されない。
世界一の情報屋ジルですら今の所、魔獣と呼ばれる神殺眼を埋め込んだ生物兵器の研究に力を注いでいる事ぐらいしかわかっていない。
「あぁ、僕もその線は濃いと思う。だが、それ以外の何かがあるのかもしれない」
「既に何人か……神殺眼を持つ奴らは狩られてるのか?」
シルビアの質問にジルの表情が暗くなっていく。
「あぁ。……どの段階まで進んでいるのかは僕にもまだわからない。だが、もし神殺眼が埋め込まれた魔獣の運用が始まれば、魔眼を持つ君達にとっては相性が悪すぎる。それに神殺眼以外の魔眼を埋め込むのも時間の問題だろうね。……とにかく本当に気をつけてくれよ。僕は今日これを伝える為に来たんだ」
自分達の命令に従順に従う魔眼兵の誕生。
それが実現する事を想像すると背筋がゾッとしてしまう。
だが、ファウストは平然とマグカップを手に取り、珈琲を啜る。
そして余裕の笑みを浮かべた。
「ンフフ、たかだか人形に何を恐れる必要があるんです。誰だろうが何だろうが私に牙を剥けば捻じ伏せるまでです」
その言葉にジルとシルビアは溜息をつく。
しかし、表情は緩んでいた。
「はは、君のそういう所は素直に評価するよファウスト」
「ハァ……馬鹿は楽で良いな。羨ましい限りだ」
ジルの言葉に得意気になるファウスト。
しかし、すぐにシルビアの言葉に青筋を立ててしまう。
「ン、ンフフ……もし、貴女が女性でなければ今すぐにブン殴ってる所ですよ。……良かったですねぇ、”顔だけ”は良くてぶへぁッ!!!」
鋭い拳がファウストの顔面に直撃した。
その勢いでカウンター席から吹き飛ぶハメになるファウスト。
「うわぁ……これは痛そうだ」
そんなファウストを他所に、金と白を基調とした装飾が施されている上品なカップを手にするジル。
「そうかそうか、あたしは残念だ。もし、お前がもう少しまともな奴なら良かったのにな」
ジルの持つカップにシルビアが珈琲を注ぎ足してやる。
するとそんなシルビアにジルが悪戯っぽい笑いをしながら言う。
「でも、確かシルビアって――――」
その言葉が終わる前に再び鋭い拳が今度はジルの顔面を襲った。
「ぐふッ!!!」
ファウストの後を追うようにジルまでカウンターの席から吹き飛ぶ。
「……ッチ」
凄まじい殺気を放ち、シルビアが二人の男に背を向けて新聞を読み始めた。
シルビアの拳はとてもその細い身体から想像できない程の重みがあった。
ファウストとジルはお互い、顔面にそれが直撃してしまい酒場の奥でうなだれている。
「……あ、相変わ、らず、強烈、だ……」
「ま、……まだ、貴方……は、マシで、すよ……」
まだリアが三人と出会っていない当時はファウストがシルビアのサンドバックとなっていた。
そんなファウストはシルビアの機嫌を損ねるとよく鉄建を食らっていたのだ。
全力で殴られたファウストとは違い、ジルに対しては加減がされている。
まだダメージの少ないジルが顔を抑えながらファウストより先に吹き飛ばされた身体を何とか起こす。
「痛ッ……はぁ、君達はどうして……いや、止めておこう……また殴られるのは嫌だからね」
ファウストも何とか身体を起こし、ジルに返事をする。
「……まぁ、殺されてないだけまだ完全に嫌われている訳では無さそうですけどねぇ」
「はは……でも、思うんだ」
ジルはまだシルビアの拳のダメージが残る中、笑顔で言う。
「……ずっとこんな風に三人で会えれば良いな、って」
そんなジルの発言にファウストも純粋な笑みを零してしまう。
「……同感です」
ファウストは確かに感じていた。
自分達との出会いによって、世界に対する底知れぬ闇を抱く親友が変わりつつある事を。
そしてファウストも、そんなジルとシルビアが大切な存在だと感じている。
二人は小声でシルビアに聞こえないように会話していた。
カウンターの奥で、背を向けて新聞を読みふけるシルビア。
それでも三人は同じ気持ちだった。
そんな、懐かしい、大切な日常の一部。




