魔眼と魔眼:8話
いつもの、辺境の地にあるシルビアの酒場。
そこには駄犬、そう書かれたプレートを首から下げ、地べたに正座させられているリアの姿があった。
正座した両太ももの上には、平らな大きな石をまるで積み木のように積まれている最中だった。
肩に流れた黒い髪、太陽のように明るく微笑むその癒しの笑顔。
怪我が回復したバッドエンドが一生懸命にどんどんとその石を積み上げていた。
あのアイズとの戦いの後、酒場に急いで到着すると、バッドエンは意識を少し取り戻し、
「うっ、……ちょっと、休めば、大丈夫だからそんな悲しそうな顔しないでよファウスト……」
と残し、再び眠りについた。
その間、一切睡眠をとらず必死に看病していたファウストの甲斐があったのか、本当に二日もしない間に肩に空いた風穴が塞がり元気を取り戻したのだ。
これには流石は魔鍵と言わざるを得なかった。
人間の常識を遥かに凌ぐその回復力を見せつけ、ファウストやシルビア、リアを驚かせた。
そして無事、こうして完全復活を果たしたバッドエンドは、その愛らしい姿でシルビアに指示されるがままリアに対する罰を執行している真っ最中。
「ば、バッドエンド! こ、これ以上は……ホント、もう限界ッス!」
金髪の長い髪を耳にかけ、カウンターの奥で優雅にコーヒータイムを愉しむシルビアの姿はとても眩しいものだ。
だがそんな悲痛の訴えをするリアを他所にバッドエンドに悪魔の助言をする。
「もう少しバランスを考えて高く積んだ方がいい。でないと崩れてしまうぞ」
「あいあいさ~」
自分の背丈を越えた辺りから、背伸びをしながら程よい胸を張り、石を積み上げていくバッドエンド。
既にその高さのせいで哀れなリアの顔を確認できないでいる。
「い、いやあああああ!!!! 助けて兄貴ーーッ!!!!」
カウンター席で面倒臭そうにうつ伏せになるファウストが顔を上げた。
しかし、シルビアの無言の圧力が彼を襲う。
「……あぁ……すみませんけど、今はそんな気分じゃないんですよ」
「そんな気分ってどんな気分スか!?」
ファウストに軽く見捨てられ、リアは涙を流して今回の罰を甘んじて受けるしかなかった。
アイズを捕まえる為に、息巻いてバッドエンドを引き連れていった結果、散々な目に遭わせてしまった事による罰だとシルビアは言う。
ファウストやバッドエンドは、もう気にしていなかったが自分の弟子の失態にシルビアはお怒りだった。
「あたしの信用も傷つけたんだ、命があるだけ光栄に思う事だ」
その美貌からは想像できないドスの利いた声を放つシルビア。
そう。
あの戦いの後、その現場にノイタールの兵が訪れた時には既にアイズは姿をくらませていたのだ。
それをシルビアから聞いたファウストも驚きを隠せずにいた。
見事に張りつけにされたあの状態で、すぐさまその姿を消してみせたアイズのその不死身っぷりと力は凄まじいものだ。
「いやはや、とんだバケモノでしたねぇ……二度と会いたくないもんです」
その事件以来、アイズによる連続通り魔事件も止み、ファウスト達の前にその姿を現す事もなかった。
結果だけ見れば、無事に国民の憂いを晴らしたように思える。
しかし、犯人確保に乗り出していたノイタールにとってそれは不服であり、依頼を達成できなかったシルビアへの評価を傷をつける結果となってしまった。
それにアイズの目的もわからず終い。
ただその不気味な存在を悪戯にファウスト達の記憶に植えつけていっただけ。
「……まぁ、今こうしてあたし達が普通に生活できているという事は、あたし達をどうにかするつもりは今の所無いようだな。あ、バッドエンド予備の石は裏にあるぞ」
用意された石が無くなるのに気づくとバッドエンにそうシルビアが告げる。
「了解~」
シルビアに促されるまま、カウンターの中側に周り、その奥から再び石を運び出そうとする。
「ちょ、これ以上はもう……あぁ、でも何だかどんどん気持ちよくなってきたッスぅ……」
全てを覗く事ができる千里眼の力を持ってすれば、ファウストや魔鍵、シルビアの情報を各国に流す事も可能だがそれはされていない。
突き詰めれば、未来すら視る事のできるアイズがあの様な結果に終わった事自体に納得がいかない。
本当に何が目的だったのか。
「まるで、試されていた」
シルビアがファウストの思考を読み取るようにそう言った。
「ンフフ、えぇ、そんな感じですねぇ。実に腹立たしい……」
ファウストもカウンターに置かれたコーヒーを口にする。
何の目的があってファウストの、支配眼の実力を試してきたのかまではわからない。
だがそれが今後、ファウストを揺るがす事態に引き込むものだという事は感じた。
「……ふぅ、やれやれ。とにかく下着泥棒なんてもうコリゴリですからねぇ。私、強姦魔扱いされたんですよ」
「そうか? しかし、依頼の品を息を荒げながらあたしに見せつけていたお前はまさに変態そのもので、中々似合っていたぞ?」
度重なる苦労の中、その発言に思わずファウストも青筋を立ててしまう。
あの後、もちろん依頼の品であったアーニャ=ハウルージュの下着はファウストの汗まみれの状態で、リアが責任を持って依頼主に届けられた。
目の前でそのファウストの汗の匂いが染み込んだ下着を顔に被り、恍惚としているその姿はまさに変態だったとリアは語った。
「じょ、じょっど、二人共、ごれ、見でぐだざいッズ!!」
生命の危機を感じさせる声で、リアがそんな二人に助けを求めた。
「「なっ」」
ファウストとシルビアがリアの方に振り向くと、そこには天井に達しそうな程に高く積まれた石の塔が出来上がっていた。
「フゥ、苦労したぜまったく」
額の汗を拭い、やりきった顔をしているバッドエンド。
シルビアの指示通り、限界の高さまでリアの上に石を積み上げる事に成功し、嬉しそうな表情をしている。
「……崩れたら死ぬんじゃないですか、リアの奴」
「神殺眼があるし大丈夫だろ。しかし、あたしも……まさかここまで崩さず積めるとは思わなかったよ」
脅威のバランス感覚を見せつけ、得意げなバッドエンド。
そして二人のその言葉にリアは気が気でない。
既にこの石の塔は揺れながら、崩壊を待ち望んでいる。
「流石はバッドエンドちゃんだぜ……自分の才能に惚れ惚れしちゃうぜ」
そう満足気に言い、カウンター席に座るファウストの元に行く。
後の事を考えず積み上げられた石の塔に、ただ一人、恐怖し、怯え、そこに取り残されたリアは青ざめるしかなかった。
「だ、誰が、助げ……」
その瞬間、遂に、塔は凄まじい音を鳴らしながら崩壊していった。
「リア、貴方の事は忘れませんよ……」
「なぁに、死にはせんだろ」
「あぁ~、せっかく綺麗にできたのに……」
石の崩落により、床が抜けた。
そして石の山でリアは下敷きになりその穴が埋められてしまっている。
「ふん、自業自得というものだな」
この惨状を冷たく切り捨ててみせたシルビアにファウストは恐怖する。
しかしすぐにそんな恐怖は取り除かれた。
ファウストの腕を胸で挟むような感じでバッドエンドが絡んできた。
「ファウスト~」
腕に伝わる胸の感触、正直堪らない。
どうも迫られるのに慣れていないファウストはたちまち顔が赤くなる。
「な、何ですバッドエンド」
そんなファウストに身体をどんどん密着させ上機嫌な様子。
「えへへ~」
あの事件以来、バッドエンドはこうして今まで以上にファウストに対してスキンシップを迫るようになっていた。
それは魔眼が暴走しかけ、ファウストを失いかけたというショックから来ているのだろう。
そんなバッドエンドの行動が嬉しい反面、心配な面でもあった。
魔鍵と違い、人間であるファウストには限られた寿命がある。
もし自分が死んでしまったらこの少女はどうなってしまうのか。
そう考えると不安で仕方なくなる。
「ンフフ、そんなにくっつかなくても私は離れませんよ」
右手の甲、契約の刻印を見せるファウスト。
その刻印に手を被せながらジッと心配そうにファウストを覗き込む。
「ワタシ、怖かったんだ……あの時、ファウストが消えるかもって思って……怖かった。戻ってきてくれてありがとう……ファウストが大好きだよ」
するとバッドエンドの柔らかい唇がファウストの唇に重なる。
そんな愛らしい少女の行動にファウストの頭から煙が出てくる。
「はぁ、お前ら……他所でやってくれないか。はぁー……」
頬を染め、付き合ってられんと、カウンターの奥へとシルビアは姿を消していった。
ゆっくりと唇が離れる。
そこには涙を薄っすら浮かべるバッドエンドの顔が映っている。
そんな少女を安心させるように、ゆっくりと言い聞かせる。
「……大丈夫ですよ、私はこの命尽きるまで貴方の側から離れません」
そう言い、今度は自ら優しくバッドエンドの身体を抱きしめる。
「ファウスト……」
愛すべき主からの抱擁に、バッドエンドの瞳は潤み、頬も赤く染まっていく。
全身でその幸せを感じる中、地面からリアの声が聞こえる。
「あ、にき、だずげ、で……」
「……」
ファウストは額に手を当て、溜息を吐く。
「すみません、バッドエンド、……悪いんですけどあの石をどけるの手伝ってもらっていいですか?」
「もっちろん! 片付けだって得意だって見せてあげるぜ!」
ファウストと一緒に居れればそれだけで幸せとばかりにリアの発掘作業を始める。
ファウストもそんなバッドエンドの様子に心温まる。
しかし、否が応でも世界は改変されつつあった。




