魔眼と魔眼:2話
つい先日も訪れ、とんでもない事件を起こした貴族街に再び向かうファウスト。
漆黒のスーツを着込み、古びたピロノの仮面と一本の剣が入った袋を肩に担ぎ中央街を歩いている。
しかし魔眼を宿すその両眼に、うっすらと涙が浮かんでいた。
「私も落ちたもんだ……何が悲しくてパンツを……」
溜息しか出てこない。
日中から悲壮感漂う背中。
街中を歩くその姿はまるで失業者のような哀愁すら感じる。
そんなファウストにお構いなしで相変わらず中央街は繁盛していた。
最近、連続通り魔のせいで国から危険勧告が呼びかけられているものの市場の周辺はいつもと同じく活気溢れている。
これだけの人間がいる中、堂々と殺人を犯す者など現れないであろうと皆思っているからだ。
平和ボケのようにも思える。
「ここにいる人間のうち果たして何人がこれから下着泥棒をしようとしている人間がここいるか想像できるでしょうか……」
そんな人間は皆無。
しかし、通り魔事件が多発する中、ここにいる人間達は誰もが何も警戒もせずに過ごしている。
確かにこの様な賑やかな人々で密集された場所で殺人が起きるとは考えにくい。
最下層にあるダンプラーとは大違いだ。
だがこうして今、ファウストのような全国指名手配をされている泥棒が平気で歩いているのだ。
人々はもっと日常生活の中で危険を意識しなくてはならない。
そう、らしくないもない考えを抱いてしまうのは、これから行う仕事のせいで少し気が滅入っているからだ。
中央街を抜け、そろそろ貴族街へと差し掛かる装飾された華やかな人気の少ない坂道に出る。
するとそこに、一人のただならぬ尋常ではない気配を帯びた男の姿がファウストの視界に入る。
しかし、無視をて通り過ぎようとする。だが。
「その通り……人々はもっと危機感を覚えねばなりません。この国は少々、平和ボケが過ぎるようですねククク」
両眼を眼帯で覆い、黒い修道服を着る神父のような男がファウストにそう言い、呼びかけた。
ファウストはその修道服に見覚えがあった。
それは以前、シアラ神国で盗みをしに行った時に見たものだ。
茶髪の髪をなびかせ、近づいてくるこの男。
ファウストはポケットに手を突っ込んだまま視線を向ける。
「……まるで人の考えてる事がお見通しのような口ぶりですねぇ」
ファウストの言葉に男が不気味に笑う。
「ククク、いえいえ。……ただこの国に来て私が抱いた感想をただ独り言で述べただけです」
いけ好かない。
本能的にそう嫌悪感を抱く。
どこかファウストと似たようなオーラを放つこの男。
「独り言にしては、その通り、とか言ってたみたいですが?」
「ククク、面白いですね」
何が面白いのかさっぱり理解できない。
ファウストはその場を去ろうと背を向け歩き始める。
これから仕事があるのだ、一々構ってられない。
だが、その瞬間。
修道服を纏った男の手が物凄い速さでファウストの背後に迫る。
それを何とか間一髪の所で避ける。
しばし沈黙が流れる。
「……何の真似ですか」
すると男は指で掴んでいるモノをファウストに見せた。
「いえいえ、せっかくのお綺麗なスーツに糸くずが付いていたものでククク」
そう言いながら指で掴んでいる糸くずを払い、またしても不気味な笑みを零す。
只ならぬ気配を感じさせるこの男にファウストは身構える。
「……ンフフ、眼帯をしているのにわかるんですか? 貴方の国でいう所の信仰を極めた者に宿ると伝えられる心眼とか呼ばれるものですか?」
その発言を嘲笑うように口元をニッとさせて男は言う。
「私の国をよくご存知のようで。確かに我がシアラ神国にはそういった教えや伝説もありますが心眼なるもの等は存在しません」
「貴方のような、見るからに信仰者と思われる方がそんな事言って大丈夫なんですか? ……さて。では私はもう行きますね」
足早にこの場を離れようとする。
だが再び男が声をかけ、ファウストを呼び止める。
「伝説の泥棒王……そんな方があちらの貴族街まで一体何を? あぁ、お仕事ですか? ククク」
思わず足が止まる。
この男はファウストの正体を初めから知っていて絡んできている。
まるで全てを見透かしたような男の態度にいい加減、イライラしてきたファウスト。
「……ンフフ、私のファンか何かですか? サインならまた今度にお願いしますよ。これから仕事なもんでねぇ」
そう言って軽くかわす。
だが、あろう事か男の執った行動は流石のファウストも参るしかなかった。
ファウストの唇が触れそうな距離にまで顔を近づけてきたのだ。
「……止めてくださいよ、いくら熱烈な私のファンでも男とキスなんてしませんよ」
余裕の表情で困り果てるファウストに対し、男はその両眼の眼帯をゆっくりと丁寧に外していく。
するとファウストの表情が一気に険しくなる。
男の両眼には無数の眼を凝縮した塊のような眼球が二つ秘められていた。
「……ッ、千里眼ッ!? ……ンフフ、なるほど趣味の悪い眼をお持ちのようですねぇ」
当然、ファウストは知っている。
この魔眼、千里眼と呼ばれる存在を。
ファウストの支配眼がそれに呼応するように、時計盤のような神秘的な紋章が浮かび上がる。
それに快くした男が口を開け、舌を出す。
「ククク、貴方は実に綺麗な眼をしていらっしゃる、ぜひ私のコレクションに加えたいですね……」
支配眼を愛おしそうに覗き込む男。
そして何と、この男は支配眼をそのまま舌で舐めようとする。
だが舌が支配眼に達する前に、赤黒い火花のような光を発し、男の側からファウストが消えた。
「……なるほど。貴方が最近噂の通り魔事件の犯人ですか。えらく眼球フェチらしいですねぇ。今まで色々な狂った方達に会ってきましたが久しぶりですよ。貴方はそれらから群を抜いた変態、そう変態王ですよ!」
ここぞとばかり今朝、自分に与えられた称号をこの男に譲る。
「ククク、お褒めの言葉ありがとうございます」
しかしこの男はそんな称号に嫌悪感を示さず、不気味な笑顔で眼帯を再び両眼に被せると中央街へと歩み始めた。
「お仕事が終わった後で、人気の無い元宿泊街でまたお会いしましょう……ククク」
「せっかくのデートのお誘い悪いんですが、これまた男とデートするつもりも一切ありませんので申し訳ないですねぇ」
「ククク……貴方は必ず来ますよ」
不気味な笑い声と共に男の姿はどんどん離れていき、ここから姿を消していった。
「……厄介ですねぇ」
気づくとファウストの身体から汗が噴出ていた。
こんな感覚は久々だ。
ファウストの支配眼より脅威とされる魔眼、千里眼。
その力は全てを覗く力。
世界中の景色はおろか、思考、心、過去、未来、記憶、それら全てを覗く事が可能な脅威の魔眼とされている。
千里眼の存在数は他の魔眼と比べ圧倒的に少なく、その力も相まって、まず見つける事が困難。
しかし、そんな魔眼を持つ者がファウストの前にこうして現れた。
一体どんな目的かはわからないが、それでも明らかに、ファウストを狙っている。
初めて対峙する千里眼のその力と男の実力は未知数。
「仕事の後で会いましょう、……ですか」
千里眼を持つ者から逃れる術はない。
例えどれだけ完璧に隠れようが、あの眼の前では全てが無意味。
どこに居ようがすぐその存在はバレてしまう。
今も、こうしている間の姿も、心すら監視されている可能性だってある。
「……下着泥棒なんてしてる場合ではないんですねぇ」
しかし途中で依頼を放棄する事は泥棒王のプライドが許さない。
それに、どうもこの仕事が終わるまで、ファウストに手を出すつもりはないらしい。
「ッチ」
自分の意思とは関係なく、支配眼からチラッと赤黒い光の火花が散る。
千里眼と対峙した事で興奮が抑えられないように。
思わずその場に膝をつき、両眼を手で押さえる。
両眼が、支配眼が疼く。
「ンフフ、面白い……。久しぶりですねぇ、こうやって全力が出せそうな相手が現れるのも」
ゆっくりとその場から、笑みを浮かべながら立ち上がる。
興奮が抑えられず時計盤のような神秘的な紋章が浮かぶ支配眼で中央街の方角を怪しく見下ろす。
「いいでしょう。まずは下着です、下着の次は貴方の企みを盗んでみせましょう……ンフフ」
こうして魔眼と魔眼の予期せぬ衝突が繰り広げられようとした。




