魔眼と魔眼:1話
ノイタール聖国の辺境の地。
そこにある酷く荒んだ小さな酒場。
シルビアはカウンター席の奥で何枚もの依頼書に眼を通し、淡々と整理している。
特に最近ではその数が急上昇している。
闇の仲介屋への依頼はほぼ毎日大量に舞い込んでくる。
それは表と裏の世界を問わず、世間では公表される事のないような内容も多々ある。
今まで築き上げてきた、絶対の信用を誇る彼女の元に依頼が途切れる事はない。
そんなシルビアが作業する中、下着泥棒に向かったファウストに留守番を頼まれたバッドエンドは暇を持て余していた。
「そういえばこうやってシルビアと二人きりになるのって始めてだね~」
カウンター席で寝伏しているバッドエンド。
そんな少女が黙々と作業をこなすシルビアにかまって欲しそうに言う。
ファウストに救われてまだ数日と経っていないが、その間はずっとファウストにくっついていたのでこうしてシルビアと改めて二人きりという状況はなかった。
「……ふぅ。そういえばそうだな」
資料を整理する手を止め、コーヒーを飲み一息つく。
ファウストとバッドエンドに関連した依頼の尋常の多さに頭を抱える。
そんなシルビアの悩みを他所にバッドエンドがカウンターから前のめりになって満面の笑みで質問する。
「あのさあのさ、シルビアに聞きたい事があるんだけどッ」
シルビアも度重なる業務に、肩が懲り疲れていたので休憩がてら付き合うことにっする。
「良いだろう、あたしに答えられる範囲だったら答えよう。こちらも聞きたい事が色々ある」
こうして魔鍵と話す機会など滅多にない。
シルビアも聞きたい事が沢山あった。
此処にファウストが居ない状況は好都合。
「ファウストとシルビアが持ってる魔眼ってのは何だい?」
開口一番に飛んできたこの質問、何の悪気もなく純粋に質問を投げかけてくるバッドエンド。
それに一瞬、シルビアの表情が曇る。
魔眼を持つ者は普通、それに対する話をしたがらない。
それは過去を遡り、ずっと忌み嫌われ、迫害を受けてきたからだ。
しかし、シルビアは不思議とこの少女の持つ独特の魅力に魅せられ、気分を害する事無くその質問に答える。
「魔眼、か。そうだな、まずファウストが持つ特殊な眼、あれは支配眼と呼ばれている。それは知っているな?」
「うんうん!」
シルビアに顔を近づけ激しく頷く。
「その他にも魔眼は存在して、混沌眼、千里眼、支配眼、破壊眼、記憶眼、神殺眼、という順で世界に与える影響が大きいとされている」
六種類の魔眼。
世界に災いを運ぶ悪魔の眼。
それぞれの魔眼にはその種類に応じて特殊な力が備わっている。
それは天性的なものでこの世に生を受けた時点で両眼に宿り、誰しもが魔眼の所有者となりうる。
不幸にも魔眼を持って生まれた者はその瞬間から過酷な運命を強いられる。
「……変態王の持つ支配眼は時空を歪め、支配するとされる魔眼だ。世界から三番目の脅威としてされている」
通常の時間が流れる世界の中、全てがコマ送りのスローモーションの世界に映しだし、その中で驚異的な逸脱した動きをしてみせる支配眼。
だがそれ以上に強力な魔眼が二種類あるとシルビアは言う。
「流石はファウスト! そんなに凄い魔眼を持ってるなんて惚れ直しちゃうぜ!」
両手を頬にやり、目を瞑りながら愛しの主に想いを馳せながら身を悶えさせる。
そんなバッドエンドに深く溜息を吐き、呆れるシルビア。
この少女は魔鍵、どうやら魔眼に対する世界の事情等は通用しないようだ。
「お前……あんな男を慕っていてもロクな事はないぞ?」
一応そう進言してみるもののバッドエンドの心には届かず。
「そんな事ないさ! ファウストはワタシに自由をくれた素敵な人だよ! ……これまで求められるだけだったワタシにファウストは初めて願いを聞いて、それを叶えてくれた」
自分に自由を与えてくれたファウストに、留まる事のない恩を感じ、優しく接してくれるそんな彼に尽くしたい。
今のバッドエンドにはそれしかなかった。
「それは本当の自由になるのか? それでは今までと同じで主にただ付き従っているだけじゃないのか?」
その言葉にバッドエンドはシルビアが用意してくれたミルクを一口飲み、微笑む。
「まだファウストと契約して数日程度なんだけどさ」
そう前置きをする。
「一緒に村に買い物にいってこんな立派な服を買ってもらったり、綺麗な景色の場所に連れていってもらったりして毎日が楽しいんだ」
そこには見た目相応の可愛らしい顔で微笑む姿がある。
とても魔鍵とは思えない。
今までただ道具として主の命令に従ってきた長い人生。
それを思い返してもこれ程、幸せだと感じた事はなかった。
初めて抱く幸せというこの感情。
そう語り、美味しそうにミルクを飲むバッドエンドにシルビアも優しく微笑む。
「ふん、あの女タラシめ……」
魔鍵として過酷な境遇を通ってきた少女は魔眼を持つ者と似ている。
バケモノと罵られ、迫害され、命を狙われてきた魔眼を持つ者達に。
だからこそファウストはそんな少女から枷を盗み、救ったのだろう。
かつての自分が同じく救われたように。
「そういえばファウストとはどれぐらいの付き合いなんだい?」
かつて泥棒王と呼ばれた男が今では闇の仲介屋に舞い込んでくる依頼に、ただ従い盗みをする。
それに対してバッドエンドは疑問を抱いていた。
この二人の関係性に興味がある。
「……残念だがそれはまた今度にしよう。どうやら客人だ」
シルビアがそう告げると酒場の出入り口が開き、一人の男が現れる。
その姿に、バッドエンドは見覚えがあった。
「な、……」
すぐさまカウンター席から立ち、両腕を刃に変化させ、戦闘態勢に移る。
この男の姿、というか同じ物を先日、ギルバルドの邸で見た。
その白く輝く鎧、そこに強調する様に刻まれたノイタールの紋章。
ノイタール聖国に属する兵だ。
今にも襲いかかってきそうなバッドエンドに兵が思わず声を上げる。
「ちょ、ちょっと待つッス!! 俺は敵じゃないッスよ!!」
「え……?」
慌てて誤解だと釈明しようとする兵に、バッドエンドは戸惑いながらカウンターの奥で静かにコーヒーを口にするシルビアに視線を送る。
「んー……いいや、そいつは敵だ」
そう言うシルビアの反応にバッドエンドがすかさず刃を構え直す。
「あ、姉御そりゃないッスよッ!!?」
シルビアの事を姉御と呼び、何とか自分に刃を向ける魔鍵の少女を鎮めるようその場に足を着け懇願する。
明らかに様子がおかしい。
「シルビア……?」
「……はぁ、バッドエンドそいつは大丈夫だ。いつでも殺せる」
「ちょ、さり気なく怖い事言わないでく欲しいッス!!!」
何が何だかわからないバッドエンド。
一切、殺気を感じさせないこの兵とシルビアの発言に一度両腕の刃を元に戻す。
「そいつはリア=ルービック。あたしの下僕だ」
「げ、下僕って……ハハ。言い返せない辺りが悔しいッスね……」
涙を流し店内にゆっくりと入ってくるノイタール兵。
未だ理解が追いつかないバッドエンド。
何故このノイタール兵とこのシルビアが繋がっているのか。
「えーと、下僕さん?」
「リア=ルービックッス!!! 変な風に紹介するの勘弁してくださいよ姉御ッ!!!」
バッドエンドにまで下僕呼ばわりされてしまい、シルビアに大声をあげて改めて説明を要求する。
だがそんなリアに対して悪びれる様子も、何ら反応する様子もなく、再び依頼書や資料の整理に戻る。
「だぁあああああッ!!! 俺への扱い相変わらず雑すぎッスよ!!! 兄貴ッ!!! ファウストの兄貴はいないんスかッ!!!」
店内を見渡し、ファウストの姿を探す。
だが、その姿は確認できず肩を落とし、ガックリとうなだれてしまう。
バッドエンドがそんなリアの鎧越しの背中をポンポンと軽く叩く。
「な、何スか……?」
「ファウストは今、下着を盗む為に外出中だよ」
思わずその言葉にリアは目を皿のように大きく見開く。
あの伝説の泥棒王がまさかの下着泥棒。
「ちょ、ちょっと姉御……あの依頼、兄貴に任せたんスか!?」
カウンターの奥で新聞まで読み始めたシルビアがバッドエンドを手招く。
それに首をかしげながらバッドエンドが向かう。
そしてシルビアがわざと聞こえる音量でバッドエンドに話す。
「あいつ、うるさいから基本的に無視でいこう」
「ひでぇええええええええええ」
二人のこのやり取りにいい加減、バッドエンドも気になって仕方がない。
「で、この人一体何なの?」
「そうだそうだッ!!! 正確な説明を要求するッス!!!」
今までにない程の溜息をつき、面倒臭そうな顔で仕方なく答えるシルビア。
「……リア=ルービック。表舞台で動けないあたしの代わりに依頼を受けたり、依頼の結果を渡したり情報収集をしたりと、まぁ、便利な手足のようなものだ。パシリ……助手と言った所だ」
パシリという発言を否定せず、ようやくまともに自己紹介がされた所で得意気にコホンと咳き込むリア。
「俺こそが闇の仲介屋の一番弟子のリア=キュービックッス!!! どうかリアと呼んでくれッス!!!」
バッドエンドに手を差し伸べ親交の証である握手を求める。
それに応じようとバッドエンドが手を差し伸べようとする。
が、シルビアに制止されてしまう。
「そうだバッドエンド、ここに美味しいチョコレートがあるんだがこのミルクにとても合うぞ」
「おぉ、それは食べてみたい」
目を輝かせ、握手を終える前にバッドエンドの方に行く。
「ど、どんだけ俺が嫌いなんスか!!! もっと愛を持って接して欲しいッス!!!」
ファウストという玩具が居ない今、その身代わりがこのリアだ。
「こ、これが……チョコレート……美味すぎるぜ!? あ~幸せぇ~」
すっかりチョコレートが気に入り、一緒にミルクとその味わいに幸せそうな表情を浮かべ堪能している。
そんなバッドエンドに優しい笑みを向け、リアに険しい視線を向ける。
それに気づいたリアの背筋が凍る。
「そ、そうだった……。えと、例の連続通り魔の情報なんスけど……ノイタールの兵達の所に侵入したり、被害に遭った周辺の住人に聞き込みもしたんスけど、一切目撃情報が無かったッス。何度かノイタールの兵らも囮捜査をしてたみたいッスけど、ことごとく皆殺しで失敗に終わってるッス」
「何……?」
つい最近、連続通り魔として世間を騒がしているアイズと呼ばれる犯人。
もちろんシルビアの元にも犯人の確保の依頼がきている。
「これだけの事件でありながら、一切その正体が掴めないとはとても人間業とは思えんな……もしやアイズは――」
唇に手をやり、考えを張り巡らせる。
こんな時、ジルが生きていれば。
かつて世界一と呼ばれた情報屋であり、シルビアとも親交が深かったファウストの偽りの親友の姿が頭をよぎる。
「ふぅ~、チョコレート……恐るべき食べ物だぜ」
その味に満足したバッドエンドがお礼とばかりにシルビアに提案する。
「被害者は全員、女なんだろ? ならワタシが囮になろうか?」
確かにバッドエンドなら仮に襲われても一方的に殺される事はないだろう。
しかし、この少女もまた世界中が狙う魔鍵だ。
「駄目だ、アイズを捕まえる前に魔鍵であるお前が捕まる可能性もある」
それを聞いたリアが自身溢れるその表情でカウンター席に腰を下ろす。
「姉御ッ!!! 俺に任せてくださいッス!!!」




