魔眼と魔鍵:10話
偽りの親友、ジルがこの世を去ってまだ日が浅い。
「はぁ……」
ノイタール聖国の辺境の地。
そこにある酷く荒んだ小さな酒場。
店主の女、闇の仲介屋ことシルビアが深く溜息を吐く。
「あれまぁ、大きな溜息だねぇ。せっかくの綺麗な顔が台無しだよ? ほら、スマイルスマイル~」
ギルバルドの邸にいた頃よりも華やかな衣装を身に纏うバッドエンド。
両手の人差し指を自分の頬に当て、シルビアに満面の笑顔を見せている。
「放っておいてあげましょう、そういう歳なんでふぐぉッ」
店の奥にある横長の団体客用の椅子に偉そうな態度でふんずり腰掛け、コーヒーを飲むファウストの顔に分厚い本が鋭く投げつけられた。
慌ててバッドエンドがファウストを心配して駆け寄る。
「……誰のせいでこんな溜息つかされてると思ってるんだ」
うなだれるように額に手をやり、テーブルに置かれる依頼書の数々に苦悩するシルビア。
その全てはファウスト、バッドエンドについての依頼だった。
先日の事件で魔鍵の情報が世界各地に広まっていったのだ。
「痛てて……別に良いじゃないですか。どうせジルから大量の前金を貰ってたんでしょ? いっその事、闇の仲介屋なんて廃業してその金でこれからの余生を楽しんで私をとっとと解放してくだぷげらッ」
再び分厚い本がファウストの顔面を襲う。
大丈夫? と、バッドエンドがファウストの首に手を回し、顔を近づけ、首をかしげながら心配する。
痴女大歓迎のファウストも、流石にこう純粋無垢に積極的にこられると照れくさく顔を真っ赤にしてしまう。
そんな、いちゃつく二人にシルビアの苛立った声が飛ぶ。
「誰があの状況からお前らを助けてやったと思ってるんだ、えぇ? ……この代償は高くつくぞ。当分、お前にはタダ働きをしてもらうからな、ってオイ……聞いてるのか変態、女タラシ」
「酷い言われ様ですが、まぁ……感謝してますよ」
ギルバルドの邸に押し寄せてきたノイタール兵達。
魔鍵が絡んでいる事もあって部隊の中にはノイタールが誇る最高実力者と呼ばれる顔もチラホラと駆けつけていた。
しかし、ファウストは疲労困憊しており支配眼も使う事ができず、バッドエンド一人では到底突破できない包囲網が敷かれていたのだ。
あのままだと間違いなくファウストは死んでいた。
そこから二人を逃がした救世主こそ姿を隠し現れたこのシルビア。
彼女もまたファウストと同じく魔眼を両眼に秘めている。
その魔眼の力は強力で、二人を逃す事は容易く成功した。
「……ジルに頼まれていたからな、そこはまぁ仕方ない。それより見ろこの記事」
シルビアがいちゃいちゃするファウスト達の目に新聞の記事を突きつけた。
内容はこうだ。
泥棒王ファウスト、魔鍵の強奪に成功。
四大国家はこの自体を改め、泥棒王ファウストへの警戒を強化し、魔鍵の回収に全力を注ぐ事を宣言する。
「ンフフ、またまた沢山のファンが押し寄せてきちゃいますねぇ」
「あっはっは、何だか凄い人気者だねワタシ達」
「よし二人とも少し黙れ」
その華奢な身体からは想像できない威力を持つ拳が二人の頭上を襲う。
ファウストには+α意図した感情を込めてより強烈に。
二人とも激しい痛みを抑えるように頭をさする。
「……いいか、魔鍵の、バッドエンドの確かな存在が世界中に明るみになった事で既にあたしの所にもこうして大量の依頼が来ている」
世界中が血眼になって二人を探している。
しかし、ファウストは既に全国指名手配されている身。
今まで数多くの暗殺者、殺し屋、国の兵を相手としてきたが、今回の件でより強力な実力者達や権力者達も全力を出してその行方を追ってくる。
「大丈夫さ、ワタシが何があろうとファウストを守る」
そう言って程よい胸を張り、キリッとした表情でファウストに再び抱きつくバッドエンド。
ファウストはその胸の感触に思わず鼻の下が伸びてしまう。
「ンフフ」
まんざらでもなさそうなファウストに更に苛立ちを隠せないシルビアが冷たく言い放つ。
「フン、忘れるなよ。これだけ大々的にお前が魔鍵を持っていると公開されているんだ、”あいつら”だって今まで以上にお前と接触しようとしてくるぞ」
”あいつら”その言葉に一瞬、顔が曇るファウスト。
魔鍵をギルバルドがどういう経緯で手に入れたのかもまだわからない。
バッドエンドにそれを聞いてみたが、どうやらその記憶は消えている。
何か不穏な動きを感じる。
しかしすぐにいつものファウストに戻る。
「誰が来ようとも返り討ちにしてあげますよ、私の命は誰にも盗れない」
泥棒王と呼ばれる男の絶対の自信。
それは慢心や驕りではなく、今までの過去の経験が積み重なってできた発言。
「そうさ、バッドエンドちゃんだっているんだ。どんな相手だろうと斬り刻んでやるさ」
いきなり片手を刃に変え、シルビアにそうアピールする。
魔鍵であり、戦闘センスも群を抜くこの少女。
しかし、シルビアの不安は拭いされない。
確かにファウストは強い。
だがそれでも決して世界最強の不死身というわけではない。
人間である以上、死から逃れる事はできない。
世界にはファウスト以上の実力者も存在する。
その者達から、魔鍵の契約者である限り今後狙われ続ける。
「……まぁ、せいぜい長生きする事だ。あたしは今回の件で今まで以上に表舞台に現れる事ができなくなってしまった。当てにされても困るぞ」
そんなシルビアに真剣な表情でファウストが切り出す。
「それにしても、」
バッドエンドに眼をやり、次にシルビアの方を見る。
「本当に、……バッドエンドは私が貰っていいんですか? ……貴女は欲しくないんですか?」
その発言にバッドエンドが慌てふためく。
「お、おいおい、今更ってもんだろ……、君はワタシと契約したれっきとした魔鍵の契約者だぜ? そりゃ四六時中、食事だろうがお風呂だろうがトイレだろうが何だろうがベッタリに決まってるじゃないかッ!!」
「あ、有難い申し入れですが流石にトイレはちょっと恥ずかしいですねぇ……。しかし、ふ、風呂は悪くないですねぇンフフ」
和気藹々の中、水を差すように冷静にシルビアが告げる。
「元々その魔――その娘はジルの依頼の品だ。だが、その依頼主はもうこの世にいないんだ。なら盗んだお前が好きにしろ」
ファウストは偽りの親友を殺め、刻印の入ったその右手を見つめる。
「……更にお前は何を思っのたかバッドエンドとそうして契約を結んでいる」
右手の甲、そこに刻まれた確かな契約の証。
「そいつがある以上、お前を殺すか右手を切り落として刻印を消さない限り魔鍵を手にする事はできない。……あたしにそんな寝覚めの悪い真似させるな」
そう言うとシルビアはカウンターの奥へと消えていった。
どんな願いでも叶うとされる楽園への鍵。
こちらに愛らしい笑顔を振りまくこの少女。
楽園にしろ、魔鍵にしろ世界は未だ知らない事だらけ。
世界を思いのまま改変できる楽園の力に興味が無いと言えば嘘になる。
それでも、
「ねぇねぇ、ファウスト! ワタシさぁ一回行ってみたい所があるんだけど良いかな?」
今はまだこの世界に満足している。
「ンフフ、お付き合いしましょう」
ジルが憎み消そうとしたこの世界。
ジルがファウストという親友と出会い、消す事を戸惑ってしまったこの世界。
そして案外悪くないこの世界に、ファウストはあの人によって楽しみを見出している。
しかし、泥棒王ファウストと魔鍵バッドエンドという少女の出会いによりこの世界は否が応でも大きく改変されていく。




