91 フェードアウト帰路
次の日、普段ならば眠気に襲われまともな記憶もなく過ぎる朝のホームルーム。地獄の時間である筈のホームルームだがしかし、この日のリュウには遅れてくるフェルマの顔でさえも真剣に見つめるに値した。
「う~い、出席取るぞぉ」
いつものような怠さが滲み出たフェルマの言葉。マリーを除く全員の名前を呼び終え、一限目が始まろうかと言うときだった。
「またマリー休みですかぁ?」
ティナが聞く。
「あ~。あいつなら昨日休学届け出したぞ。だから当分来ねーな、ってこれ言っちゃまずいか」
「え!?」
その驚きは誰しも当然の反応だった。立ち上がる者や、泣き出すマリーのファンもいる。各人各様少なからず驚いていた。
「なんでだよ!」
「お~今回は机ひっくり返さないのなリュウ」
「冗談はやめろよ。なんで休学届けなんか」
「そんなのはアイツに聞け。俺は一限の準備で忙しいんだ」
そう言うと、フェルマはそそくさと職員室の方へ戻って行ってしまった。まるで、そのことについては禁句だと言うように上手い具合にはぐらかす。
残された空気の湿っぽさと重さは、残暑の残る季節特有のものだけではなかった。
* * *
「ふう」
これでもかと言うほどにクローゼットの洋服をトランクに詰め込んだ。朝早くから行っていた荷造りも、あとはトランクの鍵を閉めるだけだ。
「ニケ……」
無意識のうちに心の中から漏れ出していたその言葉を飲み込み、マリーは寮の廊下へ出た。
女子の部屋は六階で、部屋の造りは全て同じだ。廊下も他の階と何ら変わりなく、赤い絨毯の上にある要所要所の観葉植物がそれっぽさを固める。別段広いとは、マリー曰く言えないこの廊下も今ではとても懐かしく思えてくる。
少し歩き、一階まで瞬時に行ける転移魔法陣に乗る。魔力を少し吸い取られ、そのまま視界は一変する。
豪華で、まるで高級ホテルのエントランスのような一階ロビーは、そこだけに限らず学園の特色だ。毎日届く新聞で魔導師達の活躍に目を輝かせる生徒たちがよく見られる。昔とは違い、活気立っているこの場所での思い出は、全部が全部楽しいものだ。
少し立ち止まり、思い出に耽っていたマリーだが諦めてまた歩き出す。
(ごめんねイクト君)
寮を出て、二年生の屋外実技を一瞥し正門を越える。見えてきたアルティスの街並みはいつもと違う。首都であるこの街は賑やかで騒がしいのだが、若干の威圧感を感じてしまう。
天候も穏やかになり始め、店に出る品物も秋のものへと変わった。時々街にくる行商人も、今日は多く店を構えている。一歩進む度に何かを買わされそうになりながら、一番活気ある場所を通り抜ける。
街の大通りに出ると、西の方には王国魔導軍隊【アルテミス】が見える。巨大な鉄門からは離れているここでも確認できる。
ミルナやロイから教えられた魔法は、また強くなった。二人に見せたいものだが、これでも今は急いでいる。トランクのタイヤをからからと鳴らし、マリーは歩き出す。
そろそろ学園も昼休みに入る頃だろうか。ここから目的地までは、馬車で五時間。日没までには楽々到着するが、念には念を。そう考えたマリー。馬車が来るところまで少し足早で向かうことにする。
「あ、お土産買ってない……」
ふと、立ち止まった。あの家を出るとき約束していたのだ、アルティスで売られる観賞用魔晶石を買っていくと。すっかり忘れていた。時間には余裕があるため、取り敢えず見て回ることにマリーは決めた。
「何色がいいかな~」
魔力の種類によって色が変わる魔晶石のオブジェは世界的にも人気だ。他国との交渉の席でも良い武器になるのだと、夢のない話を聞いたことがある。
使用人全員の好みを把握しているわけではないため、とにかく悩む。いっそ全て同じ色にしてしまおうか。考えに考えを重ねていると、路地裏に入り込んでしまっていたことに気づいたマリー。
明らかに空気まで暗くなった辺りに、少しずつ恐怖心が芽生えてくる。
「ここはどこだろう」
割と見知ったつもりだったが、見覚えのないその場所はまるで自分を飲み込む迷路のように入りくんでいる。後ろに戻ろうにも、それで帰れるのかもわからない。そうしていつのまにか本当に迷ってしまっていた。
「知ってる人、いないかなぁ」
なんて呟いてみたその時、路地と路地を抜けたその先に一軒の店を見つけた。看板に書かれた文字には『マジックショップ』とある。
「あ、ここ」
不思議な感覚で巡りあうその店を、マリーは思い出す。
あれは、リュウ達と魔闘祭に向けての特訓をしようとしたときのこと。結果的にロイとミルナに魔法を習ったがそうでなければ来る予定だったのがこの店だった。自分で提案していた場所だった。何度通おうとも必ず同じ道は辿らない不思議な店だ。
ここなら望みのものが手にはいるかもしれない。そんな一縷の望みにマリーは賭け、店の扉を開ける。
開ければそこは別世界。隅々まで並べられた品は、全てにホコリを被せられている。ホコリの化粧を舞わせる店内は、健康には良くないだろう。
人一人がやっと通れる程度の隙間を残し、あとは全て売り物だ。その店の隅の椅子に座る老婆。彼女が薄目を開け、声をかける。
「いらっしゃい」
「リスティアさん、こんにちは。今日も買い物に来ました」
「もう牛一頭はやめとくれ」
「ふふ、違いますよ。今日は観賞用の魔晶石が欲しくて。色の種類はどれくらいあります?」
辺りを見回しながらマリーは言うが、それらしきものは見当たらない。もしかしたら魔晶石は無いのかもしれないと、すこし不安になる。
「さて、全部の色の名前を言えるかねえ」
「なら、全部ください」
すこし頭を下げる。ふわりとウェーブのかかった髪が風に乗ったかのように揺れ、ついでにその大きな胸まで揺する。クラスの男子の希望は伊達ではないのだ。
「ヒッヒッヒ、待ってな」
嗄れ声でひとこと言うと、纏っていた不気味なオーラごと奥へ入っていった。その動作も去ることながら、薄暗い店内に一人残されたと言うことも、不安感を掻き立てられる。
数分と経たぬうちに出てきたリスティアは、片手に杖を、もう片方に麻でできた袋を携えていた。
「これだよ」
嗄れ声の後、生気の感じられない手で渡された。
その袋を開けてみると、ビー玉のように丸く透き通っている石を見つけた。袋一杯に詰め込まれている。
「うわぁ! キレイ!」
それらは薄暗い店の中でもはっきりと色を誇示し、光り輝いていた。
赤や黄色といった見知った色から、初見では断言できないような名前の色まで。十秒ごとに色が変わるものもあれば、色の線が中で渦巻いている物もある。
カラフルな石たちは、美味しそうなキャンディにも見えれば、手の届かない夜空の星々にも見える。
とにかく綺麗で、そして時間を忘れさせるほど見惚れてしまった。魔力の流動によって終始色が変わる所など、もはや簡単には言葉で表せない。
「迷っちゃうな~、いくらですかこれ?」
「三千Gさ」
「普通に買ったらその倍はするものね。よし、思いきって四つ買います!」
「何言ってんだい全部で三千さ」
「ぜ、全部!?」
宝石に匹敵する価値を持つその石が、袋一杯に詰めても三千円の値段となっている。普通の者ならば容易に品質を疑うし、逆に買うことを躊躇ってしまうほどに不自然な値段だが、金銭感覚にあまり長けていないマリーには少し分が悪い。
「か、買います! やった!」
紙幣三枚を渡し、袋をそのまましまう。マリーはもう一度リスティアに礼を言うと、さっさと店を出た。
「どうせ盗られるんなら、タダにしてあげても良かったかねえ。ヒッヒッヒ」
不気味で嗄れた笑い声のみが薄暗い店内に響く。マリーはそんな言葉など露とも知らず、アルティス正門まで向かった。
「おーっとお嬢さん、おじさん達と一緒に来てくれないかい?」
リスティアの店を出てから僅か三分、曲がり角を曲がった瞬間。口をハンカチのような物で押さえつけられ、胸を捕まれる。「デカッ」などと何かに驚くも、瞬時にマリーはパニックになりそんなことは意に介せない。
口に当てられたハンカチの変な臭いを嗅いでしまい、だんだんと意識も遠くなっていく。落ち着くことすらできぬまま静かに落ちていった。
「ふぃー良かった」
「ばっきゃろ、早く行くぞ。ちんたらすんな!」
「へいへい、にしても兄貴、コイツすっげえぜ!」
「何がだ」
「ばいんばいん」
「ばっきゃろ、さっさと歩け!」
トランクとマリーを担ぎ上げ、上機嫌に路地を歩いていく二人。たったの数秒の誘拐劇は、誰の目にも留まらずに行われていた。




