89 小さな出会いと、溝
「う~い、席着けぇ」
教室に入ってから数分が経った。リュウの遅刻はこの男が担任となってからかなり差し引かれている。ひとえに彼も遅いというだけである。
かったるそうに入ってきたその担任は、ボサボサの黒髪を揺らすフェルマ。死んだ魚のような目は健在だが、それはそれで個性だと最近ではAクラスの生徒達も慣れた。本当に慣れとは恐ろしいものだと、リュウも思う。
「今日の欠席者は……マリーだけか~」
適当に出欠をとって済ますが、ティナにとってはそうもいかない。
「なんで休みなんですか!」
「知らねえ。休むとしか聞いてねえもん」
「担任なんだからちゃんと聞いてよね」
「へいへい」
はぐらかして早々フェルマは教室を後にする。
「なんで休みなの……」
ティナはフェルマを追いかけようとしたが既に姿を眩ましていた。おそらく、まだ暑さの残る廊下から超全速力で冷房の効いた職員室に向かったのだろうと思われる。
「イクトは何も聞いてないの?」
「ええ、まあ」
「なんでよ~。イクトの恋人じゃん」
「「え!?」」
ティナの爆弾発言にクラスの生徒全員が振り向く。男子からは怒りの、女子からは好奇の目が向けられている。
「ご冗談を。僕とマリーはただの……友達ですよ」
一瞬、言葉に間が出来た。しかし、注意しなければ気づかない微かなもので、それを指摘しよう者などいなかった。
「うそだー! この前マリーと街で買い物してたぜー!」
そこで生徒の一人が叫ぶ。その一言を皮切りにイクトに皆が歩み寄った。あれやこれやと質問攻めにしていく。
「僕は少しやることがありますのでこれで。アル、早くしないと」
「え、うん。え?」
強引にアルを引っ張り教室から逃げていく。
ティナも、先の言動についてイクトの代わりにと質問攻めになってしまった。急浮上した恋愛トークは、一限が始まる予鈴を受けてもなお、ドタバタと教室全体をおかしな方向へ騒がせる。
* * *
ふんふんと音程のズレた鼻唄を混ぜ、街を歩くのは赤褐色の髪の少年。
隣で足をちょこちょこ動かしながら懸命にその少年に着いていこうと、小さい足とまん丸の尻尾を動かしタヌキは頑張っている。赤褐色の髪の毛の少年アッシュ・ディオレンは、早歩きで街の中を目的に向かって歩いていた。
理由は簡単、彼は人が苦手だからだ。
平日だというのに、街は活気立っている。果物を売るおじさんの呼び掛けや、パン屋の店長の華麗なレジ捌きに群がる人々など、人が多い。さっさと帰るべく、鼻唄で気をまぎらわせながら街の中央を通っているのだ。
「あら~かわいい坊やね~」
「ひぃっ!」
『キャン!』
「ひっ!」
細長いパンを抱えた女性が笑顔で話しかけてくる。声一つにアッシュは驚き、その驚く声でタヌキのダイちゃんが驚き、さらにその驚く声でまたアッシュが驚く。
コントをしに街へ出たわけではないのだ。ダイちゃんに足を押され、その場を急いで離れる。恥ずかしさと訳のわからない怖さが襲ってくる。
「ダイちゃん、僕たちは夕飯の買い物に来たんだ。お昼は干し肉で足りたからいいけど、やっぱり居候が何もしないのはよくないよ。お手伝いだ」
『キャン!』
ダイちゃんに、というよりは自分自身に言い聞かせながら八百屋へ向かった。アッシュの少ない料理のレパートリーの中から、一つ一つ吟味していく。今日のメニューは、パンを使わないご飯中心のメニューだ。
何故か一室にたくさんの米俵があったリュウの部屋を見て、パンは要らないと判断した。
「あれ、そもそもここどこだ?」
『キャン?』
周りを見ないように歩いていたことが裏目に出て、慣れないアルティスの街中で完全に道に迷ってしまった。裏路地の少し入りくんだ所に出てしまっている。
学園に帰ることは、それが目立つものだから簡単だが、そのような状況の裏路地に真っ当な八百屋が無いことくらいは子供心にもわかる。
しかしそれでも、歩を止めることはしない。わからなくなったというのに歩き続ける天然さは、筋金入りだ。森での暮らしが仇になった瞬間だった。
「こういうときはどうすれば良いか知ってる?」
『キャン!』
「そう、靴飛ばしさ! ほんとは枝があれば良かったんだけど、まあしかたないね!」
歯止めが効かないと言うのは、時にとても残酷だ。
「どっちに、行~こ~う~か~なっ」
スニーカーが宙で弧の字を描き、飛んだ先は左側。綺麗に爪先が道を真正面に捉えていた。まるで本当にそちらへ向かえと指示しているかのようだった。
「こっちだ!」
『キャン!』
一人と一匹は勢いよく駆け出した。その後も靴飛ばしを何回か繰り返し、着いた先は怪しい店の前だった。無意識と言われればそれまでだが、しかし意思はあった。けれどもそこへやってきた。
看板には大きく『マジックショップ』と書かれている。
並ぶ建物の隙間にひっそりと佇むその店は、影に隠れているということもあるのか少々不気味だ。看板の至るところが錆び付いており、店の前には紫と赤の花が数輪咲いている。
カラスが鳴いていることも含め、そこは近寄りがたい。しかし、何故か入らなければならないような不思議な気分にアッシュは陥った。呼ばれているような不思議な感覚。
「入ってみようか」
見えない糸に引かれるようにアッシュは『マジックショップ』に入った。
カランと扉に付けられた鈴が鳴り、薄暗い店内へと入る。やはり、外観と同じく中は小汚ない店だった。
店の中央の台の上には魔法関係の道具が置いてあり、壁付近にはそれを囲むように棚が設置されている。そこにはありとあらゆる魔法道具が隙間無く並べられており、初見ではきっと何を買うにも混乱する。
「ヒッヒッヒ、いらっしゃい」
店の隅の椅子に腰かけた老婆。茶色いポンチョに身を包み、こちらを見つめて来るのは八十代くらいのおばあさんだった。
「こ、こんにちは……」
喉を無理やり開き声を出した。
「おや初めましてだねぇ、アッシュ・ディオレン。あたしゃあリスティア。ようこそ私の店へ」
「え? なんで僕の名前」
「ヒッヒッヒ、不思議だろう?」
いたずらっ子のように笑うリスティア。歯の一つが金歯という事はわかったが、詰まるところ不気味なだけである。
「こ、ここは、何を売ってるんですか?」
精一杯の勇気を振り絞ってアッシュは話しかけた。まだまだ恐怖の方が強い。
「何でも売ってるよ。あんたの欲しがってるジャガイモもニンジンもタマネギも。ただタマネギは特にやめた方がいいかもねぇ。リュウの使い魔は狼だから」
「え、なんで……」
アッシュはリュウにカレーライスを作ってもらうつもりだった。ダイちゃんにすら言ってなかった今日の夕飯の材料まで当ててしまったリスティア。
さらに、リュウが使い魔である銀狼カルデアと仲良くなりたいとも言っていた。夕飯をご馳走してあげるとも言っていたのだ。
それを、一瞬で言い当てるリスティアに一層恐怖心が強まった。
「ヒッヒッヒ、あんたは極度の人見知りだねぇ。だけど私を見ても逃げない。根性あるじゃないか」
物凄く怖いのだが、誉められるとやはり嬉しい。単純なものでだんだんとその恐怖心もいつの間にか薄れていっている。
「またおいで。あんたの欲しいものなら何でも売ってあげるよ。今度はリュウと来な」
リスティアがしわがれた声で言った。全てを見透かしたような瞳が凄みを増している。
入ってから握っていた拳も力は弱まり、ジャガイモとニンジンを袋に入れお金を渡す。しわがれた手と声が妙に優しく感じた。会釈をして出たアッシュとダイちゃん。
「不思議な店があるもんだ」
まだ慣れはしないが、怖くは無いなと思う。人見知りを一歩克服した、ような気がするアッシュだった。
* * *
その日の放課後。マリーの部屋の前にやって来たティナは一度インターホンを押した。
ティナは家事が得意ではない。アルのように絶望的でも、リュウのように天性の才があるわけでもない。だからこそ駄目なものはとことん駄目で、それすなわち得意ではない。特に料理はからっきしだ。リュウが作ってくれるならば、代わりに手伝いや材料の調達などは自分からするが、リュウが作れないときだってある。そのようなときは十割外食になるのだが、今日は少し惣菜を買いすぎてしまった。
ティナは買いすぎて余った夕飯を持って、マリーの部屋の前までやって来ていた。インターホンを軽く押し返事を待っているところだ。
「う~ん」
返事は無く、もう一度押すがやはり何も応答がない。
外が暗くなってから少し経っているというのに、いないというのもあまり考えられない。マリーは特に夜間の外出を好まない質で、いつもこの時間は家でヘンテコ料理を寸胴鍋で作っている。
そうなると、つまり無視されているのか、頭にはそれがよぎった。
「マリー、いるー?」
ドア越しに呼んでみるが反応は無い。人通りも少なくなった通路でこうして大声を出すのはさすがに迷惑だろうと感じたティナは、確認のためにもう一度インターホンを押す。それでもやはり出て来ない。その日は結局、マリーの顔を見ることは出来なかった。
「はあ」
リュウのもとへ相談に行こうとも思ったが、変にややこしくなりそうなのでそれはしなかった。ヒョウ柄のアシカが描かれたお気に入りのパジャマに着替え、化粧水を塗り、寝る準備を整える。
落ち着いたその時間が生まれると、ここ最近のリュウ達の関係を思い出してしまう。悪化してしまった友情関係に対して何もできない自分を、あからさまに強調してしまう。
リュウとアルは男同士の問題だから手は出せない。イクトも【メガイラ】と呼ばれる奴らを前にしてから、態度が冷たくなってしまった。
自分には何もできない深い問題なのかもしれない。五人の関係の妙な違和感を考えながら、ティナはベッドへ潜る。
「私は、なにも出来ないよ……」
誰にともわからぬ言葉が布団に籠った。




