87 たとえ不可能な夢でも
翌日は一日中後片付けに追われていた。
廃墟だった地上の家は全壊し、地下通路は半壊だった。
「ええっと? これがそこで、これがそっちで……」
「なあ、なんでここ水浸しなんだよ」
「イクト君大変! コーヒー豆が粉々になっちゃってる!」
「そうですね、インスタントコーヒーですね」
それぞれの持ち場を掃除しているが、日が暮れても終わりそうには無かった。先の見えない状況に一番最初に飽きたのはリュウだった。
「なあ、もう学園来てくれよ。そしたら明日朝イチでここ出られるから片付けしなくて済むしよ」
「最初からそのつもりよ。明日ここ出るわ」
「え」
顔を合わせた数日前は考えると言い、研究の手伝いまでしろと宣ったプリシラだったが、あっさりと教師を引き受けた。まるで最初から決めていたことだという顔で。
「だって私から履歴書送ってるし。見てないの?」
「あ、見たわ」
「最初の日にオッケーを出しちゃったら片付けどころか研究だって出来ない間に連れていかれるじゃない。だから、少し居てもらうことにしてたのよ」
なんと計算高いことをしていたのだろうかと。そのプリシラの言葉を聞いた途端にティナとマリーは体の力が抜けて崩れ落ちた。頭に着けていた三角巾を外し掃除作業を止める。
「もう夜も遅いし寝ましょう。明日は早いわ」
呑気にそう言いながら自分の部屋へと戻っていったプリシラ。リュウは最後まで背中を睨み付けていた。
「疲れた~」
三角巾も外さずにその場に寝転がったリュウ。疲れが残っていたためにそのまま眠ってしまった。
翌朝、全ての片付けは最小限のところで済ませ、プリシラの研究の整理を午前中は手伝った。午後からは、夜中の出発に向けての準備をする。馬車を使って三日の距離の苦痛は往路で体験済みなだけに、午後の準備から苦痛だった。
「あれ、アッシュは?」
「あっちでトランクに荷物詰めてた」
プリシラの問いかけにはリュウが答えた。ふうんとその後、プリシラはアッシュの部屋へと向かった。
「入るわよ」
小さな返事でプリシラは入る。この部屋はアッシュの部屋なのだが、そこにアッシュの私物は一切無かった。一人用のベッドと小さな机、椅子も無ければ時計も無い。牢獄のような冷たさがその空間には漂っていた。
何も村から持ってくることの出来なかったアッシュは、元々置いてあったそれら以外さえ欲しなかった。無理やり与えた数冊の本も、トランクのスペースを大して奪わない。
「いいかしら。アルティスに行っても」
「うん」
「残ってもいいのよ? わざわざ人がたくさん集まる街にアッシュが行かなくても。ここなら動物もたくさんいるし、襲われることも無いと思うわ」
「うん」
プリシラに背を向けベッドに座っているアッシュ。トランクに詰め込む作業はとっくに終わっているというのに、プリシラの方へは向いていない。
「確かにたくさん人がいたら怖いよ。でも、行くよ」
村の閉鎖された環境の中で育ち、信頼できる人達を一瞬で失った。その瞬間アッシュは孤独になり、何も知らないまま何も知らない場所で暮らすことになってしまった。親が殺されたこの世界で、アッシュは天涯孤独の存在にある。見知らぬ世界で生きられるほど強い子供など世界のどこにも居やしない。
この数日でそれをさらに痛感したアッシュだったが変わることが出来た。人を恐れていたアッシュも、人を恐れないリュウには敵わなかった。ただそれだけの出来事が、友達を作る大きな一歩になったのだと、今になって気づいた。
「強くなったじゃない」
「僕、夢が出来たんだ」
部屋の空気が変わった。凍てつくような冷たさから、一転したのは温度だけではなかった。それを変化と言えばそれまで。しかしその変化こそ、アッシュの新たな一歩の象徴である。
「なに?」
完全に母子の会話になっていた。子供の将来を聞くなんてと、プリシラは心踊った。勉強はどうしようか。彼女は出来るのだろうか。いじめられたりしないだろうか。いつか声変わりもするのだろうか。頭の中が幸せでいっぱいになっていく。
「僕、自分の国をつくりたい!」
「え?」
大きすぎて先など見えもしない、途方も無い夢だ。
「特殊な魔導師を集めた国。頑丈な壁を作って誰にも襲われない国をつくるんだ」
それは不可能だ。大きな壁を作り隔離された世界など、それでは問題ばかりが生じてしまう。最悪な国になってしまう。
それでも、プリシラは嬉しかった。夢を見つけ、それに向かって進むことの出来るようになった、我が子を見ることができて。大人の事情や人見知りな性格も何も考えない、大きな夢。子供らしさが全面に出ている。
「頑張りなさい」
子供の夢は、母の夢であるから何も言わない。応援する気持ちなど消え失せることは無いのだから。そのままプリシラは部屋をゆっくり出た。
* * *
「や、やっと……着いた」
「腰痛て~」
「あ、お腹空いてきちゃった。どっか食べに……はさすがに行かないか」
「マリー、今日はもう帰りましょう」
大きく伸びをしながら馬車から出てきたリュウ達。ようやくアルティスの街に到着したが、行きで三日かかったのだから帰りも三日かかった。
「寝よう、とりあえず寝よう」
疲れは底知れず溜まり、限界に達していたリュウは街を抜けた先の魔法学園へと真っ先に向かっていく。その気分は活気だった商店通りとは雲泥の差だった。そこにはさらに追い討ちがかかる。
「明日まで休日だからな。明後日からはまた学校だぞ」
フェルマのやる気の無い言葉だった。ギルドの任務は公的休暇として扱われるため課題などは無いが、当然勉強は遅れる。それを取り戻すのはあまり楽ではない。
それに、
「あとリュウ。お前学園外で使い魔召喚と使い魔契約したろ。あれ危険だからって校則で禁止されてるぞ」
「……つまり?」
「反省文」
リュウにはさらに辛いものも待っている。休日など無いも同じだ。
「くっそ、こうなったら昼飯だ。寮になんか帰るもんかよ」
「そうだよね! お腹空いたよね! 私良いお店知ってるよ!」
リュウとマリーがフェルマの両腕をがっしりと押さえ込んだ。身動きのとれなくなったフェルマを無理やり店へと連れていく。
「ティナもイクトも来いよ。フェルマの奢り!」
「な、お前ら! 待て!」
「ならしょうがないわね」
「僕もそれなら」
マリーの胃袋が、店を貸しきりにしてしまうほどに解放された。
それらの食事が運ばれてくる合間に、フェルマが紙のようなものを見つめていることに気づいたティナ。それは、往復の馬車の中でよく見つめていた紙だった。イクト達と話していた限りでは、それは誰かの電話番号かお使いのメモだと言う事に落ち着いた。
お使いのメモだというのは否定したが、「それがないと買いすぎてしまう」というリュウの家庭的な意見がまだ無理やり残されていた。
「それは?」
丁度前の席に座るフェルマに聞いた。その言葉に反応して、他三人が一斉にフェルマの方へ向く。フェルマの横に座るリュウが覗きこもうとしたが、頭をはたかれた。
「お前達には刺激が強すぎんだよ」
そう言って胸のポケットにしまう。しかし、隠されると余計に見たくなってしまう。リュウはフェルマの隙をつき羽交い締めにした。
「今だ!」
「わ、ばかやめっ──」
電光石火の早業でマリーが奪い取ったその紙は、もちろん一番最初にリュウの瞳に焼き付けられる。
最初は口が裂けるほどに笑っていたリュウの表情もそれを見ると途端に真剣な面持ちへと変化していった。さらにそこから徐々にまた笑みを取り戻し、終いにはフェルマの方を見ながらニヤニヤと。
ティナ達は、リュウの移り変わる表情しか見ることが出来ないために、どんどん嫌な好奇心が膨らんでいく。
「なに気持ち悪い顔してんのよ。見せてよ」
フェルマの紙をリュウから奪い取るティナ。その紙を左右のイクトとマリーも覗きこむ。そこに書かれていたのは電話番号でもお使いのメモでも無かった。
酒樽を持ちながら、幸せに満ちた笑顔を浮かべる女性と、その横で財布の中身を蒼白な顔つきで見つめる男性が写った写真だ。一目でその二人が誰だかわかった。
アッシュブロンドの髪を肩まで伸ばした、ハッキリとした顔立ちの女性シエラ・アミットと、死んだ魚のような目とボサボサの黒髪が特徴のフェルマ・クオルト。その写真を見ていると、シエラとフェルマの関係がだんだんとわかってきた。
「えっ、シエラ先生とフェルマ先生って付き合ってたんですか?」
「悪いかよ」
出されていた水を飲みながら窓の方を見る。通行人の流れも速くなっているように、フェルマただ一人は感じた。
「えー! やだ、なんか私までドキドキしてきちゃった。いつからですか? ていうかこれいつの写真ですか? 誰に撮ってもらったんですか?」
「一度にガヤガヤ聞くな。子供にはまだ早えーよ」
耳が赤い。ティナはそれを見て胸の奥の方から暖かさがやって来る事に気づいた。
「なんかごめんなさい」
シエラを、恋人を死なせてしまったことを、ティナは大きな罪悪感として思い出した。
「いいよ、別に。アイツがなんで死んだのかわかったしな」
少し笑うフェルマ。まだまだ耳は赤い。マリーもイクトも同様に罪悪感はあったが、フェルマの今の言葉で救われた。
「で? この写真なんだよ」
リュウがもう一度ティナから貰ったその写真を見ながら聞いた。酒場の木製のテーブルにお皿と酒樽が積み重なっている、特に変わったところの無い普通の酒場。
「魔闘祭でシエラが言ってただろ」
フェルマの言葉に一同考え込むが、イクトはすぐに答えを出した。
「フェルマの奴をうんたらかんたらと」
「魔闘祭で自分のクラスが勝った方は、何でも一つ願い事を叶えてもらえるっつう約束だったんだ。あいつ見た目に反して大の酒好きだからよ……」
それで、酒樽片手に大笑いのシエラの写真があるというわけだ。たまたま居合わせた写真家が、アツアツだと撮ってくれたことを、フェルマは再び思い出す。
「やだ~“正反対の性格、そこから生まれる恋”じゃん!」
「何言ってんのお前」
ティナの暴走がリュウによって止められる。
それから段々と会話も落ち着き、反省文に対して慣れというものか諦めと言うものか、ポジティブになってきたリュウは、マリーにも劣らない食欲を発揮した。
アッシュと出会ってからのことなどを皆で話し、ドラゴンのことも話す。ティナ達は、地響きが続く中でも片付けをしていたと言っていた。プリシラの体力が予想以上に無かったことも笑いあった。当たり前のように笑いあう仲なのがすごく楽しかった。
反省文など忘れ、これから始まる更なる学園生活に期待感を膨らませていく。反省文など忘れ去って。結局夜まで居座ったリュウ達は、レストランの店主に半ば無理やり追い出され寮へと戻った。
「じゃあな~」
「またねー」
リュウ達は廊下で別れる。笑顔で手を振るティナとマリーもこのあと直ぐに転移魔法陣に乗って部屋に帰ろうとしていた。アルの部屋を通りすぎる複雑な心境に、助けを求めようとしたリュウだったが、イクトには無視されてしまった。
ここ最近、やはり五人の間には微妙なズレがあるような気がしている。アルとリュウとの関係と同じように、イクトもまた人知れない沈黙が増えていた。うまく笑えない日が、ずっと続いているのだ。
「あ」
その時のその瞬間。
マリーが手を振り終え、前を向き直すと現れた銀色。
マリーの声に反応して向き直ったリュウが見てみれば、銀色のきらびやかな髪の毛に銀縁メガネ。性格の悪そうな顔つきの二大貴族エリック・ベルナルドがそこに立っていた。
「こんな所にいたのか《落ちこぼれ》。君に話したいことがある」
「え?」
エリックの《落ちこぼれ》という言葉に反応したリュウは拳を握る。大したことのないその行為などには目もくれずエリックはマリーに近づいた。
顔をそっと耳元へ近づけて、他の誰にも聞こえないように静かに口を開く。
「─────。」
ほんの数秒の間沈黙が流れた。エリックがマリーの耳元で何かを喋っていた。その直後、マリーの顔が急激に青ざめた。血の気は一気に引き、目にはうっすら涙を浮かべるほどだった。
「い、いや……ウソ……」
「事実だ。イクトには僕から伝えておく」
「やだ……」
淡々と喋るエリックの話も聞かず、マリーは一言そう告げて走り去っていってしまう。溢れ出てしまった涙を何度も何度も拭きながら、マリーは消えていった。
「てめー、マリーに何を言った!」
場もわきまえず怒鳴るリュウ。エリックはそれを無視しようとしたが、それはそれで後が面倒臭いと悟ったのか口を開いた。
「君には関係のないことだよ。イクトには明日言っておくから。僕は失礼するよ」
「てめっ──」
エリックはそそくさと自分の部屋の方へ向かった。リュウの言葉は虚空に消え、直ぐに静寂が訪れた。




