86 カルデア
使い魔召喚魔法は血を代償に魔物を呼び出すものだ。生命そのものを代償に時空間を超えて魔物を喚び出し、使い魔として使役するための主従契約を結ぶ。
喚び出す魔法こそ簡単なものではあるが、実際に魔物が出てくることについては才の部分が強い。だからこそ、今この瞬間を理解することは容易ではなかった。
今までの成果として一番よかったのは毛束三本の召喚。束でさえもない。使い魔を使役することは諦めた方がいいとまで言われたほどだ。
「な、なんか、出た!」
ピョンピョンと、“それでも出てしまった何か”の周りを跳ねるリュウ。出たのは魔物かどうかもわからないというのに、何かが出たというだけで嬉しかった。
「あれは?」
「……おおかみ?」
召喚時特有の煙が晴れて、ようやく姿を現した魔物は『狼』だった。リュウよりも一回り小さい体躯と、長い鼻と、尖った耳は、一つの刀剣のように鋭く。しなやかで逞しい筋肉が、なめらかに発達した狼だ。
気高き瞳は遠くを見つめ、物静かにただ佇む。
極めつけはその体を覆う白銀の美しい毛。一面銀世界の雪景色を彷彿とさせる光の反射、空気中の埃でさえ見えてしまうような眩しさはまやかし等ではない。
そして、美しすぎる白銀を飾り立てるように、毛先が所々オレンジ色に染まっていた。尻尾の先や、耳の裏にまでそのオレンジは散りばめられ、小さな宝石とも思えてしまう。
一挙一動どころか、制止状態のこの瞬間でさえ美しい銀狼はゆっくりと目を閉じ伏せてしまった。
「や、やあ」
喚べてしまった興奮を抑えきれないリュウは、ドラゴンの存在も忘れて銀狼に話しかける。しかし、当の銀狼は目を少し開くだけ。見ようとはしない。
「あの~」
リュウはアッシュとフェルマを見送ると、銀狼の顔の前で胡座をかき話しかける。勿論返事は無かった。
「狼さ~ん」
やはり無視。怒られてもいいからと耳を弄ってみるが反応しない。本当に生きているのかと疑ってしまう程に無挙動だった。
「なあ、俺と契約してくれよ。ってか何か反応してくれよ~」
微動だにしない銀狼の頭を撫でるが効果はない。撫でることを嫌がろうともしないため、嫌われているのかすらわからない。煮え切らない思いが募っていく。
「な?」
また沈黙。
「だああああっ! なんで反応すらしてくれねーんだぁ!」
ついに根負けしたのはリュウの方。そして次に吠えたのは、銀狼でなくドラゴンだった。
『ギャオオオオオオオ!』
二体の強烈な目玉がリュウを見下している。口にはたっぷりの炎を携えて。忘れた頃には、臨戦体勢も整っていたのだ。
『『ギャオオオオオオオ!』』
「あぶね!」
二体同時の炎を見て、咄嗟にリュウは銀狼に覆い被さる。自分は炎でダメージを受けることは無いが、この銀狼はそうでない。炎を防げるなどとは思っていなかったが、気づけば体が勝手に動いていた。
「くそ……」
白銀の毛に包まれた銀狼を完全に庇うことが出来ない。尻尾の先の部分などは、手を当てるだけで精一杯だ。尻尾の先のオレンジ色が激しく揺れていた。
「大丈夫、か……?」
背中が焼けるような熱さが身に染みる。火傷はしないが熱は感じるだけにある意味辛い。それでもやっぱり心配なのはこの銀狼の方だ。
「急に喚び出して悪かったな。熱いよな。俺は大丈夫だから逃げてくれよ、元の場所に戻ってくれ」
何度も喚んだが出てこなかった。それは魔物自体が召喚を断ったからだと告げられた。当の本人の意思を無視してまで喚び出してしまったことになる。
言い表せない罪悪感がリュウの胸を貫き、気がつけば謝っていた。ドラゴンの炎は木々を一瞬で炭にする。リュウが覆い被さっていなければ、この銀狼も危ないのだ。
「ごめんな……」
喚び出したのは自分だ。身勝手な自分の魔法のせいで関係の無い魔物を巻き込むことだけは嫌だった。
「ごめんな」
しかし、その言葉にうっすらと目を開ける銀狼がそこにはいた。熱いはずだというのに、未だ無反応を決め込んではいるが、確かに目が開いている。
『ワタシに触れるな』
少し歳を経た女性のような声。人型でない魔物が喋ることはとても珍しい。妖精や天狗などとは違い知能レベルに差が出来てしまうから。その特異さも相まってリュウは反射で手を離した。覆い被さるようにしていた体も離した。
「今喋った?」
『黙れ』
「は、えと、すいません」
銀狼はゆっくり起き上がる。その一動でまずは炎が消えた。
「え? えっ?」
リュウもアッシュもフェルマも、ましてやドラゴン達まで驚いていた。まるで魔法のように、手品のように一瞬で炎が消えたのだ。
『トカゲの分際で吠えよって……』
銀狼は一歩だけ前に出た。見上げる先のドラゴン二体を数秒だけ見つめた後に、その綺麗な瞳を閉じきった。そこに表情があるかはわからない。しかし、あるのだとしてもそれを一切変えずに。
その瞬間、白銀の狼の体が輝き始めた。
『消えろ』
激しく魔力を高める狼。高密度の魔力はあのロイの魔力でさえも、物足りなく感じさせるようなものだった。辺り一面に現れたのは、さっきのドラゴンが吐いた炎などとは比べ物にならないほどの豪炎。うっすらと微笑むように広がり、抱き締めるかのように包み込む。
オレンジと赤の境目がユラユラと揺れているというのに、何故か恐怖は感じない。どこかで見たことがあるような強い炎。残っていた周りの木々には一ミリたりとも触れず、ドラゴンのみに向かって行く。
一瞬でドラゴン二体を消し炭にした。
『お前も消えろ無礼者』
瞬きを繰り返すリュウ。だんだん、思考が追い付いてくるが、言われた通りに離れようとはしない。
「すっげー! なに今の! 」
リュウは自身が使い魔を召喚できた喜びと、使い魔の圧倒的な強さに興奮している。何よりも思わず銀狼に飛び付く。
『寄るな』
あと拳一つ分というところで猛烈な炎に包まれる。魔力こそ大したものではなかったが、リュウでなければ重い火傷を負うようなものだった。
「あちち、あ、そう。お前俺と使い魔の契約してくれよ」
顔やら服やらに付いた火の粉を払いながら銀狼にそう尋ねるリュウ。炎については気にしない。それを改めて目にした銀狼は大層驚いた。
『炎が効かぬ……?』
「おう、生まれつきな。で、どうだよ契約。してくれよ、俺が嫌いなのはわかるけどさ」
手を合わせ懇願するリュウの言葉に銀狼は反応をしめさない。風に揺れる銀と、差し色のオレンジはやはり美しいままだ。
『お前……そうか』
狼が作った間を侵せるものはいない。その時間は誰にも不可侵の絶対的支配圏。アッシュの魔法でさえ為す術もないであろう考察の時だった。
『気が変わった。契約してやろう』
「ホントに!? っしゃ!」
遂に叶った使い魔との契約。使い魔という心強いパートナーを持てることの喜びで、リュウは踊り出す。
『ワタシの名はカルデア。今は亡きアルティス・メイクリールに仕えるもの。貴様との契約も、かの英雄の恩義と思え』
孤高の銀狼は尚も気高くそう告げた。一言一句に凄みをつけ、重圧を乗せたその言葉。英雄なんて、教科書だけの空想だった。実際に【メガイラ】の襲撃を受けたときも聞いたが実感は無かった。その使い魔が目の前にいる。それを喚び出したのはリュウ自身。言葉にならない高揚感が先に来た。
「アルティス……? ってあの? まじか」
リュウは喜びを抑えきれない。跳び跳ねたり踊ったりアッシュの頭を撫でまわしたり、落ち着かない。
『いいかいカルデア。次に君を喚んだ人が使い魔契約を申し出てきたら必ず契約するんだ。拒否したら駄目だからね』
カルデアはアルティスに最後に言われた言葉を思い出した。その無駄に明るい言葉は、狼の耳にはしつこく張り付いてしまうものだった。
『あの無礼者に何が出来ようか……』
跳びはねながら今にも飛び付いて来そうなリュウを、睨み付けながら呟いた。しかし、どことなく見れば見るほど“アイツ”に似ている事にも、そうして気づいてしまう。動揺してしまう。
『おい』
「え?」
リュウが振り向いた瞬間、カルデアは並外れた魔力を一瞬だけ高め思い切りの炎球を吐いた。振り向き様で判断の鈍っていたリュウは、それを諸に体に受けてしまう。
しかし、その炎は熱さすら感じなかった。
何か手のようなもので胸を押されるような感覚が先に来た。あとからじんわりと温かくなってくる。見てみれば左胸には、青色の炎の形をしたマークが付けられていた。
『契約印だ。ワタシを喚ぶ時はそこに魔力を集めろ』
なぜか最高に不機嫌になったカルデアは、それだけ言うと早々に消えてしまった。呆気に取られたリュウは胸のマークをただ見つめることしか出来なかったが、数分して思考が追い付いた。
「見たか? 俺の使い魔」
「見事にリュウのこと嫌ってたね」
戻ってきたアッシュの一言で、リュウは体育座りをしたまま動かなくなってしまった。
「おーい! リュウー!」
その時、ティナが元気そうに手を振りながら現れた。見れば後ろからは、元気そうなマリーも来ていた。家の下で出られなくなってしまっていたと思ったが、やっと出られたのだと安堵するリュウ。
「ティナ、マリー! 大丈夫だったか?」
集まってきた人に驚いたアッシュの人見知りはやはり直っておらず、そのまま草かげに隠れる。
「うん。フェルマ先生がねここに隠れてろって隠れ場所見つけてくれたのよ。もしもの時の為に防御魔法を何重にも掛けてくれたし。助けられちゃった」
リュウは納得し、驚いた。シエラのことを想う男だからこそ、性根の小綺麗さくらいは見抜けていた。だから納得した。そしてそのフェルマは防御魔法を何重にも掛けていながら、あの戦闘をしたというのだ。だから驚いた。
「ってか、なにそれ胸のやつ」
ティナは、リュウの胸元を指差した。服が焼け、胸のマークは当然露になっている。
「へっ聞いて驚くなよ? なんと、私リュウ・ブライトは──「あ、使い魔喚べちゃったの? てことは契約の印的なやつ?」
咳払いをし、胸を張って、さあ言おうというときに挫かれる。
「ふうん、良かったね」
「おめでとうリュウ君」
ティナとマリーの言葉がリュウの文句を防いだ。すぐに投げ掛けられた祝福の言葉に、リュウも気分を良くする。
「ま、まあな」
「やっと着いた~」
その時、プリシラとイクトがここへ辿り着いた。プリシラは汗だくで、すぐに座り込んでしまっていた。
「あ、イクト君!」
「ドラゴンの音がしなくなったのでもしやと思いましたが……」
「へっへーん、俺様の使い魔がな!」
四人とフェルマが合流し、それぞれの噛み合わない会話が始まる。無事だったティナ達もリュウも当初の目的など頭の隅にも無かった。
「とりあえず家が壊れてないか調べなくちゃならないわね」
いつの間にか笑いあっているリュウ達を見ながら、離れた岩に座るプリシラが幸せそうにため息をつく。
「おい、少しいいか?」
イクトのことを呼び出したフェルマが、そのままイクトを連れて最初のドラゴンの死体の方へと向かっていった。
「で? これがお前言ってた石か?」
「はい、以前見たものと同じものです」
呼び出されたイクトが、最初にカマエルが倒したドラゴンの額に付けられていた石を見て、そう伝える。聞いた本人であるフェルマもその石を丁寧に眺める。
「こりゃ、正式に軍に報告しねえとな」
どす黒く光る毒々しい赤い石を、そっとしまった。




