56 喚べる者と喚べぬ者
授業も折り返し、いよいよ誰も喚べないのではと諦めムードに入るAクラスの生徒達。シエラも身構える様子を見せずにベンチに座っている。
「次、イクト」
「はい」
順番が回ってきたイクトは、寄り掛かっていた壁から身体を離しそのまま台へと向かった。内で浮き立っている心を落ち着かせ、ゆっくりと指に針を刺し血を垂らす。魔力をそよ風のように安定させ、魔法陣へと流し込む。
「“異界に潜む魔の者。汝の天命を分けよ、汝の名を我に示せ。錆行く声の集う先、溜まりきるは花の蜜。歌うかこれを、結ぶかこれを。盟約結びし名乗りの業を解き放て”」
イクトが春風のような詠唱を終えると、血を吸い取った魔法陣は急激に光りだし、辺りはまばゆい光に包まれた。思わず一歩引いたイクト。シエラは台のすぐ側まで走って寄った。
「来たな……」
その直後、魔法陣の中央から“何か”が出てくるのを確認した。魔法陣の光が収まり、それをしっかりと判別できるようになった頃、皆は気づいた。身体の向く方向が少し違っている。明らかにイクトではなく、シエラの方を見ている。
『う~む。儂を呼んだのは、お前か?』
光から現れたそれがシエラに向かって口を開いた。魔力の込もった念話にも似たそれを全員が聞き取った。
『むむ? にしては随分なべっぴんさんじゃなあ』
「どこ向いてるんですか、こっちです。馬鹿なんですか?」
爆弾発言。そんな言葉がぴったりと当てはまるようなそれを放ってしまった。そんなイクトの言葉に、出てきた魔物は振り返り言葉の主を見つめる。
二メートルを優に越える巨体のその生物。鋭い眼光を放つ瞳と、何より高い鼻。見える範囲の露出している体は赤く、手には葉っぱを重ね作り上げた団扇のようなものを持っている。袴を纏ったその生物の腰には太刀が差してあり、下駄の足音が威圧感を膨らませる。
イクトにはすぐ心当たりがつくが、他の生徒たちには分からない。威厳ある東洋の者を不思議そうに見る。
(……天狗、か? 高い知能と優れた身体能力を持つ山の神だったか。とても学生が召喚できる魔物ではない上に西洋では幻とまで語り継がれる。実在するとはな……)
シエラはイクトを見ながら思っていた。他の生徒は天狗のことを知らないながらも、その偉大さは伝わっているようで、この場に完全に呑まれている。ゆえに、先程の発言はあり得ないと全員が思っていた。
『馬鹿、じゃと?』
「はい。そもそも召喚時の魔力とこちらに来てからの魔力で喚び主はわかります。良識あるお方ならば間違えません。それをするのは馬鹿のみです」
その言葉に、その場にいた全員がさらに固まる。いきなり呼び出されて三回も馬鹿呼ばわりされる幻の生物など聞いたことがない。イクトへの追悼の言葉が生徒全員から投げられようとしたその時だった。
『ハッハッハ! まさかこの儂を馬鹿呼ばわりする者がいようとはのぉ! 試したつもりが一本取られたわい!』
高らかと笑いだす天狗。分かりやすい問答をしていたのだと見抜いたイクトの方へ近づくと、その体躯に見合わぬ優しい表情で口を開く。
『面白い。儂は富士の大天狗、大和八天狗が一人『太郎坊』。お主名をなんと言う?』
「イクト・ソーマです」
『ほほう……相馬の跡取りか。儂を喚ぶだけはある」
太郎坊の最後の一言に少しだけイクトは眉を寄せて動揺した。一瞬のイクトらしくない行動をマリーは見抜き、不思議に思った。しかしすぐに太郎坊の言葉が掻き消していった。
『あいわかった! 儂はイクトとの契約を果たそう!』
「ま、待ってください太郎坊どの。私が彼の担任教師です。契約内容によっては教え子を守らねばなりません」
『案ずるな小娘。血を結ぶのみじゃ』
太郎坊はシエラの制止をはね除けてイクトに親指を突き出した。違う方の指で親指から血を出させ、魔法陣にも一滴垂らした。
『イクト、指を出せ。血を結ぶ』
イクトはゆっくりと血が垂れている方の指を出した。そしてゆっくりと二人の指が重なり、傷口が重なり、血が結ばれた。
「なっ……」
『儂の魔力も混ぜた。喚びたい時に喚ぶがよい。イクトの為ならば駆けつけよう』
太郎坊は今の言葉にも魔力を乗せていた。シエラでさえ一歩退いてしまうような威圧的なものだったが、イクトは堪えていた。
「はい、先程の非礼を深くお詫び致します。そして、これからも宜しくお願い致します」
深々と頭を下げたイクト。
『では儂は戻るとするかのう。相馬の者よ、胸の奥の刃が使われぬことを儂は願っておるよ』
言い残した言葉の意味を理解したものはおらず、ただ還っていく太郎坊を見送った。イクトは無言のままに台の上から降りていった。
「ふう、良かったです。契約できて」
台から降りてきたイクトは胸に手を当てながらわざとらしく言う。
「魔物にバカって……最高……」
地に手足をつき四つん這いになって笑っているリュウ。初めての成功者の例となったイクトだが、皆不思議だというような表情を浮かべている。
「まったく、何をされるかとヒヤヒヤしたぞ」
記録用紙を手に持ったシエラは、ドッと疲れた様子でやって来た。怒りを通り越して呆れているのか、短くため息をついた。
「大丈夫だったか?」
「はい。僕を試しただけでしたので」
「契約内容に変わったことはあったか?」
「血と魔力の交換でしたが、変わってますか?」
「出てきた瞬間に暴れなかった魔物を初めて見たよ」
契約内容についての記録をしっかりとやり終えた後、シエラはまた先程の位置に戻った。シエラの録った記録というのは、すごく簡単なものだ。要は、契約した時の状況説明が出来るようにすればいい。
そのため、書かれているのは契約の内容のみ。契約が出来なかった場合は書かなくて良いし、出来た場合はそれ以外に書くことが無いからである。
喚び出した魔物が人を憎んでいたり、好戦的な者達だった場合は、それもしっかりと記録し後々学園長に伝えられる。
先程の太郎坊のように直ぐに認めてくれる魔物もいれば、無理な条件を突き付け頑なに契約を拒否しようとする魔物もいるし、死者だって出ることもあるのだ。
最近ではそのような事が原因で、使い魔召喚を止めさせようとする意見もあるが、言い分があるのはどちらも同じ。議論はいつも平行線上を辿っている。
現時点学園としては、記録する以外方法がないのである。だが、一度契約してしまえば実は問題は少ない。と言うのも、それには少し仕掛けがある。それが魔法陣だ。
使い魔召喚の魔法陣には契約書代わりの役目もあり、一度契約を認めてしまえば条件の変更は双方不可能であり、さらに定めた条件を破ることも出来ない。
脳に直接働きかける魔法が組み込まれているのが原因だが、裏を返せば契約内容として最初から設定して無ければ、パートナーを殺害することも出来てしまう。
問題は少ないが無いわけではない。
それでも使い魔という存在は、心身ともに任せられるパートナーとして頼りになる存在。人間側も魔物側も、この魔法陣の掟を侵そうとはしない。
何はともあれ、一人目の成功者が出たことでAクラスの生徒全員が活気づき、次の順番の生徒は走って台の上へと上がった。
だが、やはり結果はだいたい同じで召喚成功者はイクトの他には出なかった。
「次、私……」
そこで順番の回ってきたマリーは立ち上がり台に向かう。はち切れそうに鼓動を打つ心臓を落ち着かせようと一つ深呼吸。魔力を高め、マリーは詠む。
「“異界に潜む魔の者。汝の天命を分けよ、汝の名を我に示せ。錆行く声の集う先、溜まりきるは花の蜜。歌うかこれを、結ぶかこれを。盟約結びし名乗りの業を解き放て”」
魔力を最大にまで高めたマリーだったが、目の前には何一つ現れなかった。それどころか、魔法陣に少しの変化も見当たらないのだ。
一瞬何が起こったのかわからなかったマリーは魔法陣に手で触れた。意味の無い行為だと気づいたときには既にシエラから声が掛かっていた。
残念だったな、と頭を撫でられ、そのまま降りる。マリーにはこれといった魔法の才能は、正直言ってあまり無い。
射撃以外を見れば凡人。だからこそ、全てとは言わないがこの授業に賭けていた部分もある。自分の才能を見出だすチャンスだと思っていた。
だんだんとやってくる脱力感はただ単に自分の「無力さ」から来ていた。
「……はあ」
しかし、ため息に混ぜてそれを流す。今までの自分ならば落ち込んだが、自分は変わったんだ。マリーは胸中でそう思い、そこまでで留めた。《落ちこぼれ》のレッテルを剥がすと決意したあの大会を思い出す。
「ドンマイ、マリー」
「……うん! ありがと!」
次はアルの番だ。台に上がったアルは緊張していた。使い魔が出るか、出ないか、ではない。
普段ここまで自分が注目されることは無いからだ。一人ずつの召喚なので、単純計算でクラス全員+シエラの四十人が自分を見ている。いつもはリュウの陰でひっそりと過ごすことに実は全力を注いでいたアル。
理由は単なる「人見知り」。
故にコミュニケーション能力もあまり無い。ここで自分が使い魔を召喚した場合、アルはその生活を終わらせなければならない。成績も十一位と、運良く目立つようで目立たないギリギリになった。ものすごく惜しいとアルは思った。
(まあ、やってみるか)
とは言えそれは使い魔が出たときの話。でなければ、その気苦労は良い意味で無駄になる。そして、アルは心のどこかに確信があった。「失敗」の二文字だ。
「“異界に潜む魔の者。汝の天命を分けよ、汝の名を我に示せ。錆行く声の集う先、溜まりきるは花の蜜。歌うかこれを、結ぶかこれを。盟約結びし名乗りの業を解き放て”」
見事に何も起こらなかった。マリーと同じく、魔法陣に多少の変化すら無く少しの間が空いた。
周りのクラスメイトからは期待外れだという声があがったが、そもそも期待していたのかと、本気で胸を撫で下ろしたアルはシエラの慰めの言葉を聞き流し、四人の元へと戻った。
アルは後で知ることになるが、このときのアルの顔は、ライオンも逃げ出すほどにニヤケていたという。
「さてと、次は私ね!」
順番も終盤に差し掛かり、ついに順番の回ってきたティナは立ち上がった。土でできた地面のおかげで砂の着いてしまったお尻をはたき、ティナは歩き出す。




