3 赤髪青目の新入生③
授業が終わり、学園生活一日目は終了した。未だ太陽はてっぺんまで登っていないこの時間。多くの者達が中級魔法の練習を始めた。
「アル、ティナ。寮の方見てみようぜ!」
既に足は交互に浮き、いつ走り出してもおかしくない状況であった。
「練習はいいのリュウ?」
「おう、それはまあ何とかなるだろ」
「……ふうん。まあいいわ行ってみよっか」
ティナは快諾した。アルも嫌だとは言わない。それは仲間内での肯定のサインだ。リュウはすぐさまこの第二修練場から飛び出していった。まったくもうとティナは文句を垂れつつも、早急に帰りの支度を済ませると仲良く駆け足で寮に向かった。
「……これ……だよな」
「まさか、これな訳無いでしょ」
「でも他に建物がねーぞ」
「だからってこれな訳無いでしょ」
「あれだよ」
「「デカっ!」」
支える骨の可動域を越えてしまいそうな程に首を曲げるリュウとティナ。見上げなければならない程に高いその建物が、全てもの原因だった。
その正体は目の前にそびえ立つ巨大な建物、イデア王立アルティス魔法学園学生寮だった。薄い白色のその建物は、まるで外国の高級ホテルのような外観をしている。学園校舎が古を基調とした城であるならば、学生寮は新を基調とした近代的な建物だった。既に何人もの新入生が面白半分に全自動開閉式の扉を出入りしていた。
「とにかく入ってみようぜ!」
すでに目をキラキラに輝かせているリュウの合図で三人は中に入った。持っていた学生証に反応し、自動で扉が開く。
中は確かに広いのだが、それはもはや当然のものと化していた。床には赤い絨毯が敷かれ、ロビーであるその場所には至るところにシック調の家具が置いてある。
二、三階をぶち抜いた程度の高さの天井一杯を、魔導新聞が鳥の形に折られ空を飛んでいる。
「まるで高級ホテルね」
ここがこれから三年間、リュウ達が魔法を学ぶ学園の学生寮なのだ。
「おや、リュウ。なにやってんだい。それにアル君と……ああ、ティナちゃんだ」
辺りを見渡すリュウ達に近づいてくる一人の中年女性。優しそうな顔にふくよかな体型。包容力のありそうな女性はリュウを見て話し始めた。
「ああステラか。寮に行ってみようと思ってさ」
突如現れたその女性に驚くこともせず、リュウはいつも通りに会話を進める。
「じゃあ部屋の鍵を渡さなきゃね。荷物も部屋に届けてあるからね。ちゃんと片すんだよ」
ステラと呼ばれたその女性も、リュウに対し上からの物言いのまま会話を続ける。
ステラは奥にある部屋から鍵を持ってくると、三人に着いてこいと言い先導をし始める。ロビーを越え先程の部屋も後にし、たどり着いたのは上へと上がる階段、の隣の魔法陣だった。
顎を使い乗れと合図を出されたので、三人はその上へと乗った。それは一度に数人が乗ることの出来る、大きな魔法陣だ。ステラと呼ばれた女性は手に持っていた三つの鍵をリュウに渡す。
「その鍵の番号を念じれば、部屋のある階に行けるよ。魔力は少し減っちまうけどね」
ステラが言い終わる頃には目的地に着いてしまっていたリュウ達。せっかちだねえと呟かれたステラの言葉は光る魔法陣にあっけなくぶつかった。
「すっげ。転移魔法だ」
転移魔法とはその名の通り、行きたい場所に瞬時に移動する魔法のことである。
本来は学生が扱うことの出来ないような【転移】という難しい魔法だが、この学園には魔法陣による簡略化された転移があるため、寮内ならば念じるだけで簡単に移動できる。
「俺すぐそこだ、アルは?」
「リュウの隣」
「おおやったぜ。何かあったらよろしくな」
「うん」
アルの部屋の鍵はアルへと渡し、ティナの部屋の鍵はティナへと渡す。ティナは女子階に部屋があるためここに用は無いはずだが、それでも一緒に来ているのは理由がある。
「ちょっと待って、話が進みすぎ。あの人誰。何で私の名前知ってるの?」
息つく暇もなく事が進んでいく中で忘れかけていた違和感。ステラという女性そのものについて、ティナは全く知らない。
「あれ、言ってなかったか? 俺の母さんだよ。中学ん時会ってるだろ……ああ、会ってねーのか」
「……は?」
「ええっと……俺が捨てられているところをステラが拾って育ててくれたんだ。……つまり、母親」
「優しい人」
アルも知り合いらしく、短くそう告げた。
「ステラは、ティナが俺達と出会う前からもう寮で働いてたから、仕方ねーな」
「母親で寮母さん? 私が聞いたことないっていうのも不思議だけど、まあ怖そうな人じゃなくてよかったわ」
改めて思い浮かべてみるとティナはそう感じた。優しそうな笑顔と、たくましそうな体躯。ティナへの第一印象は少なからず良いものとなっていた。
三人は以降の会話をせずにそそくさとそれぞれの部屋の場所まで歩き始めた。ティナは自分の部屋の階層である五階まで転移していった。アルともすぐに別れ、リュウは自室へ入る。
「うおおお!」
扉を開けたその瞬間から、わかってはいたがやはり豪華だった。
玄関の灯りである魔晶石は自動で光り、高価そうな石を敷いた玄関が露になる。ロビーにあったシックな家具と同じような木のシューズボックスも、スムーズな扉の開き方から違う。
そこからさらに、玄関からリビングまで真っ直ぐに延びるフローリングも見える。魔晶石の光を全面に反射するほどに磨かれた廊下が誇らしくも感じる。
リビングにたどり着くまでにはトイレ、風呂、さらに小さな部屋が二つと一人部屋にしては豪華すぎる程の設備を確認できた。リビングと隣り合わせのキッチンも、最新式だ。
一通りリアクションも取り、少し落ち着き始めたリュウは、部屋に届いていた荷物が入っている箱を開けはじめる。中には衣類や、食器等以前住んでいた家に置いてあったものばかりだった。開け始めて数分とせず急に手が止まるリュウ。
一番最初に壁に取り付けた時計を見ると、すでに午後一時を回っている。そろそろ、腹の虫との戦いが始まりそうだった。
「昼飯の時間か……。ってことは、来るな」
ポツリと一人呟き、リュウは真新しいキッチンへと向かう。その矢先のことだった。聞き慣れないインターホンの高音が、住み慣れないリュウの部屋に響き渡った。
入学早々で、ましてやこんな真っ昼間に訪ねてくる人などそうそういるものでもない。目星はある程度つくというものだ。
「えへへ、来ちゃった」
「来ちゃった」
見慣れた笑顔と無表情、ティナとアルだ。もはや日課となっているこのやり取り。可愛く可愛くアピールするティナと、そこに付き添う無表情のアル。見飽きた光景だが、悪い気はしない。
「ここのキッチン、めちゃくちゃスゲーぜ」
「良かったね。唯一まともな特技『料理』が、存分に出来るね」
リュウの目の輝きが一層強まるほどのことを、リュウ自身悪く思うはずが無いのである。
「私玉ねぎとケチャップ持ってきたよ」
「お、助かるぜ。アルは?」
「わたあめと、ぶどう味のガム」
「……うん、食べ終わったら分けような」
どう料理せよというのか、リュウは眉を寄せた。
「にしても広いねここも。殺風景だけど」
「うるせー」
小さなテーブルとその下のカーペット、ソファ、時計しかないリュウの部屋のリビングを見ながら、ティナは本音を漏らす。すべて備え付けのものだ。
「卵あるからオムライスな」
「やった!」
「助かる」
リュウは一応の確認を取った後、キッチンへと向かった。面倒見のいい性格ゆえの行動の速さだ。
「私あのトロトロした奴がいい!」
「俺も」
「はいよ」
それから三十分と掛からずオムライス三人前を作り上げたリュウ。黄金色に光り、立ち上る湯気と卵の優しい香りのオムレツが、美しく形作られたチキンライスの上に乗せられている。
赤と黄色のコントラストが絶妙なそのオムレツ乗せライスがティナとアルの前に置かれる。
「では」
リュウの掛け声でオムレツの中央に包丁が入れられる。
すると、中から半熟の卵がふわりと弾けた。まるで幕引きのカーテンのようにするりと下りていく。見た目だけで百点満点のオムライスを前に、二人は目を極限まで輝かせ待っている。
「さあ、召し上がれ」
「いっただっきまーす!」
「いただきます」
ティナとアルはすぐさま一口目を口にする。とたんに表情は崩れていき、唸り声をあげる。
「美味しい! ほっぺた落ちる~!」
「さすがリュウ」
「そりゃそうさ。俺のオムライスだからな!」
リュウは得意気に鼻を鳴らす。しかし、その程度では手の止まらないティナとアルに、リュウの言葉など届くはずもなかった。
「本当に料理だけはすごいよね。魔法はてんで駄目だし、他に出来ることと言えば喧嘩しか無いし、朝は起きられないし。いっそミジンコに生まれていれば良かったくらいだったのに」
「何でそんなに言うの……?」
想像を絶するほどの酷い言われよう。冗談混じりに同情の目を向け、追い討ちに泣き真似が入ったティナに、リュウは突っ込む。見ているアルは、食事の手を一切休めない。リュウの料理の魔力だ。
「ねえ、話は変わるんだけどさ……」
すぐにティナは話の流れを百八十度変えていく。
「なんだよ。もう食い終わったのか? よく噛んで食ったか? ちゃんと三十回は噛まなきゃいけないんだぞ?」
「お母さんか!」
リュウの仕返しだが、ティナはそんなことはお構いなしに話を続ける。
「そのネックレス、そんなの着けてたっけ?」
リュウの首には、赤い石が埋め込まれたネックレスが掛かっていた。手のひらに収まるほどの小さな赤い石は、その存在感が際立つもの。初めて目にしたティナは、お世辞にもリュウとは縁遠そうなそれを不思議に思う。
「元々は貰いもんなんだけどさ、お守りみたいな感じで持ってたんだ。まあネックレスだし? どうせなら着けようかなって」
「綺麗な石ね」
「ステラに拾われたときにゃもう着いてたし、貰った相手も知らんけどな」
その時キラリと光った赤い石。部屋の灯りを反射しただけだというのに、それは悲哀に包まれているようだった。
「確か自分の名前もわからなかったんだよね」
赤髪青目の少年リュウ・ブライトには、六歳より以前の記憶がない。
両親についてもわからず、記憶もなく、気がついたら大雨が降る街の路地に座っていたのだ。それこそ唯一持っていたものがそのネックレスだったが、名前さえ思い出せなかったリュウには、何の手掛かりにもならなかった。
「ああ。だからステラが付けてくれたんだ。東洋の神話に出てくるらしい」
周りを照らす太陽のように一際笑顔になったリュウ。その輝きが、“与えられた”姓の由来だと知っている。
「アルのピアスはどうして? それも、私と会う前からでしょ?」
右隣のアルに聞く。左耳に着いた青いピアスは、アルの瞳と、リュウの瞳とも同じ色。白い髪の毛にもよく映える小さな石が、そこを飾っている。
「俺は……」
無口なアルが、オムライスへの手を止めて口を開いた。しかし、ピアスの石と同じ色をしたアルの瞳には、迷いが生まれてしまった。作りたくは無いのに、妙な間が生まれてしまった。
「え、聞いちゃダメだった?」
「いや、プレゼントなんだ」
「まさか、女か! やっぱりな~」
「うっそぉ! だれだれ、私知ってる?」
無口なアルを除いて二人の会話は盛り上がる。
『アルが救われますように』
祈りにも似た贈る言葉が、アルの頭の中で再生されていた。
「まあまだ顔だけ見れば中学生、いや小学生だしな。そういうのに憧れてもしかたねーよ」
「リュウ、嫌いだ」
幼い顔つきは、幼いまま表情を暗くする。無口で童顔のアルが怒りを露にしたその日は、十五年という長い年月に比べればごくわずかな時間となるが、それでもいつも通り楽しいものだ。
「さてと、やるよ魔法の特訓。入学早々退学なんて笑い話にもならないからね」
「俺も手伝う」
幼馴染みとしてリュウを支えてくれた二人。いざというときに頼りになるその二人を見て、改めてリュウは嬉しくなる。記憶を無くし天涯孤独となっているその身でも、今はとても幸せだと心から感じていた。
あっという間に過ぎ去った幸せな時間は、一日の終わりを告げてしまう。
「じゃあ暗いし私達は部屋に戻るね。いい、リュウ。こんなに特訓したんだから、明日は絶対成功させなさいよ」
「ありがとなティナ」
「応援してる」
「ありがとなアル」
部屋を後にした二人。リュウの隣の部屋がアルの部屋のためすぐに入ろうとしたが、こういう日の恒例行事を思い出した。
「さっきの見た? リュウったら何もしてないのに私達のお皿洗ってくれてたよ~。本当そういうところは細かいよね」
「うん」
「あ、ねえ後でさもう一回驚かしに行かない? また来たのかよって絶対言われるよね」
「うん」
「今日のリュウのつむじ辺りがね、右側はペタンとなってたんだけど、左側はハネてたの。どう寝たらあんな風になるんだろうね~?」
「うん」
「そう言えば、スプーンをくわえながら次の食べ物どれにするか決める癖、まだ直らないね。あれ面白いからアル直せとか言っちゃ駄目だよ?」
「うん」
「ちょっとアル! さっきから何よ私の話聞いてないの?」
「聞いてるよ」
(二人になった瞬間のそれも、もう四年目か……)
染まった頬は、アルしか知らない。ティナのその想いが今はまだ言い出せないものだということも、アルは目を伏せて考えることをやめた。
「色々と応援してる」
「うん、私も応援してる。……色々?」
好意がすぐそばにあることは、アルにしか気づけていないことだった。