2-4 戻らぬ幸せ
「Sランチ。コーヒーを紅茶にしてください」
「私はいつものメニューで。あ、でも少し減らして五人前でお願いします」
二大貴族に気を遣い、先程までできていた人だかりが一斉に拓けた。
昼休みということもあり、食堂には沢山の人がいる。どうしても慣れないが、一応ありがとうと言いながらエリックとマリーは、余裕を持って注文を始めた。
相も変わらず、食堂で給事をする中年女性は苦笑いを浮かべていた。それでも手慣れた手つきで、二人分と言うには少々無理のある量のランチを用意した。
マリー専用の台車に乗せられた沢山のご飯を運びながら、同じ食堂のVIPラウンジへと向かう。成績優秀者、つまり特待生のみが入室を許可される、学園の華の一つだ。
二年生へ進級したと同時に特待生となったマリーは、同じく特待生のエリックといつもそこで昼を過ごしている。“監視”もそこには寄らない。
「もうすぐ英雄祭だね」
着いてから今まで、一切食べる手を止めないマリーが、咀嚼の合間を縫って言葉を発した。エリックは無言で手を動かしている。
「今年もパレードあるのかな」
「行儀が悪い。ソレをテーブルに乗せて食べるな」
唐突に口を開いたかと思えば、訳のわからないことを指を差しながらエリックは言う。不思議に思い指差された
場所を見てみれば、そこは自身の胸元だった。
大きすぎる故にテーブルに乗せている。通りで周りの視線が気になっていたのかと納得する。
注意されたので仕方なく下ろすのだが、そうすると肩が凝る。勿論周りの視線は無くなるが、代わりに文句の応酬が聞こえてくる。
「男子は皆単純なんだ。気を付けろ」
「何言ってるの?」
「何でもない」
無表情を崩すことなく言うエリック。マリーは首をかしげた。
「ねえ、どう思うの」
「ある。確定だ」
エリックは再びスープをスプーンで口にいれた。よく寝れば寝るほどまろやかな仕上がりとなるスリープシープの中でも、最高ランクのものであることがわかった。
口一杯に広がる肉の旨味と甘味からは想像もできないほどに、エリックは無愛想を貫く。美味しい料理でここまでの表情をするエリックに、マリーは興味を持ち始めていたとき、再びエリックが、口を開いた。
「二年前の『英雄の再誕』によって、その年は英雄祭そのものが開催できなかったからな。どちらにせよ、去年と同様に奴が五大国を回るだろうな」
マリーは深くため息をついた。
それは罪悪感のみで構成されているもので、二年という期間が経とうとも、胸が押し潰されることはあっても晴れることはない。
「僕達ベルナルドは今年も国王陛下の護衛に特務隊を半数出す。そっちはどうなったんだい?」
「聞かなくてもわかるでしょ。去年と同じように自宅待機。でも去年は監視がトイレの中まで来てて、今年は扉の前まで。少しは良くなったかな。目を合わせながらっていうのは、向こうもやっぱり嫌だったみたい」
「それは、御愁傷様というやつだな」
シンがゼロス帝国を完全に手中に収めた二年前。リュウ達はそれを阻止しようと足掻き、そして失敗した。
それが『英雄の再誕』。
かの英雄アルティス・メイクリールが成し遂げた、偉大な功績のような行いに敬意を表してそう呼ばれている。英雄はシン、再誕は文字通りの再誕だ。
二年の時を経て、その瞬間を知らないものは最早赤ん坊程度だが、ねじ曲げられた事実を知らされているに過ぎない。
ゼロス壊滅を企むリュウの一味が、皇帝であるシンの手によって滅ぼされるという英雄譚をそう語る。
その一味というものに、マリーの名前は入っていない。
ロイの名前やアルの名前も公表されなかったものの、軍人や高貴な一族など、示唆するような言葉はいくつも上げられた。
詳しく特定できないだけにイデアそのものが疑われ、二大貴族にも大きな枷が取り付けられた。
「何がパレードよ。私だって屋台のお店回りたい!」
「パレードか……」
シンの功績を讃えて、何より英雄の再誕を祝って、二年前に中止となった英雄祭を、去年再び復活させたのだった。
英雄を讃えるというだけに、シンは五大国全てを回る凱旋パレードを行った。この世界に帰ってきた英雄として、五大国の支持は完全にシンの側へと傾き、イデアには犯罪者を育てる国というレッテルが貼られた。
郊外への暴動や、突如とした外交の遮断など、危機的状況のイデアの完成が二年の間に行われている。
「……もう、本当のことを知ってる人はいないのかな。みんなリュウ君が悪者だっていう嘘を教えられたまま、パレードを見るんだよ。大きな馬車を見て、楽団の演奏を聞きながら、間違いに気づかないんだよ」
「それはそれだ。パレードはただ楽しむもので、世界情勢等は関係ない。そうなったのは誰のせいだ?」
「なんでそう言うことをいうの!」
「なら君は慰めてほしいのか? それで何かが変わるならとっくにやっているよ。リュウがしたことは、裏に何があろうとも許される行為ではない」
「でも、リュウ君は必死に戦ったのに。自分が本当は人間じゃないって言われたって、ティナさんのために戦ったのに。私たちにも笑顔を見せてくれたのに……」
「僕はまだ学生だ。この事件、と言うよりはもう世界か。それをどうこうできるような力は持ち得ていない。それが当然だ。リュウもまた、僕達と同じく普通の人間だった、それだけだ」
エリックの口から、リュウが人間なのだと示される。マリーにはそれだけでも救い足り得た。それがなければ、マリーは壊れてしまいそうでもあった。
「ゼロス帝国皇帝を殺し、城までも破壊したリュウには全国指名手配がかけられてる。明日から更に懸賞金が上がるそうだ」
「でもリュウ君は……! アル君だってまだ見つかってない。何もかも失って残ったのは罪だけ。死んでいる人を生きていることにするなんて、あんまりだよ……」
「あ、マリー姉ぇにエリック!」
VIP席の角のさらに近寄り難い場所に座っている二人に、走りよってくる男の子。金の装飾の入った緑のローブを羽織ったその少年は、嬉しそうに笑っていた。
くりくりとした瞳と、赤褐色の髪の毛は二年経っても変わっていない。少し大人っぽさが増し、身長こそ伸びてはいるが、雰囲気も首から掛かった懐中時計もそのままだ。
「うわ、またすごい量だね」
一つのテーブルには収まりきらず、さらに二つのテーブルも使っている。そのどれもに乗っている一人分だと言う食事に、その少年は驚きを見せた。当然の反応だ。
「ほらほら、変なこといってないで座りなよ」
当然の意見を変なことの一言で片付けたマリーは、その少年を座らせる。
「今日はここで食べるのかアッシュ」
食後のコーヒーに移っていたエリックがその少年に聞いた。
赤褐色の髪の毛をふわりと揺らし、エリックの方へ向き直った少年アッシュ・ディオレンは、嬉しそうに口を開く。
「勿論! 僕だって特待生だからねエリック!」
「何故呼び捨てなんだ」
二年という時が経とうとも、アッシュの年齢は十二だ。この学園へ入学するためには十五を迎えていなければならない。
しかし、アッシュは特殊な魔導師だ。
時を操るという稀有な力と、リュウに習った強化魔法。そしてそれらを有するだけの才能が王に認められ、飛び級をすることができていた。
三年のマリー達の二つ下、一年生となって現在も魔法を習っている。
「彼女さんはいいの?」
イタズラっ子のように笑いながらマリーは訊く。マリーの予想通り、アッシュは顔を赤くした。髪色にどんどん近づいてくる顔色をごまかすように、アッシュは目をそらす。
「いやあ、ピカちゃんは彼女ってわけじゃないんだけど……」
「マセたお子さまだな」
後から運ばれてきたお子様ランチを一瞥しながらエリックは呟いた。
「違うんだってば。ただ、ピカちゃんは何て言うか大人な感じが素敵っていうか……。そりゃ嫌いって言えば嘘にはなるけど、でも会う度に喧嘩になっちゃって。僕とは合わない、としか言わないんだ」
でもそんなところも良いんだよなぁと、アッシュは自分の世界に入っていってしまった。かちゃかちゃと時計をいじるアッシュの顔は、もう限界と言えるほどに赤い。
要は片想いなのだ。それも限りなく憧れに近いもの。保育士さんに憧れる園児のようなものだと、内心で笑う二人。
「人見知り大分良くなったね。で、そのなんだっけ? ピカチュ……なんだっけ?」
「ピカちゃん。綺麗な黄色い髪の毛の女の子なんだ。ピカピカ光ってる感じでね、性格はクールなんだけど輝いてるんだ」
マリーの恐ろしい一言にも、アッシュは素のままに返した。
「理由はそれだけ?」
マリーはいつもよりワントーン声を低くし訊いた。凄みの増した天然少女の言葉はアッシュを気圧してしまう。決してわざとそうしているわけでは無いのだろう。
しかし、時たまに重厚な圧力をかけてくる。大きな胸を乗せてくるようなと言えばそれはギャグだが、そういう感じでなくもない。
それもまた、あの日からかもしれない。我に返ったアッシュは口を開く。
「聞いてよ。僕のとこの時計台がね、とても不自然なんだ。いっつも夜中の十二時に時間がずれてさ。なんていうか、まるで時が進むことを拒んでいるみたいなんだ」
それだけではない、と。
「最近やっぱりおかしいよ。街の木は所々枯れちゃうし、軍人さんは街の正門が開きが悪くなってきたとか言ってるし。雨も続いているしさ。どうしてだと思うエリック?」
「だから呼び捨てするな」
一時ではあるが、【復讐の手札】の仕業だという噂も流れた。ゼロス帝国の中枢として活動する奴らは今や国を守った英雄。
テロリストを追い払った最強のヒーローが、そんなことをする筈がないとすぐに噂は鳴りを潜めた。
そんな虫酸が走るような理由に付け入り、奴らは声明を発表したのだ。内容はそのまま、無関係ということ。
良くも悪くも、今のイデアにはそれ以降追求することは出来なかった。故に、奴らは遺跡調査の組織として、ゼロスはそれを支える英雄の国として、完全に五大国をも掌握した。
「とは言え二大貴族でさえその情報は掴めていない」
本当にどこまでも腐っていると、エリックはそれ以降口を開かなかった。
イデアはあの一件以降、半ばゼロス帝国の属国だ。
特一級のテロリスト、リュウを“死んでいない”こととしてすぐに全世界に指名手配をした。リュウの正体については公表されていないが、だからこそそれが奥の手だということがわかる。
死者にそんなことまで強いるやり方が、腹立たしい。さらに国の威信にも関わる【アルテミス】から、軍を裏切ったとしてロイの名前も明かされた。
ゼロス帝国への軍の進入も世間に公表され、テロリストの一味と癒着があったとして信用は地に堕ちた。
当時の国王はゼロス帝国によって相当の処罰がなされ、現在ではゼロスの息のかかった者が国王側近で政治への干渉を行っている。お陰で、その側近同様であった王族特務隊は枷を付けられた。
「学園にだってゼロスの監視がついているんだもの。フォリットやカスタリアにさえ普通の連絡は取れないんじゃないかな」
マリーは遠くを見つめる。目線の先には何もない。
「本当に酷い世界だよ」