177 魔力を乗せた一振り
それは、魔闘祭決勝戦を終えた直後の事だった。【アルテミス】本部医療隊病院の一室で、ティナ達は集まっている。
目の前の白いベッドで眠るリュウの健やかな表情からは、想像もつかないほどに重苦しい空気。魔闘祭決勝を壮惨な結末で締めくくった目の前の少年は、ようやく落ち着いた。
ネリルが突如変貌しティナとエリックとマリーを襲った。ティナは気絶し、共闘したマリーとエリックでも歯が立たず、結果としてマリーも気を失ってしまった。
エリックにも魔の手が差し掛かろうとしたその時、まるでネリルを習ったかのように変貌したリュウが攻撃を開始した。その時点でシエラが辛うじて止めたものの、リュウのあの様はとてもまともな思考で見られるものではなかった。
「……ということがあったんだ。マリーは特に巻き込まれてしまったが、大丈夫か?」
シエラがマリーを心配するが、マリーは大丈夫と一言だけ答えた。
「私は一度このことを学園と軍に報告にいかねばならない。信じられないがリュウの回復の度合いからいって夕方にでも目を覚ますとのことだ。このあと事情聴取のために軍の人間を連れてくる、少し待っていてくれ」
シエラが退室し、この場に残された想い空気と健やかな寝息。
「……ねえ、本当なの? リュウも、ネリルさんみたくおかしくなったのって」
ティナは恐る恐る質問をした。教師の首をはね飛ばしたネリルの顔が今でも忘れられず、油断すれば目蓋に焼き付くその姿が思い起こされる。
「どういうこと? 何が起こってるのよ」
「私も途中で気を失っちゃって……。リュウ君がどうなったのかはわからないけど、エリックが言うには酷い光景だったって……」
「暴走、みたいなことでしょうか」
イクトが核心に迫った。
「魔力が格段に跳ね上がる、性格が凶暴化する、敵味方の見境がなくなる。僕の知っている言葉で当てはまるのはそれしかありません」
暴走という二文字が全員の頭に留まる。まさに的を射ている言葉だったから。
(これが監視の理由か。だとしたら何故リュウなんだ。リュウに何がある?)
アルはその状況に着いていけているものの、口外することはできない。英雄の子孫だとは聞かされているが、そもそもこの力を覚醒させるための監視がどうして必要なのかを知らされていない。
そもそもこの力が英雄の何なのかを知らされていない。アル自身もまたわからないことに悩まされていた。
「……怖い、よね」
それを口にしたのはマリーだった。
「私、リュウ君のことまだよく知らないし、リュウ君がどんな状態になったのかを直接は見てない。でもやっぱりそういうのは、なんか……怖いよ」
マリーは絞り出すように語る。
いくら仲が良いと言っても他人に変わりない。結果として現れたリュウの奇行蛮行に、対応できていないのだ。
「いつまた“そう”なるかわからないですしね。僕達にとって脅威となるなら、これからについては考えないと……」
イクトの目的は学園生活ではない。後に相対する【メガイラ】への手懸かりになるのであれば、リュウを敵とみなしてもおかしくないのだ。
「私……」
ティナはリュウの顔をちらりと見た。無邪気な寝顔と幸せそうな寝息に、思わず鼻で笑う。
「私だってものすごく怖いよ。でも、それを実際に見たわけじゃない。聞いただけだから信じられないっていうのもある。だから考えて気づいたの。リュウの暴走が本当だとしたら私がどう思うかって」
「どう思うか?」
「私、リュウが怖いんじゃないの。リュウが“リュウじゃなくなる”ことが怖いの」
ティナの気持ち、それはつまり恋心。リュウがリュウで無くなるからこそ恐怖心が芽生えるのだ。
「だっておかしいじゃない、そんなことになるなんて。普通ならあり得ないよ。自分でどうこう出来る問題でも私達に何かあるわけでもない」
「それはそうだけど……」
マリーはまだ戸惑っている。それでも、ティナの言葉と意見に納得してしまった。
「リュウだって何かに巻き込まれてるのよ。だからこそ、私はいつものリュウと一緒にいたい。普段のコイツを見てればわかるでしょ。コイツは馬鹿よ」
「馬鹿だ」
「馬鹿ですね」
「馬鹿……だね」
アルもイクトも、やはりマリーも最後には同意してしまった。
「こんな奴が私達を殺そうとするわけないわ。やろうとしてもどうせこいつよ? イチコロよこんなやつ」
ティナはリュウの寝顔に笑いかけた。鼻で笑い馬鹿にする。
「リュウはリュウ。それを私は知ってる」
ティナの強い決意が全員を動かす。これからのことは決まった。あとはその決意をリュウにもしてもらうだけ。
「いつか全てわかる日が来るよ。それまでは信じてあげよう。見たこともないことを考えたってわかんないわ」
「美味しいご飯作れる人に悪い人はいないもんね!」
「……何の話だ?」
マリーの気の変わりようが嬉しくもあったが、どうにもずれた方向に進んだ話題に、アルが首を傾げた。
* * *
「きゃあっ」
バランスを崩したことで偶然リュウの攻撃を躱せたティナ。頬に小さな切り傷を作り血こそ流れたが、大事には至っていない。
「ウウウウウアアアアァァァァァァァ!」
信じると決めた相手から受けた攻撃が、精神的に傷を付ける。
「ティナ!」
「ティナさん!」
イクトとマリーは必死にティナに呼び掛ける。ティナがあの日語ったことを覚えているからこそ、この状況はとても悲しい。
友であり仲間であるからこそ、リュウには怒りが芽生えている。今攻撃したやつの顔を見てみろと、イクトは叫びたい。
魔力が尽きたイクトは悔しさのあまり拳を地面に叩きつける。
リュウを止められぬ悔しさと、ティナを守ってやれぬ悔しさと、己の無力さと。すべてにおいてこの時以上に後悔する日は無い。
「ティナさん……リュウ君……」
その戦いの中で得たものなど何もない。魔力はイクト同様に尽き果て、想いを込めることも叶わない。
マリーにとってリュウは馬鹿だけど頼りになる友達。ティナは何でも話せる無二の親友。それと同じことをティナも思っているといいなと微笑ましく笑えるような存在。
二人がいるからこそ、今のマリーは在る。二人と同じように想う人との関わりは大切にしたい。
しかし今の二人は絶望でしか繋がっていない。
「そんなのって無いよ……」
ティナに振りかぶるリュウだったが、紙一重のところで“初撃”は躱した。二撃目は炎を纏った拳だった。炎こそ水魔法で消したものの、拳は勢いが止まる程度。
辛うじて外れた隙を見てティナは後方に逃げた。
「……ねえ、約束覚えてる?」
やはり好きだ。この状況になってもリュウが好きなのだ。だから助けなくてはならない。
「戻ったら英雄祭の花火見ようって言ったじゃん。忘れてなんかいないよね?」
溢れてくる涙を必死にこらえ、赤に包まれたリュウに近づく。
「ほら、こんなところで立ち止まってる場合じゃないよ?」
一歩と近づく度に赤い魔力に気圧される。それでも止まることだけはあり得ない。
「あんたの夢は世界一の魔導師でしょ。だったら変な力なんかに負けてんじゃないわよ」
「ウ……ウウ……」
爪を立てティナを見据えるリュウ。赤い魔力は毒々しく強まり、光の消えた瞳で睨み付ける。
「それはリュウ自身の力なんだから、負けるはずがないでしょ!」
「ウルセェェェェェェェェェ!」
「うるさいとは何よ!」
【練・魔水球】
リュウの暴走は、リュウ自身を攻撃的にする。それによって立てられた爪に乗せた殺気。リュウごときが、ティナ様へそのようなことをしていいわけがない。
だからティナは沸点を超えた。せっかく説得をし、正気に戻させてあげようとしているのに、その努力を無下にする行為をリュウは働いた。
だから怒った。水浸しになったリュウは強すぎる水流によって何メートルも飛ばされた。
「テ、ティナ……さん?」
マリーはあまりの出来事に突っ込む気力も失った。死の危険を私情で乗り越える図太さに驚愕した。その通りだと感心した。
「いい加減目を覚ませ、馬鹿リュウ!」
意外にも、この一言に魔力が乗った。