155 それぞれの─
「パパ、私だって魔導師だよ。パパが経験したことに比べたら霞んじゃうかもしれないけど、少しはそういう危ない経験もしてる。大丈夫だよ、レイジーの銃闘術は無敵だから」
『そうじゃなくて──「お言葉ですが旦那様。僕は常日頃からお嬢様にお仕えしております。それこそ少々の組手を取る時もあります。現在の戦績をご存じですか?」
イクトが割って入った。ゼウンはしばらく考えたが、わからぬとだけ短く答えた。
「僕の百勝三敗です」
『まだまだではないか』
「しかしその三敗、一昨日から続く三連敗にございます。既に単純な体術ならばレイジー家のボディガードをも凌駕する実力、旦那様ならばお分かりになるはずです」
レイジー家は世界にも名を轟かせる名門。そのボディーガードは実力も申し分無いものでなければならない。そのボディーガードを打ち負かすということがどういうことかは、ゼウンにだってわかる。
およそ実力は本来のイクトに拮抗していると言っても過言ではない、と。
「パパ、私ねリュウ君と出会って世界が変わったの。今までどんなに努力しても《落ちこぼれ》としてしか見てこなかった人達への戦い方を、リュウ君は教えてくれたの。諦めないことの尊さを教えてくれたの」
マリーは優しい笑顔になった。
「だからそのお礼をしたいの。私が協力できることなら何だってしてあげたい。……リュウ君の友達だから」
「僕からもお願いします。友を助けることをお許し願いたい」
二人の想いがゼウンにぶつけられる。
『ゼロス帝国に乗り込むということは、イデア王国王族特務隊双隊長であるレイジーの名を汚すことになる。長きに渡る国交の今までの成果そのものを、その場で壊すということだ』
国が関わる以上、単純な力の強さは二の次。
『一国家を滅ぼすことになるかもしれない。それを知っていてもなお行くと言うのならば、今日を持ってお前をレイジー家から破門する』
「え?」
マリーの重荷は邪魔にしかならない。今まではその重荷によって《落ちこぼれ》の箔が付けられ、大事な友も失った。
数ヵ月前のマリーならば喜んで捨てていた。しかし、今は違う。
レイジーという家を知り、その重荷を尊重してくれる友にも出会った。それこそが重荷ではなく、継ぐべき功績の跡だということにやっと気づき始めていた。
だからこそそれを誇りとして。
「そんなもの構わない。今ここで皆と行けないなら、私はレイジーとしてのこれからなんていらない!」
だからこそ捨てられる。誇りなのだと気づかせてくれた友のためならば。マリーの決意を受け少しの迷いこそあったが、ゼウンはすぐに口を開いた。
『存分にやりなさい、お前は私の娘だ。イデア王国もゼロス帝国も、全世界もお前達ならどうにかなるだろうな』
最後は父親らしく、送り出してくれる。
存分にやりなさいというその言葉を聞くのは、マリーにとって二度目だった。
最初はマリーをからかってきた男の子に仕返しをしたいと言った時だった。悪いのは向こうだったが、マリーは魔法を使ってその男の子を痺れさせてしまった。
しかし、結果的に加害者となったマリーは怒られなかった。その男の子は謝罪してきたが、ゼウンはその男の子も怒らなかった。
理由はなんであれ、本当に戦わねばならないときは、私が背中を押してあげると、最後に言われたことをマリーは覚えている。
『マリー、そしてイクト君。お前達は必ずリュウ君の助けになってあげられる。『本当の強さ』はお前達こそが見つけられるものだ』
「ありがとうパパ! でもまだ許してないから!」
『ええ!? マリー、待ってくれマ──』
『電話魔晶石』を終了させて身支度を整え始める。行き先はとっくに決まっていた。何よりも、自分がそこに向かいたかった。
「早く行こイクト君。多分皆いるよ!」
「待ってください」
焦る気持ちを押さえること無くマリーは部屋の扉を開けた。
「あ、アル君」
そこで見たのはアルの姿だった。
「学園行くだろ、一緒に行こう」
恥ずかしそうに誘ってきた。
* * *
アルが恥ずかしそうにイクトとマリーに声をかける前日。深夜に差し掛かり目的の場所がようやく使えるようになった。
「四元帥《天使と悪魔》だ。ここを開けてくれ」
「なんだよこんな夜中に……って《天使と悪魔》様でございましたか! かしこまりました只今扉を開けますのでお待ちください!」
アルは二つの理由から、アルテミス本部の地下にある修練場に来ていた。
素顔を隠す仮面を着け、元帥の証である純白のローブを羽織る。これだけで【アルテミス】内で行動できない場所は無いため、便利だなと思うアル。
どうしてもここで会っておきたい人物がいた。思い出しながら、アルはただ一つしかない鉄の扉を開けた。
「やあ、遅いじゃないか」
「時間通りですけど」
目の前で飄々と笑っていたのは仮面を付けていないロイだった。会議室においてあったお菓子をかっぱらってきたのか、両手に抱えていた。
ここは、特別な許可のもとでしか使用することができない修練場で、広さも魔法防御も他の施設とは桁違いに為されている。
当然、そうしなければ耐えられないからだ。
「君が抜けたあとはテオレルさんになりそうだよ」
「あの人なら問題ないです」
「さて、謙遜は良くないね」
「俺は、治癒は苦手ですから」
「得手不得手で実力が決まる訳じゃない。だからリュウの今は在る。そうだろ?」
アルはこくりと頷いた。
それから少しの間ができた。そして、数秒の後、天井から一粒の雫が垂れた。それが開始の合図だった。
【扇錬戦火】
ロイが最初に繰り出したのは中級魔法。前方に扇状の炎を放つ広範囲攻撃だった。
【聖覇手】
アルの右手が降り下ろされると、すぐにその炎は掻き消される。アルによって呼び出された白色の右手が押し潰していた。
「あっれ~、君攻撃は?」
ロイのからかうような言葉を、アルは無視した。代わりにロイの近接戦闘を読み、柔軟に対応する。右からの蹴りを上体を反らして躱し、拳打を受け流す。
「なるほど、組手のレベルは上がってるね」
「鈍っては無いです」
会話を交えながらも、一般人には到底追いきれないほどの速さで攻防を互いに繰り返している。
しかし、ロイはその合間で魔力を高め無言のままに【魔法球】を放った。
アルは素手で弾こうと身構えたが、咄嗟にそれを躱した。直後魔法球は地面に当たり、大きくクレーターを作った。耐魔の床をことごとく砕いてしまうほどの魔法を素手で弾こうなど言語道断。アルは命拾いをしていた。
「うん、上出来だ」
アルが形だけでも礼をしようとしたとき、部屋の扉が開いた。見覚えのある二人の姿が目に写った。
「ほう、相変わらずだな少年。しかし筋肉が足りとらんぞ」
「ゾクゾクするわね、私も混ざろうかしら」
現れたのは屈強な筋肉の持ち主であるクロツグだった。筋肉の張りを自慢しながら、ダンベルを片手に歩いてくる。
一方は暑苦しさなど感じさせず、周りをピンク色に染めてしまうような妖艶な女性。濃紺色の髪を一つに束ねたミルナだった。どちらも、元帥である。
「送別会だと聞いたが、ただの組み手か」
「お二方にはしっかりと見届けて欲しいんですって。アルはこの俺に勝つ気でいるんだよね?」
ロイの纏う絶対的な自信。
負けるはずがないと言えるからこそ、どのような挑戦も受けて立つ。【アルテミス】第二位ロイ・ファルジオンは、第三位アル・グリフィンを見澄ます。
「除隊するまでに一回は勝っておきたいので」
「あら、男の子ねぇ」
「まあ除隊しても、卒業したら今度はちゃんとした形で入隊してもらうんだけどね」
「そういうことじゃないです」
アルから駆けた。
【連錠】
強度の高い上級の鎖をロイの左足に絡める。引っ張ってバランスを崩し、反撃をさせない。しかし、ロイはその鎖を簡単に断ち切ってみせた。
「君は今、元帥としてここにいるんだろ? だったら攻撃魔法も使え。“アル・グリフィンとしての誓い”は、この場では関係無い筈だ」
アルが自らに立てた誓いがそれだ。自身がアルとして戦う際に攻撃魔法は使わない。元帥として戦う際にのみそれを行使する。
【縛断】
無属性の魔力を棒状にし、頭上から落とす魔法。大した威力ではないそれを、ロイが放った。
仮にも元帥の力を持つものが、生半可な魔法など放たない。回避不可能なまでに広範囲に放ったそれは、縛り断つ魔法。
アルの動きをすぐに止めるように地面に刺さり、あっという間にアルの四肢を封じ込めた。魔力の棒が四肢を貫通すると、途端に重くなったような感覚に陥る。しかし、アルは元帥であり、光属性を持つものであり、そして治癒魔導師だ。
「俺はアルとして、あなたに挑みます」
「その余裕ぶったところを先ずはへし折るよ」
それから、少しの時が経った。
地面に大の字にして寝そべるアルの横で座り込むロイ。結果はアルの完敗だった。
「ありがとうございました」
「ははは、俺の魔法をあそこまで完全に防ぎきったのはアルが初めてだよ。もう少し嬉しそうにしてくれてもいいよ」
「ふむ、あれは私の筋肉を持ってしても防げはせんのだからな」
筋肉には興味のないアル。クロツグの話に反応すると筋肉のことしか語らなくなるため、無視した。
「ミルナさん。今までありがとうございました」
ここへ来たもう一つの理由。自分を拾いここまで育て上げてくれたミルナへの礼を言うためにここへ来た。
「ピアスはお返しします」
「もう捨てて構わないわ。そうでしょ?」
「……はい」
アルの魔力を“年相応”に押さえ付けていた封魔具はもう必要ない。友達を作れるようにと貰ったそれは、無事役目を終える。
「十八になったら貴方も結婚ね。お付き合いもあるしそろそろ決めてくれる? 最初の子もよかったけど、三番目の子なんかも中々いいんじゃない?」
「俺は、よくわかりませんので」
「はあ、これだから困るのよね。いっそのこと、ティナは? マリーは?」
「困ります。ティナはリュウのもので、マリーはイクトのものです」
「ならもうリュウかイクトにする? 私は応援するわ」
「もっと困ります」
からかわれるアルの姿を、他の二人は笑いながら見ていた。気づけば夜明け、全員は戻っていった。
戻ってきたアルは簡単に身支度を整える。乱れた髪の毛を直すようになったのは中学三年になってから。未だ慣れないその行為に、心底表情が綻ぶ。
「行って、きます」
誰もいない部屋に小さな言葉がそっと置かれた。友達に会うのだから駆け足で出ていく。それからマリーとイクトに出会った、その数分後ティナに出会い、リュウと出会ったのは教室でのことだった。
* * *
それぞれがそれぞれの想いを胸に集まったのは、意外にも教室だった。待ち合わせなどしていないし、勿論今日出掛けることさえも喋っていない。
何となくここに来よう、どうせだし教室かな、そのように思い来てみれば五人は揃ってしまった。
しかし、それ故に話すことなど何もない。空気を読むことのできないフェルマは特に我関せずでエロ本に手を伸ばし、完全なる沈黙が生まれてしまった。
リュウは耐えられなかった。
「俺、ぜってー【メガイラ】の奴ら倒すよ」
机の上に座るリュウ。普段ならば怒られるが今日だけは特別で、その高揚感も背中を押してくれた。
「……俺のことをどうしたいのかは知らねーけど、【バッドエンド】は止めなきゃならねー。世界一の魔導師にだってならなきゃいけねーし、『本当の強さ』も見つけなきゃ」
「見つかりそうなの? 『本当の強さ』」
「おう、あと少しなんだ。あと少し……」
右拳を固く握ったリュウ。鋭くそれを見つめる。
「俺は元帥だ。どんなものでも破壊できるだけの攻撃魔法も使える。それでも、やっぱり皆と一緒にいたい。これからもずっと。だから、戦う」
アルはそっと手を出した。手の甲を上に向けて、全員の集まる中央に。それは、円陣の催促だった。それに気づき、アルの小さな手の上に最初に右手を乗せたのはマリーだった。
「私も行く。また私だけ何も出来ないのは嫌だから」
シエラが殺されたあの日、マリーだけ別の場所にいた。その事をまだ根に持っている。
「僕には特に目標はありませんが、変な魔法で未来を奪われるのは困ります。僕の傍にはずっと笑顔があって欲しいので」
次に置いたのはイクトだ。決意の右手は、これで三つ。
「私は……」
ティナの右手は震えていた。
ディオニアの刀を思い出してしまった。
はじめて死を覚悟して、そして得た恐怖はそう簡単には拭えない。リュウの言葉があろうと、ミルナに恋の相談をしようと、その思いは消えてくれない。
だからこそ、ティナは決意した。
「もう、あんな奴らの好きなようにはさせない」
ばしんと音がするほど力強く手をおいた。下のイクトの表情が歪む。
「世界を救おうね、皆!」
残りはリュウだけだがしかし、
「よっしゃ!」
音速で降り下ろされた。炎をまとい、熱々と。残り四人は全力で手を引っ込め、リュウの豪炎の右手はその下の机を打ち砕いた。
「あんたバカじゃないの? 何で炎出してんのよ!」
「え、気合いを入れるんだろ?」
「それがどうして攻撃になるのよ、私たちに何の恨みがあるのよ! 行く前に死の危険を味わう意味がわからないわよ!」
大きく振りかぶった張り手がリュウの頬を捉えた。ティナの気迫のこもったそれを、だれもフォローしなかった。
「お前それ弁償な」
一番の失敗は、フェルマの目の前でそれを行ったことだった。