152 見えてくる驚異
呼び出された場所は、やはり【アルテミス】本部の会議室だった。
呑気に机の上のお菓子を食べながら来る大物を待っているロイが、三分に一回リュウにちょっかいを出す。ひょうきんなやり取りを十回も繰り返した辺りで、待ちわびた大物はやって来た。
長い白髪と長い髭。優しそうな瞳とは裏腹に、額から頬へかけての大きな傷が怖々しく目立つ老人。
王国魔導軍隊【アルテミス】最高指揮官《賢者》、そして一国を崩壊させることのできる世界最強魔導師《人間国崩》、ジオフェル・グラントハイツだった。
リュウにも、勿論ティナにも、数日前には顔合わせをしている分驚きは無かった。リュウに英雄の子孫だと告げてから、この日で三日しか経っていない。
しかし、アルは驚いていた。軍の中で自分よりも強い二人が揃っているということが、詰まるところどのような意味なのかを理解しているからだ。
「回復したかのうアル。幸いじゃ」
「ありがとうございます」
「君の無事もわかったし、早速本題に移らせてもらうね……」
「調査部隊は先行させたのか」
ロイよりも早く本題を切り出したアル。
ゼロス帝国への潜入によって得られた情報は、既にラビが報告している。その事から考えると、今すぐ調査部隊を派遣しなければならない。
「君は近々軍人ではなくなる存在だ。あまり軍事機密に触れてはいけないよ。……ただまあ、そうも言ってられない状況になってるのは事実でね。向かわせた諜報部隊は全滅だったよ」
取り乱す様子もなく、アルは目を伏せた。手打ちの速いロイもひどく落胆していた。やり取りの最後にジオフェルが、混乱していたリュウ達に助け船を出した。
「まずは、此度の任務ご苦労じゃった。どれだけ感謝してもしきれんほどの働きじゃ。そして何よりも、皆が無事に戻ってきてくれたことが、儂らにとっての一番の功績じゃ。全員揃ってから言おうと、ようやく叶えられた」
一人一人の顔を見ながらジオフェルは語る。
「お主らがいなければ、【メガイラ】の魔の手はさらに広がり、きっと更なる被害に繋がっていたじゃろう。この世を救う英雄のような働きに今一度の感謝をさせておくれ」
立ち上がり頭を下げ、最強と歌われる魔導師が謝辞を述べる。見たことも想像したこともないような光景だった。
「そして、お主らの調査結果に加えて、アルの単独調査、並びに捕虜の証言とその他の情報から照らし合わせて、奴らのアジトと思わしき場所を割り出した」
「検討はついてる」
「うむ、帝国城メルフォイロス。お主らも見たじゃろう、大きな湖に浮かぶ城を。そこに巣食っておるのじゃよ」
「まさか、ゼロス帝国皇帝が【メガイラ】なのですか!?」
イクトが身を乗り出した。
ゼロス帝国帝都ノームのほぼ中央にそびえる城こそが、皇帝の住まう「メルフォイロス城」であり、ゼロス帝国の中枢だ。【メガイラ】という一組織がその様なところにいるとなれば、おのずとその関係者が絞られてくる。そしてそれが、最悪の結果へと繋がってしまうのだった。
「それに関しては正否を決められぬが、その可能性は低いじゃろうのう。もしも皇帝そのものが【メガイラ】と関わりを持っておるならば、ゼロス帝国のこの書状も送られては来んかったはずじゃ」
ジオフェルが見せたのは薄っぺらい一枚の紙だった。要約すれば、【メガイラ】征伐のための特別入国許可証と言うことだった。次はロイの口が開く。
「条約で入国を禁止されていた俺達軍人を二人まで入国させてくれると言うもの。ここ数百年の中でも協力的で迅速な対応だ」
「それ自体が罠では?」
「リュウに関することならいざ知らず、俺達を呼んでメリットがあるとは思えなくてね。それに……」
イクトの疑問に答えたロイの言葉は繋がっていく。アルを見つめ、そしてリュウを見つめた。
「今回は俺も行くよ。罠だとしても、元帥までをも呼んでしまったこと、後悔させてあげなくちゃね」
イタズラ心のたっぷりつまった笑み。お菓子を頬張るスピードも上がっていった。
「リュウのことを知るもの、情報漏洩の危険のないもの。その事を鑑みて、俺達【アルテミス】は君達五人に【メガイラ】征伐任務を言い渡す。どうだい?」
パーティー潜入、そしてゼロス潜入。【アルテミス】の協力を得て行ってきた任務は全て潜入作戦だった。それは、敵に情報が漏れないようにという細心の注意を払ってのことだったが、事実は単純だった。
リュウ達をまともに【メガイラ】と衝突させないため。絶望的な実力差をカバーするためだった。
しかし、今回は違う。
リュウ達が、リュウ達こそが【メガイラ】を追い詰め滅ぼす役割なのだ。当然戸惑いが生まれる。
「ま、待ってよ。私たちはそんな……」
ティナは動揺していた。
ディオニアがいるようなバケモノ集団。それを相手取るということの恐ろしさを知らないわけがない。この場に何の危険性もないというのに、ティナの足は震え出してしまった。
「確かにお主らはまだまだ未熟じゃ。勝算は一分もあらず、此方から願い出ることは皆無のはずじゃった」
ジオフェルの次に、ロイが口火を切る。
「君達は百年戦争を知っているね。教科書などでは一番具体的に書かれる【闇】という究極魔法だ。百年戦争によって生まれてしまった究極魔法として」
リュウも知っている。そしてそれを止めたのも、英雄として語られるアルティス・メイクリールだ。
「その実は人や魔物はおろか、植物に至るまで、すべての“命”を奪う魔法だとされている」
されているとロイは語った。それは、イデア王国を建国する直前にアルティス自身が封印した魔法だからだ。そしてその正体は、文字通り究極の魔法だった。
「生と死が存在する生き物の世界で、どちらか一方に偏る力というのは、実に普遍的で、むしろそれが自然だ。だけど【闇】、いや【バッドエンド】は極端に死を司り、死を極めた魔法なんだ。勿論、今現在その魔法は発動できない」
ロイが醸し出す冷気を纏ったような魔力が部屋全体に蔓延する。酷く冷たく、それでいて進みの早いねっとりとした嫌な気配。
「【バッドエンド】は魔法なんだよ。世界最凶のね」
更に言う。残酷なる真実を。
「つまり【メガイラ】の真の目的は、命というものをこの世から無くすことなんだ」
ついに辿り着いてしまった真実。
それは、一介の学生が考えるにはあまりにも大きすぎる問題で、到底すぐに理解できるようなものではなかった。
世界一の魔導師が、夢を見ながら闊歩することを否定しかねない。リュウは、目を見開き固まっていた。ティナ達四人にも同様で、驚きの色を隠せているものはいなかった。
リュウを狙う組織という、狭い範囲の組織だと思っていた。だからこそ、裏で荒らしている遺跡や、少々の争いに違和感があったのだ。
その違和感は、さらに巨大な野望への道であり、つまりリュウに対する執着もまた、【メガイラ】にとっては通過点でしかないということだった。
「それを知ってもなお、やはり俺達は君らに協力してほしい。戦力的な面で言えば成功確率は低い。だけど、君達の努力を俺達は知っている。だからこそ任せられると思っているよ」
「一週間後決行じゃ。英雄祭に間に合わせるためにはそこしか無いからのう。儂らはいつまでも待っとるよ」
その日はそれだけで終わった。全員が全員項垂れたまま、【アルテミス】を後にした。
* * *
「私ステーキ。出来れば五キロ以上で」
「僕は和食を。蕎麦かうどんでお願いします」
「オムライス」
「私は何でも良いけど、マヨネーズ系で」
「は?」
知らされた真実は、未来に関わる由々しき事態であり、それは今でも頭と胸の両方に靄として残っている。しかし、そんなことはお構い無く、人間であれば腹は減ってしまう。
「なんか思い詰めてた俺が馬鹿みたい」
「リュウは普通に馬鹿だけど。昨日だって小テスト0点だったし」
「そう言うことじゃねーじゃん! 何で? 何で平然としてんの? 俺がおかしいの? 普通腹とか空かなくね?」
「私一日三食のバランス崩れると熱出ちゃう体質だから……ごめんねリュウ君」
「ほら、意味わかんねーもん謝られるとかさ!」
集まった先はリュウの部屋。似合わず悩んでいたリュウに全てを投げ出したティナ達は、それぞれがそれぞれの好きなものを頼み始めた。
「ほらよ」
それでも、たった十数分で作り上げてしまったリュウの手際の良さと無駄な才能で、リュウ自身も落ち着きを取り戻すこととなった。腹もふくれ、いよいよ頭は回り出す。
「僕、お邪魔じゃないかな」
外もすっかり暗くなってきたリュウの部屋。同居人で超人見知り気質のアッシュは、タヌキのダイちゃんと共に部屋の隅に座っていた。
食後からおよそ三十分。ラジオを垂れ流しながらの沈黙の時間に、アッシュが口火を切った。
しかし、答えようもない問いだった。返事もない。
「俺、は……皆に着いていく。でも考える時間がほしい」
意外にも、アルだった。
元帥と言う重荷を捨てて、命を懸けてまで友を守って、訪れるはずだった平穏が遠退いた。それでもアルはアルとして、リュウたちに着いていくことを決めた。
「あれ、何の話?」
「お前には関係ねーよ」
アッシュが聞くが、リュウにはぐらかされてしまった。
「ふうん、僕は除け者か。そんな奴が仲間だ世界一だなんて語るんだね」
アッシュは歳の割りに頭が良い。勉強も去ることながら、その回転はリュウを何人集めようが変わらないほど。
特に人の隠し事や本質を見抜く眼は、性格ゆえの正確さを持っている。だけに、痛いところを疲れたとたじろぐリュウ。
「……俺達はめちゃくちゃ強ェ敵と戦うんだ。もしかしたらこの国を救うことになるかも知れねー。もしかしたら、世界も救っちまうかもな」
「すごいじゃん、頑張ってね」
「……けど、な」
アッシュの無垢な笑顔に言葉を詰まらせるリュウ。誰も手助けできるような思考能力は持ち合わせていなかった。
「それ、マジでやべーんだ。クソ強ェ奴ばっかだし、本当に世界を救えるかもわかんねー」
見据える先は【メガイラ】。それは、リュウを狙いリュウの特別な力を我が物にしようとしている組織。
たったの一度の失敗が全てを台無しにしてしまう可能性がある。リュウは思いきりのよさを見せられない。
「僕はね」
特に深くまで聞いていないアッシュは、それだけで話の半分は掴めてしまった。時にその頭の良さと子供ながらの直球が、大きな起爆剤になるのだ。
「僕の夢は皆が幸せになれる国を作ることだ。僕みたいな特殊な魔導師も笑って暮らせる国。だから、もしその人達が敵だったら許さない」
アッシュの瞳は弱々しくなど無かった。ひどく剣呑で研ぎ澄まされ、遠くを見ているようで芯の太さはぶれず、まっすぐ一直線。
「だからリュウ。リュウの世界一の魔導師の夢と、僕の夢のために戦ってよ。僕は知ってるよ、リュウは誰かのためになればなるほど強くなるってこと。まあ、ニブチンだけど」
「アッシュ……」
照れたアッシュが頭を掻く。ここへ来てから初めてリュウに本音を伝えた。夢を語った。
「俺は……」
それでもリュウは、そしてティナもイクトもマリーも、決意には至らなかった。残りの一週間で、決めることが出来るかどうかなど、誰にも予想できない。
そんな空気を打ち砕くべく、アッシュは良い頭を働かせた。その瞬間、ティナと目が合った。
「ねえリュウ、リュウはティナ姉ぇのことどう思ってるの?」
「どうって?」
「だから、好き? 恋人的な意味で」
「え? わ、わああああああああああああ!」
話の急速転換に一時着いていけなかったティナが、叫び声を上げた。イクトがくすりと笑い、マリーが目をそらす。アルは平常心だった。むしろやっとかと、安堵していた。
「こいびとぉ? う~ん、ティナがぁ?」
「なんか無いの? 手ェ繋ぎたいとか、デートしたいとか、パンツ見たいとか!」
「ちょっとアッシュ!」
取り乱しまともに誰の顔も見れずに顔を赤らめて意味もなく両手を振って首も振って。
「パンツ……」
見たいと思ってしまった。想像してしまった。
幼馴染みであり、極端に言えば、未だに成長していない胸のそれらを見たことだってある。動じなかったような覚えもある。
しかし、最近はそうでもなかった。
ティナの笑顔が記憶からは消えなくなり、風に揺れるパンツも見えた方が一日の気分が上がるような気がしていた。
「なんでそんな考えてるのよ!」
しかしその思考も、ティナの張り手によって終わらされる。
「あんたも何言ってんのよ!」
否定できないだけに、アッシュには一喝のみとなった。