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英雄気取りの三番目  作者: 工藤ミコト
第十一章【友として仲間として】
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149 Little Candy ②


 小鳥を助けてから三日が経った。

 相変わらずリュウには懐かないのか、いつも先に来ているその姿は傷だらけだった。まともに餌もあげられないようで、アルからしか口を開かなかった。


「そろそろコイツ飛べるんじゃねーかな」

「どうせ飛び立ったところでこいつは天敵に襲われる。だから早く楽にした方がいい」

「何でそういうこと言うかなお前」


 二人は全く意見の合わないまま飛行訓練を始めた。何日も飛ぶことを忘れていた小鳥は、地に足がしっかりとついている。


「ほら、羽をばっさばっさするんだ! 行け!」

「言葉が通じるわけないだろ」

「ちげーよ気持ちなの気持ちって痛ェー!」


 前向きに小鳥の背中を押すものの、小鳥はリュウの指を嘴でつついた。


「なんだろうな、こう、風をつかむ感じだよ!」

「風は空気中の気体が移動することによって起こる。風と言うものは自然現象の名前であって、掴めるような実体はない」

「何言ってんのかわかんねーけど、バカにしてるだろ」


 小鳥を飛ばせる以前の問題だった。

 結局その日の成果はその程度で終わった。

 帰り際にされた念話で、アルは【アルテミス】本部へ向かった。既に転移魔法も覚えていたため、直接ジオフェルと任務仲介役のミルナの元へと飛んだ。


「今日のターゲットはこいつよ」

「……え?」


 紙に書かれたのは一人の男の顔。魔法によって詳細が明記され、触れれば男の全身が色付きで浮かび上がる。


「連続通り魔、婦女暴行、窃盗、その他およそ十三の容疑で指名手配が掛かっていた」


 過去形で終わるのは、つまり“そういうこと”。


「現時刻より、この男を抹殺対象に認定します。王国魔導軍隊【アルテミス】四元帥が一人《絶対零度の雨女》として命じる。……殺しなさい」

「はい」


 それが、アルにとって初めての殺人だった。頸動脈を一思いに切り裂いた、その感触を忘れられないままアルは翌朝を迎えた。

 鉄臭い液体が顔一面に掛かったことを忘れない。自分と同じ二足歩行の猿を殺したその腕が、一瞬再び赤く染まったのかと思うほどには。

 洗ったはずの両手を二回も洗ってしまった。二回洗ったはずの手を、今度は三回も洗ってしまった。何も考えていないはずなのに動悸が起こる。

 “命”を奪うことには慣れたはずだったのに、その形をしっかりと見つめてしまってから、それと向き合うことが怖くなっていたのだ。

 感覚が麻痺していたのだと、その時になって気づいた。


「……俺は、もう後には戻れないんだ」


 何も無い閑散とした部屋の隅で、人知れず呟いた。

 そしてすぐに、ゴミ箱に捨てたはずの封筒を取り出す。退学一式の書類が揃った、アルの体に対しては大きい封筒。

 一度は出すことを渋ったが、今となって迷いはない。

 “そういうこと”はもう無くなり、勉強も既に大学卒業レベルにまで達した。最早「学校」に行く意味はなくなった。

 副隊長を凌ぐ実力の今なら元帥昇格まで秒読みとなっている。あと数年の辛抱でもう少し動きやすくなる。そうすれば生きることには困らない。


「生きる、か……」


 人の“命”を奪って自分の“命”を奪われないようにする。それの意味がわからなくなってしまっていた。

 生きる希望が潰えた。

 ふと、リュウの顔が頭を過った。太陽のような眩しい笑顔で小鳥に近づくが、案の定嘴でつつかれる。痛いとは言いながらも懲りない。

 気がつくとリュウはアルの家の扉を蹴破らなくなっていた。自らで開けるようになっていた。


「別れくらいは言うか」


 学校に退学の旨を伝える書類を提出する前に、リュウとだけは別れの挨拶をしようと決めた。本当は会いたくなど無い。

 この汚れた手でリュウには触れたくない。この汚れた青い瞳で、純粋で透き通ったあの青い瞳を見たくない。

 それでも、体が勝手に動いていた。


「あ」


 そして扉を開けたその時、いつにも増して傷だらけになったリュウが見えた。今来たところなのか、ノックしようと右手を上げていた。


「きょ、今日はさ、小鳥の訓練俺だけでやるからさ、お前餌買ってきてくれよ。俺の小遣い少ししかないから、いつもの店じゃなくて、王宮近くのところでさ」


 いつもの店からおよそ十五分はかかる距離。値段も特に大差なく、手間だけがかかる場所だ。


(……脈拍急速上昇、汗腺反応あり)


 探知魔法で見ると、リュウが嘘を吐いていることがわかった。小遣いが少ないというのは本当のようだが、焦りが滲み出ていた。


「……わかった」


 どうせ最後だからと、承諾した。書類は一度家におき、リュウからお金をもらって店へ向かう。それを確認したリュウは小鳥の家まで走っていった。


 * * *


 言われた通り餌を買い終えて、リュウの元へと向かった。いつもの店の倍以上の値段だったが、店員とも顔馴染みになったその店の一日限りの半額セールを知らなかっただけかもしれない。

 その店が、アルの家に来るときに通る道なりにあることも、アルは特に気にしなかった。

 どうしてそのような嘘をリュウがついたのかは、考えない。特に気にする必要がないと思ったその時、アルの小さな鼻に水滴が落ちてきた。


(……雨だ)


 歩く途中で雨が降ってきたのだった。慣れた様子で異空間から傘を取りだしアルは差す。濡れることに問題は無かったが、買ったものを濡らしたくはなかった。

 反射的な行動だった。

 時間がかかることはよくないと隠れて転移をしたため、三分も掛からずに鳥小屋の場所まで到着した。

 しかしその短時間でも雨は強くなっていて、気づいた頃には叫び声程度しか聞こえないほどに雨音が激しくなっていた。


「──んだよ!」


 角を曲がればそこだというところで、アルはリュウではない誰かの声を聞いた。雨に紛れはっきりとはきこえなかったものの、それはアルにとって聞き覚えのある声だった。


「そこどけよ、邪魔なんだよ!」


 こっそりと覗いてみると、そこにはリュウと、リュウを蹴り飛ばす数人の姿があった。

 彼らは、つい最近まで、アルに“そういうこと”をしていたやつらだった。

 綺麗とは言えない鳥小屋をめちゃくちゃに壊し、小鳥の餌を置いていた皿を真っ二つにし、小鳥を両手で守るリュウを蹴っていた。

 それは、アルが自らに受けていたものと全く同じ攻撃だった。

 ここ最近はアルに“そういうこと”をせず、大人しくしていたのだ。もうやらないのだと思っていた。だからこそどうして、今この状況に至っているのかがアルには理解できなかった。助けにいこうとも思ったが、次の彼らの一言で歩を止めてしまった。


「いつもいつも俺らに歯向かいやがって! お前が次のターゲットなんだから、あの白髪みたいに大人しくやられろよ!」


 そこでようやく気づいたのだ。

 彼らの中では、“そういうこと”をする標的が変わっていたのだと。アルに何一つ関わらなかったのは飽きたからではなかったのだと。単に、次がリュウだった。それだけだから。


「お前らこそふざけんな!」


 その時リュウが叫んだ。


「お前らアイツの何を知ってんだよ! アイツは無口で何考えてるかわかんなくて、変なやつだけど! アイツは俺の友達なんだ!」


 もはやその闘志を見たくはないと、アルは壁を背にして隠れた。


「アイツの名前はアル・グリフィンだ!」


 それは、久しく呼ばれていなかった記号だった。

 生まれ持った魔力が多かったから、物心ついたときには既に軍にいた。山の中の小さな施設で育てられ、名も知らぬ誰かと共に数年を過ごした。

 ぼそぼそとしたパンと、豆のスープと、苦味のあるジュース以外に、食べ物などは知らなかった。シャツとパンツとズボン以外に服があるということを知らなかった。

 同年代の中でも歪な魔力を持っているからと、軍に入ったのはもう数年も前。気がつけば未成年だからと仮面を付けられ、名前は無くなった。

 呼ばれるときに、必ず名前を呼ぶ必要など無いのだから。


「あいつの利き手は右!」


 綺麗な瞳の色など知らなかった。


「ポケットに手を突っ込むときは予想を外したとき!」


 燃えるような髪色の雄々しさなど知らなかった。


「じゃんけんで最初に出すのはパー!」


 裏のない言葉を知らなかった。


「めんどくさくても返事だけはする!」


 並べられた優しさの量を知らなかった。


「リンスは使わない派!」


 太陽のような笑顔を、アルは知らなかった。


「お前らが俺に何しようと勝手だがな! アルに変なことしてみろ! お前らのケツに思いっきりカンチョーしてやるからな! 俺のとっておきだコノヤロー!」

「そんなこと言ったって、あんな奴お前のことなんて眼中に無ェじゃねーか! 本当に友達だと思われてんなら、とっくにお前のこと助けに来てるだろうよぉ! あ?」


 アルは胸を貫かれたように感じた。

 自分は本物の言葉を聞いていながら、そいつには何一つ本物を明かしていない。自分だけが隠し、こうして盗み聞き、そして欺いている。


「確かにあいつは俺のことを嫌ってるかもしんねー! でもあいつは俺の名前をしっかり呼んでくれたんだ。何もない俺を見てくれたんだ。だからあいつのことが好きだ! だから俺の友達だ!」


 アルの目からは涙が溢れた。涙という単語さえ知らず、殺されるものが直前に出すものとしてしか知らなかったものが、アルにも流れた。

 目頭がギュっと熱くなり、止めようのない水が溢れてくる。

 悲しくはないのに、怒っているわけではないのに、辛くて苦しいものが込み上げてくる。胸を裂くような感情が爆発し、止めどなく流れ出る。

 自分で自分を制御できずに、未だ止まらない。

 一層激しくなる雨の中でも、しょっぱいそれだけは負けじと流れ、泥にまみれた靴に落ちていく。


「うっ……うっ……」


 餌を届けなければならない。小鳥を守っているリュウの元へ行かなければならない。壊された小屋の修理をしなければならない。

 泥だらけのリュウに傘を差さねばならない。

 その時だった。


『任務よ』


 軍への入隊から何までを全て行ってくれたミルナ。艶やかな為りで、厚みのある魅力を持つ女性。《絶対零度の雨女》の二つ名を持ち、アルの上司にあたる。

 その念話は、頭によく響いた。


『イデア南西リーシェルの街に魔物が向かっているわ。種類は“アブソリュート・ハウンド”。貴方も知ってるとは思うけど、近々Sランクに登録される魔物よ』


 さらに続ける。


『既に所轄の五番隊からは隊長、副隊長が出ているらしいけど連絡が途絶えてしまったらしいわ。元帥二名の応援を要請してきた。頼めるかしら?』

『しかし、まだ俺は……』


 アルは元帥ではない。仮面を付け真名を隠しているのも、未成年だからというのが理由だ。


『この任務が終わったら貴方は元帥に昇格するわ。既に国王の印は貰っているの』


 避けられようのない任務だから。ミルナの命令は絶対であり、断るような理由も無くなった。


「はい……」


 念話では返さずに呟く。開いたままの傘で雨を防ぐ場所を作り、買ってきた小鳥の餌をそこに置く。止めどなく溢れてしまっていた涙は、いつの間にか止まっていた。


「俺は……」


 瞳に残っていた涙を拭い、転移魔法を使った。

 

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