145 三つの禁忌
* * *
『このような状況に対応するために、私は喚ばれました』
リュウの頭で繰り返し再生されたのは、アルを抱えティナ達の元へと戻った直後のラビの言葉だった。
リュウの右手を治し終えたアルはそのまま意識を失ってしまった。ひどい高熱を発し、呼吸することも苦しくなるほどの衰弱。
「まだいたの? 面会時間過ぎたら帰ってよね。合コン遅れちゃ~う」
回想にふけっていると、テオレルが上機嫌に言いながら入ってきた。イデア王国魔導軍隊【アルテミス】本部医療隊舎兼軍事病院、ここがラビの転移によって運ばれた場所だ。
「ちょっと、あんた隠れてお菓子食べてるね。はいボッシュー」
「ええ!」
「あんたも一応は怪我人“のはず”なんだからね。おとなしくしていた方が身のためよ」
アルが意識を失ったあの日から、経過したのはわずか三日。ゼロスから離脱してすぐに首都アルティスの街までやって来た。アルは集中治療室に運ばれて、ようやく日の出と共に一般病棟に写されたのだ。
特に重症だったフェルマとイクトだったが、アルの魔力で完全治癒を果たし、刀傷は残らなかったとリュウは知らされた。
一時的に危険な状態に陥ったイクトは、大事をとって入院となったが、退院日は既に決まっている。フェルマに至っては、病院側から入院を断られた。
ティナとマリーはほぼ無傷であり、今日も学園に通っている。それはリュウも同じなのだが、リュウは朝と放課後の空き時間をすべてこの病室に向けていた。
全面をベージュに近い白で塗り、質素なベッドと小さな机のみ置かれた一室。個室ではあるものの、良くもなく悪くもない空間に、アルはいる。呼吸を風属性の魔晶石に頼り、意識はまだ戻らない。
「あんまり根を詰めすぎない方がいいわよリュウ。この子だって、別に死にゃしないから」
「……知ってたのかよ。アルが元帥だってこと」
「私ね、医療隊に入るまでは諜報部隊だったの。敵も味方も調べものは得意なのよ。だから『ナイトメアダンス』の時にちょっちね」
『うふふ、マスターも驚いていましたよ。まさか、俺の正体を捕まれるなんて、と』
最後に笑ったのはラビだった。アルの使い魔であるお助け兎だが、未だに召喚状態だ。その姿を見たときに一番驚いたのはテオレルだった。
「まだ召喚状態なの? 一体どれだけ魔力込めたのよ」
『こうなることを見越して、通常数分の召喚時間を五日に延ばす程の魔力で呼び出されています。マスターは【五稜封印】をそのためだけに一つ開きましたから』
「で、アルの代わりにあなたが説明するってわけか。そういう、まどろっこしいの嫌いなんだよな~」
言葉と共に入ってきたのはティナだった。続いて車イスに乗せられたイクトと、それを押すマリー。フェルマも入り口付近でとどまっていた。
全員が揃ったことを確認してから、ラビはその小さく重い口を開いた。それこそが彼女の役目だから。
『マスターは、ここ王国魔導軍隊【アルテミス】の矛、元帥です。主に国王様から直に任を受けることで戦闘その他を行います。授かりし二つ名は《天使と悪魔》、公表されている通り実力は《賢者》、《皇炎の支配者》に次ぐ三番目です』
「改めて聞くと物凄いね。格好いい」
マリーは、何気なくそう言った。お腹が鳴った瞬間に、お腹がすいたと言うように、それは当然であり当たり前であり、だからこそ心からの感想だった。
しかし、その言葉を聞いたラビは、目を見開いて驚いた。小さくくりくりとした瞳を見開き、心なしか体を小さく震わせる。
『先の戦いで、マスターは三つの禁忌を犯しました。一つ目は国家機密の漏洩、もう一つは禁忌魔法の使用です。それこそ、機密漏洩は軍規裁判ものですが、皆様にとっては今のところ問題はないかと思います。問題は残りの二つです』
「禁忌魔法……なるほどね。私、この子の体調べて腰抜かしたもの」
テオレルが経過観察をしながら言った。早く仕事を終わらせたいがために動きは最大速だ。
『マスターは先の戦闘で致命傷を負いました。詳しく説明するならば、胸骨開放骨折、両肺半損、肝臓破裂、大腿骨粉砕骨折。しかしその戦いで失った臓器と骨を、魔力で作り替えて一命を取りとめています。つまり、人工的に肉体を作ったのです』
「そんなことが、出来るものなの?」
「私は医者だからわかるけど、一日ともたないわ」
『光属性の人体干渉期待値があってこそ可能になります。しかし、たとえ自分の魔力で自分の臓器を作り傷を治したとしても、所詮魔力は魔力です。本物の組織ではない為、“拒絶反応”が起こってしまいます』
「アルは死んじまうのかよ!」
『いえ、高熱や脱水などで極端に衰弱しますが、数日経てば快復します。直接死に至ることはありません』
「はあ、マジでよかった~」
リュウは肩の力が抜け同時に少しだけ目を輝かせた。紛れもなくそれは好奇心であり、向けられた対象はアルだった。
「じゃあさ、アルって無敵じゃんか! 新しくそういうの作れんだろ?」
そのリュウの好奇心がラビを苦しめる。
『いえ、魔力で組織を作ったとしてもそれはつまり仮初めの物にしかなりません。当然魔法ですので、発動後は消えてしまいます。ですから、作った組織を維持するために、そこに半永久的に魔力を送り続けなければなりません。つまり……』
ラビは以降を躊躇した。イクトもフェルマも、勿論テオレルも察した。その魔法が如何にして禁忌とされ、魔導書に載ることを悪としたかを。
ラビは、未だに分からずじまいで覗きこむように見つめてくるリュウの顔をちらちらと見返しながら、やっと決心して続けていく。
『これから一生、作った組織に魔力を送り続けなければなりません。魔法を使い続けるということは、魔力を消費し続けると言うことです』
「そんな……」
『造魔器官によって自然回復する魔力と、組織への消費は一定で釣り合っています。しかしこの魔法を多用すれば、いずれはマスター自身の最大魔力量を超え、組織を維持することさえ出来なくなってしまいます。その場合訪れるのは、死のみです』
「……うそ、だろ?」
『そもそもマスターは、元帥どころか副隊長にも劣る魔力量なのです。ですから、魔力を体の五ヶ所に溜める【五稜封印】を編み出しました。故にこの魔法だけは使わないでくださいと何度も言い聞かせておりました』
アルが抱えていたものの大きさを突きつけられる。魔力中毒を侵してまで魔力を溜めて、死の危険を侵してまで体を治す。
「何でそこまで……」
リュウがアルの顔を見つめながら言った。元の色に戻ったアルの両手には、包帯が巻かれていた。魔力中毒によって黒く変色し、皮膚が擦り切れていたからだ。
そこまでする理由がリュウにはわからなかった。同じ状況になったとすれば、リュウもまたアルと同じように行動する。それは、彼自身も自覚していることだ。
しかし、それを他人が出来るのかということは理解できない。不器用だからこそ、他人のために動いてしまう気持ちは、同じだというのに。
『それは、あなた方のお側に居たいからです。あなた方“友達”が、マスターにとっては何よりも大事なもので、掛けがえのないものなのです。どんなに任務でボロボロになろうとも、どんなに喧嘩しようとも、あなた方のことが大好きだからと、マスターは泣き言一つ言いませんでした。それほどまでに、“友達”とは特別なものなのです!』
ラビの目にうっすら溜まった涙が、アルの本音を示していた。
『だから……だから、最後の禁忌をマスターは犯しました。命じられていた任を放棄したのです』
「命じられていた任?」
ラビは、アルが三つ禁忌を犯したと語った。一つ目に国家機密の漏洩、二つ目に禁忌魔法の使用。そして三つ目こそ、最悪にして最高の禁忌なのだと知ることになる。
『マスターはその特殊な役職故に、ある一つの任務を請け負っていました。それは、“リュウ・ブライトの監視”です。そしてその任務中、如何なる場合にも対象への助力を禁じると言うものです』
突如現れたその名前。リュウは、自身の名前が出てきたことに、衝撃を覚えた。そして何より、アルが元帥だったという事実を知った直後から胸の奥にかかっていた靄の正体に気づいた。
あの日あの時、シエラは死んだ。それがアルの裏切りによるものだったからと最初は考えていたが、それは間違いだった。
アルは《元帥》だ。
しかしそうとなればその時の違和感は別の形でやってくる。アルが元帥ならば、あの日あの時にシエラを助けられたのではないかと。
『グリーンゴブリン、ネリル・オーン、ヨンとロク、三体のドラゴン、ウェルダー、レグレム、そして《ジャック》カードのディオニア。リュウ様に降りかかる、死の危険に届きそうなもの全てにおいて、一定以上の助力は出来ませんでした』
「な、なんで……」
『それは、リュウ様を覚醒させるためです』
「……え、え?」
ラビはリュウが混乱していることに気づいている。それでもその小さな口を動かすことは止めなかった。
『リュウ様が、“英雄”と呼ばれるものだからです』
悪の組織【メガイラ】から“英雄”と呼ばれているリュウの謎。英雄と呼ばれる理由。それが、核心をつくことに繋がる。
『立ち直れずにいました。シエラというお方を亡くした時、マスターは助けられたのにと何度も何度も泣いておられました。壁に頭をぶつけても、何を壊しても、どんなに悪い魔物を退治しても、その悲しみと悔しさは無くなってはくれませんでした。干渉しないということが任務ではありましたが、それはもう悲痛でした。それでも、やはり貴方の覚醒を待たなければならないから』
その時、締め切った扉がノックされた。ロイが入ってきたのだった。
「リュウ、あとティナ達とフェルマさんにも。軍からの出頭命令が出た。来てくれるかな?」
いつも浮かべる優しい笑みを消した鋭い顔つき。きれいな金髪と共に研ぎ澄ました瞳で、全員を見つめた。リュウ達は、ラビの話を途中で切り上げてその言葉に従う他無かった。