144 業火の超速
闇の巨人を見上げるリュウ。身震いするもそれは武者震い。
「デケェな、けど今なら余裕だぜ!」
その一歩に力を込めようとした。その肩を抑え込んだのはアルだった。
「アル?」
「きっと、俺は……」
続く言葉は轟音によって聞こえなかった。切ない慈悲と、淡い涙が見えたような気がした。それがどのようなものかはリュウにはわからない。
「アル!」
しかしその瞳は知っている。まるで一日遊び呆けた後の帰り際。別れの表情だった。
「魔力を高めておけ……」
次の言葉は強力だった。リュウに有無を言わせぬ数秒後、アルの魔力が表に現れた。
両手の漆黒は、その黒さを増していく。目の前に現れた闇の巨人より遥かに黒ずみ、希望の欠片もない色だというのに、何故だかそこが温かい。
溜めていたという魔力が一気に爆発するように両手から離れる。そうして紡ぎ出す言の葉を、魔力は魔法と変えていく。
【阿吽閃影門】
無機質なアルの詠唱で、無機質な扉が現れた。
光に包まれた二つの扉は、アルが生み出した防御魔法。最上級に位置する光属性最強の魔法だ。
引き戸である両扉にはそれぞれ阿吽の神々が描かれ、風を纏うものもあれば、雷を従えるものもある。まるでたっぷりの威圧感よりも、先に見えるのは光の祝福だった。
「閉じろ」
アルが両手を合わせる。
それに呼応するように門が閉じた。煌めきと、閃光と、全てが合致し一つの防壁と為されたのだ。
二人を目掛けて殴りかかった闇の巨人だが、閃影門を崩すことは出来ない。
荒ぶる巨人が幾度となく殴りかかるが、その門は光を見せつけるのみ。ただ守りたいという思いだけが、アルの魔法を強くしていく。一つの傷も付くことなく、アルの門は鎮座していた。
「なんて盾だよ」
ディオニアがそう呟いていた。
漆黒の巨人の猛攻を打ち返す門に太刀打ちできないとわかったディオニアは、すぐに刀に魔力を込める。巨人はあっさりと消えた。
「けどね、君の鎖は喰らうよ」
「うおっ」
死角から近づいていたリュウの不意打ちに合わせ、『喰神』を当てた。待ってましたと言わんばかりの食いつきで、大口を開ける。
リュウは油断していたわけではなかった。しかし、通ったと思った攻撃に合わせたカウンターに咄嗟の反応は出来なかった。
そうしてリュウの全身に巻き付けられていた鎖を、『喰神』は残さず平らげてしまった。強化を失い、さらにこれ以上の被害を防ぐために距離をとるリュウ。すぐ後ろにはアルが駆けつけていた。
「また強化をしなおすの? 魔法じゃ敵わないけど、コイツがいる限り君の炎は効かないよ?」
それを崩すことがこの戦いの肝であることは、アルも重々承知している。
漆黒の巨人は閃影門が消し去っていた。それは、アルが魔法で競り勝ったということだ。魔法においての勝敗は既に着いた。
しかし、相手は魔力を喰い、さらにはリュウの体までも喰った魔法武器を所持している。迂闊に近づけば、それこそ先程の惨事の繰り返しである。
「鎖は、枷だ」
アルの魔力は高まらない。それは諦めではなく勝利の確信。リュウの体を喰おうが、アルの体を喰おうが、関係ない。
「うおっ」
間の抜けた声を出したのはリュウだ。体が淡く発光している。
「己を戒め、その力を抑止するもの」
アルは遂にその場から動くことも無くなった。この戦いの全てを見通し、そしてリュウの力を今一度信頼する。
「体がもっと軽くなった!」
リュウの体の発光は収まり、力が溢れだす。
「それをお前は解いたんだ、ディオニア」
【擺脱】
リュウが感動を示した瞬間、一瞬の隙を突き『喰神』の柄に鎖を巻き付けたアル。短く息を吐いた後、鎖を思いきり引っ張った。そして案外簡単に、ディオニアの手から『喰神』は離れた。
「お前の魔法武器は確かに強力だ。……が、それは刃の部分のみ」
「正解正解とっても正解」
ディオニアの懐は開いた。
「くらえ、この想い……」
リュウは高々と右拳を天へ伸ばす。銀色に光る籠手の龍の装飾が揺れた。赤く飾り立てられた龍の目は激しく燃え盛り、ゆっくりとリュウをも飲み込んでいく。
「俺はあんたを許さない。仲間を傷つけて命を弄んで。俺にはあんたの考えは一生わからねーよ。わかるつもりもない」
空気を揺さぶり、次第に歪んでくる空間に熱を浸透させんが如く広がった炎。リュウから伸びた炎はそうして一切の慈悲もなく破壊活動に勤しんでいるように見えた。
「だから、終わりにしようぜ」
しかし、それは全くの誤解。
龍の目が再び光った刹那、広がっていたすべての炎がリュウの右手一点に凝縮した。そして、今度は左手の龍の目が光る。
それに呼応するかのようにリュウの目の前に現れたのは、炎に包まれた“四つの魔法陣”だった。
地面とは垂直に、さらには等間隔で一直線に並ぶ炎の魔法陣。中心はくりぬかれたように、一切の文字は書かれていない。最初の魔法陣から最後のそれへ抜けて、ディオニアと目線が合う。それはまるで、
「火の輪くぐりでもするのかな?」
さながらサーカス。地面と垂直に展開する炎の魔法陣は、まるで曲芸の一つのように燃え盛る。リュウを迎えるように業火を灯していた。
「アル、防御魔法準備しとけよ!」
リュウは挙げていた右手を引き、体勢を整える。振りかぶるように後ろへ持っていった右手は、高密度の圧縮炎によって空間ごと歪ませた。
殴りかかる姿勢だが、それでは目の前の魔法陣の意味がない。火の輪くぐり。あながち外れでもないその言葉にリュウはくすりと笑った。
「しょうがねーから種明かししてやるよ」
違和感の消えた両足に、ありったけの魔力を纏わせる。
「まあ、“見えたら”だけど」
リュウは燃え盛る魔法陣に飛び込んだ。
「一番目!」
一つ目の魔法陣にリュウが跳び入った瞬間、それは目をくらませるほどに光り、そして爆音と共に破裂した。
リュウ以外ならば確実に大火傷を負い、まもなく溶けてしまいそうなまでの業火に焼かれる。炎の効かないリュウだからこそ出来る最強の加速。
リュウの体は爆風によって一気に加速した。後から来る爆煙に一切触れられることはない。
「二番目!」
二つ目の爆発で、リュウの姿は見えなくなった。目で追えぬうちに、続いての魔法陣が光った。
「三番目!」
空間を切る音が聞こえた頃には、リュウの姿はもはや赤い線のみとなっていた。
「ラストォー!」
まばたきをしてしまったディオニア。油断していたわけではない。『喰神』を盗られてしまったとはいえ、地力は並みのものではないことくらい自負している。
しかし、音と光によってまばたきをしてしまった。それは人間であるがゆえの反射で、それは防ぎようのないもの。そう、諦めてしまった。そしてそのコンマ二秒にすぐ後悔をした。
たった一回の目の動きをした直後に、リュウはディオニアの目の前まで来ていた。右手を突き出し、銀の龍の炎を向ける。
【超速紅蓮爆炎拳】
燃え盛る魔法陣をくぐり爆発の力を使って超加速。加速に次ぐ、超加速。それは加速した自身の体をそのままぶつける強力な剛拳だ。
焼き払い、薙ぎ払い、消し炭へ。右拳のすべての炎をディオニアにぶつける。
アルは瞬時に最上級防御魔法を展開した。でなければ、そのダメージを食らってしまうから。それは、最上級で防ぐに値する威力だから。
地面は崩れ天井が落ちる。下手すれば失明してしまうかもしれないほどの光が辺りを照らし、熱は石をも溶かす。地獄絵図と言ったほうがまだ聞こえもいいかもしれない程に、その場は壊された。
ただ純粋な暴力で、この戦いの終止符は打たれた。
「逃げた、な」
アルが呟き目をやった先にディオニアの姿はなかった。
リュウの拳が直撃したかは定かではないが、この場所から姿が消えている以上、倒しきれてはいないということだった。
アルはディオニアが転移する瞬間を見てしまった。『喰神』も異空間へと戻され、完全に姿を消すディオニアを。
「いってぇー!」
煙と炎が落ち着いたころ、リュウが叫んだ。
ディオニアを狙った拳の速度は音を超え空気を切り裂いた。その衝撃で殴れば腕が持たないのは当然の事だったのだ。まさに諸刃の剣の技がリュウの腕をあらぬ方向に曲げていた。
「アルぅ~いて~よ~」
涙目で痛みをこらえながら呼んでいた。治癒の魔法をすぐにかけてやったアルだが、その両腕の色は元に戻っていた。長く日光に当たっていないモヤシのような白色だ。
「お前……腕戻ってるぞ」
「あいつは逃げた。ここも本物のアジトじゃない。この任務は失敗だ」
ここまでしたものの得られたものは限りなく少ないもの。雀の涙の成果は、アルにとっては得られないも同じ。
「俺にとっちゃ色々大成功だぜ、へへ」
しかし、リュウにとってはどれ程になるか計りきれないほど。自身の技を手にいれたのだから。
「無茶しかしないな」
満身創痍のリュウはへにゃりと笑った。汗と血と少しの涙が混ざっていた顔に、アルは笑いを堪えた。そして、意識を手放した。
「おい、アル?」
力が抜け地面に倒れそうになったアルを、動かせるようになった右腕で掴まえる。痛みよりも先に不安が襲ってきた。
「アル! おい……」
呼び掛けても、目を閉じたアルは目覚めない。完全に意識を失っていた。
「アルー!」
その刹那、アルの使い魔であるラビが転移魔法陣を開き、全員を転移させた。