136 動き出すアル
「お前ら、おっせえよ」
扉を開けた瞬間に聞こえたフェルマの声。フェルマはベッドの上で寛いでいた。
男女別で部屋を取り、基本的な作戦会議室に使われるのがフェルマのいる男子部屋だ。
ゼロス帝国首都ノームの宿は基本的にペアでの宿泊が主流だ。そのためこの部屋もベッドは二台で、小さなテーブルと椅子のみの簡素なものになっている。
休憩所としての機能の方を重視しているため、ここは日当たりも良いものではなく、格安で有名だ。肌寒い隙間風さえ凌げれば他に不自由な所はない。
とことん情報の無い国ではあるものの、宿泊形態や物価に関して不自然なところは見つからなかった。
「何してんだよ」
「寛いでんだ、見てわかんだろ」
フェルマが体を起こそうとしないため、余った一つのベッドにリュウ達は座る。気がつけば時刻は日没から一時間も経っていた。
リュウ達はあれから何度か話を脱線させつつも【メガイラ】のアジトについて意見を出しあった。
結果、残りの二日間のすべてを、警官に教えて貰った【メガイラ】のアジトらしき場所の探索に向けることとなった。
残りの二日間でアジトを発見できなくとも、ゼロスの大まかな情報は手に入る。そうすれば条約に反しない程度にイデアの介入も出来るようになるため、結局のところ任務失敗とはならない。
イクトは帰り際にその酒場のトイレに行ってみたが、そこに出入口らしきものは無かったという。魔力探知もしたが、国全体に施されている妨害魔力によって上手く探知出来なかったと、リュウ達に語った。
「いたのかよ、針灸犯罪者」
「フェルマ先生、C級ですそんな健康的な奴じゃないです」
ティナの機転の利いた突っ込みも済ませ話は移る。フェルマに知らされている偽の任務については、ボロが出ないようにイクトとティナの二人のみが報告する。
【メガイラ】という組織はシエラを殺した組織でもある。彼らに対抗するためには万に一つのミスも命取りとなる。一通り偽の任務報告を終えたリュウ達は、そのまま任務を終える形となった。
「はっ! ふっ!」
リュウは、両手に籠手型魔法武器『銀龍』をはめて、修練に臨んでいた。
ゼロスでの宿には小さな庭があり、山から降りるように生えてくる樹木達が良い頃合いで陰を作っている。そこはまさに絶好の修練場で、“必殺技”を磨くには最適の場所だった。
(あの時、籠手がぶっ飛んだ。それは多分俺のアレが原因なんだ……)
リュウの頭の中では、イメージも何も出来ていない。ロイに見せて貰ったあの技は、イクトを助けようと仇であるレグレムに対して成功している。
しかしそれは、頭の中で響いた声の直後に魔力が上がったがゆえの成功。それを知っている。だからこそあれをちゃんとした成功だとは思っていない。
そして、気になる点が見つかっていた。
(よし、半分くらいは出来た)
真夜中の修練。爆発系の魔法なだけに数をこなすことは出来ない分、より集中していた。
【爆炎拳】
「ぬわ!」
しかし、それでも両手の炎は弾けとんでしまう。炎の一切効かないリュウはそれこそ無傷だが、熱さは感じる。反動で体のあちこちをぶつけ、今では痣だらけ。
「くっそ~、出来ねー」
地面に大の字になって考えてみるも、それは無意味だと悟るのみ。
そんな時だった。泊まっている人数も少ない宿の扉が開いたのだ。本来ならばリュウは大して気にも留めないのだが、この時ばかりは直感から見に行ってしまった。
そして、見つけてしまった。
右を左を確認して、闇に紛れるように動く小さな少年。夜に映える白髪と青いピアス。険しい表情のままどこかへ向かう、アルの姿だった。
「アル……」
声に出そうにも、その声量は無意識のうちに絞られてしまった。何が目的で、どうして今なのかと、リュウの頭には靄が掛かった。
(……そんなわけあるかよ)
リュウの頭の中で繰り返し再生される『裏切り者』の単語が、翌日になっても消えなかった。
ゼロス帝国での任務二日目は、曇天の空が見下ろす気分の優れない日からの幕開けだった。
リュウは一通りの修練を終え、英雄物語の劇のセリフ練習もし、その後爆睡した。勿論、リュウが起きている間にアルは帰って来ず、朝予定よりも一時間遅れで起きた頃には、アルはイクトと共に着替えを済ませていた。
そのまま、目的地に着いてしまった。
「んで、ここがそのバーか」
「らしいぜ」
「C級犯罪者が潜伏しているっつうわけだけど、よし、お前ら行ってこい」
「もう、ちゃんと仕事してくださいよ~」
マリーに諭され一番に入ったのはフェルマだった。片手にタバコとエロ本。せっかくの重大任務もそれら二つで台無しだ。偽の任務ではあるものの、出鼻をくじかれる気分にイクトは肩を落とした。
「なるほど、誰が誰だかわかんねえな」
バーと言うからには、ゼロス帝国の民の中でも比較的落ち着いた人間達が多い。特に帝国というだけあり、人種は多種で、珍しいとされる獣と人とのハーフ“獣人”の姿もあった。
他の国では人ならざる者として迫害を受ける例もあるが、ここは多民族の集まりで構成される国。人種差別というのは根本的に起こらない。
しかし、リュウ達の追う【メガイラ】に関係するかと言えば否定的であり、形式的に追っているC級犯罪者とも違うため、リュウでさえこの時は押し黙った。
終始上の空のリュウが、それだけの理由ではないことを知るものは誰もいない。
(コトハを助けようとしたあん時も見た気はした。けど今回のはどう考えても……)
はっきりとアルの姿を見てしまった今回とは違い、コトハを助けようとゴザロウと共に駆けたあの時、見たのは気のせいだと思っていた。
リュウを避けるようにして行動するアルだが、そうなり始めたのは【メガイラ】がシエラを殺した日だ。それから仲も良くないこの状況は、アルを疑うということにおいて手助けさえしてくる。
「ぬあー!」
突然叫んだリュウに、マリーは驚いた。頼んだ四キロの肉をフォークから落としそうに慌てていた。
「なんだよ、お前らは酒だめだからな」
「うるせー、トイレだ!」
「先生に向かってうるせえとはなんだうるせえとは。さっさと糞してこいよ」
「あの、私食事中なんですけど」
ただ巻き込まれるだけのマリーを不憫に思うイクトとティナが、互いに目配せする。その中心に座っているアルもそれに気づいた。
『返事はいりません。トイレの中の状況を詳しくこの紙に書いてきてください。あと、行動するときは必ず二人でお願いします』
イクトがフェルマには見えないように渡したのは小さな紙だった。念話が国では妨害されている以上、短距離でしか効果はない。ならばイクトが付き添うことは別に意味のないことだった。
しかし、リュウ一人でトイレの探索は技術的にできない。フェルマは真の任務を知らないし、ティナとマリーは論外だ。リュウの付き添いは自ずと絞られる。
「……俺も行く」
立ち上がったアルが小さく言った。光のような白髪も、澄んだ青いピアスも、リュウと同じ青い瞳も、疑いしか感じられない。しかし、断る理由もない。それに、
「お、お前ら仲直りしたのか。良かったな~」
という能天気なフェルマの一言が追い討ちをかけた。行かざるを得ない空気のまま、二人はトイレに向かった。不安そうに見つめるティナの視線は痛々しく感じていたが、どうにもならなかった。
「…………」
いつもの彼からは想像も出来ないほどに何も喋れないリュウ。
どんな相手ともそつなくコミュニケーションの取れる有能な彼にも、この時だけは打つ手が無かった。トイレに向かう一歩目から感じた重たい何かを振り払うことが出来ずにここまで来てしまった。
警官から貰った紙には男子用トイレと書いてあった。そこは、小便用の便器が二つに個室が一つの、小綺麗なところだった。
特にこのような作りがイデアには少ないため、近代的なトイレに少々の間見入っていた。
洗面台も完備され、雷の魔晶石の明かりも丁度良い。常に風魔法が部屋に展開され、換気の点も申し分ない。清掃は完璧、埃の類いも少なかった。
「……あ、あの」
まるでいじめっ子に話しかけにいくような弱腰で、リュウが口を開いた。いじめっ子であるアルは視線を返すだけ。言葉のキャッチボールをしようとは微塵も思っていなかった。
「怪しいとこ、あったか?」
「…………」
リュウが辺りを見渡しながら聞いたが、アルは何も答えない。洗面台や個室を覗く程度で、探そうともしていなかった。
仕方なく、小便器へと足を運ぶリュウ。ムッとすることもあったが、しかし変に会話が続いてしまうことも望んではいない。他にやることも特に無いので、引き続きリュウは隅々まで調べることにした。
「なあ、お前さ……」
「…………」
一つ目の小便器を調べながら聞くが、後の言葉が出てこなかった。便器にベタベタと触りながらの間の抜けた空気の中勢いで聞いてみたのだが、特に効果はない。
アルも黙ったままだった。しかし、やはり気になるものは気になるのだ。二つ目に手をかけようとしたその時、決心はついた。
「昨日の夜中、どこ行っ──」
【眠れ子羊】
リュウは振り返る。下に見えるアルの顔がハッキリとわからないうちに襲ってきた睡魔に負けた。リュウは体勢を崩したがアルが受けとめ、そのまま調査を終える。