124 夢の話
負けず嫌いの性に身を任せる方が、よっぽど向いている。思えばこの技も、父親を超えるために身につけた技だった。
「神風流一刀術壱ノ型【神速】」
目視をさせない。速すぎるその刀は、敵の金棒を真っ二つに斬った。
「な、なに!?」
男が切り刻まれた金棒に気づく頃、イクトは刀を鞘に納めていた。戦闘中というだけあり、納刀はつまり終了の合図。しかし、イクトの刀はそうではない。猶予をやるという強者の慈悲。
「神風流抜刀術肆ノ型【神影無垢】」
それは魅せる抜刀。無音の引き抜きと首を断ち切る虚像を“魅せる”技。
「ひぃっ……」
レグレムは気圧された。派手に尻餅をついたレグレムの前に歩み寄ったイクト。微笑みの一切を消して見つめる先はしかし、レグレムではない。
「反省などは勿論求めませんし命も奪いませんよ」
首がくっついていることを確認したレグレムは、動揺していた。
他者の命を狙い、己の欲を埋める生活は自身の命の危機を麻痺させていた。一般的で言うところの「驕り」の塊となったレグレムが、髪の毛ひとつ切られもせずに地に落ちた。自尊心の塊でもあるレグレムは、憤慨する。
「くそったれぇぇぇぇええええ!」
立ち上がり金棒を叩き込む。半分の長さとなっていたそれが捉えたのは地面だった。
「ただ、ひれ伏せ。お前がやったことの重さなどお前がわかるはずも無い。だから忘れるな。お前はたった一度の抜刀にも負ける男なのだと。目的を達成することもできずに、傷つけることもできずに、負けたんだと。斬られずに負けるなど愚の極みだと」
天才と称された刀さばきが、武器さえまともに扱えない男に防がれるはずもなく、男の右肩を切り裂いた。
「うわあああ!」
ように思えた。しかし、イクトのその手には既に『笹貫』が存在していなかった。気づいたレグレムは、涙していた。
「お、俺はお前をころしてやる!」
「神風流無刀術壱ノ型【神代】」
手首を突き、半分の長さとなった金棒を男の手から弾き飛ばす。
「お前は俺に殺されるんだよぉ!」
「神風流無刀術肆ノ型【神語り】」
敵は地面に這うようにして崩れる。
【次元転送・笹貫】
刃を真下に振り落とす。
敵のすぐ真横に刺さった刀身が月明かりによって敵の顔を明るく照らす。涙と鼻水によって汚れた醜い顔をこの場の全ての者に見せつける。
この場の誰よりも弱いのだと証明したイクトを、直視することができない。斬られてもいないのにこのザマだと、認めたくはないからだ。
「いっそ殺せ……」
「リュウを捕らえた後、どのようにして組織に渡すつもりでしたか?」
「ぱ、パーティーだ。リーシェルで開かれる社交パーティーでこの国の報告を毎年やってる。教えたからな、お、教えたぞ! もういいだろ、俺を殺してくれ!」
「自分を見失いながら、ありがとうございます。それではリュウ、方向はあちらでお願いします」
指差す先は【アルテミス】本部。夜空のもとでははっきりと確認できないが、薄く軍病院が見える。
「じゃあこの勝負、俺の勝ちだな!」
「今回“は”僕の負けです」
魔力は溜まった。その全てを炎と変えて、銀色に輝く右腕へ。
(思い出せ、あの修行を……)
自分に言い聞かせる。籠手が銀色を増し、龍が吼える。
深呼吸と呼応して炎は揺らめき、決意の眼差しが澄んだオレンジ色を写し出す。唯一点に溜め込んだ炎を解き放つだけの単純な魔法。
【時計仕掛けの炎】とは違う、完全なる剛の魔法。
それはリュウを体現し、リュウはそれを体現する。流れるこの世の何もかもを砕くような異質なもの。まだ一度も成功したことの無い、限界を超える魔法。
燃ゆる右腕を振りかぶった。
『ふうん、面白いねそれ。いいよ、力貸したげる』
「え?」
頭の中に声が響いた。どこかで聞いたことのある声。飄々とした若い男の声だ。その刹那、炎は限界を突破した。
「ま、待て。やめてくれえ!」
「うるせー!」
体が軽くなった気がした。まるで、自分の体から魂だけが飛び出したかのような自由度と、笑顔になるほどの開放感。
【爆炎拳】
だから、右腕の炎が全てを終わらせた。
レグレムは絶叫しながら、【アルテミス】本部の方向へと飛んでいった。
「なんて威力よ」
見ていたティナは、眩しすぎる光に目を開けていられない。泣き止んだマリーは爆風の中立っていられない。呼び寄せた風の中のイクトは維持もままならない。
再度三人が目を開いたときには周りの木々が焼け去り、視界は晴れていた。リュウを中心に、計り知れないほどのクレーターが出来ている。
「あっつ!」
制服の右袖は跡形も無くなり、他の部分もほとんどが焦げ落ちている。
「威力だけで見れば、最上級ですね」
イクトが悔しそうに感心していた。そしてより一層、心の奥底の火が燃えていたことに気づかぬまま、リュウは不自然さに思考を走らせていた。
(……あの声)
「リュウー!」
浮かない顔のリュウだったが、駆け寄ってきた皆の顔を見て笑顔が見えた。
「やるじゃない」
「リュウ君すごい!」
「なんと、目が眩んだでござるよ!」
次第に表情は緩んでいく。もう、見るに耐えないものとなってしまった。
「そうだろぉ~?」
リュウのドヤ顔にティナが叩きたくなるのを我慢した頃、コトハが歩いてきた。地形の変わった地面に足を取られながらゆっくりやってくる。
「あ、あり……ありが……」
目を合わせようとはしなかった。着物の裾を掴み、肩を少し上げてじっくり地面を見つめる。恥ずかしいという言葉など口にできるはずもなく、気持ちに気づいていないリュウに笑われる。
「なんだよ、ちゃんと礼も言えねーのか? オコチャマだな」
「な、なんですって!?」
反論しようとしたが、途中で馬鹿らしくなったコトハ。込み上げてきたのは笑いだった。
「……あ、もう朝だ」
ティナが気づいた。
辺りが明るくなり始めていたのだ。遠くの方からは鳥の鳴き声が聞こえ始め、光の線が自分達を飲み込んでいく。夜の風とは違う、爽やかなそれが森一帯を吹き抜け、一日を始めていく。
「朝だな」
「日も出て来たので、拙者達は国に帰らねばならないでござるな」
「え、今日まで!?」
「リュウ君聞いてなかったの?」
大活躍の末だ。はいとは言えなかった。
「ほんと、お子ちゃまね」
得意気な態度を取り戻したコトハが言った。全くもうと、悪態をつきながら再びリュウに歩み寄る。
「お礼、ありがとう」
すっと、頬にキスをした。
精一杯の恋心を伝えたい。初めて見せる年相応の微笑みとその空回りした成長が、今一番の感謝の伝え方としてそれを選んだ。
泥だらけで汗ばんだ十五の少年の頬は、だというのに甘酸っぱい。思わずリュウの顔も赤くなっていた。
「な、なっ!」
過剰に反応したのはティナだ。マリーとイクトは笑いをこらえていた。
「君達は一体何をやっているんだ」
この空気を壊しにやって来たのはエリックだった。起きる気配のまるで無いアッシュを背負いながら、コトハのような慣れた悪態をつく。
全員が無事に揃ったことにより、深夜の珍騒動はティナにとっての恋敵の出現によって幕を閉じた。
「よし、帰るか」
リュウが先陣を切る。
「もうクタクタ。お風呂入りた~い」
「拙者はすぐにでも稽古に向かいたいでござる! 必ずや天才剣士を超えて見せるでござる!」
「静かにしたまえ。アッシュが起きてしまうだろう」
「ふん、お子ちゃまを背負うなんて、可哀想なお子ちゃまね」
疲れから、妙に饒舌になってしまう。
(頭の中で喋ったあの声、それにあの白い奴って……)
考えに更けるリュウを除いて。
「待ってください」
イクトが真剣な面持ちで全員を呼び止めた。
「なんだいイクト。この子が起きてしまうだ──「エリック、ちょっと黙りなさい」
エリックの言葉をティナが遮った。イクトの顔を見つめながら、彼の次なる言葉を待つ。
「本当にすみませんでした」
イクトが、深々と頭を下げた。
「僕はとても愚かでした。情けないほどに自分を見失ってしまっていました」
「うん、いいよ」
リュウが言った。それは、全員を代表して言った言葉ではない。リュウ個人がそう思い、ティナ達もまたそう思う。言う必要がないとリュウに任せた言葉だった。
「どうだよ、俺カッコよかったろ?」
「そうですね」
イクトが笑った。心の底から楽しいリュウのジョークに、笑ってしまった。
「そう言えば、皆様にどうしてもお話ししたい事があります」
優しい笑みを浮かべていたイクトが、そのままの表情で語る。紡がれるは伝説の真実。
「夜桜伝説、それは最後の話のみ作り話なのです」
ゴザロウも首を傾げていた。
「神に頼り神を妄信した彼女は神の名では呼ばれませんでした。裏切られたとして、彼女は神を憎み神を殺す最強の奥義を生み出した、とされています」
陽光が照りつけた。朝の匂いが頭を活性化させ、小鳥の鳴き声が目を耳を起こす。そうして間を置いて、真実はやってくる。
「彼女は気付いたのです。神を語り全てを切り裂く無意味さと、神に頼ってしまった己の無力さに。私は立派な人間なのだと」
続きは、聞かずともわかるような気がリュウにはしていた。
「人として生き、人として刀をうち、人として刀を振るった彼女が最後に頼ったのは人の優しさだったのです。神の風を断ち切った人間の強さ。彼女はそれに気づき、人としての彼女の全てを注ぎ込んだ「史上最弱」の奥義を編み出しました」
矛盾する言葉の意味を、夜桜は見出だし。それを今度はイクトが気付いた。
一つの伝説と悲しい過去を結びつけてしまった一連の騒動が運命であるように、イクトの心の移りもまた自然なものなのだと、イクト自身が納得する。
「夢は思わぬ形で打ち砕かれます。僕の夢も誰かさんに打ち砕かれてしまいました」
リュウが得意気に、鼻を鳴らした。
「なら、私と一緒にそれを見つけよう。私はイクト君と一緒なら何でもできるの。それを、イクト君にも同じように思ってもらいたい。だから私と、これからも一緒にいてください。私の大好きなイクト君!」
マリーの精一杯の勇気を振り絞った言葉だった。関係ないと言うのに、ティナやコトハでさえ表情が強ばる。耳まで赤くなったマリーを、応援する。
「僕は強くなりたい。今度は本当に特別な人を護れるような強さを手に入れたい。もしその強さを手にすることができたなら、その時まで待っていてくれますか?」
そんなものは即答だと、マリーは笑った。
「もちろんだよ、イクト君」
風が吹き抜けた。あの日あの時、告白に失敗した時のような冷たいかぜではなく、それはなにかに満ち溢れた風だった。表情筋の弛みが止まらないのは、皆同じだった。
「今日は──」
イクトは言う。こちらもまた精一杯の勇気を振り絞っていた。
「──月が綺麗ですね」
「え? もう朝なんだから、月は出てないよ?」
コトハとゴザロウが吹き出した。置いてけぼりをくらったリュウやティナは、マリーと同じく首を傾げていた。
「いえ、僕は世界一の幸せ者だなと、再確認しただけですよ」
イクトの笑顔がこの日一番に輝いた。