122 愚かな時間
「へ~、これがあの大和の姫様かぁ~」
推測するにここは山の頂上。イクトと交わした約束の時間は当に過ぎて、助けを待っていたコトハは変態人間共に囲まれている。
ジロジロと縛られたコトハを眺めながら幾度も生唾を飲み、頬や腕、太ももなどに嫌らしく触れてくる。三人の男達なのだが、彼らの言葉はほとんどわからない。
(奴等に雇われたイデアのゴロツキね。魔力はあまり強そうじゃないか……)
コトハは冷静に状況を読み取った。金で雇われているであろう三人はそれ以降コトハに接触せず、三人だけで酒瓶を持ってどこかに消えてしまった。油断からの監視の緩さだが、それは好都合だ。固く縛られた縄をほどけさえすれば逃げられるのだが、既にそれは諦めている。
それよりも、この状況そのものにコトハは違和感を覚えていた。本来ならこの時間には既にイクトがこの一帯のならず者を成敗している頃なのだ。
(……遅い)
縛られた両手が痛み始めていた。気持ちの良くない夜風が、一層不安感を掻き立てる。
「ガーハッハッハ!」
突如、目の前の木が倒された。自分を捕らえた男の野太い声だ。現れたのは金棒を持った男と、それに相対するイクト。
「やっと来た!」
不安に満ちた心に一筋の光が見えた。普段見せている冷静な態度からは想像もできないほどの大きな声が出てしまった。
普段のような取り繕う大人の態度に戻そうと、すぐに頭を冷やす。その中で気づいた。金棒と刀とをぶつけるイクトの様子がおかしいことに。
「“重き空丹、黎明と化せ”」
【首降り旋風騎】
空気が唸るように吹き荒れ、『笹貫』の切っ先に集まる。渦巻いたそれらは、イクトの薙ぎと共に一気に解放された。
伸びるように形成された風の刃として、『笹貫』から伸びた魔法が、恐るべき長さを全面に生かし木々もろともレグレムを狙った。
対するレグレムも金棒に魔力を流し、金剛として受けきる。所詮は伸びた刃。斬れなければ意味はない。彼はにたりと口角をあげて、地面を蹴った。
【金剛衝波】
イクトが縦に落ちる金棒を躱すことを見越した、力強い一撃。土の地面が波打つほどの衝撃と共に、降り下ろされた金棒を躱したはずのイクトは吹き飛ばされた。
「くっ」
冷静ではない頭のおかげで、攻撃を喰らってしまったイクト。受け身も中途半端に失敗し、体に痛みが残った。
「うおらぁっ!」
痛みで頭の回転が鈍る。それを知り得ているレグレムは金棒をこれでもかと振りかぶり、瞬く間に地面に叩きつけた。
イクトはすぐに躱したが、別に躱されても構わない。この一振りの狙いはダメージではないからだ。
「そうだ、冷静になれねえお前ェはそう動く」
「どういう……」
「いいねえ。お前のその場所最高だぜぇ?」
追撃もせずにレグレムは笑っている。そしてそのまま手に持った金棒を、今一度地面に叩きつけた。それもやはり攻撃ではない。それは無い頭を最大限に使って作り上げた装置の“トリガー”だ。
直後に鳴ったのは爆発音だった。それは決してマリーの持つ銃の音ではない。火薬を大量に爆発させた、まるで爆弾のような轟音だった。
迫ってきたのは鉄球。
イクトは両断。
コンマの世界のやり取りだったが、それは砲弾だった。この国にはあまり無いタイプのそれは、しかし見覚えがある。極東の国、大和のものだ。それも地面において一発で城壁を破壊するような代物だ。
それを理解した頃には既に二発が撃たれていた。
「くそ……」
一発目は両断できたものの、二発目ともなるとうまくいかない。イクトはすぐに防御魔法を展開したが、動きの止まったイクトに追撃するのは造作もない。
砲弾の来る方向とは逆からレグレムは金棒を振り下ろした。
全方位を覆ったイクトの防御魔法は、アルの物と比べると紙のようなもの。砲弾は防げても魔力の込もった金棒までは防げなかった。防御魔法は壊され、イクトは無防備になる。
「撃て!」
レグレムの合図で砲弾がもう一発放たれた。防ぐ手段の無くなったイクトは躱す他無かったが、それをすれば射線上のコトハに直撃してしまう。
それをわかっていながら、イクトは砲弾を躱すために動いたのだった。
「……嘘でしょ」
縛られて身動きのとれないコトハはせいぜい小さく口に出来る程度。対応策は全く取れていないまま、砲弾は目の前まで迫ってきた。
「きゃあっ!」
目を瞑り、煌めいた砲弾を視界に入れないようにする。現実逃避だと笑われても仕方がない。しかし笑われるよりも早く来るはずの砲弾は当たらない。
「ったく、経験者でよかったぜ」
突如かけられた声に反応して目を開けるコトハ。
そこには燃えるような赤髪と、本当に燃えている両手の姿があった。両の足で踏ん張り、極大の炎によって砲弾を溶かしきったリュウの姿があったのだ。
「あの野郎、マリーみたいなことしやがって。お似合いカップルか!」
訳のわからないツッコミの直後、抱き上げられた。
「大丈夫かよ、オヒメサマ」
この状態は「お姫様だっこ」。嫌がらせの才能はとても良いものを持っているらしい。
しかし、間近でみたリュウの顔はとても格好良いものだった。一筋の汗と、光る青い瞳。初めてされた「お姫様だっこ」。
何より、恐怖からの解放。コトハはまだ恋を知らない純粋な乙女であった。
「何偉そうなこと言ってんのよ、子供ね」
目を合わせることはもう出来ない。下ろしてもらうまでの数分間が、永遠のようにも感じられた。顔の紅潮が不自然すぎてさらに恥ずかしい。
「大人しくゴザロウといろよ」
「ま、待って」
「あん?」
心臓の鼓動がけたたましい。
「あ、ありがとうございましたああぁぁぁっ!」
見事なまでの平手打ちを、かましてしまった。
「ええ!? 何してるでござるか!」
「あ! ……いや、これはその」
「いって~」
ダイナミックに地面に滑っていったリュウが起きて、コトハを見つめる。左ほほが赤くなっていた。
「そんだけ元気なら大丈夫だろ」
そう言って、行ってしまった。コトハに残されたのは、これ以上はあり得ないだろうと言うほどの罪悪感のみだった。
* * *
「神風流一刀術壱ノ型【神速】」
イクトの太刀筋をレグレムはバックステップで躱した。神速の突きであるはずなのに、躱されたてしまった。
「……くそ」
静かなる苛立ちを虚空に吐き出すイクト。
レグレムは全体攻撃を得意とするパワーファイターだ。周りの木々を巻き込み、地面ごと攻撃をするのだ。それによって起こる倒木や地割れも攻撃のバリエーション。
機動性と瞬発力が武器のイクトとの戦闘の場合、イクトを寄せ付けないように出来れば勝利は得られる。
そして、レグレムはそれが可能だ。
時間が立つほどに不安定になる足場では足腰が肝となる剣術を使いにくい。だからといって空中を利用して攻撃をすれば、待ち構えている金棒に捉えられる。上から攻撃するしかない。イクトは既に冷静な判断力を失っていた。
「しかし、追い詰めました」
イクトの正面で金棒を振り回し、度々ダメージを与えていたレグレムだったが、ついにその背に山の急斜面が当たった。
山に断層ができ、崖のようになって行く手を阻む。背面の大きな土と、その左右の巨木たちによって、レグレムは袋の鼠だ。
「お前の刀、やっぱりいいよなぁ」
追い詰められたはずのレグレムが不意に口火を切った。
「斬り心地が最高だったぜ。あのちびっこの腕がよ、スーって柔らかいまま斬れてくんだ。俺ぁ感動したぜ。あんなに可愛かった娘っこが、ひんひん泣きながら赤く染まってくんだ」
「……黙ってください」
「そうだ、後悔も無くは無い。あの娘可愛かったから殺すのは惜しかったなぁ。もっともっと取っておけばよかったぜ。だってそうだろ? そうしたら今になってもまだあの感触が味わえるんだ、傑作だな!」
「……黙れ」
「最期の言葉覚えてるか? 可愛かったよな。もう歩けねーっていうのに、飛び出したもんだからうっかり斬っちまったっけか。そうそう、確か──」
真夜中でもわかる。はっきりとこちらを見てから、笑った。
「──“お兄ちゃん逃げて!”だったなぁ。ハーハッハハハハ! 可愛いなァ!」
「黙れえぇぇぇぇぇ!」
レグレムの口角は裂けてしまうほどに上がっている。心の底から楽しんでいる。イクトは力の限りを尽くして、刀を抜いた。
目を閉じればあのときの光景が甦ってきてしまう。血だらけの、体がとても痛そうだった。横に曲がった手足を、痛そうだと思った。
どうして妹のイコであったのかと、幾度も自問自答を繰り返した。両親にまで手を出し、その理由はただ刀が欲しかっただけ。
「死ね!」
思考は止めた。ただ、込めた一撃を当てるのみ。
「イクト君!」
虚空の果てで追いかけてきたマリーの声がイクトに向けられた。名前を呼んでいるが、聞こえた程度。到底奥底には届かない。
レグレムはこれ以上ないと言う程に笑っていた。声など聞こえないが高らかに楽しそうに。その直後、レグレムの背後にある土の壁の全てが崩れ、何かが現れた。
「イクト君逃げて!」
「だぁ~れが追いつめられただってえい? 笑っちまうなぁ~!」
なおも言われる、その言葉。レグレムの背にある崖が崩れて現れたのは鉄の針。これは、矢の矢尻だ。その数は一見で、五百を超えていた。
イクトは既に思考を止めていた。
「蜂の巣ぅ~、蜂の巣ぅ~!」
レグレムの言葉と同時に、その全ての矢が飛んできた。真夜中に映える月光に反射し、星のように一瞬煌めく。五百を、千を超えた矢が全てをもってイクトを狙っていた。
イクトは反射的に足を止めた。追い詰めたと思っていたはずが、このトラップの為に誘い込まれたのだ。沸騰し沸き上がった稚拙な頭脳がこの状況を招いた。
イクトは痛感してしまった。レグレムではなく、それは己の無力さ故の状況であるということに。
「僕は……」
膝から崩れ落ちる。防ぎようのない矢群を綺麗だと見つめる。頭に血が上る末路。あの時のイコも、こうだったのだ。咄嗟の行動によって命を落としたのだ。それを悟った瞬間、イクトは笑った。
(僕はなんて愚かなんだ)
声も出ない。イコは護るために、自分は殺すために。比べるまでもないほどの想いの差に、ようやく気づきそして遅かった。その瞬間、イクトの目の前には紅蓮の魔力が現れた。